その③
話が終わると、爺さんが魔物の巣までの案内人を寄越した。
それは自分よりも年下の少年だった。
たぶん、シノと同じで十三歳くらいだろう。
その子から、憐みのこもった目を向けられる。
「やめといたほうがいいよ?」と言うのが彼の第一声だった。
よっぽど頼りなく見えたのだろうか。
「確かにお金をたくさんもらえるけどさ、それも命あってのモノダネだろ?」
ついでに説教もされる。
「危なくなったら逃げるから」
「みんなそう言って消えて行ったよ」
「どこに?」
「化け物の腹の中」
「お前は何度も行って無事なんだな」
「まぁねぇ」
「逃げるコツがあったら教えてほしい」
「無理だよ」
「なんで?」
「兄ちゃんみたいなアホが食われる。その間に逃げる。それがコツ」
「なるほど」
町を出て、薄暗い森の中に入って行った。
しばらく歩いた後、獣道に入る。
「ちなみに化け物みたことは?」
「あるよ」
「どんなだ?」
「でかいクモ」
「ツチグモ?」
案内の少年が振り返る。
「戦ったことあるの?」
「ある」
「勝ったの?」
「倒した」
少年が、はぁー、と大きなため息をついた。
「どうした?」
「死んだ人、みんな同じこと言ってた」
「妹がこういうのをなんとか言っていたな」
なんだったっけ、そうだ。
「しぼうふらぐ、だったか」
森の奥に崖があった。
その下に浅い洞窟がある。
それを茂みに隠れて二人で見ていた。
「あそこが巣だよ」
「ありがとう」
「どういたしまして」
「もう帰るといい」
「まだだね」
「うん?」
「今は危ない」
「どうして?」
「巣にはいない。どっかでエサを探しているみたいだ。鉢合わせたら、僕が死ぬ」
「なるほど」
「コツを教えただろ? 逃げるのは、兄ちゃんが食われているときだ」
「お前も命がけだな」
「でも、案内だけでお金をもらえる」
「命あってのなんとやら、じゃないのか」
「あれれ、僕も人のこと言えないや」
「なんだかなぁ」
「あ、化け物が帰って来た」
「行くか」
「エサ役よろしく」
「あいよ」
茂みから出て、無造作に化け物に近寄って行った。
「なるほど」
対峙してわかった。
最初はツチグモかと思ったが、それは間違いだった。
なにか別種の巨大なクモだ。
「アラクネ、と言ったか」
ツチグモはオニの顔に、トラの胴、そしてクモの足を持つ。
それとは明らかに違う。
他国にはツチグモとは違う、人間よりも大きなクモがいるということは聞いていた。
「やってみるか」
『千羽鴉』を抜いて、切りかかった。
飛び上がって、上段から振り下ろす。
が、アラクネが振り上げた足にあっさりと止められた。
人の腕くらいの太さだが甲殻が硬い。
切り裂くことができなかったのだ。
「まずい」
文字通り、刃が立たないというやつだ。
今度はアラクネがとびかかってきて、足を振り回した。
なんとか距離をとってかわす。
すぐそばですごい音がしたので見てみると、空振りした足が木の幹をえぐっていた。
「当たると痛そうだ」
間抜けな感想をつぶやいた。
態勢を立て直す。
「止まっていると危ないな」
素早く移動して、かく乱する。
アラクネは、こちらの動きを封じようと思ったのか。
粘着性のある糸を吹きかけてきた。
体からはそれたが、足首に巻き付いた。
「捕まった!」
舌打ちした。
『千羽鴉』で糸を斬ろうとしたが、それも無理だった。
糸もひどく頑丈だ。
アラクネは、もう一度何かを吹きかけてくる。
「なんだ?」
片足拘束されたままで、なんとかかわす。
地面に飛び散ったそれが、周囲の草花を瞬時に枯らした。
「毒か!」
ゾッとする。
とてもではないが、出し惜しみして勝てる相手ではない。
「やむを得ん」
刀身の根元を握った。
手の平が切れ、真っ赤な血が流れ出て、刃に一筋の紅を引く。
『千羽鴉』がカタカタと震えた。
血を吸って笑っているのだ。
動けない自分に向かって、アラクネが迫ってくる。
態勢を立て直し、構え、そのまま刀を横一閃。
飛びかかろうとしていたアラクネ、その胴は二つに分かたれ、地面に転がった。
『千羽鴉』は、刃に自分の血を注ぐことで、際限なく切れ味を増していく。
そういう呪をまとっている。
切れ味に魅せられた所有者はこの刀に狂ったように自らの血を注ぐ。
だが、いずれその血は枯れて死んでしまう。
「血枯らす」を「千鴉」として言霊を重ね、千羽の鴉で狂気を封じているのだ。
素のままでは無理だったが、刀の本来の力を使えば斬れない相手ではなかった。
「やったの?」
物陰に隠れていた少年が出てきた。
「逃げなかったのか」
「様子を見てた」
「さて、どこか斬り落として持って帰るか」
「いや、ここで待ってて。誰か呼んでくる」
少年が駆けて行った。
「おい?」
マジか。帰り道わからないんだぞ。
こんな森の中で、魔物の死体と一緒に取り残されることになるとは。
しばらくのち。
少年が依頼者の爺さんを連れて戻って来た。
「本当にやったのか」
爺さんが、半分になったアラクネを見て声をあげた。
「おまえさん、わしに雇われないか」
服の袖をつかんできた。
その手をやんわりほどく。
「旅の途中なんだ」
「残念だ。これからどうするつもりかね?」
「この森を抜けると、次の町があるのか?」
「そうだよ」少年が答えた。
「そっちに行くか」
「なら、持ってけ」
爺さんが小さな布包みを投げてよこした。
開けてみると公用金貨二枚が入っている。
贅沢しなければひと月暮らせる額である。
だが。
「命の値段にしては安くないか?」
「文句言うな。最初から、この額を提示していただろ」
怒られた。
そりゃそうか。
「そういえば、組合に報告しないといけない」
「こっちでやっておこう」
「爺さん、手間をかけるな」
「なに、礼を言うのはこっちのほうだ」
手を振って別れた。
そして、森の中の道に出ると、来た方向とは逆に進む。