だって約束したからね!
こわいようこわいよう。
こわいようあついようこわいよう。
イザベラは眠るのが怖かった。眠ると必ず悪夢を見るから。
こわいようこわいよう。
ぜんぶまっかで、くるしくて、うごけないよう。
悪夢ではいつもイザベラは倒れていて、酷く頭が痛くて指一本動けない。
ぼんやり見える部屋は見覚えのない薄汚れた部屋で、壁の木目が真っ赤に照らされている。やけに近くからぼうぼうと燃える音がして、髪の毛や肌が焦げてしまうほどの近さに熱を感じた。いつもすぐ近くで炙られるから、イザベラは火が怖くて仕方がない。
こわいようこわいよう。
もえちゃうよう。だれかたすけて。
助けを呼びたくても、声も出ない。呼吸も苦しくて、煙が充満して、喉が焼けるように痛い。きっと火が身体の中に入り込んで、内と外から焼こうとしているんだ。イザベラは火の近くで感じる息苦しさをそう感じ取った。内側から、燃やされている。
こわいようこわいよう。
たすけてかあさま。とうさま。あっしゅ。あーみあんさま。
イザベラは一生懸命助けを呼ぶのに、夢の中のイザベラはぐったりして声も出ない。
ぼうぼうと燃え盛る音。ガラガラと何かが崩れる音。目の前が真っ赤に染まり、最後には黒くなる。
イザベラは甲高い悲鳴を上げて目を覚ました。
あんあんと声を上げて泣き、全身が焼け爛れている気がして痛い痛いと泣いた。一人ぼっちで燃え尽きて、誰もいない恐怖に泣いた。そんなイザベラを、小さな手がいつも抱き締め撫でて慰めてくれた。
「だいじょうぶだよイザベラ。どこももえてない」
「泣かないでイザベラ。ぼくらはちゃんとここにいるよ」
イザベラは泣いた。慰めてくれる小さな手をぎゅっと握りしめて、放すものかと泣いた。
「だいじょうぶだよイザベラ。ずっとぼくが守るから」
「泣かないでイザベラ。ぜったいに一人にしないから」
「や、やくしょく。やくそくしてよぉ…」
それは悪夢で夜眠れないイザベラが、うとうとして眠ってしまった昼下がり。
悪夢に魘されるイザベラと、子供たちが交わした約束。
ずっとさんにんいっしょだよ。
悪夢の炎に怯える幼子は、小さな手のぬくもりに縋った。
***
どうも皆さま初めましてイザベラ・スターレットと申します!!
幼い頃から燃え盛る悪夢に苦しみ、炎恐怖症を発症している公爵令嬢です。赤ん坊のころから夜泣きがすごくて双子の兄もつられて泣くほどでした。子供は釣られて泣く。仕方がないね。
どうしてこんな夢を見るのかと悩むこと五年。自分が火災で人生の幕を閉じたことを思い出しました。ななななんと!前世の死因をずぅーっと夢に見ていたのです!!そりゃ焼死とかトラウマになるわ―――!!地獄の責め苦かと思ったわ―――!!普通忘れるモノだけどね―――!?
おかげ様で十八歳の現在もばっちり火が怖い。蝋燭の火もそこから燃え広がるんじゃないかと思ってとても怖い。畜生、料理の出来ない身体にされた。公爵令嬢だから基本厨房に入らないけど!前世料理好きだった身としては辛い!!
ちなみに前世は奇跡も魔法も夢もない情報社会を生きるOLでした。一般市民の記憶が強すぎて五歳児の頭を乗っ取っちゃった気がする。五歳児の記憶もあるから融合なんだろうけど…炎恐怖症もあって挙動不審な公爵令嬢の出来上がり。泣いていい?…泣いていい気がするなぁこの状況!!
見るからにヤベェ部屋の真ん中に縛り付けられているこの状況!!
自室でまったりお茶をしていたはずなのに、気付けば正方形の薄暗い部屋にいた。
窓はなく、部屋を照らすのは壁に掛けられた燭台。部屋いっぱい使って床に魔法陣が描かれ、その中央にドンと椅子を置き、そこに私が縛り付けられている。
クトゥルフかな?今からシナリオ始まっちゃうのかな?開幕儀式で犠牲になるNPCが私です?何それ嫌です!!あと蝋燭に囲まれるの地雷です火を消してください!!
怖気づいてビクビクしていたら背後から扉の開く音がして、誰かが部屋に入って来た。扉が無いなーって思ったら背後にあったのね。縛られているから振り返れない。誰が入って来たかもわからない。
その人は壁伝いに、魔法陣の外側をぐるっと回って私の前に回り込む。高いヒールの音。気高く優雅な立ち姿。一般市民の知識に支配されていた私が淑女として見本にしていた女性がそこにいた。
キャサリン・スターレット公爵夫人。
絹糸の様な金髪をゆったりと結い上げて、泉を写した様な怜悧な碧の目をした貴婦人。目元だけを見ると怒っているように見えるけれど、ふっくらと婀娜っぽい口元が微笑むだけで妖艶さを醸し出す社交界の華。
私、イザベラのお母様。
そのお母様が、魔法陣の外で、恍惚のヤンデレポーズをしている。
く、黒幕だ間違いない!この状況を生み出したのはお母様だ!!下手人は他にもいるだろうけど主犯で間違いない!!だって明らかにヤバイ儀式の生贄みたいになっている我が子に向ける顔じゃないもん!!
「お母様、なんですかこれは。放してください!」
「大丈夫、すぐ終わるわ」
うっとり笑って言われたけどこれすぐ終わっちゃいけない奴では?
