退魔の呼び声
あらすじでも書きましたが作者が陰陽道と仏教がごっちゃにして書いています。申し訳ありません。
この作品はフィクションであって、事実と何1つ関係ないです。
貞享四年(1687年)10月、将軍である徳川綱吉は『生類憐みの令』を出した。
「一、飼ひ置き候犬死に候えば、支配方え届け候よう相聞こえ候。別状なきに於ては、向後ヶ様届け無用の事。」
(飼い犬が死ぬと、飼い主は届け出をしなくてはならない。しかし、その死因が異常でない場合は、これからは、そのような届け出はしなくて良い)
「一、捨て子これ有り候はば、早速届けるに及ばず、その所の者板はり置き、直に養ひ候か、または望みの者これ有り候はば、遣はすべく候。急度付け届けるに及ばず候事。」
(捨て子を見つけたとしても、すぐに役所に届けるのではなく、見つけた者が捨て子を養うか、捨て子を養いたいという者がいれば養子にしなさい。これは、役所に届を出さなくても良いこととする)
このような動物や社会的弱者を保護する条例の中でも、特例があった。それは、これまで庶民にはひた隠しにされていたものを公に存在する、と認める形で記載されていたため、庶民たちは慄いた。
「一つ、此処に記しし令を犯しし者は、そのきはに応じて罰を与ふ。されど、その相手が妖怪、物の怪の類なるついではこの令は無効となり、速やかに退治せしこと」
(ここに記した令を犯した者は、その程度に応じて罰を与える。しかし、その相手が妖怪、物の怪の類である場合はこの令は無効ととなり、速やかに退治すること)
◇ ◇ ◇ ◇
そして、その生類憐みの令が出てから数ヶ月が経った頃。
(妖怪・物の怪の類か……)
出羽国、亀田藩。亀田藩の藩士である浅沼秀勝にも、生類憐みの令についての資料が回ってきた。
「秀勝殿」
「ああ、今から行く」
(ここ出羽の地や陸奥国は江戸や大坂と違い、かなり妖怪が多い……。何故か、とは思わない。思わないが……)
「どうされましたか?」
「いや、なんでもない。少し考え事だ」
「それならばいいですが……」
(父上や母上が妖魔の類の毒牙にかけられる意味はあったのだろうか?)
亀田の土着の退魔師として以前から岩城氏に仕えていた浅沼家だが、きちんとした退魔の依頼は戦国が終わってから増えてきていたせいか、平和なはずの江戸時代だが、先代達はかなりその依頼で命を落としてきた。現在で退魔師としての血を引く浅沼氏は彼一人しかいない。
「今日は、殿がお呼びだったか?」
「はい、そうですね。なんでも、内密に話があるのだとか」
「内密に?それはまた妙だな」
「ですよね。普段は内密に話すことはほとんどないのですが、まあ何かお考えがあるので
しょう」
「……」
現在の亀田藩の当主である岩城秀隆は、豪放磊落な性格で秘密を作るような性格ではない。特定の者を呼び出すことも少ない。その殿に呼ばれ、ましてや内密に話すとは珍しい。そう思ううちに亀田城についた浅沼であるが、その顔は未だ渋い顔であるが、一歩、また一歩と城に近づくに連れて意を決したように顔から悩みを取り除いた。
「殿、浅沼秀勝お呼びにより参りました」
「遅いぞ、秀勝。まあ面を上げい。少し話がしたくてな。……人払いを頼む」
「はっ」
そうして、人払いが済むと緊張感が漂う空気を破るかの如く、こう切り出した。
「いいか?秀勝」
「はい、大丈夫です」
「厄介な依頼が入った。」
「……」
そう言って秀隆が語ったのは、近くの村で妖怪の騒ぎが起きている、ということだ。幕府の生類憐みの令により公式で妖怪がいることが認められたためか、色々な依頼がきているようだが、その中でも一番深刻なのがこの依頼らしい。
