知りたくなかった。考えたくなかった。
「見られちゃったなあ」
目の前の少女は僕の方を見てそう言った。ここは至る所の壁に亀裂が入っているおんぼろアパートの屋上。僕は二五才の普通の会社員で、今日は有休をとり平日でもあるのにかかわらずアパートの一室でダラダラと過ごしていた。その時、ふとよそ風を浴びたいと思いベランダではなくわざわざ屋上まで行ったのがつい先ほど。そして今は屋上の柵を超え空へと羽ばたこうとしている少女がいた。
「何をしているのかい?」
そんなことは見れば分かる。分かってはいいるが声をかけずにはいられなかった。現実を受け入れたくない感情が僕を襲う。
「死のうと思っているんです。」
少女の口からは衝撃的でもない分かり切った返答がきた。ああ、クソが。自分の不運と現実に嘆きたくなる。
「もう嫌なんです。生きるのが」
少女はつらそうに言う。僕はなぜ少女は死のうとしているかは知らない。いじめか虐待かはたまた想像を超えるつらい出来事を経験したか。少女に確かめれば分かることだが僕はあえて聞かないことにした。聞いても意味のないことだからだ。ただ、一つ言えることは、僕は少女が死なないように説得をしなくてはいけないということだ。理由?そんなものはない。誰だって目の前で人が死のうとすれば説得はする。それだけのことだ。
「君に何があったかは知らない。けど、ここで死なないで欲しいね。僕の住処が事故物件になるのは勘弁してほしい。」
嘘だ。ホントはそんなことは気にしてない。何か良いことが言えるまでも間を繋ぐための言葉に過ぎない。
「そんな事するよりも楽しいことは世の中腐るほどあるよ。」
「楽しいことなんて今まで何一つ、一つもなかった!もうこんな人生なんて嫌だ!」
少女の心の声が漏れる。怒り、哀しみ、絶望。少女の一言一言に重く感情が伸し掛かっている。
「それは随分悲しい人生を送っているんだな。だが、楽しいことはある!君が知らないだけだ!知りたかったらこっちに来くるんだ。僕が教えてやる」
僕は一瞬、少女に圧倒されたがすぐに言い返した。そうでないと少女の言葉を肯定してしまいそうであったから。しかし言っていることは滅茶苦茶だ。教えてやる?お前は何様のつもりだ。ヒーローのつもりかと自問する。嫌なことから逃げてきた僕が言う資格なんてない。だがこれ以外かける言葉が思いつかない。だが、こんな僕でも少なくとも目の前の、死にかけの、人生に絶望しきった少女よりは知っている。人生とは如何に楽しいかを。
僕は一歩一歩少女の元へ歩いていく。近づくにつれ少女は怯えたような困惑するような表情を浮かべる。現実に絶望しているがまた死ぬには勇気がないのか、そんな少女が知らない、知りたくもない現実を突きつけられている。受け入れるか、突き放すか。それは少女次第。少女は怯え後ずさりしようと足を引こうとするがそこは空の上。そして少女は下界を見る。五階建ての屋上からの景色は少女に確かな死のイメーージを突きつける。死にたいなら簡単だ。手すりから手を放し、一歩踏み出せばよいだけだ。だが、できない。恐怖が少女の足を重くする。
少女が悩んでいる間に僕は少女の目の前まで行き、その細い腕を掴んだ。
「死ねないんだな。それは生に未練があるからなんdなろう?本当は楽しく行きたいんだろ。なら生きるしかないんだよ。辛くても、苦しくても。だが、僕が教えてやる。楽しいことを。だから…生きろ!」
そう言って僕は少女の腰を掴み持ち上げて柵の内側に運ぶ。少女は抵抗しなかった。引き上げた直後に少女はは泣き出した。少女が何を考えているのかを僕は知らないし分からない。理由なんかよりも今は少女自身の方が大事だ。今僕はただいることしかできないが微力ながら少女が楽しく生きれるように手を貸そうと決意する。少女を生かした責任が僕にはある。
少女の泣き声が心に突き刺さる。これが僕の決意を確固たるものにしてくれる。僕は少女が泣き止むのを待つ。
読んでいただきありがとうございます。今回は自殺をテーマに扱いました。令和3年度の自殺者の合計は20830人と大変多く、これほどの命が毎年失われていると考えると大変痛ましいものです。我々人間は相手の気持ちは分からなくても共感することで他者を理解することができます。しかし、本当に理解できているのでしょうか?意味のない、ただの上辺だけの共感ではないのでしょうか?もしそうならば自殺志願者の同じことをした場合、きっと何一つできずにことが終わってしまうでしょう。本作ではこの疑問を元に共感することを止め如何に自殺志願者を救うかを考えて書かれています。
実際、目の前にいても何もできないのが関の山ですが…当たり前ですが現実は物語のようには行きません。もし自殺志願者を発見した場合は速やかに声をかけてあげてください。無意味に終わるかもしれませんが何もしなかったと一生後悔居続けるよりはましだと思います。
最後に、今何かしら問題を抱えていている方がいましたらお住いの都道府県にある電話相談サービスを利用することをお勧めします。