「一体何をするおつもりですか」
「姉様の記憶を呼び戻すの」
「記憶…?」
「ええ、私が未熟なばかりに姉様は不完全…でも新しい呪いを教えてもらったの。忘れた記憶を甦らせる呪いよ。産まれる前の母の胎の記憶まで遡るのですって」
「また隣国の呪いに影響を受けて!」
実は社交界の華と呼ばれるほど華やかなお母様、ヤバイ宗教に嵌まるが如く、呪いの儀式にご執心だ。
ご本人に呪いに使用する力…福音と呼ばれている…はない。
そもそも呪いとは隣国の物で、我が国は魔術や呪いに否定的。その所為か周辺の国より科学が先行していた。前世先進国情報社会出身としては物足りないが、生活に不自由しない程度の化学が繁栄している。
電球とかね!あるんですよ!燭台を使わなくてもスタンドランプが開発済みなんですよ!!もう燭台は時代遅れ!!だからこの部屋から撤去してくれ早急に!!炎怖い!!空気の逃げ道が少なそうな部屋で蝋燭を使わないで!!一酸化炭素中毒も怖いです!!煙がー!!
私個人としては、福音とか魔力とかそういう能力があればロマンだと思う。でも魔術や呪いに嵌まっているお母様が独自に調べたところによれば、私たちは何の力も持っていないことがわかった。そういうの個人で調べられるんです。ちょっとしょんぼり。ちなみに双子の兄であるアシュトンはそういった力を信用しておらず、検査も嫌がったのでわからない。ロマンはあると思うけれど、母の傾倒ぶりを見るに兄の嫌がりようも否定できない。
そう、行き過ぎた呪い信仰っぷりで娘を椅子に縛り付けるような行動をとっているのだから!一体何をしようというのかね!!
「お母様!私は別に忘れた記憶などないのでこの呪いには意味がありません!」
「いいえ、姉様の記憶を忘れているのだもの。きっと効果があるわ」
効果は見込めませんってば!!昨日食べた夕飯何だっけとかその程度ならあり得るけどお母様が狙っている効果は見込めませんってば!!
お母様は、私にお母様の姉…若くして亡くなった伯母の面影を重ねている。
むしろご本人だと思っている節がある。自分で産んだ娘を、姉の生まれ変わりだと本気で信じている。
母の姉にして私の伯母、エリザベス・スターレット。
現国王クレイアン陛下の元婚約者。火災に巻き込まれて焼死。享年18歳。
豪奢な巻き毛は煌めく黄金。湖を写し取ったような碧の瞳に、白磁の肌。桃色の頬にふっくらとした薔薇色の唇。
女神の様に美しく、宝石のように眩く、天使のように清廉な人。
お母様は事あるごとに姉のエリザベスをそう語った。だから私は、双子の兄は、産まれる前に亡くなっている伯母の存在を当たり前のように知っていた。むしろしばらくはお亡くなりになっていることを知らなかったわ。そこにいるように語られたから。
そしてお母様は、私イザベラが、そんなエリザベスに瓜二つ。まさに生写しであると言う。
美女に瓜二つとか。うちの子美人―――って言ってくれるのは嬉しいけれど思い込みの激しいお母様。身内贔屓でも、お母様が絶世の美人と謳う伯母に似ていると言われるのは悪い気がしなかった。何せお母様がことあるごとに褒めるので。そんな伯母に似ていると言われれば、悪い気はしない。悪い気はしなかったけれど、それが年中続くと流石に気付く。
お母様、ガチでイザベラをエリザベスだと思ってない??
本気でイザベラをエリザベスの生まれ変わりだと思ってない??
私が前世の死因を夢に見るばかりに、同じ死因の姉の生まれ変わりだと確信しちゃってない??
転生者違い!!転生者違いです!!一致しているのは死因だけですお母様!!
そんでもって、魔法や呪いの儀式で前世の記憶を甦らせる事が出来ると信じ込んでいる。
今まで簡単な催眠術みたいな儀式を私に試しまくっていたけれど、効果が見えないからとうとう大掛かりなことを始めてしまったらしい。流石にここまでされたことはない。昔から私をあまり外に出さず、イザベラとしてでなくエリザベスとして扱おうとすることが多かったけれど…ここまで大掛かりに儀式です!ということをされるのは初めて。
というかこれから何が始まるのか不安しかないわ。ちょ、ホント何する気ですかお母様。たとえ儀式が成功しても私が思い出すのは仕事だるーいって言いながらポテチ食べてたズボラ女子の詳細という毒にも薬にもならない記憶ですよ!!
我が子が姉の生まれ変わりだと信じている人に、違います前世は別世界の一般市民ですなんて言っても信じてくれるわけがない。むしろ悪化しそう。私はうきうきと持参した松明に火をつけるお母様を見て―――何してるんですなんでここで火をつけた!?というか松明持ってたん!?暗くてわからなかった!!わかりたくなかった!!
いかんやばいメラメラ目の前で燃えている炎から目が離せないし呼吸が…っ!
「お、おかあさっ」
「怖いわね。ごめんなさいね、でも姉様が思い出す為なの。もう手段は選んでいられないわ」
お母様の白い顔が炎に赤く照らされている。さっきまでウキウキしていたのに、今は嫣然と微笑んでいる。いつも通りのお母様。だけどその瞳は燃えていた。
「姉様が王家に嫁ぐなど…っ王家に嫁ぐなどあってはいけないのよ!」
姉様じゃないです娘です。
そんな場合じゃないけど突っ込ませて。私は娘。アイアムドータ。エリザベスじゃなくてイザベラ。そう私はイザベラ・スターレット。公爵家の娘。
―――クレイアン陛下の御子息、アーミアン王太子殿下の婚約者。
実は私未来の国母なんですよ!!私が!!おかしくない!?ハイハイアリキタリとか思ってません!?私は思った!!令嬢に転生したら王子様とハッピーエンドって鉄板ネタだよね!!王子様って王家の王子様でなくても運命のあの人だったら王子様でいいと思う!!私の場合ガチの王子様だけど!!