「具体的には、どのような被害でしょうか?」
「何人も人がいなくなっているようだ。これはかなり深刻だぞ?」
「神隠しの類、ですね。最初に消えたのはいつですか?」
「いや、その辺はわからないな」
「数ヶ月前から起きていたと思うしかなさそうですね……」
「……そんなことが」
「まああくまでも可能性ですが」
「……私もついていきたいが、政務が積まれているからな」
「ふふ、殿のお手を煩わせるわけにはいきません」
「……無理はするなよ?秀勝」
「わかっております。殿」
◇ ◇ ◇ ◇
浅沼は荷物をまとめると馬に乗り、ゆっくりとその事件が起きた村へ向かって行った。供は二人、控えめな来島成秀と堅物の河野重胤の二人連れてはいるが気にするほどではない。まあ、殿に直訴するほどかなり大変なことになっているんだろう。
「……この辺の村であってるか?」
「そのはずでござるが……。少々物静かすぎませぬか?」
「神隠しの被害があったとしても、数人農作業していてもおかしくはないはず。それなのに、なぜここまで人がいないんですかね」
「……」
「おっ、お役人様!」
「ん?」
話を聞くと、彼はこの村の村長代理だそうで、数少ない神隠しの被害にあわなかったものだそうだ。
「少し、話を聞いても良いか?」
「へえ、おらが知ってることなら、なんでも話しますでい」
「すまないな」
彼の話によると神隠しが始まったのは大体三ヶ月程前。とある村人が森へ狩りに向かったところ、何日経っても帰ってこなかったそうだ。初めは、熊にでも襲われたのではないか、そう言われていたが森で立て続けに同じような事例が続いたそうだ。さらに、数少ない森から帰って来れた者によると、死体は見つからなかったという。男手が少なくなり、これからの農作業に
「……妖狐の手口に酷似しているな。とある一帯の森を縄張りを住処として森に入った人を襲って姿を消す。そして、一人帰ってこれた者がいるんだろ?何か森に入った時に異常はあったって言っていたか?」
「へ、へえ!……確か、森に入った途端霧がすごくなったって……」
「やはり、か。この問題は私、浅沼秀勝が責任持ってこの被害を食い止めよう」
「あ……、ありがとうごぜいます!」
「そして、これから森に人は入れないでください」
「わっ、わかりましたぁい!」
村長代理は村に駆けて行く。
「この村の年貢は期待出来そうもないな。すまぬ、殿の元へ行ってこの村の年貢を免除してもらえるよう交渉してきてくれぬか?」
「御意、拙者が参りましょう」
「重胤殿か。頼む」
河野がその旨を伝えに帰城すると、浅沼はこう切り出した。
「……さて問題はどのようにして妖狐を炙り出すか、だな」
「森へ行きますか?」
「ああ、そうだな」
「わかりました、秀勝様」
◇ ◇ ◇ ◇
二人が森へ向かおうとすると、先ほどの村長代理の男が一人の屈強な男を連れて来た。そして、彼は
「森へ向かうんでがすか? それならこいつを連れて行ってくだせえ! あの森から唯一抜け出せた、我が村の狩人でさぁ!」
「ほう、役に立ちそうだな。名は?」
「……黒助」
「黒助というのか、付いてこい!」
「……」
頷いた黒助を連れ、件の森へ向かうと、その森は既に霧に覆われていた。森に入る前から濃い霧が漏れ出していたことからも、その発生源である森がどれだけ濃いか想像に難くない。
「うわっ……、これはかなり霧が濃いですね……」
