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第1話 断罪劇

「それはおかしいと思います」


 ふんぞり返り、睥睨する王太子。

 その隣に口元を扇で隠し、目だけを覗かせている婚約者。

 この学院での最高権力者といえる二人に向かい合うのは、友人の侯爵令嬢ノアンナ様だ。


 私、ジゼル=アーリヤードはしがない伯爵家の娘で、そんなところに口を挟めるような立場ではないけれど、ノアンナ様の震える肩を見たらとても黙ってはいられなかった。


「なんだと……?」


 凄む二大権力の背後にはプリプリなツインテールが隠れていて、怯えるノアンナ様の様子をうかがいにやにやしている。

 ノアンナ様の妹、マリア様だ。

 以前から優秀なノアンナ様をやっかみ、あれこれ絡んでくると聞いてはいたが、ついに王太子まで担ぎ出したらしい。随分な怖いもの知らずだ。


「何がおかしいと言うのだ。マリアは姉に教科書を破られ、ノートに落書きをされたと言っているのだぞ。謝るのが筋であろうが」


 マリア様が言っているだけであろうが。


 平和な昼休みの食堂の光景をぶち壊し展開される模様に生徒たちは戸惑っていたが、興味の色は隠せていない。

 人々には姉妹喧嘩ではなく、王太子の婚約者であるルチア様と、それに並んで淑女の見本とうたわれるノアンナ様の対立に見えているのだろうから、当然だ。


「それが事実かはどのように確認されたのですか?」

「授業が終わり、誰もいなくなった教室からそこの姉が出て行くのをマリアが見たそうだ」


 殿下が確かめるように振り向くと、マリア様は一瞬で目を潤ませて哀れっぽい顔を作り、こくんと頷く。

 一方の言い分だけで事実と決めているのが王太子だなんて。

 殿下は王宮内のごたごたで長らく隣国で暮らしていたからどんな人なのかよく知らなかったが、こんな人が世継ぎとは、この国には絶望しかないようだ。


「それがおかしいと申し上げているのです。昨日は私たちの学年は先生方の会議のため授業が短縮され、マリア様よりも先に学校を出ておりますから」


 マリア様ははっとしたように冷や汗をかき、そわそわと視線を泳がせているのに、王太子はこんな時ばかりは振り向かず意地になったように言い返す。


「姉だけこっそりと残っておったかもしれんだろうが」

「いいえ。私とノアンナ様、それから二人の友人と町に出かけましたのでそれはありえません」

「そんなものは、口では何とでも言える」

「え……?」


 最初に証拠もなくいちゃもんをつけてきたのは殿下なのだが。

 マリア様のことは名前で呼び、ノアンナ様のことは『そこの姉』呼ばわりするなど、一方にだけ肩入れしているのがあからさますぎるし、王太子として賢いとはとても言えない。


「それは盲点でした。確かに、マリア様も自分で破り、自分で落書きしたものをノアンナ様にやられたと泣き伏すことだって簡単にできてしまいますね。ということは、マリア様の自作自演ですか? さすがは殿下、ご慧眼です」

「そ、そんな……! 私、そんなひどいことしません! 殿下、騙されないでください!」


 殿下、騙されないでください! と、そのままオウム返しにしてやりたくなったが、かろうじて黙る。


「ぬう……。では、マリアがやったという証拠を出してみろ! そこの姉がやっていないという証拠でもいい。私に示して見せろ」


 殿下はノアンナ様がやったという証拠をお持ちだからこのようなお話を衆目を集める中で始められたわけではなかったのですか? ノープランですか? 流されるだけですか?

 そう詰めてやりたいのを堪えているうちに、少し離れたところからおずおずとした声が上がった。


「あ……。あのぅ……、証拠ではありませんが、私も授業が終わった後すぐに、ジゼル様とノアンナ様が馬車に乗って学院を出るところを見ました」

「私もです……」


 離れた場所でも、何人かが同意するように頷いている。

 ありがたい。薄っぺらい人脈ではなく、日頃から信頼関係とは築いておくものである。

 私が論破するよりも、他者による証言のほうがよほど効果があるだろう。

 しかし殿下は苦々しげにそれらを見回すと、ふんと鼻を鳴らした。


「口裏をあわせているのだな? みなで姉と一緒になってマリアをいじめていたのだろう」

「ノアンナ様も私たちも、そのようなことをしても不利益しかありませんわ」


 ノアンナ様は成績優秀で、容姿に優れ、人格も揃った完璧な淑女である。

 わざわざマリア様を貶める意味もなく、歯牙にもかけていないし、それは他人である私たちにとっても同じ。

 虐げる趣味があったとして、そういう人は快感を求めているのだろうから、少しでも何かあればキィキィと騒ぎ立て、こんな風に周りを巻き込み面倒でしかないマリア様は選ぶまい。


