婚約奇譚 ~キツネ伯爵とタヌキ令嬢~
「本当に、私はキツネ伯爵と結婚しなければならないのですか?」
つぶらな瞳に毛並みの艶やかなタヌキが、もう一匹の老いたタヌキに訊いた。その声は女性のように透き通っていて、カナリアのように美しかった。
「ポコリーヌ。この大いなる森には、二つの派閥が有るのは知っているな」
老いたタヌキは長く伸びた髭を触りながら、ポコリーヌに問いかける。彼女は静かに頷いた。
「キツネ領とタヌキ領ですね」
「そうだ。我々タヌキ族はキツネ族よりも妖力が劣る。男爵家と伯爵家とで身分も劣るのだ。そこで、政略結婚としてお前が嫁ぐことになった。タヌキ領で最も美しいお前がだ。ポコリーヌ」
「……」
政略結婚。
立場の弱い身分での結婚は、果たして幸せであろうか。ポコリーヌは考えた。本当は嫌だ。でも断れば、ひどい目に遭うことも分かっていた。
なぜなら彼女は、迷いタヌキだったからだ。本来ならどこの馬の骨とも知らないタヌキを、キツネ伯爵のもとへ嫁がせることはご法度だ。
しかし、タヌキ男爵家の娘はどれもこれもが醜かった。心も姿も。領民の税金を私物化し、精一杯おめかししているが、どれも可愛くなかった。
そのことは老いたタヌキも知っていた。
「わかりました。さようなら、お父様」
「……すまん」
お父様と呼ばれた老いたタヌキは、長い髭の中から一枚の葉っぱを取り出した。葉肉のある瑞々しい葉っぱが、ポコリーヌの手にちょんと乗っている。
「我々は妖力では劣るが、決して知力では負けてはいない。困ったときはその妖術の葉を使いなさい」
「これは、お父様が私を助けてくれた時の……貰うわけにはいきません!」
ポコリーヌは首をブンブン振って、妖術の葉を老いたタヌキに返そうとした。その様子を見て彼は、
「子なしのタヌキェフのもとで、すくすく育ってくれてありがとう」
そう言った。
それが、ポコリーヌが聞いた、タヌキェフの最後の言葉であった――――
ポコリーヌは、キツネ伯爵の城へと向かっていた。その道中で、タヌキ男爵夫妻とその娘たちが散々、彼女のことを、「ひたむきに接せよ」だの「身の程をわきまえなさい」だのと罵っていた。
フクロウのギョロッとした視線を感じたポコリーヌは、ニコッと微笑み返した。真っ黄色なフクロウは、ニッと微笑み返すように目を閉じた。
「おかしい。どこを行っても城に辿り着かん」
「しっかりしてくださいまし。お父様」
「私疲れましたわ」
タヌキ男爵が地図を見ながら首をひねる。その娘たちが、着飾った七色のドレスを両手でバッサバッサとしている。引っ付きムシを落としているのだ。
似合わない化粧も、汗のせいか崩れてきている。彼女らの憤りは、ポコリーヌのもとへと振りかかった。
「きっとコイツが気に入らなくて、伯爵様が妖術をかけているのですわ」
「そうですわ。私たちの面目丸つぶれですわよ」
二人の令嬢から根拠のない文句を言われ、困ってしまったポコリーヌ。彼女は、あることを思いだした。タヌキェフから貰った、妖術の葉の存在を。
(もし向こうが本当に妖術を掛けて来ているのなら、必ず触媒が有るはず)
妖術を掛けるには、その源が必要である。例えば、ポコリーヌの場合、妖術の葉を源にすることで、自分の姿を隠したり、人間になったりできる。
簡単に言ってしまえば、何かを触媒にして妖術を掛けられるのだ。
(この森に入って感じる違和感は何? 考えるのよポコリーヌ……)
二人の令嬢が、ぷんすか怒っている間も、ポコリーヌは考えた。ここは、大いなる森の中。普段なら鳥類や小動物の駆ける音が聴こえてくるはずである――が、全く物音が無い。
ただ木々があざ笑うようにざわめくだけであった。
(ここで出会った動物は……黄色いフクロウだけ)
ポコリーヌは、ある仮説を立てた。道すがら出会ったフクロウが、キツネ伯爵の妖術の触媒であるということだ。妖術を注ぐ触媒に自分が変化すれば、触媒は二つになる。混乱したキツネ伯爵の妖術が解けるという算段だ。
「私、黄色いフクロウになります!」
ポコリーヌが唐突に言うと、二人の令嬢は鼻で笑う。
「あなた、何を仰いますの? 頭でも可笑しくなりまして?」
「いいえ。どこも可笑しくありません。見ていてください」
そう言うとポコリーヌは妖術の葉を銜えた。彼女は、心の中で(さっき見た黄色いフクロウになぁれ!)と念じる。瑞々しい葉っぱと分厚い葉肉によって、イメージしやすくなった。
――ぽんっ!