「普通の霧だろうが、多分狐の意思で濃くしたり薄くしたりできるんだろうな。そして、前が見えず、道に迷いに迷ったところを狙うんだろうな。因みにだが、黒助。お前の話では森に入った時から霧が出た、って言ってたな」
声は出さないが、肯定したような顔つきで頷く黒助。
「……多分、ですが。一番考えたくはないでしょうね」
「ああ、これはありえないでほしいとも思うな」
「「先にこの森に入った者が襲われている!」」
「やはりな!」
「手分けして探しましょう!秀勝様!私はこっち側を探します!」
「ッおい! 待て! 手分けして探すのは得策じゃない!」
「大丈夫です! 秀勝様もお気をつけて!」
「待て、成秀!」
「なんですか!? 探さなくては意味がないでしょう!」
「たわけ! この森がどうなているのかわかってのその言い分か!?」
深い霧にたった一人の人物を探すのは、一本の葉が生い茂った木の中から特定の一枚だけを見つける程に難しいことだ。そういう意味では、ここに先に入った人物を探すのは手分けした方がいいのかもしれないが、逆を言えば、来島が、または浅沼がどこにいるかはお互いわからない。合流など、もっての他である。
「合流などとてもできないだろう。少し落ち着いて考えるのだな」
「……ですが!」
「……!」
「どうした? 黒助」
突然手に持っていた銃を構え、ある方向を向く黒助。その背中からは殺気が漂い、汗が滲み出ているようだった。
「……向こうから、何か声がした」
「声、ですか?」
「向かうぞ! そこに探している誰かがいるかもしれない!」
「あっ、ちょっと!」
◇ ◇ ◇ ◇
秀勝達が走っていくと、霧が薄くなっているところがあり、そこでは一人の少女と、「大きな狐」がいた。大きな狐はいまにもその少女を食おうとしているようだった。
(((妖狐!)))
三人の気持ちが完全に一致した。三者三様の構えだが、それぞれがそれぞれの戦闘体制に切り替わる。
黒助は手に持った鉄砲を。
来島は挿していた刀を。
そして浅沼は懐から出した札を。
「おおおおおぉぉぉぉおおおぉぉ!」
最初に動いたのは来島だった。素早く身を動かし、狐の懐に入り込み、刀を振るい斬りつけようする。しかしヒラリと躱され来島の腕に噛みつきにかかる。
しかし、それを許さないのが黒助の銃弾であった。轟音がなると、その弾は綺麗に狐の腹を貫いた。しかし、動きをけん制され、吹っ飛んだものの立ち上がる。
「……色不異空空不異色色即是空空即是色……」
ブツブツと何かを唱えながら、秀勝は手にした札に何かを刻み込む。
「ハァ……ハァ……グラワァ……! グルルァァア!!」
狐は、その息を大きく吐きながら秀勝に向けて走り出す。
「秀勝様!」
「……阿耨多羅三藐三菩提故知般若波羅蜜多是大神呪……」
「秀勝様を、討たせはしない!」
さらに近づいて横薙ぎに刀を振るう。しかし、狐の速さに追いつけず、攻撃は無意味にに終わってしまう。その間にも秀勝に狐は近づいていき、今にも秀勝を噛もうとする。
「…‥!」
「秀勝様!」
「……波羅羯諦波羅僧羯諦菩提薩婆訶般若心経」
刹那、秀勝は走り出し、手にした札を狐に貼り付けた。その瞬間、これを好機と見たのか黒助の鉄砲が火を吹いた。そして、その弾は狙いを澄ましたかのように狐の体を貫いた。それが決まり手となったのか、狐はピクリとも動かず、絶命したのだと周りの者に安堵を与えた。先ほどからいた少女は銃声の大きさに驚き、気絶してはいるが無傷であることがわかった。
「…‥?」
「秀勝様、どうかしましたか?」
「いや、なんでもない」
「そうですか。それならばいいんですが。……そんなことより秀勝様。この娘、どうしましょうか?」