ビークールビークール。落ち着くんだ私。現実逃避しても目の前の炎は消えないぞ。心の声は滅茶苦茶騒音だけど現実では呼吸困難に陥っています。過呼吸かな。冷や汗凄い。
お母様は王家を毛嫌いしている。公爵家なのに。王家に一番近い血筋なのに―――王太子の婚約者だったエリザベスが死んだのは、王太子―――現国王様の不貞が原因だと思っているから。
詳しい内容はよくわからないけれど、エリザベスがいながら現王妃様とお付き合いをしていたらしい。火災は飲食店での事故と言われているけれど、エリザベスがそこに居た理由が分かっていない。事故と言われているが、お母様は王家か現王妃がエリザベスを殺したと思っている。どっちにしろ現在まとめて王家。
だから、そんな王家に娘―――いいえ、エリザベスの生まれ変わりが嫁ぐなんて許せない。
大前提として私エリザベスじゃありませんけど!!
政略結婚ですけど私殿下の事普通に好きなので出来れば祝福して欲しいなぁ!!普段愁いを帯びたお綺麗な顔が私を見て幸せそうに綻ぶの尊いから!!細身で美麗なのにぎゅっとされると男性的ってわかるの心臓に来るから!!何気に幼少期からの付き合いですから!前世の記憶込みで初恋の人ですよ!!娘は青春してますお母様ぁ!!
だからその炎はしまってくださらなーぁい!?
「姉様は王家などに渡さない!姉様は今度こそこの公爵家を継ぐのよ!」
くださらなーぁあい!!!悲しみ!!
あと今度こそって言うけど、たとえ私がエリザベスだったとしても公爵家は継げない。だって普通に嫡男がいる。
私の双子の兄、アシュトン・スターレットが次期公爵としてしっかり勉強中だ。実に優秀な片割れはアーミアン殿下の覚えも目出度く、何なら幼い頃から交流のあるお友達。ぶっちゃけアシュトンとアーミアン殿下が仲良しだから私も仲良しになれた。
公爵家の人間として、立派に成長しているアシュトン。本来なら誇るべきことなのに、お母様はアシュトンを毛嫌いする。我が子だって言うのに、親の仇かってくらい嫌いぬいている。
曰く、お前が一緒に産まれて来たから姉様は生前の記憶を忘れてしまっている、とのこと。
意味不明!!理解不能!!
お母様はアシュトンにとことん冷たい。アシュトンがどちらかというと父親似…ふわふわしたブラウンの髪に、猫の様な青い瞳でエリザベス要素が皆無な所為だと私は思っている。理不尽。お父様が後継ぎとしてアシュトンを扱っているのが救い。当然の事なのにそれが救い。
幼い頃からそんな扱いだったから、アシュトンもお母様に対して辛辣だ。お母様が狂信者化する度に私を助けてくれるから、私にとっては救世主。悪夢に魘される私の手を握っていてくれたりしたこともある。普通に好き。アシュトンしか勝たん。こんなにいい子なのに何故お母様は…狂信者だからですね!
まあとにかく公爵家の将来は安泰。後継ぎの嫡男は優秀だし、片割れ長女は王太子殿下の婚約者。仕事人間のお父様は仕事に真摯なので不正に手を出していないし…不安要素はお母様一択。そう、狂信者ムーブがやば過ぎる。今現在こんな感じでね!
「さあ姉様!お目覚めになって!」
いやこれはどちらかというとお休みなさいしちゃいますって!永久に!!
これ本当に記憶を遡る儀式!?何がどうなっているかわからないけど松明を押し付けられそうになっていることはわかるよ!?思い出すらしい母親の胎の中って前世でなくて来世では!?この状態でその松明でどこを燃やそうというのかねここ室内やぞ火災報知機はどうしたホウチキツケテーッ!!そもそもなかった!!報知器なかった!!そこまで科学進歩してませんでしたね十年後に期待します過去じゃなくて未来を見ましょう私も情報提供頑張っちゃうだからやめてそれを近づけないで熱いの赤いもえちゃっあっつぅううい!!
誰かお水くださあああああああい!!!
「「イザベラ!」」
お母様が松明の炎で何かするより早く、背後で扉の開く音がした。
私の名前を呼ぶ声と、ばしゅっと飛沫の上がる音がして。
座っている私の頭上を飛び越え、水柱がお母様に正面から激突した。
お水下さいって言ったけどぉ!確かに言ったけどぉ!!消火してくださいって思ったけどぉ!!滅茶苦茶直接水が来た!?
「イザベラ!ああ可哀想に!今助けるよ」
「あっ、あぁみっ」
アーミアン殿下ぁあああっ!
背後から駆け寄って来た殿下。麗しのアーミアン殿下。水柱の下を掻い潜って来た所為でいつも以上にしっとりとした麗しさ。水に濡れた黒髪が白い肌に張り付き、渋みのある深い緑色の目は真っ直ぐ私を見詰め、麗しの外見から想像できない節くれだった意外と大きな手が私の頬に…あれ?
ああいけない泣いてた。水柱から滴る水で誤魔化せないくらいには泣いてた。でもってアーミアン殿下の名前が呼べないくらい口元が覚束ない。そもそも呼吸が上手くできない。でも水柱がいい仕事したからもう平気。お母様の持つ松明は今じゃもうただのしけった木の棒だもん。怖くない。
私の涙を拭った殿下が悲し気に目を細める。うっ顔が良い。産まれて来てくれてありがとう。好き。
「ちょっとアーミアン。早くイザベラを連れてってよ。いつまでこんな所に居させる気?」
「ああ、すまない」
あああああ救世主ぅ!あっしゅぅううう!!
