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腹いせでモラハラ公爵に嫁がされたはずが、扉を開けたらツンデレな子犬がいました  作者: 佐崎咲
第三章

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第2話 上書きからの上書き

「どちらの腕だ」


 重ねて問われ、戸惑う。


「そんなもの、もう忘れましたよ」

「では両方だな」


 そう言うと公爵様はくるりと体ごと振り返り、ふわふわの布団の上をとことこと歩いてくる。

 何をするのかと目で追えば、私が顔の傍に引き寄せていた手首をぷにぷにの肉球でサンドし、うぬぬぬ、と引っ張る。

 わからないながらもその意図を汲んで右手を公爵様のほうへと伸ばすと、満足そうにふすりと鼻で息を吐き、布団に投げ出した手の傍にぽすんと座り込んだ。

 そうして公爵様は私の手首にもふもふの腕を当てると、一心にごしごしとし始めた。

 もふもふでとても気持ちいいが、これは何なのか。


「公爵様?」

「消毒だ」

「お風呂には入りましたが」

「気が済まぬ」


 それは、あれか。

 あいつに触れられたところはすべて俺で上書きしてやる! という、あれか。

 これは胸がきゅんきゅんしてたまらない。


「こっちもだ」


 そう言いながらお腹のほうに投げ出されていた左腕の前にぴょいんと移動すると、またごしごしし始める。


「こんなか細い腕だぞ。それを掴むなど許せん。折れたらどうする」

「折れませんよ。それに、これでも公爵家に来てから毎日おいしいものをいただいていますので、肉付きもよくなったのですが」


 アーリヤード伯爵家および領地も、公爵様の支援を受けて灌漑設備や土木工事の目途が立ったらしい。

 おかげで最近は父や兄たちもそれなりに食べる余裕もできたそうだから、ますますムキムキになっていくだろう。

 父は相変わらずヒョロいが、それでも顔色はよくなったという。

 公爵様は資金だけでなく、有用な人脈の紹介や計画支援もしてくれている。

 本当に一家揃ってお世話になりっぱなしだ。

 今だって、公爵様は私のことをずっと気づかってくれている。

 何か恩返しができたらいいのに。

 公爵様は何をしたら喜んでくれるのだろう。

 もちろん呪いが解ければそれが一番なのだが、他にも何かできることはないだろうか。


「以前に比べれば、だろう? まだまだだ。ジゼルはもっと何でも望めばいいのに。いつも人の事、家の事ばかりで結局『お願い』だって全然しないだろう」


 そう言って、私の頬をぷにぷにの肉球でもにもにした。


「幼い頃から粗食に慣れていましたので、いきなり美味しいものをたくさん並べられても、一気には食べられないのです。ですが望んでよいのなら、もっとそれやってください。すごく気持ちいいです。肉球――」


 ぷにぷにぷにぷに――ああ、至福。


「他にはないのか?」

「私は今、生きてきて一番満たされていますよ」

「衣食住が保証されているからだろう? 望みのレベルが低すぎるのだ――。そういう環境で育ったから仕方ないのかもしれんが」

「別に不幸ではありませんでしたよ」

「だが、初めて会った時だって青白く華奢で、今にも倒れそうだった。それなのにその瞳は力強くて、凛として立っていて。その印象があまりにちぐはぐで、不思議だった。だからジゼルからは目が離せないのだ。かわいいなと思えば次の瞬間には何を言い出すかわからんし、頭の中はいつもジゼルのことでいっぱいだ」