 王太子に対して何人もの証言を得たノアンナ様を睨み、マリア様はギリギリと爪を噛んだ。

 ルチア様に取り入ることで、婚約者である王太子に糾弾させ、気に食わない姉の地位を下げたかったのだろう。

 実にくだらないことに時間と労力を使うものだ。


 しかしそこに殿下が不意にくるりと振り向いた。

 持ち球がなくなって、マリア様自身に喋らせようとしたのだろう。

 ばっと口を開き、しかしそれは声にならぬまま閉じられた。

 振り向いたそこにあったのは、かわいさと哀れさの欠片もない憎々しげな顔だったからだ。

 固まった殿下に気づき、マリア様は慌ててうるうると哀れっぽい顔に戻したが、目に焼き付いた形相は消せなかったのだろう。王太子殿下はゆっくりと顔を前に戻した。


 しかしさすが王太子、立ち直りが早い。

 すぐに余裕の笑みを顔に浮かべると、私を斜めに見下ろした。


「なるほどな。おまえはすべてを知っていたわけか。もっと早く言えばいいものを……。まあいい。その忠義心は認めてやろう。そこの女、名を何と言う?」


 忠義心? 王太子という地位を持った人に対する不信感しかない。

 一人で大層な演技を始めた王太子にげんなりする。


「すべてを知っていたわけではありませんし、名乗るほどの者でもございません。ではご理解いただけたようですので、御前失礼させていただきます」


 どうせマリア様に聞けば私のことなどすぐ知れるのだが、さっさとお辞儀をすると、ノアンナ様の腕を支え、立ち去ろうと足を踏み出す。


「面白い女だ」


 ふっと笑ってみせた王太子に、思わず『うへえ』と顔が歪む。


「おい、どういう顔だそれは」

「緊張のあまり顔が自律制御を失ったようです」


 面白いといって私を認めるふりをし、余裕がある王者の器でも示したつもりだろうが、そんな小芝居で尊敬が取り戻せるほど国民は愚かではない。


「ますます面白い女だな。おまえ、側妃になれ」

「断る!」

「なんだと?!」


 しまった。

 こういうのを売り言葉に買い言葉というのだろうか。

 この国ラングルスで側妃を持つことが許されているのは国王だけであり、即位もまだの王太子が側妃になれなどありえないことを言うから、あまりの驚きに本音しか出なかった。


「申し訳ありません、間違えました。『我が家はしがない伯爵家、名誉も財産もないどころか負債を抱えており、殿下に利益をもたらすことは金輪際見込めません。よって、我がラングルス国のために丁重にお断りいたします』」

「素直なのは顔だけではなかったようだな。平坦な声で用意されていたような文句を並べおって。どこにそなたの感情があるかは明確ではないか」


 そりゃあ「断る!」以上の本音なんてありはしない。


「申し訳ありません。あまりのことに動転しておりまして」

「仕方あるまい。まあ、覚悟しておけよ」

「嫌でございます。私のことはお忘れください」


 逃げるが勝ちだ。

 次の授業がありますので失礼しますと断りを告げ、ノアンナ様の手をつかむと、さっさとその場を立ち去った。


   ・・・◆・・・◇・・・◆・・・


 すたすたと足早に歩きながら、「ノアンナ様、大丈夫ですか?」と声をかける。


「いえ……大丈夫ではありません」

「ごめんなさい……。余計な口出しをしておきながら、うまく切り抜けられず」

「吹き出しそうで、堪えるのが限界でした。たぶんジゼル様があと二言でもお話しなさっていたら、私の固く閉じた口は決壊していたかと思います」


 肩をふるふるとふるわせたノアンナ様は、口を抑えながらもたまらずというように笑い出す。


「助けてくださってありがとうございました。今日のことは私、一週間くらいは笑っていられると思います」


 先程肩が震えていたのは、やはり笑いを堪えていたからであったか。

 ノアンナ様は令嬢らしい分別と共に、鋼に近い心臓を持っている。

 でなければこんな私と楽しげに友人なんてやっていないだろう。


「殿下も、明日になれば忘れていらっしゃることでしょう」


 どうせ一度もノアンナ様の名前が出てこなかったような人だ。


 そう思ったのは、さすがに甘かったらしい。

 腐っても王太子。

 プライドだけは人並み以上にあるのだろう。


 翌日私は城に呼ばれた。

 相手はこの国の王であり、つまりはあの王太子の父親だ。

 また面倒くさいことになりそうだが、売られた喧嘩を勝手に買ったのは自分だ。

 私は覚悟を決め、城へと向かった。

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