「『生類憐みの令』には確か、捨て子は保護しろ、とある。……私が彼女を保護しよう」
「わかりました。では、この森を抜けましょうか。狐を退治したことで霧も晴れてきましたし」
「ああ。そうだな」
◇ ◇ ◇ ◇
そして、狐の退治から数年が経った。あの時助けた少女は琴、と名付けられ岩城秀隆の娘として生きることとなった。黒助も結局は浅沼の家臣として黒崎勝利という名前を貰い正式に雇われた。それ以降の依頼も悠々とこなし、やっと平和が取り戻されて来た。そんな折だった。
「秀勝様」
「ん? ……ああ、重胤殿。どうした?」
「来島殿が病に倒れました」
「成秀が? 珍しいな。あいつは病とは無縁だった気がするが……」
「それが、妙な病でござる。中々に熱が下がらず、さらに身体中に泡のようなものが多くできます。何かに祟られているのではないでしょうか」
「それは確かに妙だな。わかった。明日あたりにでも行って祈祷してこよう。…‥勝利、いるか?」
「……御前に」
「医者を呼んで来てくれ。そして来島の方へ向かわせてくれ」
「……御意」
来島と黒崎、そして浅沼の三人はあの窮地を越えた仲。あまり感情を表に出さない黒崎でも何か思うことはあるのだろう。命を受けると一目散に城下へ向かって走り出した。
「それともう一つ、殿が呼んでいる」
「……了解した。すぐに向かうと伝えてくれ」
「はっ」
浅沼が岩城に呼ばれるのは多くはないが、呼ばれるとほぼ確実に面倒ごとに巻き込まれるのはわかっている。仕方ないことではあるが、上司としているとあって断ることはできない。ため息を吐き、ゆっくりと立ち上がり、帯刀して岩城がいる部屋へと向かう。
「浅沼秀勝、ただいま参りました」
「おお、きたか。今日はな、お前に嫁を与えようと思ってな」
「嫁、ですか?」
「そうだ。お前今いくつだったか?」
「今年で22歳ですね」
「そんな歳なのに嫁がいないのは少し珍しいからな。多分お前は嫁を取れ、って言っても多分嫁を探さないだろ?」
「……否定はできないですね」
「だろ? だから、この俺がお前に嫁を与えようってわけ」
「はぁ……」
「で、そのお相手なんだけど、下手になんかよくわからない女を連れて来ても面倒だろ?だからさ、お前が知っているやつにしようかと思ってさ」
「私が知っている者?」
「ああ、そうだ。入って来てくれ」
「はい。失礼致します」
「……!」
りぃん、と鈴がなるような声がした。スーッと襖を開いて現れたのはいつぞやの少女、琴であった。
「あの時の……」
「はい。数年前、あなた様方に助けていただいた者……。琴、にございます」
「琴、様」
「不束者ですが、これよりお願い致します」
「……あ、ああ。こちらこそ。よろしくお願いします」
「ふふ、ははは! お前ものすっごく今面白い顔をしているぞ!」
「殿!」
「これで話は終わり。祝儀はまあ今度やろう。はいはい、帰った帰った!」
半ば岩城にはじき出される形で退室した浅沼と琴の二人であったが、浅沼の家に着く頃にはすでに日が暮れかかっていた。何から手をつければいいかわからなく、少し慌てている浅沼を見かねたのか、琴は語り出した。
「秀勝、様でよろしいのでしょうか? あの時はありがとうございました。私は貴方様がいなければあそこで死んでおりました」
「……気にするな。仕事の一環でやっただけだ。礼を言うなら、私ではなく成秀や勝利に言ってやれ。私は何もしていない」
「ふふ、義父さまから聞きましたよ。秀勝様は岩城家唯一の退魔師なのですよね。ですから、浅沼様がいなければあの件はなされていなかったでしょう」