アーミアン殿下が移動しても水柱はお母様一直線。そして私を呼んだ声は二つだった。つまり助けに来てくれたのはアーミアン殿下だけじゃない。
殿下は手早く縄を解いて、ぐったりしている私を抱きかかえた。心の声は元気ですが私は死にそうです。ほんと呼吸がだめ。落ち着きだしているけど心臓も早鐘。そんな私をお姫様抱っこしてくれたまじもんの王子様が部屋の出入り口を振り返る。これ別の意味で私の心臓が落ち着かないわ。とか思いながらも私もやっとそっちを見れた。
そこには、どでかいホース付き水鉄砲をお母様に発射し続ける無表情の我が双子の兄、アシュトンがいた。
…なにそれー…?
そのホースどこに繋がってるのー…?成程ホース付きだからいつまでたっても水柱が衰えないのかぁーそっかぁー…それ私が「火災の時真っ先に消火する道具欲しい」って研究していた放水ポンプもどきじゃーん!?
火災怖いからね!!対処法をね!!考えるよね!!!でもそれ人に向けていい奴と違う!!消防車程の威力はないけど水の威力を舐めちゃいかんよ!お母様呼吸出来てる!?
「オカアサマシンジャウ!」
「気絶すらしないよしぶとい人だから」
辛辣ぅ。
お母様から理不尽な暴言に晒されて来たアシュトンはお母様に対してとても辛辣。放水ポンプもどきで執拗に狙い続ける程度にはお母様を嫌っている。でもほんとそれ顔狙ったりすると危ないからぁ!!
「アシュ、アシュトン!オマエェエ!!」
っあ―――っお母様びしょびしょ!化粧も崩れて髪型も崩れて鬼の形相に!何とか抵抗しているけど全身濡れ鼠に!!ぶっちゃけ私も濡れ鼠ですがお母様とは雲泥の差!あと水の行き場がなくて地味に床が水浸しで魔法陣消えたねやったぁ!あれは明らかにヤバイものだったから消えて良かった!!
「公爵夫人は少し呪いにのめり込み過ぎているようだ。まるで病気だ。これ以上の問題を起こす前に静養したほうがいいのではないか?」
「そうだね。母は領地で静養させるよ。実の母親とはいえ次期王太子妃を怪しげな儀式に巻き込むなんて正気の沙汰じゃない。きっと大病だ。父上もわかってくださる」
「これは姉様に必要な事なのよ!」
お母様相手は殿下です不敬ですよお母様!今更ですけど!!
「いい加減にしなよ…まったく、ここは僕に任せてイザベラを上に。早く着替えさせてやって。風邪ひく」
「ああ、責任を持って着替えさせるよ」
「おい侍女に任せろよ」
「……勿論」
「その間は何だよこのむっつり…その状態のイザベラに手を出したら捩じるから」
「ねじ…?」
あああああ体調が万全だったらなー!ドキドキのイチャイチャタイムが期待できたのになー!流石に貴族だから婚約者同士で着せ替えっこなんてあり得ないけどー!残念だなー!ほんとになー!!
アシュトンに促されて移動するアーミアン殿下の肩越しに見えたのは、無表情のアシュトンが喚くお母様に放水し続けるシュールな光景だった。
あんなに怖かったのに完全にギャグ。恐怖も水で流された。流石救世主アッシュ。
見覚えのない部屋は地下室だったようで、お母様の部屋の暖炉から繋がっていた。一体いつの間にこんな部屋が。もしかしてずっと昔からあったんだろうか。我が家には他にも隠し部屋があったりする…?
屋敷は大騒ぎで、私は行方不明扱いだった。まさか自宅で家族に拉致されて自宅の地下で儀式に巻き込まれるとは思わなかった。やっぱりクトゥルフ。邪神の召喚じゃなくて呪いの儀式だったけど大した違いはない。割とよくある。
殿下は私を温めるように命じて、侍女たちによって湯船に入れられマッサージされすっかり温められた。トドメに蜂蜜入りホットミルク。ぽかぽかだ。
とても時間がかかったのに、(公爵家的に)小さな談話室にはまだ殿下がいた。嬉しいけど、お忙しい人なのに。きゅんとすると同時に胃がしくしく痛む。ほんと忙しいんだよ王族って。御付きの人が何か書類持って来てるもん!ここで仕事してる!ひえー!
「殿下!お待たせして申し訳ありません」
「いいんだ。僕が指示したことだし…それに、公爵がまだ帰ってきていない。アッシュもまだ夫人の相手をしているし、あんな目に遭った君を一人に出来ないよ」
「うわしゅきぃ」
「僕も」
被った令嬢の仮面もすぐメロメロにされる。はぁーっ未来の旦那様は顔だけじゃなくて頭も性格もいいー!産まれて来てくれてありがとう!出会わせてくれてありがとう救世主アッシュ!
アーミアン殿下は、クレイアン陛下とクトリーナ王妃の一人息子。
クトリーナ王妃は元子爵令嬢で、クレイアン陛下と目と目が合った瞬間好きだと気付いちゃったけどクレイアン陛下にはエリザベスがいた。もうこれお約束だよね。イケナイことへの背徳感とどでかい障害で愛が燃え上がっちゃったんだ。止めて燃えないで!誰かお水持ってきて!!放水ポンプもどきでもいいから!!
エリザベスと三角関係を繰り広げ、エリザベスの事故死で微妙な空気になりながらも、お二人は大恋愛の末に婚姻を結んだと巷で有名だ―――が、その大恋愛の恋人たちも燃え上がっていた炎に誰かが水をぶっかけてくれたのか、かなり冷めている。
まず、産まれたアーミアン殿下がクレイアン陛下に全く似ていなかった。クトリーナ王妃にも似ていなかった。どちらにも似ていない所為で、クトリーナ王妃の不貞が疑われている…理不尽って思うけど噂になるほど異性と近しかったということ。ちょっとぉ大恋愛って言ってたじゃん!!
