壊れた肩。
野球の才能はあったと思う。
高い身長に撫で肩、長い指に大きな手。
投手としての才能はあった。
もともと野球を始めたのも、公園で父親とキャッチボールをしていたら少年野球の監督に誘われたから。
その時は、高校野球もプロ野球も全然見たことがなかったが、オリックスファンのアンチ巨人の父親の影響で巨人は嫌いだった。
そんな自分が憧れたのは当時、西武ライオンズの中島選手だった。
もちろん希望ポジションはショート。
でも、背が高くゴロを取ることが苦手だった自分は、投手とファースト以外させてもらえなかった。
中学に上がり、部活はもちろん野球部。
不良の溜まり場のようなだった部活だったが、少年野球からの仲間は多かったし、何より不良の子が優しかったから、学校生活も楽しかった。
コントロールがいい投手が好きな監督で、コントロールの悪い自分はどうやっても1番をもらえることはなかった。
中三の最後の大会前。
練習試合のダブルヘッダー。
前日にエースだった子が投げてしまっていて、今日は自分が投げる日だった。
しかし、第二試合に投げる予定の生徒が風邪で休んでしまっていて、どうやっても2試合をすることはできない。
監督が出した決断は2試合とも自分が完投するというものだった。
1試合目で100球近く投げた自分はそのまま第二試合も100球ほど投げた。
後半はほとんど肩の感覚がなかった。
ここからが問題だった。
アイシングの設備がなくて自分はそのまま就寝。
次の部活の時間、肩が痛くとも練習に参加。
少し遅れてきた自分はろくにキャッチボールもせずに、サードからファーストへ全力返球。
痛みは一瞬だったが、ハンマーで殴られたような痛みが走った。
痛みで意識は朦朧として、視界が歪む。
肩に感覚はあるのだが力が入らない。
そこから自分は慢性的な肩の痛みに悩まされるようになった。
監督からは特に謝罪はなく、恨んだ。
高校に上がると野球はしないかなと思っていたが、寮の部屋の先輩が両方野球部で、ほぼ強制的に入部することになった。
実はそこそこの実力があったので、ある高校からスポーツ推薦があった。
でも、肩を壊した影響でその話は自分から断った。
肩を壊したことを知っていながら高校の監督は試合で自分を使い続けた。
熱もあるのに試合に出させられたりもした。
今考えると問題だらけのやつだった。
高校最後の試合はまともに出させてもらえなかった。
実力では完全に自分の方が上なのに、監督はキャプテンを使い続けた。
嫌われていたのは重々承知だったが、最後の最後でこの仕打ちは自分を苦しめるのに最適だった。
今でも夢に出てくる。
最後のロッカールームで椅子に爪を食い込ませて、瞬きもせずに監督を睨みつけていたこと。
バスの中で爪が割れて、手が血だらけになっていたこと。
これが自分の野球人生。
直す暇もなく自分の肩はボロボロで痛みを隠しながら自分は野球をしていた。
将来のある野球少年へ。
しっかりケアをすること。
投げすぎないこと。
信頼できる監督、もしくはコーチのもとで野球をすること。
好きな野球が夢に出てくるトラウマにならないために。
ほとんど自分語りになってしまいましたが、いかがだったでしょうか?
今回は自分の過去だったので少し長くなってしまいました。
次からはもう少し短くします。
今回のようにリクエストを募集してます。
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相談でも、これについてどう思うでもいいです。
お待ちしてます。