「その時は他家の退魔師が為していただろうな。……それはさておき」
「?」
「これだけは言っておこう。私は色恋沙汰はまるでわからない上にここまでとんと女とは関わったことはない。ぞんざいな扱いをするかもしれない。その時は遠慮なく言ってくれて構わない」
「ふふ、おかしな人ですね」
そう言って年に似合わず妖艶な笑みを浮かべる琴であったが、秀勝はそれに気も止めずに赤面している。
「やめてくれ。少し気恥ずかしいからさ……!」
「いえいえ、いいんですよ。私にできることは貴方様の話を聞くことくらいですから……」
「そっ、そういえば、成秀は大丈夫であろうか。少し見舞いに言ってこよう。……すまないな。この間に我が家に慣れてくれればいいのだが……」
「わかりました。ゆっくりまったり過ごしていましょう。……そういえば、成秀様ってもしかして」
そう言って琴が振り向くと、既にそこには秀勝はいなかった。それを確認した琴は、また先ほどと同じような妖艶な笑みを浮かべていた。
◇ ◇ ◇ ◇
「成秀、大丈夫か?」
「秀勝殿、遅かったでござるな。……結論を申すと、危険な状態が続いているでござる。近くにいると移るやもしれぬので、如何ほどにも近寄らないほうがよきと思われまする」
「……そうか。勝利、医者はなんと?」
「……今夜が峠、そう申しておりました」
「今夜か。わかった。今から祈祷をする。庭に誰も入れないようにしてくれ」
「……御意」
「拙者は水垢離をしよう。神に伝えるのは多いほうが良いであろうからな」
「……ああ、よろしく頼む」
スーッ、と襖を閉め息を小さく吐くと、秀勝は庭にでた。火を起こし、懐から護符を取り出す。成秀が治るように、と祈りを込めたその護符を火の中に放り込む。チリチリと火の勢いが増していく。ゆっくりと白装束に着替えて大幣を取り出してその火の前で舞う。祈りを込めて。
自身の家に戻った河野は服を肌蹴させて井戸の前へ向かう。井戸から水を汲み上げて頭にかぶる。何度も。何度も。
黒崎は祈祷も水垢離もしていないが、自身ができることである医者からの話を聞き、それに対して対策をぶつける。
三者はそれぞれやり方は違うものの、その思いは一致していた。
火が燃え尽き、舞い終わって医者が来島の近くに向かうと来島の容体は少しは良くなっているように見えた。
しかし次の日。河野に呼ばれ浅沼は急いでの家に向かった。
「成秀!」
「来島殿!」
そこに待っていたのは、沈痛な面持ちの医者と先に来ていたのであろう黒崎であった。
(ああ、そうか)
浅沼を襲ったのは、「死に目に間に合わなかった」と言う虚無感と「やったことが無駄であった」と言う無力感だった。
(恩が返せなかったな)
友人として、自身の仕える直近の上司として慕ってくれた来島の死に目を救えなかったと言う事実が浅沼の胸を苦しめる。しかし、その事実に襲われても不思議と涙は目には浮かばなかった。浅沼が隣を見れば河野も同じように沈痛な面持ちをしていた。
「秀勝様……」
「勝利、殿に伝えて来てくれ」
「……御意」
そうして岩城に来島が亡くなった事が伝わると、岩城は哀しみにくれたような笑みを浮かべ、「そうか……」と零しただけであった。しかし、悲哀に塗れた空気が城内を覆っていた。
来島の葬儀は数日後に少人数で執り行われた。
「見えるか、成秀。今日は満月だ。色々終わったらゆっくり酒でも飲もうと思っていたんだけどなぁ……」
盃は二つ、しかしそのうち一つには飲むものがいない
「ふっ、こんな気持ちになるのはかなり久々だよ」
「貴方様……」