さらにお母様が主張する、エリザベスの巻き込まれた火災への関与。お母様はクトリーナ王妃がエリザベスを嵌めたのだと嘯いているが証拠もなく、お母様がエリザベスを慕っていることはみんな知っているので、過剰に発言しているのだと気にしていなかったけど…。
私がデビュタントした十五歳。王宮の夜会で。
エリザベスと瓜二つのイザベラを見て、クトリーナ王妃は血の気を失い卒倒した。
後日、その日は気分が優れなかったと発表があったけど、誰もが邪推した。クレイアン陛下が目を見張るほど、私はエリザベスと瓜二つ。お母様ほど本気にする人はいないけど、エリザベスの生まれ変わりではないかと囁かれている。
いや囁かないで?写真の無いこの世界、皆の記憶から風化しかけたエリザベスの面影が濃いのが私ってだけでしょ?そうでしょ?
恋敵似のご令嬢を見て卒倒した王妃。かつての三角関係の結末。事故は本当に事故だったのか?
口さがない貴族たちはこぞって噂し、クレイアン陛下も疑いの目を向けるようになり、クトリーナ王妃は現在孤立して離宮で静養中とのこと。
私が夜会に出ただけでこんな大ごとになるものです!?
エリザベスの人間関係やばすぎませんかね!?
そんな私なのに何故、アーミアン殿下の婚約者になったかというと…不貞疑惑が拭いきれないから。
万が一本当にクトリーナ王妃の不貞で産まれたのがアーミアン殿下であった場合、アーミアン殿下は王家の血を引いていないことになる。
クレイアン陛下にご兄弟はおらず、アーミアン殿下も一人っ子。王家と一番近い血筋が我が公爵家。万が一を考えて、血の返還の意味で私がアーミアン殿下の婚約者に選ばれた。
アーミアン殿下が不安要素は血筋だけって言われるくらい優秀だったこともあり、立場的に王位を継ぐのはアーミアン殿下だけど影の王の血筋は私。血筋だけの扱いでは女王と王配の扱いになるらしい。
ちょっと待って流石にそれは無理よ?血筋だけよね?女王として振舞えないからね?エリザベスなら大丈夫って言うけどアイアムイザベラ。皆さん正気に戻って。
年代が上がるごとに帰って来たエリザベスって感じになっていてちょっと複雑。
クトリーナ王妃もだけどクレイアン陛下も私を見る目が年々淀んでいてちょっと怖い。私イザベラ。エリザベス違う。
完全政略な私たちだけど、交流を繰り返しアーミアン殿下とは相思相愛になれたと断言できる。押せ押せごーごごーで腹を割っておしゃべりした甲斐があるってものよ。
だって幸せになりたいじゃん!?結婚するなら好きな人とが良いじゃん!政略結婚で選べなくても良い所見つけていけばハッピー!嫌な相手じゃなくてマジ良かった!ちょっと卑屈なところあったけど環境の所為だね知ってる!なによりアシュトンのおかげで大騒ぎになる前から顔見知りだったのが一番の理由!お母様がデビュタントまで外に出さなかったからな私を!アシュトンがいなかったら人見知りが悪化して引きこもりになるか我儘三昧して世界で一番お姫さまになってたわ!アッシュは私の救世主!!
書類に目を通す殿下の邪魔にならないように…とか思ったけど我慢できなくてピッタリ隣に貼り付くように座った。そんな私をアーミアン殿下は嬉し気に見つめてくれる。
「アッシュが来るまでこうしていていいですか」
「アッシュが来てもこうしていてくれると嬉しいよ。ふふ、懐かしいね。アイツはあちこち走り回って、連れ回していたはずの僕たちを置いていくから…アッシュが戻って来るのを、二人でくっつきながら待っていた」
「アッシュに捨てられたら立ち直れないって二人で泣きましたね」
いやガチで。救世主アッシュに見捨てられたら私たちの精神ポッキリ折れる。
それだけ強烈に強引に、力強く私たちを狭い世界から連れ出してくれた。お母様の狂気を、貴族たちの悪意を振り切る位の勢いで…家族として、友達として、むんずと手を握ってくれたのはアシュトンだけだった。
…その勢いについて行けず置いていかれたこと多数。殿下と揃って泣いた恥ずかしい思い出。思っていたより精神的にキテいたらしいお母様の言動。前世の記憶があってもあれは怖い。殿下と一緒にわんわん泣いて、励まし慰め合って、弱く柔らかい部分を共有して…泣き止んだ頃に迎えに来るからまたわんわん泣いた。
…振り返るとガス抜きさせていたのかなってちょっと思うけど、幼いアシュトンが何処まで考えていたのかは不明。頭のいい子だからあり得そうだけど、確認したことはない。あの子だって母親におかしな理由で邪険にされて思うところはあったはずだし、言わないなら聞かない方がいい。その分だけ、言われた事には真摯に向き合うと決めている。
「アイツは昔より厳しいから、僕も見捨てられないように必死だよ」
「アッシュはアーミアン殿下を臣下として支えるつもりですから、余程の暴挙に出ない限り見捨てたりなどしませんわ」
「分かっているけど、身近な指針になるからね。アイツが傍に居るうちは、僕でも大丈夫な気がする」
「貴方だから大丈夫なんです」
―――王家に一番近い血筋はスターレット公爵家。
アシュトンはその嫡男で…アーミアン殿下に一番年近い、王位継承権を持つ男児。
本人にはそんなつもりはないけれど、場合によっては担ぎ上げられる立ち位置に居る。アーミアン殿下に王位継承の資格なしと判じられれば、王位へと担ぎ上げられるのはアシュトンだ。
繰り返すけど本人にそのつもりはなく、私とアーミアン殿下をいつも傍で支えてくれる。
「私も傍に、いますし」
アシュトンが反旗を翻すとか、アーミアン殿下が耄碌するか私と婚約破棄しない限りあり得ないことだし!