二人の令嬢は、目の前の真っ黄色なフクロウが木の枝に止まっていくのを見ている。
「あら。同じフクロウがいるわ!」
「ほんとほんと!」
二人の令嬢の横で、ずっと地図と睨めっこしている男爵夫妻は、気づかない。彼女らに手を引かれても、
「それがどうしたというのだ」
の一点張り。
変化したポコリーヌは、枝のもとで横に居る、真っ黄色なフクロウに語り掛けた。
「私たちをお城に連れて行ってくれないかしら?」
「あれだけ酷い仕打ちを受けているのに、みんなで向かおうと言うのか?」
真っ黄色なフクロウは、小さな声で返事をした。
「ええ。タヌキ族のためですもの。私にはお父様が居て、彼が居なかったら今頃野垂れ死んでいました。権力というものに疎い私ですが、私がキツネ伯爵のもとへ嫁げば、二つの領土間の緊張も解けましょう」
「……ふむ、タヌキの癖に口のまわる奴だ」
そう言うと、真っ黄色なフクロウは、キツネの姿に変化した。フサフサの尻尾に、つやつやの毛並み。どこか気品を感じる。
「私がキツネ伯爵のコンツェルモワだ」
「!」
ピーンと張った耳の持ち主が、木の下に居る男爵家族たちを見下ろしている。コンツェルモワ伯爵は、再度確認した。男爵家族たちは唖然とした顔で、木の枝の二人を眺めていた。
「お前は何のために婚約をするのだ?」
「それは、キツネ領とタヌキ領の不和解消のためです」
「……解っとらんな」
「何がです?」
コンツェルモワは、ため息交じりに答える。
「お前は、タヌキ族の中で一番美しい。そして婚約するとは、一晩の営みをするということ。その準備は出来ておるのか?」
「初対面で、その質問は失礼です」
真顔のポコリーヌ。しばしの沈黙があった。
だがそれは、コンツェルモワ伯爵の大きな笑い声でかき消される。
「気に入ったわい。来るがよい。我が城へ。たっぷり可愛がってやる」
コンツェルモワ伯爵は、変化の解けたポコリーヌの頭を大事そうに撫でた。木の下に道は無かったのだ。有るのは妖術で満ちた、道のような空間だけ。そこをグルグル回っていたことを知る。
「仕方なく、あの煩い男爵家族も受け入れるが、私が認めた者は、お前だけだ。ポコリーヌ。もっと近うよれ」
「はい、コンツェルモワ伯爵」
「棒読みは酷いぞ」
「ふふふ」
その後、ポコリーヌとコンツェルモワ伯爵は、無事に婚約をした。どうやらコンツェルモワ伯爵はポコリーヌに溺愛だという。表には出さないが……。
めでたし、めでたし。
最後までお読みくださりありがとうございます!