「ああ、琴か。すまんな、今は……今だけは、一人にさせてくれ」
そう言った浅沼の目には涙が浮かんでいた。
◇ ◇ ◇ ◇
来島が死んでから、数ヶ月がたった。それと同時に、浅沼と琴の結婚もかなり時間が経った。
二人は誰が見ても仲が良いように見え、岩城曰く、「端から見ればわざとやってんじゃねえか、ってくらいで砂糖を吐くぐらいの甘さ」だそうだ。それはほぼ正解だ。浅沼は過去のことからとても琴に甘く、琴も浅沼を本気で信頼している様子で、とても相性がよかったんだろう、と言う事がよくわかる。夜の営みも甘いもののようだ。
亡くなった来島を悼みながらも、仲睦まじく暮らす平和な時間はとある報を境にして一変する。
「城下で妖狐騒ぎだと?」
「御意、数年前に受けた依頼とほぼ同じごとき被害が亀田の城下にて起きているでござる」
「……確かにあの狐は殺したはずだが」
「其れは知とはいるでござるが、事実かく申す事が起きておるのならば、なにかがござるのは確かでござろう。」
「……そういえば、勝利が確か最近はよくどこかに言っているのを見る」
「勝利が……でござるか」
「ああ。疑うわけではないが、妖しくはある。妖狐は人に化ける事ができるからな。それにあいつはあの村で雇った者だ。更にいえば、倒した狐を発見した時も、かなり離れた距離から見つけた。余計勘ぐってしまう」
「御意。殿にそのことを拙者が伝えておきましょうぞ」
「任せた。それで、終わったら城下の者に話を聞きに行く。準備をしていてくれ」
「はっ」
このことは、速やかに岩城に伝達され、苦渋の決断で黒崎は謹慎処分とされた。黒崎は自分は無実だと伝えたが、疑いのことを聞き、ぐうの音も出なかったのか、黙り込んでしまった。
浅沼と河野は岩城にのみ話を伝えて実質的にお忍びで城下に来ると、そこに住む民はかなり疲弊しきっていたものの、いつぞやのようなきりは見つからなかった。
「報告が間違っていたのであろうか……」
「いや、被害が出ている上に民の表情を見ればわかるだろう。あの報は虚報ではない。今はここに狐がいないだけだ」
「……」
「私はここに泊まり込みで行こう。黒崎が妖しいのはあるが他に原因があるかもしれない」
「それでいいか?重胤殿」
そう言って振り返ると、後ろしっかり付いていたはずの河野の姿がない。
「重胤殿……?」
慌てふためく浅沼をよそに、その道にはすっかり秋になって、少し肌寒いような一迅の風が吹き抜けて行っただけであった。
(まさか、狐……?)
気がつけば、いつの間にか周りには霧が溢れ、少し前は見えていた三軒先にある宿の文字はとても見づらくなっていた。
「隠れていたのか……」
この霧の主は用を済ましたからなのか、次第に霧が晴れて行く。周りにいた数名は先ほどとは変わらない様子ではあるが、浅沼のそばにいた河野の姿が見えないことに少し眉をひそめるものの、一つ大きなため息を吐くと何事もなかったかのように歩き始める。
「人が一人いなくなることにもすでにここまで慣れてしまったのか……」
そんな独り言は虚空に消えて行く。その後に、町民に話を聞いていくと、いつぞやとほぼ同じようなことしか聞けなかった。
「だが、勝利は自宅謹慎のはず……。つまり、勝利は犯人じゃない。それはほぼ確定したが……。私が疑われたら、どうす……」
これは、まずい。考えを口にするのをやめた。頭に浮かんだのは、辿ってはいけない最悪の状態。その方向に向かう可能性は、黒崎の性格からしてかなり高いであろう。全速力で走り出して、黒崎が謹慎している家へ向かって走って行った。
(『それ』だけはやめてくれ……! 勝利!)