殿下は大きな手で私の肩を抱いて、そっと引き寄せた。今の私ってば風呂上がりなのでポカポカあったかですよ!なによりいい匂いするはず!あっ殿下好みの匂いかどうか不明…好みであれ!!
「アッシュだけじゃない。イザベラにも見捨てられたら生きていけない。僕の幸福は、いつも君たち兄妹が運んでくれる」
「いつだって今日みたいに助けてくれる殿下を見捨てるわけないじゃないですか」
勿論アッシュもな!いつもありがとう救世主アッシュ!!アーミアン殿下もありがとう!!流石に今回はもう駄目かと思ったよ!ここまでヤバイ儀式まで始めるなんて…。
…私が王家に、殿下に嫁ぐことは殿下の王位継承の為、不安要素を排除するための決定事項。それに反対するようなお母様は不穏分子。このまま騒ぎにするのもまずいので、アシュトンは速やかにお母様を領地に送るだろう。お父様が帰ってきたらすぐにでも出て行けるよう準備しているはず。そのために今ココに居ないんだし。
アーミアン殿下も儀式のことを思って、憂うような目になった。
「呪いの儀式は、やはり取り締まるべきだね。お呪いの域を出ないモノだって無視はできない…いくら我が国が呪いに対して否定的でも、のめり込んで信じてしまう人は出てくる。信じすぎるのは危険だ」
「代表例…」
「隣国では普通なのだから、ただ禁止するだけでなく規則が必要だ…悪い意味でのめり込む人は…心の拠り所を求めてしまうんだろうね。夫人はいつまでも、君の中にありもしない亡きエリザベス嬢の記憶を求めていた」
「…私は、私でしかないのに」
前世の私もひっくるめて、私は私。
お母様は愛情深すぎて…不当に亡くなられたエリザベスを忘れられなかった。姉に瓜二つな、炎の悪夢に魘される娘に、炎で亡くなった姉が戻って来たのだと思い込んでしまっていた。
そうじゃないのに。
―――産まれた我が子を、我が子として愛した時だってあったはずなのに…。
どうしてこうなっちゃったかなぁ。私が前世の記憶を思い出しちゃったからかなぁ。私が炎を恐れなければ、ただ似ているだけの娘になれたかな。そうすればアシュトンだって毛嫌いされず、息子として扱われたかな。そうすればもっとお父様も、仕事ばかりじゃなくて家庭を顧みてくれたかな。
全部たらればで、もう起こってしまったことだけど。
思わずしょんぼりすれば、殿下が慰めるようぎゅっとしてくれた。ううーん乙女としてそれだけで心のチャージは満タンですが寂しんぼとしてはもっとぎゅっとしていてください。
ほんと、どうしようもない。前世の記憶もホント役に立たない。死の記憶ないほうが上手く生きられたはずなのに。なんでこんなものあるんだろ。
どうしようもないことだけどうだうだ悩んじゃう気持ちは捨てられない。殿下だって、せめて王妃様に似ていれば…ってどうしようもないことで沢山悩んだ。アシュトンだって、お母様のエリザベスへの執着がなければって沢山悩んだ。だけどどうしようもない。どうしようもないけど…だからこそ、切り替えなくちゃ。
親に恵まれなかった私たちは寂しがり屋。だからこそ、幼少期から築いた関係をなくしたくない。幸いなことに政治的にも血筋的にも問題ない。私たちは一緒に居る為に、周りを納得させながら、お互いの手を放さないよう誠実にならなくちゃ。
何せ未来の王様と王妃様ですので!こんなようわからん想いを次世代の子たちに味わわせちゃいかんってもんだ!
お母様への諦観や寂しさを誤魔化すように、慰め合うように殿下とくっついた。この人がいれば大丈夫。片割れがいれば大丈夫。だからこそ私も、彼らの為に王妃業務がんばろってもんです。
呪いの儀式規制案とか、お母様が色々やらかしたからこそ私が頑張らねば。外交は王妃の仕事でもあるし、我が国の利点と相手の利点を考えて交流しないと…そう、これからやることは沢山あるのだ!
やってやるぜ!
―――麗しい旦那様と救世主な片割れとずっと一緒に居るって約束したからね!
その後、お母様は静養の為領地へと送られた。呪いの儀式が出来ないよう情報を規制し、使用人たちがしっかりと監視している。
過激な儀式の規制の為、私は積極的に呪いに詳しい隣国と交流を重ねた。あちらも科学に興味があるのか、研究者気質の王女と友好的な関係を築けている。友好国として長く付き合っていけるかは、これからの私の大きな課題。
そうそう、アシュトンは仕事人間になっちゃって結婚を全く考えていない。家庭に夢を見ず、貴族として血を残すこともせず、私に五人くらい産んで一人養子に欲しいって言ってくるほど。
…いや五人って多くない?多くない?旦那様はそんな艶美に微笑まないで欲しい。だって五人ってやばくない?前世で大家族が存在していたし今世でも子沢山な家庭はあるから出来ないことはないけれど自分が五人産むって考えると多くない?やばくない?やばくない?いつまでも助けてくれるアシュトンのお願いは叶えたいけど五人って四人でもいいよじゃないのよ私まだ一人も産んでないんだから話が早すぎるって言うかじゃあ一人目頑張ろうねってそういう話じゃそういう話だったわね――――!!
私たちはその後、七人の子供に恵まれた。
そのうち一人は、アシュトンの養子になってスターレット公爵家を継いだ。
「ありがとう、イザベラ」
「だって約束したからね」
予想以上に産むことになったけど…アシュトンが本当に嬉しそうだから気にしないわ。
…でも八人目は考えさせてね旦那様ぁ!!
