第1話 朝
朝から響く大声に、続き部屋から気遣うようなノックが響いた。
「旦那様、奥様、いかがされましたか?!」
侍女の声だ。
「いえ、公爵様が少々驚かれただけよ。問題ないわ」
「いやいやいやいや、ちょっと待て! 何を平然と――!」
「ご安心ください。まずはこの結婚に対する国王陛下の意図を確認するところから始めますから」
「旦那様?! 奥様?! 本当に大丈夫なのですか?」
「大丈夫なわけがないだろう!」
「ええ?! 開けてよろしいですか?!」
カオスだ。
「本当に問題ないから、そのままそこで待っていて。公爵様も落ち着かれてください」
「落ち着いていられるか! 今俺は国家転覆の片棒を担がされようとしているのではないのか?!」
「失礼しました、言葉の選択が過激すぎましたね。少々腹立ちを思い出してしまいまして。本当にあれがアホ王子で、国王陛下もただの馬鹿親ならいずれこの国は傾きますから、その時は公爵様に国王として立っていただこうというだけです」
先程シーツを巻き巻きしていたようだから、振り向いても平気だろうか。
黙り込んでしまった公爵様を確認しようと振り返ると、唖然としたまま口をぱくぱくさせていた。
「そんなことを考えていたのか……。まさか、従属の呪いを使って無理矢理……?!」
「ですから、申し上げたはずです。命令せずとも聞いていただく方法はいくらでもあると。それに、無理矢理祭り上げても同じ事の繰り返しになるだけですし、国のために動けないただの第二王位継承権持ちならそれこそ――」
「待てその先は聞きたくない。何も言うな。笑うとかわいいなとか思った一瞬後にこれとは、本当に予測がつかない……」
後半は口の中で呟いていたからよく聞こえなかったけれど、呆れていることはよくわかった。
別に、公爵様をどうこうしようと思っているわけではない。
第二王位継承権持ちまで腐りゆく国を何とかしようという気概がないのなら、この国は見限るほかないと思っただけだ。南の隣国に移住とか、いいかもしれない。
「朝から冷や水を浴びた気分だ」
「今私は大きな権力を手にする人を配偶者としておりますので。使える立場にある者が使わなければ苦しむのは国民ですし」
「言っていることは理解する。だがやっぱり使うとか言ってるじゃないか……」
「それは公爵様のことではなく権力のことですよ」
公爵様はため息を吐きながら、疲れたようにソファにどさりと座り込んだ。
シーツを何重にもくるくると巻き巻きしているから拘束されているみたいで、今侍女にドアを開けられたら私にあらぬ疑いがかけられるだろう。
「安心してください。短絡的にいきなり譲位を迫ったりなどはいたしません。それこそ権力に押しつぶされて跡形もなくなりますしね。その前に、一つ教えてください。一晩寝て頭がスッキリしたら、どうにも引っかかったのです」
「うん?」
「陛下は公爵様の呪いのことをご存じなのですか?」
「ああ……。話してはいないが、何かしら事情があることは察しているだろうな」
「では、『嵌められた』と仰っていたのは」
「俺が結婚相手に条件を突きつけて誓約書を書かせる前に、結婚手続きを進めただろう? それはつまり、結婚相手を介して俺を自由に動かすつもりだと思ったんだが。今はわからなくなった。ジゼルが手駒とはどうしても思えんし。普段は平静なのに、叔父上の話題になるとそこまで憎々しげな顔をするし、ここに来た事情が事情だしな」
「当然です。雲の上の人すぎて関わりなど持ちようもありませんでしたし、陛下には恨みしかありません」
「はっきり言うな……。まあ、気持ちはわかるが」
これでも表現は大分抑えている。
「公爵様と陛下との関係性はどうなのですか?」
「特別扱いされているわけではないし、何を考えているのかはいまいちわからない。だが甥としても公爵家の人間としても注視されているのは感じる。良くも悪くもだが」
公爵様は嵌められたと疑ったけれど、私が公爵様を従えることができることまで知られていたとして、陛下に利点はあるのだろうか。
いや、国王なのだから直接命令したほうが早いだろう。
そうなると、他に私を嫁がせる利点など思いつかないし、やっぱりただの腹いせとしか思えない。
そんなことで人の人生を振り回したとしたら、国民の意地はみせてやりたい。
「とにかく、これからは早まらずに俺に相談してほしい」
「わかりました。では、国王陛下とお話しできる機会を作ってくださいませ」
「…………断ると強引にその機会を自分で作るつもりだな?」
「もう私のことを理解してくださったのですね。話が早くて嬉しいです」
「わかった……。二週間後に王家主催の舞踏会がある。陛下も出席されることだろうから、その時に結婚の挨拶という名目で時間を作ってもらうようにする。だから暴走するなよ?」
「もちろんでございます」
急いではいないし、待っていればその機会が来るというのならそれにこしたことはない。
公爵様は私の答えにほっとしたように頬を緩ませ、それからはっとしたようになり、厳めしい顔を作った。
もう怖い人ではないとわかっているのだから無駄なのに。
「もう演技する必要はないのでは?」
「まあ、そうなのだが。なんというか、これは習慣で、外に出た時に気が緩まないようにと……」
「まだ私を警戒していらっしゃいます?」
嫌味ではなく、普通に聞いたつもりだ。
「いや。何を考えているのかわからないという意味では確かに警戒しているが、進んで俺を害そうとはしないだろうことはわかったし、俺の自由を尊重してくれているのもわかった」
「ありがとうございます。十分です」
「……おまえはおもしr」
「なんですか?」
「いや、興味深いなと思ってな。普通は『私を信じてくれないのですか?!』とか泣いたり批難したりするだろう」
食い気味で口を挟んだ私の勢いに怯んだように言葉を訂正し、公爵様は頬をかいた。
「昨日会ったばかりの人をどうやって信じるのです? そもそも泣いて脅してではむしろ不信になりますよね」
「そう考える人間ばかりではないということだ」
まあ、目的のために使えるものは使うというのはわかる。私は涙なんて不確定すぎるものは使わないだけで。
そんな私を見下ろし、公爵様はふっと口元を緩めた。
「だから、ジゼルの距離感は居心地がいい」
本当にそれは、固く閉じたつぼみが朝日に緩んだようなささやかな変化なのに。
うっかり見惚れてしまった。
私が甘かった。
この人の満開の笑みはもはや凶器にすらなるだろう。
確かにこの人は結婚していようがしていまいが、モラハラくらいの演技が必要だ。




