第3話 呪いのその先
私の言葉に、レオドーラの顔が一気に嫌そうにしかめられる。
「何よ、それ。あんた、また面倒くさいことに巻き込まれたんじゃあ……」
「直接的な被害には遭っていないから大丈夫」
ってことは、とレオドーラの哀れむような目が私の隣に向けられる。
「呪われたのはあなた?」
「あ、ああ。かけられたのは、もう何年も前のことだが」
「それが最近になって発動して、なんとかしたくて来たってことね。でも無理よ。私に呪いは解けないわ」
そうだとは思った。公爵様にもそこは期待しないでほしいと伝えていたのだけれど、やはりどこかで希望を持っていたらしい。
見るからに絶望した顔で眉を下げる公爵様に、レオドーラがますます哀れむような目を向ける。
「だとしても、レオドーラなら呪いについては知っていることもあるでしょう? わかる範囲でいいから、教えてほしい」
「まあ、さすがに呪われている人を目の前にしてそのまま帰すのは忍びないしね。そこに座って、その黒い魔女について話してくれる?」
「ありがとう」
「感謝する。話せば長くなるのだが……」
店内に置かれたテーブルに向かい合って座り、公爵様が一通り経緯を話すのを聞いている間、レオドーラは顔を顰め、眉を顰め、黒い魔女サーヤが話に出てくると怒りのこもった目になり、最後は大きなため息をついた。
「また厄介な魔女に絡まれたものね。まあ、これだけ見てくれがよければわからないでもないけど」
そう言いながらも、レオドーラは公爵様の見た目に態度を変えるでもない。
伏せた瞳は長いまつ毛にふちどられ、憂えたそんな姿すら色気がだだ洩れだというのに。
白い魔女は精神力が高いと言われているが、こういうところなのかもしれない。
私の前では随分と感情を荒ぶらせているような気がするけれど、それは私のせいでもあることは自覚している。
「このような容姿で得をしたことなどない。いつもいつも、災難に見舞われてばかりだ」
「なるほど、随分な苦労をしてきたようね。だから呪いがかかりやすくもあったんでしょう」
そう言われると、公爵様は明らかにショックを受けたようだった。
それはそうだ、本人は悪くないのに悪循環しか呼んでいないのだから。
「呪いって、構築も難しいし、扱うには多くの魔力を必要とするから高度なのよ。だからうまくいかないこともあるし、色々と制約もある」
「犬になるのは夜だけ、とかいうのもそうか? 黒い魔女は死んでしまうからだと言っていたが」
「生死に関わるような呪いは代償も必要な魔力も高くなるから、それを避けるために夜だけにしたんでしょうね」
とはいえ、一日の半分は犬に変わるわけだし、何度も姿が変わること自体が体にどんな影響を及ぼすのかもわからない。
できるだけ早く呪いを解くに越したことはないだろう。
レオドーラはそう言い添えた。
「それなら、具体的な呪いを解く条件ってわかる? 真に愛する者が口づければいいと彼女は言ってたけど、それは何をもって判定されるのかしら」
「それは、どういう心の状態なのか、それとも言動やふるまいなのか、ってことね。でも残念ながらそれは答えられないわ」
「ケチ……」
「そう言うとは思ったけど。他人がかけた魔術の種明かしをするのは、魔女にとって禁忌なのよ」
私に恨まれるのは嫌だと思ったのか、レオドーラは丁寧に説明してくれた。
魔女の間では、よく使われる術式や、基礎となる術式が共有されているらしい。
道具を作る時と同じで、ネジや金づちから手作りしていたらそれだけで時間がかかってしまう。
部品や過去に作られた成果物があるから、それを土台にしてさらに改良されたものが生まれていくのだ。
同じ様に、共通して使える部品となる術式を共有し、さらにそこから発展した高度な魔術を生み出していく。
そのために知識を集めたいわゆる魔術書のようなものがあるのだそうだ。
だがそれは魔女だけが知ることで成り立つもの。
誰かがそれを裏切れば、信用関係は壊れ、知識の共有はされなくなり、魔女たちの衰退につながる。
「私が一人で作り上げた術式だったら、それを誰に明かそうが自分の問題だし、その黒い魔女自身が作ったものならそいつを黙らせればいいんだけど。犬になるとか、口づけで解けるとかはポピュラーだから、きっと、呪いに関してまとめられたものを元にしたんじゃないかしら」
「となると、他にもいろいろな呪いの手段を持っている可能性があるのね。この呪いを解いてもまた別の呪いをかけられるかも」
あの黒い魔女が諦めない限り永遠に終わらないではないか。
うんざりした私に、レオドーラは「それはないわ」とあっさり言った。
「いくら知識があったって、使えるようになるにはかなりの時間と労力が必要になるわ。高度ならなおさらね。だからその呪いを覚えるだけで手いっぱいだったはずよ。話を聞く限りでは、あんまり頭もよくないみたいだし」
「それはよかったが。俺の呪いを解いたら、今度は腹いせにジゼルが犬にされるかもしれん」
「それなら問題ありません」
「え。何でよ。まさか、既にあんたを愛する人がいるとでも……?!」
