その②
朝飯も食ったし、宿を出ることにした。
が、すんでのところでくるりときびすを返し、出口のわきに身を潜めた。
店の真ん前にシノがいる。
「お兄ぃぃ!」
おれを探し回っている。
人目も気にせず、朝から大声で叫んでいた。
なんて恥ずかしいやつだ。
隠れて見ていると、シノがひくひくと鼻を動かしている。
「おかしいな、においはするんだけど」
「ケダモノか!」
思わず声に出してしまい、慌てて自分の口をふさぐ。
頭だけのぞかせて確認する。
ひょっとしたらと思った。
が、シノには聞こえていないようだ。
「不審人物」
「おわ!」
振り返るとリルがいる。
そりゃそうか、まだ店の中だ。
「驚かすなよ」
「何をしているのです?」
外を指して言った。
「あいつに見つかりたくない」
リルはしばらく眺めたあと、ぽつりと言った。
「かわいい娘ですね」
「そこは同意してもいい」
「誰ですか?」
「妹」
「捨てた元愛人ですか」
「鼓膜、やぶれてるの?」
「男は浮気相手のことを」
「ことを?」
「妹と言ってごまかすと聞いています」
「おれがそんな男に見えるのか」
「……」
「なんか言え!」
はぁはぁ、と肩で息をする。
コイツと話していると疲れる。
と、とりあえず落ち着こう。
「あいつが『お兄ぃ』って言っているの、聞こえているよな?」
「『鬼』って言っているのかと」
「馬鹿な! あいつにそんなひどいことは、し、てい、な、い?」
「やはり鬼」
「そ、それはそうとして、あいつめ、これでは動けん」
つぶやくふりして状況説明。
するとリルが意外なことを言い出した。
「何とかしてあげましょう」
「マジか」
「貸しひとつ、でいいですよね?」
リルが店を出て、シノに歩み寄っていった。
「そこのかわいいお嬢さん」
「なんだ、お前」
シノが振り向いた。
「かわいいお嬢さん」で振り向くずうずうしい妹。
「誰か探しているのですか」
「うん、お兄ぃを見なかったか」
「どんな感じの人ですか」
「黒目黒髪の男だ」
「他には?」
「間抜け面をした十六歳」
リルが、ぷぷっ、と吹き出した。
あの女!
心の中で毒づく。
が、状況を見守るしかない。
「ここ二、三日、その間抜け面はよく見ます」
「ほんとか!」
「あっちの方にいきました」
「う~ん」
「どうしました?」
「でも、においはこのあたりからする」
「さっきまでこの辺にいましたから」
「そうなのか! ありがとう! おねーさん!」
「じゃーねー」とシノは去っていく。
ちょろすぎる妹。
その背中を見送ってリルが戻って来た。
「間抜け面で悪かったな」
ほっぺたをつねってやる。
「いひゃい」
そんなおれの手をリルがぺしっと払いのけた。
「助けてもらってその態度」
「ああん?」
「おーい!」
リルがまだ背中が見えるシノに向かって大声を出す。
とっさに口をふさいだ。
「わかったから」
「ふがふが」
「ありがとう! 助かった!」
手を放してやると、もう叫ぶことはしなかった。
「別にあなたのためにやったわけじゃないですし」
「じゃあ、誰のためだよ」
「ホント、誰のためでしょう」
「お前、頭悪いだろ」
「失礼な」
「まぁ、いい。とりあえず、でかけてくる」
「いってらっしゃいませ」
「今日もこの宿に泊まる。部屋を一つあけといてくれ」
「かしこまり」