***
「よくも!よくも邪魔したわねアシュトン!」
水圧で転んで床に這いつくばりながら、ギラギラ妄執に憑りつかれた目を燃やしながら僕を睨む母。
そんな母を冷めた目で見下しながら、手にした放水ポンプもどきの水を止める。おかげさまで母が持っていた松明も、部屋を照らしていた燭台の火もすべて消え、この部屋の光源は無くなった。暗い部屋を照らすのは、開けっ放しの地上に繋がる階段の扉だけ。恐らく母からは逆光で僕の顔など見えないだろう。
「よくもよくもよくも!お前はいつも!そうよお前はいつだって私の邪魔をする!」
思ったより水圧のダメージがあるのか、母は起き上がらず拳を石畳に叩きつける。力仕事などしない貴婦人がそんなことをして、すぐ手を痛めると分からないのか。
「いつもいつもいつも…生まれる前から!お前がいたから!姉様は姉様は姉様はぁっ!!」
濡れた髪を振り乱し、母は激昂する。
「お前がいたから姉様は私を捨てたのよ!!」
そんな産まれる前のことを言われても困る。
この人はいつも過去ばかり見て、現実を見ない。現実を受け入れない。
「何度も言うけど、イザベラはエリザベスじゃない」
「いいえ!いいえあの子は姉様よ!あの金の巻き毛、泉を写す緑の瞳!象牙の様に白い肌に、薔薇色の唇…全て全てお姉様と同じ!十八歳のお姉様が帰ってきた!」
エリザベス、享年十八歳。
そしてイザベラも十八歳だ。
だから余計に重なって、余計に許せない。
姉の死因に関わる王家に嫁ぐことが許せない。
だがそれは全て、この人の妄想でしかない。
…間違っていない部分もあるけれど。
「似てるのは当然でしょ。伯母と姪だよ?血縁者なんだから、顔立ちが似ているのは当然だ」
「いいえ!同じよ!似ているのではないの。同じなのよ!あの子は姉様なのだから!」
「話が通じないな。違うって言ってるでしょ」
「姉様だと言っているでしょう!?私がそう産んだのだからそうなのよ!」
怒鳴りながら、母は狂ったように笑う。口端が裂けたように歪み、真っ赤な唇が水に濡れて青ざめた顔によく目立つ。
「姉様の骨を砕いて食べた。灰を溶かして飲み下した。姉様の身体を取り込んで産まれたのだからあの子は姉様よ!!」
禁忌の邪法。
子が生まれるまでの間、死者の血肉を貪って、死者の身体を産む邪法。
隣国でも倫理に反すると判断され、禁止されている儀式の一つ。
金で呪い師を雇ってまで、この人は禁忌に手を染めた。
「それなのに…お前がお前がお前が!邪魔をするからぁ!!姉様が穢れてしまった!!」
恍惚と笑っていた顔がまた歪む。打ち付ける拳から血が滲み、極度の興奮状態にあることが見て取れる。まあ、最初から情緒不安定で興奮状態だけど。
「お前が混ざるからこんなことになったのよ!」
―――ずっと、この人はそう言って僕を憎み続けている。
例の火災で亡くなったのはエリザベスだけではない。飲食店で逃げ遅れた客、店の者が複数亡くなっている。エリザベスの居た貴族専用の個室は、何故か鍵がかかっていて逃げられないようになっていた。だからエリザベスは個室に一人だった―――そう思われているが、実は違う。そこにはもう一人、エリザベスの従僕が一緒にいた。
エリザベスを守るように折り重なり、燃えた男がいた。
焼け爛れた身体はまるで一つになるよう溶け合って―――完全に二人を分け離すことは出来なかった。
そう、出来なかったのだ。
だから禁忌の邪法を用いた時、彼女はエリザベスだけでなくその男の一部も取り込んでしまっていた。
だから―――イザベラ一人でなく、男も一緒に産まれた。
その従僕にそっくりな、アシュトンが産まれた。
だから儀式は失敗したのだと、彼女はずっと喚いている。
―――彼女は初めから、我が子のことなど見ていなかった。
何故なら最初から、姉を産もうとしていたのだから。その為に禁忌に手を染めて、非人道的な行為を繰り返した。
狂っている。姉に対する執念も異常だ。
ずっと昔からそうだった。姉ばかり見て、姉ばかり求めて…危機感を抱いた公爵が、早急に婿を取って家に縛り付けた。それでもずっと姉を求め、姉が死んでもずっとずっと、姉を求めている。
「何度言っても通じないね。仕方がない、病気だから。病気の夫人が王都に居てもやることなんかないし、領地に引っ込んで静養ってことで。殿下もそれをお望みだし問題ないよね」
「お前に何の権限があってそんなことを!」
「決定は公爵にあるけど殿下がそう望まれたのだから覆らない―――さようなら憐れな人。来世は狭い世界から抜け出すことを願っているよ」
そう告げて、扉を閉める。喚く声が鈍く響くが、鍵を閉めたら問題ない。光源もない寒い部屋で、長時間暴れられるわけもない。荷物をまとめて公爵が帰って来る時間には疲れ果てて大人しくなっているだろう。
階段を上り地上に戻る。意外と重い放水ポンプもどきを従僕に渡して母の荷物をまとめるよう指示を出す。流石に僕もびしょ濡れだから着替えないと。僕が歩くたびに廊下が濡れるから、メイドに恨めし気な目で見られている気がする。逆にうっとりした目で僕を見るメイドはなんなのさ。
僕は部屋に戻って濡れた服を脱ぎ、着替える。着替えくらい一人で出来る。手伝いなんかいらない。替えのシャツを羽織って、姿見に映る自分を確認した。
イザベラは僕を父親似だと言うけれど、色彩だけで顔のパーツは一切似ていない。
