その①
妹から逃げてきた。
故郷を離れ、隣の国まで逃げてきた。
せっかく旅に出たのだから、もっと自分の国を見て回りたかった。
けれど、妹を振り切ろうとしているうちに、隣の国まで来てしまった。
妹のシノは、国境を越えても追いかけ回してくる。
今も、その最中だ。
「お兄ぃぃ!」
叫びながら追いすがってくる。
国境沿いの大きな町。
町中で人の目もあるというのに。
十三歳にもなるのだから、もう少しわきまえてほしい。
かくいうおれも、全力疾走。
すれ違う人達が好奇の目を向けてくる。
いい年した男が女の子から逃げ回っている。
周りからはどんなふうに見られているのか、それがとても気になった。
顔が熱い。
もちろん、これは走っているからだけではない。
「仕方あるまい」
立ち止まった。
両手を挙げて降参する。
シノはそれを見て好機と思ったのか、飛びついてきた。
両手両足でおれの体に取り付いて、がっちり締め上げてくる。
なんか怖い。
大蛇にでも巻き付かれたような。
妹の体重をもろに支える形になった。
腰にも負担がかかる。
「太った?」
「うるさい!」
「動けん」
「くふふ」
シノが不敵に笑った。
体にぶら下がったまま、見上げてくる。
胴体にしがみついているので、お互いの顔が近い。
近いので、おでこにチュウしてやった。
「な、なにする!」
「近かったんで」
「へんたい!」
「否定はせん」
「どうてい!」
「否定はせん!」
シノはまだ体から離れない。
これはもう一発チュウだな。
うー、と口を近づけてやるとさすがに離れた。
離れ際に「汚い!」と言われる。
少し傷つく。
シノはチュウされたおでこを袖でゴシゴシしながら言った。
「『千羽鴉』まで持ち出して、父者もカンカンだよ!」
「カンカンなのはお前じゃないか」
「当然、怒っている! なんで、勝手に家を出る!」
おれは両腕を組んで目を伏せた。
「それには深いわけがある」
「深い?」
「うん」
「それは?」とシノ。
「それは……」
おれが言葉を切ると、シノがごくりとのどを鳴らす。
「なんか」
「なんか?」
「家を出たかった」
「深くなぁい!」シノがキレた。
「いやぁ」と、おれはとぼけて見せる。
「なんとなく家出しただけ!」さらにキレた。
「無理だったか。お前の頭なら納得しちゃうかもと思ったが」
「バカにしてるのか!」
「してる」
「お兄ぃぃぃぃ!」
発狂した妹が襲い掛かってくる。
それをかわして、叫んだ。
「服にゲジゲジがついてるよ」
「え? うそ!」
シノはゲジゲジ虫が苦手なのだ。
足がいっぱいあるのが気持ち悪いらしい。
「え、やだ、どこ? どこ?」
自分の体を見回しながら、あたふたしている。
「え? ゲジゲジ? いない? いない?」
「早く振り払うんだ! もたもたしてると噛みつかれるぞ!」
「うわぁぁぁぁん!」
発狂する妹を尻目に全力疾走。
十分な距離を稼ぐ。
数秒後、だまされたことに気づいたのだろう。
「お兄ぃぃぃぃぃ!」
背後から、叫び声だけが追いかけてきた。