誤解な上に、地面が割れたかのように衝撃的な顔をしないでほしい。
そこの公爵様も「なんだと?!」ではない。
「犬の姿になるのは夜だけだもの。私は別にそうなっても困らないわ」
夜は寝ているうちに明けるし。犬の姿では不便なことは日が暮れるまでにやっておけばいい。
本心からそう思って言ったのだが。
ぽつりと「割り切りが良すぎない……?」と呟いたレオドーラには、「そう?」と尋ね返すしかない。
呪われて苦悩している公爵様の前で言うことではなかったかもしれないとちらりと見やれば、公爵様は何かを考え込んでいるようだった。
「まあいいけど……。ただ、たぶんそんなことにはならないと思うわ。東の国には『人を呪わば穴二つ』って言葉があってね。呪いを解かれると、倍の反動があるものなのよ」
「……ということは、あの魔女は公爵様に口づけを迫っていたけどあれは本気ではなかったということね。だって、自分でかけた呪いを自分で解いたら自分に跳ね返ってくるんでしょう?」
「それを忘れていたよほどのバカか、こっそり呪いを解除してから口づけして、ほら私は真実の愛を持っているのよ! って言うつもりだったのかもしれないわね」
「なるほど……。どっちもありそう」
「まあ、だから、気に入らない奴がいたからといって、リスクがある呪いをほいほいかけたりはしないと思うわ。話を聞く限り突発的な行動だったみたいだし、だからこそ今は慎重になってると思うわよ」
じゃあなおさら、私が黒い魔女に呪いをかけられる可能性は低いということだ。
それなら思う存分やれる。
「――今なんで、ちょっと笑ったの?」
「笑ってたかしら」
無意識だったのだが。
ますますレオドーラが引いていく。
しかしその向かい側で、公爵様が私に期待するような目を向けていることに気が付いた。
「ジゼルを見ていると、不思議となんとかなりそうな気がしてくるな」
「まだ何もしてませんよ」
「俺にとって呪いはどうしようもない重い壁だった。だがジゼルは普通に歩くのと同じようにどかどかと向かっていこうとする。実際に俺が犬の姿に変わって呪いが本当だとわかった時、混乱して慌てふためくことしかできなかった。だがジゼルに寝ているうちに夜は明けると言われ、確かになと思ったら初めて冷静になれた。呪いも、突然降って湧いた結婚も、そのこと自体にとらわれてしまって、『それでどうするか』を考えればいいのだという簡単なことさえ思い至らなくなっていたと気が付いた」
一人で呪いなんて未知なものと手探りで向き合わねばならないのは辛かったことだろうと思う。
安易に他人に明かすこともできない。
明かしたとて、助言を得られるでもない。
呪いは公爵様を追い詰め、苦しめるものでしかなかったことだろう。
その中にいると冷静になれず、悪循環にもなっていたのかもしれない。
公爵様は憑き物が落ちたように、どこかすっきりとして見えた。
「それはジゼルにとっては他人事だからでしょ」
レオドーラの冷めたツッコミにも公爵様は冷静に「そうかもしれない」と返した。
「だが俺と共に歩こうとしてくれているだろう。それで十分で、それがすべてだ。ジゼルは呪いだ犬だと騒ぐことなく、ただ妻としてやれることをやろうと共に歩んでくれる。それは俺にとって想像もできなかった、奇跡に近いことだ」
「公爵様がいきなり結婚することになったのは私のせいですし、結婚したのであれば、妻としての責任も果たさねばなりませんし」
「何も知らず無理矢理妻にされたら、普通は逃げ出すだろう? それよりもっと恐れていたのは、利用されることだ。俺は、ジゼルが結婚相手でなければ、怯えて部屋に閉じこもっていただろう」
「あまり私を信用しすぎると痛い目を見るかもしれませんよ」
私に対する期待値が高すぎる。
プレッシャーが半端ない。
「これまで誰も信じることができなかったが、ジゼルは他の誰とも違う。そういう人間でも信じなければ、俺は一生涯誰も信じることなどできないだろう」
「そう決めつけるのは早いですよ。人と関わることを避けていたからまだ出会っていないだけで、根っからのお人好しとか、善意しかない人とか、他に信じるべきまともな人がちゃんといるはずです」
「ただの善意など、俺はもはや信じられそうもない」
「重症ですね。私だって状況によっては裏切るかもしれませんよ」
「そういうこともあるかもしれないと最悪のケースを想像しておけるからこそ、安心なのだ。絶対に大丈夫、裏切らないと信じ込まされるほうがよほど怖い」
「そういうの、『やぶれかぶれ』って言うんですよ」
「そうだな。だがいい。どうせすべては動き出した。それなら今あるこの状況で、できることをやっていくしかない。そうジゼルから学んだ」
きっぱりと言い切った公爵様に、もはやなんと言えばいいかわからない。
「魔女の呪いなどどうにもならないと思っていた。道が開けた気分だ」
そう言って公爵様が、それはそれは晴れやかに笑ったから。
その凶器のように光あふれんばかりの笑顔はしまっておいてくださいとは言えなかった。