何も知らないイザベラは、行き過ぎた母の行為を自分の所為だと思っている。自分が炎の悪夢を見るから、母が伯母の生まれ変わりだと勘違いしてしまったと責任を感じている。
だけどそうじゃない。あの人は元から姉を産むつもりで禁忌に手を出したし、不純物として生まれた僕を我が子とは思っていない。イザベラは理不尽で意味不明だと言うけれど、母の中ではきちんと理由が存在した。非現実的な理由が。
生まれ変わりの儀式が中途半端になったのは、僕の所為だと思っている。
―――それは正解であり、不正解だ。
イザベラはエリザベスの生まれ変わりじゃない。ただの愛らしい女の子。
エリザベスの生まれ変わりは、僕だ。
僕がエリザベスだ。
何故こうなったのかはわからない。従僕と遺体が交じり合った所為なのか、他に原因があるのかわからない。それでも僕はエリザベスの記憶を持って産まれて来た。
赤子の頃は記憶が安定しなくて、死に際をよく夢に見た。僕は夢の原因…死の瞬間を見ていると分かっていたけれど、双子の妹は双子だから同調したのか、同じ夢をよく見ていた。ただの幼子だったあの子はその度に炎に怯え、炎に怯えるあの子を見た母は儀式の成功を確信して笑っていた。しかし成長と共にエリザベスとしての記憶がイザベラにないことを察し、中途半端な結果を僕の所為だと思い込んだ。
僕が殺されなかったのは嫡男だから。父である公爵が僕を守っていた。恐らく後継ぎでなければ、僕は幼子の頃に殺されていただろう。母は成長する度に従僕に似てくる僕を見て、ますます僕の所為で儀式が中途半端だったのだと思い込んでいたから。
僕は、エリザベスの記憶があることを誰にも伝えなかった。
儀式が成功して死者の魂が返って来たと分かれば…どんな扱いを受けるかわからなかった。何より、どうでもよかった。エリザベスとしての記憶は僕にとって過去だったから。
だから、エリザベスを裏切ったクレイアン陛下も。
欲望のままに生きてエリザベスを罠に嵌めたクトリーナ王妃も。
真実を語ることも、復讐する気持ちもなく―――どうでもよかった。
ただ、僕が何も語らないことで、双子の妹がエリザベスだと判じられたのが心苦しい。
双子で同調したから夢を見て、その悪夢に囚われて、炎を恐れるようになった可哀想な妹。産まれる前に巻き込まれた儀式の所為でまともに愛されない憐れな姪。
全部僕が否定しないから。僕が名乗り出ないから―――だから僕は責任を持って、イザベラを幸せにしようと誓った。
僕が真実を語らないから宙ぶらりんな立場の王子も含め、公爵家の責任で王家の血筋を守るためにも、頑張ろうと決めた。
もともとエリザベスは、たとえ婚約者に愛する人がいたとしても貴族として、王妃として、国の為に生きるつもりだった。妾は許そうと思っていた。たとえ相手が自分を愛していなくても―――自分だって他に愛する人がいたから。
鏡を見る。
手を伸ばして鏡に触れる。
そこには水に濡れて青ざめた、顔色の悪い男が映っている。
―――最愛の人と同じ顔をした、僕が映っている。
何の因果かな。こんなの、忘れられるわけがない。
元婚約者も横槍を入れる令嬢のことも過去として括れるのに、これだけは無理だ。だって自分の顔なんだから忘れられるわけがない。ずっと蓋をし続けたのになんて惨い。これじゃ一生忘れられない。
僕はエリザベスだけど、彼じゃない。
わかっているけど―――無理だ。炎に巻かれながら死に際に告げられた愛を、忘れられない。
ノックが響き、従僕の声がする。
鏡から目を逸らす。着替えを再開して、濡れた髪を雑に拭いた。
入室して来た彼は温かいお茶とレターセットを持ってきていた。母を領地に送る為、下準備をしなくてはならない。言われる前に行動出来る従僕。彼もまたそうだった。
ああ、まだ時間がかかる。溜息をお茶で呑み込んで、ふとイザベラとアーミアンが気になった。
従僕に問いかければ、二人揃ってくっつきながら僕を待っているとか。
イザベラが一人でないことに安心するけど、アーミアンは僕の事とか口実だろうな。あいつ単にイザベラとくっついていたいだけだ。幼少期だって、わざと僕からはぐれて二人になっていたし。気づいたら好き合っていてびっくりした。
でも将来的にイザベラは血の返還の為、王家に嫁がせないといけないって思っていたから…アーミアンを好きになってくれて、心から安堵した。あの子には、幸せになって欲しい。
イザベラは不思議でおかしな子だ。放水ポンプもどきなんて不思議なものを思いつくし、切り替えが早くてへこたれない。
あの母の妄執を真正面から受け止めて、よく歪まずに成長してくれた。愛らしい…エリザベスに似てしまっただけの私の姪。
エリザベスとよく似た容姿の彼女が王家に嫁ぐのは、正直自分のやり直しみたいで複雑な気持ちだけど、アーミアンにも幸せになって欲しい。かつてエリザベスがしくじったから王家で生きることになった子供だ。エリザベスの過失で今の立場に立たざるを得ない子だ。幸せになって欲しい。
その為なら、二人の為に何でもできる。
…出来ないこともあるけど。
愛した男の姿で、女を抱くことなどできない。
彼は最期まで私のものだ。
なんて傲慢な、エリザベス。
温かな紅茶を飲み干して嗤う。
もうとっくの昔に自分の生き方は決めている。
だって約束したからね。
「ずっと一緒だよ」
その後、イザベラを怪しい目で見る陛下とか離宮で何か画策している王妃とか麗しの殿下を狙う雌豹たちとか初恋の君に幻想を抱く中年男とかいろいろありましたが私達は元気です!!