そこから少し時間が経ち、浅沼は息切れしながらも黒崎の家に着いた。そこにいたのは血塗れになって腹を切った後の黒崎だった。
「……ハッ」
浅沼の目には涙が。しかし、口から溢れ出るのは、乾いた笑い声だけであった。数ヶ月のうちに家臣の大部分を失うこととなった浅沼。その心情は絶望にも近いものであろう。
浅沼が一番望んでいなかった結末である、「自身の無実を証明するために責任を取って腹を切る」という終わりに進んでしまった黒崎。いわゆる「狩人」として、必要な技量である、獲物がどこにいるのかを知るための聴力を無駄に勘ぐられてしまった結末であった。
「ただいま、戻った」
そうして今日起こったことを報告をすると、岩城から力のない笑みで「少し休め」と言われ浅沼はおぼつかない足取りで家へ戻った。しかし、家にはいつもなら既に夕餉ができているはずの時刻であるが、夕餉どころか琴の姿がない。
「……琴?」
彼女すら失ったら自分はどうすればいいのだろうか、自分は何にも守れない、その無力感で身を投げるのではないだろうか、自身が他の何を失ってもいいから彼女だけは、彼女だけは失いたくはない。そんな感情に支配されながら、冷や汗を垂らし探そうとしたその瞬間。
「あ、貴方様……?」
静寂が割れた。そこにいたのは何か悶々とした表情の琴だった。
「……よかった」
「え、なんですか?」
「よかったぁぁ……」
胸を撫で下ろし、緊張の糸が途切れたようにぐったりと倒れる浅沼。今日は色々なことがありすぎた。悲鳴をあげ、疲れ切った体を制すように意識の糸をプツンと切ったように眠り始めた。その様子をみて琴は、少しオロオロしたものの突然胸に手を当てて少しぐらついた。
◇ ◇ ◇ ◇
朝。浅沼が目をさますと、隣には無防備な姿で眠っている琴の姿が目に入った。その姿に多少興奮を覚えるも、まだ日が昇って早い。自制をし、琴を起こさないように静かに家を出て騒ぐ胸を無視して馬を駆り城下へ向かった。
朝早くの城下へ着き、少し散策していると、唐突に血生臭い匂いが鼻を突いた。
「……ッ!」
その場所へ駆け出すと、そこには、見るも無残な姿で倒れた河野の姿があった。持っていた刀は血がこびり付いていて、反抗する余力はあったのだと察することができる。そして、刀で斬られたような跡はない。さらに、脇腹が少し抉られているようだ。
「……重胤殿ッ!」
しかし、浅沼は最後の臣下を失い、涙がゆっくりと流れてきた。落ち着いて先ほどあげた条件を確認すると、それに当てはまるのは件の狐と決めつける。違う可能性もあるが、河野が刀を抜くほどの強敵である上に傷の形などから判断して人ではないであるのはほぼ確定だろう。
「……仇は、私が討つ」
河野を持ち上げ、やっとの思いで城へ着く。そこに丁度黒崎の墓を作っていた者に頼んで河野の墓も作る。岩城に通達し、明日皆に伝えると言われ、来島たちの墓があるところに戻り、神妙な面持ちをした浅沼は三つの墓の前に静かに跪き、仇討ちを誓う。
「……敵は、妖狐。我が土俵だ。退治じゃない。封印でもない。完全にこの世から殺し切ってやる」
そう決意した浅沼の目からは完全に慈悲がなくなっていた。
「決行は数日後。多分だが、妖狐は重胤殿の必死の抵抗で大怪我を負っているだろうからそれを回復するために休んでいるんだろう。……絶対に次で仕留める」
「……どうされました? 貴方様」
「……いや、どうもしていないが」
「そうですか、それならよろしいのですが、今日はいつもとは食の進みが遅いような気がします。いや、確かに遅いです」
「……そうだったか?」
「はい。そうです。……何で悩んでいるかは知りません。それを相談しろとも言いません。ですが、無理はしないでくださいませ」
「ああ。わかってるよ。……私は一人で生きているわけではない、というのはここまでで嫌という程思い知らされたからな」
「黒崎様と、河野様ですか……」
「彼らは影で私を支えてくれた。彼らがいなくなったから、今度は私が全て、行わなくてはならぬのだ……」