 そうぶつぶつ呟く間にも、ぷにぷにぷにぷにされていたから、一瞬微睡みに意識を失いかけていてもはや何を言われているのかまったく頭に入ってこない。

 肉球すごい。

 こんなに気持ちがいいものなのか。

 首元に座り込むような形で顔の周りをもふもふに包まれているのがまた温かくてものすごく眠くなる。


「癒されます……。私、公爵様が毎日このようにもふもふしてくださったら、他には何もいらない気がします」

「それくらいお安い御用だが?」

「してくれるのですか?」

「どうせこの体だ。好きに使うがいい」

「ご自分を安売りしてはなりませんよ」

「ジゼルだから許すのだ」


 ぷん、というように顎をそらせた公爵様に、ふっと笑う。


「ありがとうございます。では、抱っこしてもいいですか?」

「かまわない」


 半身を起こし、公爵様を抱き上げた。

 思った以上に軽い。

 そうして胸の上にそっと置き、優しく抱きしめた。

 全然体重を感じず、ただひたすらにもこもこした柔らかさと温かさだけが胸にじんわり沁みる。


「以前抱き上げてから、もう一度こうしてみたいと思っていたのです」

「だから、何故言わない? ジゼルはもっと求めていい。俺たちは夫婦なんだぞ」

「でも公爵様には公爵様の尊厳があります」

「まあ、中身が俺だとわかっているからな」

「公爵様ではなくとも、犬や猫にも同様に意思があります。それを蔑ろにして、もふもふで気持ちいいからと触れようとするのは人間の傲慢です」

「確かに……小動物を見て『かわいい』と勝手に迫るのは人間だけだな」

「はい。動物の方がわきまえているかと」

「ははは! 違いないな」


 声を上げて笑った公爵様に、私もつられて笑った。


「ああ……。最高に癒されます」

「ならジゼルにはいつでも俺を抱っこしてよい許可をやろう」

「ありがとうございます。恐悦至極にございます」

「本気で言っているところがあれだが、まあいい。ジゼルにばかり苦労をかけてしまっているからな。少しでも気が休まるなら、全力でそれにこたえよう」


 そう言って、公爵様は私の頬に柔らかなふわふわの頬をすりすりと擦り付けた。


「わ! くすぐったいです」


 思わず笑うと、公爵様はさらにぶんぶんと首を回すように顔を擦り付けた。


「こ、公爵様! くす、くすぐったいですってば!」


 ぶんぶんと首を振り回し過ぎて、頬だけでなくおでこや首にまでごろんごろんと転がるようにふわふわが襲ってくる。

 声を上げ、お腹から笑ってその全身ふわふわ攻撃を受けているうちに、涙まで滲んできて、苦しくなってくる。

 このままでは笑い死ぬかもしれない。

 本気でそう思いながら、必死に手を伸ばして公爵様の体を掴み、ぎゅっと胸に抱いた。


「私を殺す気ですか? こんな幸せな死に方もいいですけど、公爵様の呪いが解けてからにしてくださいね」

「……すまん。やりすぎた」

「笑い死にはちょっと苦しいかもしれません」


 公爵様は大人しく私の腕に収まりながら、ふすん、と顎を私の首元に下ろした。

 今は犬でよかったかもしれない。

 私が笑い疲れて微睡んだ頃、小さくそんな声が聞こえた気がしたけれど、うつらうつらと意識が遠くなり、私はそのまま眠ってしまった。




 まあ、そうやって眠ったら翌朝どうなるかは自明の理であった。

 ふっとカーテンから零れた朝日に目を開けると、私の胸元には白いふわふわの毛があり、当然ながらそれはただの体の一部であって、長い腕は私の脇腹に回され、さらに長くてごつごつした足は私の足に絡んでいた。

 侍女が扉をあけたら卒倒してしまうような絵面だ。

 いや、夫婦なのだからいいのか。

 私も一瞬その手に触れるすべすべの感触にどきりとして心臓が跳ねあがったけれど、不思議と心地よくて、そのままその背をひと撫でし、布団をぱさりとかけた。

 その上から再び抱きしめるように腕を回し、ぼんやりと微睡む。

 犬の姿ではあったけれど、昨夜あれだけ触れ合ったからかいつもより身近に感じる。

 今は犬の時よりも長く白いふわふわの毛が顎にさらりと触れる。

 愛しくて、自然とその髪を撫で、梳いてさらりと落とすと、朝日にキラリと輝いてきれいだった。


 そうして公爵様の髪を弄んでいるうちに、気づけば二度寝をしていたらしい。

 ふっと目を覚ますと、私の手に馴染んだ感触はなくなっていた。

 それを探し求めるように自然と彷徨う手が、ぱしっと誰かに掴まれる。

 それはごつごつした手で。

 うっすらと目を開けると、人二人分空けたくらいのところに眩しいご尊顔があった。


「人が我慢していたというのに――。ジゼルが悪い」


 気付くとその距離はあっという間に詰められ、私の前には薄暗い影が落ちていた。

 私の枕元についた両腕の重みで、頭がぎしりと沈む。

 薄く朝日を背負った公爵様の顔が、ゆっくりと落ちてきて、柔らかな感触にあの日一度だけの口づけを思い出す。

 やはり公爵様の口づけは私がするものとは違う。

 しかし今日はそれだけでは終わらなかった。

 ゆっくりと私の上唇を食むようにして、公爵様は再び唇を下ろした。

 そうして何度も角度を変えながら、私の唇すべてを食べ尽くすかのように柔らかな感触が這う。

 止めていた息が苦しくて思わず喘ぐように息をすると、ぐ、と公爵様の喉が鳴った。


「すまない。暴走した」


 ぱっと腕で顔を覆い、すぐさまベッドから離れる。


「おはようございます。すっかり目が覚めました」


 心臓がどくどくと早鐘のようになっている。

 息を止めていたからだ。

 顔も熱いし、最初に試した時にあれほど走らなくとも、息を止めればよかったのだと今更になって気が付く。

 そう考えて、ああ、そうか、と思い至った。


「なるほど。今日は恋人のような口づけを試したのですね」


 本当に体がどろどろにとろけてしまうかと思うような口づけだった。

 ベッドに横になっていてよかったと思う。

 しばらく立ち上がれそうにない。


 あの魔女も「とろけさせてあげる」と言っていたし、もしかしたらこういう口づけで呪いが解けるのではないだろうか。

 しかし公爵様は、「先に行っている。着替えたら朝食に来るといい」とすたすた部屋を出て行ってしまった。


「あれ……?」


 そういえば、公爵様はいつの間にか服を着ていた。

 先程は確かに素肌が手に触れた気がしていたのに。

 公爵様も一度起きて、また寝たのだろうか。

 使用人も少ないし、仕事も忙しいと聞くから、疲れていたのだろう。


「昨夜は、犬でよかった……」


 犬でなかったら、あれほど身近に接することはできなかったかもしれない。

 あの顔があの距離であんな風に触れ合っていたらと思うと、熱が一気にぶり返して。

 私は仰向けで顔を覆ったまま、しばらくそうしていた。

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