そう言って何か微かな違和感を覚えたが、何かがわからない以上解釈しようがない。そうやってその違和感を振り払う
「そうだ、琴。お前最近奥方様に呼ばれているそうだな。何を話しているのだ?」
「ああ、それですか……?」
最後の二人の平和な夜は、終わる。
◇ ◇ ◇ ◇
そして数日後、決行の日。かなり早く目が覚めた浅沼は、琴を起こさないように静かに立ち上がり、自身の仕事服である白装束を取り出して水垢離をして気合をいれる。
「今日が勝負の日だ。狐よ」
城下に向かい、霧がまだ発生していない事を確認、万全の体制で立ち向かう為に街の大通りの真ん中にいつかのように火を起こして護符を投げ入れる。大幣を取り出して祈祷を続ける。そうして数刻後。霧が発生し始めた。
「さあ、こい」
小さく呟いたその瞬間、霧が薄くなり空気が乱れた。
「こっちか!」
その方向へ呪符を投げ、当たらなかった感覚を覚える。
「チッ、外したか……」
しかし、初撃以降気配はあるのに攻めてくる様子のない狐に違和感を覚える。首を傾げながらも気配のある方へ走っていく
「来ないなら、こちらから出るまで!」
静かに近づき、今度こそ呪符を貼り付ける。しかし。
「貴方……様……?」
空気が、凍った。何故ならその声の主は、この殺風景で殺伐とした道にはとても不釣り合いな………………
「……琴?」
浅沼の嫁である、岩城琴、その人であったからだ。
「何故……なにゆえ琴がここに……」
「そっ、それは……っ……」
呪符の効果は、琴に浸透していく。呪符は人間には効かない。つまり、これが効くのは人間ではないということの証明である。そして、人間の姿をした者に効く、というのは、狐が化けた、という事がほぼ確定となる。その事を総合すると
「まさか……琴が……琴が、狐なのか……?」
「と……て……」
「外す、外すから……」
まさか、仇を討とうとしていたその相手が、自身最愛の嫁であるとは。全く予想していなかった展開に、浅沼は混乱を隠しきれない。そして、呪符を取ろうとしたその瞬間。
「狐ァ……! コルアアアアァア!!」
浅沼は狐の姿に戻り暴れ始めた琴に脇腹を噛み付かれた。ギリギリのところで呪符に手をかけていたため、倒れる時に呪符は外していた。
「こ……と……」
あっけなく、浅沼はドサッ、と音を立てて倒れた。そして琴は呪符が外れたことと、浅沼の一言で、正気に戻った。狐の姿から人間の姿になり、浅沼の元へ駆け寄る。
「貴方様……! 貴方様……!」
必死の呼びかけになんとか応えようとする浅沼。だが、うめき声のようなものが聞こえるだけで、何も伝えられない。
しかし、琴の健闘も虚しく、浅沼の息は止まった。愛する人、琴の膝の上で。
「ねえ、貴方様……。出会って結婚するまで私、本当は貴方を殺そうと思っていたの。だから、頑張ってお城で教育を受けてきたの」
琴は、語り始める。たった一人。もう目を覚ます事はない。たった一人、自身が恋をした相手に。
「でも、貴方様と結婚して、貴方様は私にとても優しくしてくれた。私がどこの者なのか、聞こうとはせずに私を認めてくれた。そんな人は貴方様だけでした。それだけの単純な事ですが、いつしか、貴方様を殺そうとは思わなくなりました」
隠していた思いを吐露していく。その目には涙が浮かんでいた。
「ですが、私の狐の部分は、それを許しはしませんでした。『この男を殺すために、この城まで入り込んだ。それを今更無視するとはどういう事なのか』、と」
「妖狐は魂を食すあやかし。だから、その中でも特に人の魂を好みます。それを絶っていたために私の狐としての部分が暴走しだして、城下の人たちを襲ってしまったのです」
「……言い訳ですよね。私もそう思います。来島様の病も、私が原因です」
そう言って自虐的に笑う。
「私は未来永劫許されはしないでしょう。ですから、貴方様に会えるとは思っていません。それでも、もう一度、会えるのならば。その時は、『人』として会いたいです」
そう言って、狐に変わると。
自らの腹を噛み切った。
終




