伍:そして少女は広野を目指す
その事実を知ってから少し後のこと。
由希はブリジッタと共に、町の聖堂に居るシャンタルを尋ねていた。
彼女は、ちょうど礼拝堂の清掃をしており、誰も居なくなった長椅子で休憩している所だった。
「え?オオナギの国に行くには、どうすれば良いか、ですか?」
そして、訪問するなり由希から向けられた問いに、シャンタルは不意を突かれた様な、困った表情を浮かべる。
「はい。私、どうしても、そこに行かなければならない理由が出来て……。それで!」
何処か思い詰めた、しかし、迷いの感じられない真っ直ぐな瞳で由希が見つめている。シャンタルはそれを受け止めながら、しかし、明確な方向性を示す言葉を返すことはなく。
「少し、落ち着きましょう。理由も聞かずに、向かわせるわけには参りませんから」
一度保留し、冷静になるよう誘導した。
由希も、そこでハッとした表所を浮かべると、気恥ずかしそうに頭を掻いて、自嘲気味に息を吐いた。
「ふぅ……。すみません。少々、頭に血が上ってしまって」
「珍しいですね。貴方がそこまで取り乱したようになるなんて。ブリジッタ、何があったのです?」
ここまで見せていた様子から、由希が、直ぐには落ち着かないだろうと判断したのか、シャンタルは彼女から、ブリジッタへと話を向ける。
「あ、はい。その、先程頂いた旅人新聞にユキさんの、行方不明になっているお父様と同じ名前の人物が、オオナギのブシドとして活躍しているという記事があって、それで」
ブリジッタが答えると、シャンタルは「まあ」と感嘆し、目を見開いた。
「なるほど。そう言う事だったのですね。それは心穏やかには居られませんよね……」
「すみません。どうしても確かめてみたくなったのです。私がこの世界に、父の大事にしていた剣を通して送られた理由を。そして、父と同じ名を持つ人物が、何故、同じ世界に存在しているのかを」
由希は腰の刀を鞘ごと引き抜き、その拵えを見据える。
太刀にしては持ちが軽い。手にしている時に体全体に力がみなぎる不思議な現象。そして今回の転移騒動。その謎が、どうしようもなく由希の感情を掻き立てていた。
「それは確かに、因果関係がありそうで気になりますよね。しかし……」
一方、その姿に頷きながらも、シャンタルは、別の事について意識が向いていた。
(ん?武器から感じていた力の気配が、最初の時に比べて増大している。まるで『神性を帯びている』ような?それに、ユキさんからも、何かの気配が……)
すると。
「義姉さん」
そのブリジッタの真剣な声で彼女の思考は中断され、意識を引き戻された。
「あ、はい。なんですか?」
我ながら間の抜けた声を出したものだと、シャンタルは思ったが、ブリジッタの次の言葉を聞き、別の意味で苦笑を浮かべることになった。
「私からもお願いします。どうか、ユキさんに教えてあげてください。行ったことの無い私では、教えられないのです」
「……ふぅ」
どうやら、シャンタルの「しかし」に続く文脈を否定的な方向で捉えたらしいブリジッタが、シャンタルに頭を下げたことに、彼女は軽くため息を吐いた。
「誰も教えないとは申しておりません。ただ、その道程は平易なものではありません。何より距離がありますし、旅費も相応に掛かりますから」
「そんなに、離れているのですか?」
同時にそう言い、ほぼ同時に目を丸くする由希とブリジッタ。
「ええ。馬に乗り、仮に不眠不休で走ったとしても、四日以上は掛かりますから。休息を考えればそれ以上の行程です。如何に遠いかが分かるでしょう?」
二人の反応に、シャンタルも苦笑する。
「馬で、不眠不休でも四日以上、ですか?通常の旅程を考えれば、その倍近くは掛かると考えておいた方が良さそうですね」
ブリジッタが、今まで自身の経験してきた旅の記憶を引っ張り出しつつ、苦笑を浮かべる。
「その辺りを解決できたなら、旅自体は、そう難しいものではありません。ただ、旅の経験の度合いによっては、苦労する場面もあるかと思います」
「まあユキさんは、経験はともかく知識はありますから、大丈夫だと思います。道具の用意は必要だと思いますが……」
シャンタル、ブリジッタの解説と自分に対する評価。今後に必要となるだろう事項の説明が行われる中、由希は静かに耳を傾け続ける。
「もしも向かわれるなら。道筋は、うちに地図がありますので、それを確認されてから、まずは大きな街に向かわれると宜しいでしょう」
そして、二人の話は、そう締め括られた。
「有難う御座います。何よりもまずは、旅費の確保と必要物の確保、ですね?よし、頑張らないと……」
「そうですね。ふふ……」
ぐっと気合をいれるような仕草を見せる由希を、シャンタルは静かに見守っている。
「一緒に頑張りましょう!ユキ」
一方で、ブリジッタはまるで我が事のように、由希の隣で気を張っており、シャンタルは、それもまた静かに、見守っていた。
それが、二週間ほど前の出来事。
ブリジッタやシャンタルの支援を受けつつ、積極的に近隣の町まで足を延ばし、依頼をこなし続けた由希は、予想よりも早くに旅費を稼ぎ出すことに成功。同時に、旅に出るための準備を進めていた。
「これでよし。外泊で使う用具一式も揃ったと……」
「いよいよですね」
諸々、旅に必要な道具の確認を行っていた由希の下に、ブリジッタが軽食を持って現れた。
「ああ、ブリジッタ。ええ。いよいよ、旅立ちの時が目前まで来た。酒場の親父さん、女将さん。アルベルト医師に挨拶も済ませたし、あとは、私の旅立ちで完了…いや、開始だ」
静かな意気込みと、決意を口調に込める由希。
そして腰に帯びた刀に手を触れ、まるで赤ん坊をあやすように撫でる。それは、ここ最近の彼女のクセで、戦いを終えるたびに、彼女はそうしていた。
ブリジッタは、軽食を乗せた盆をテーブルに置き、彼女に向き直る。
「君も、ここまで有難う。すっかり、私の我侭に付き合わせてしまった。君やシャンタルさんが居なかったら、私はここまで、上手くやれなかったと思う」
「そんな!むしろ私の方こそ!いえ、そんなことはどうでも良いのです。あの、ユキ?」
「何?」
「えっと」
目を泳がせながら俯き、もじもじと身動ぎし始めたブリジッタの様子に、由希は首を傾げた。そして十数秒後、何かを決意したように勢いよく顔を上げた彼女は。
「私も!その、私も、貴方の旅にお供させて下さい!お願いします!」
その勢いのまま、再び、深々と頭を下げた。
「えっ?」
「ついていきたいのです。貴方のために」
ブリジッタが、ゆっくりと頭を上げる。
「はっきり言って。まだ十分にお礼が出来ていませんし。それに……」
「それに?」
「ユキと一緒に居たいんです。私が、そうしたいんです」
真っ直ぐに由希を見つめるブリジッタの視線。決意が込められ、揺れることの無い瞳。
その意志の固いことが如実に表れていた。
すると、その時。
「連れて行ってあげてください」
ブリジッタの背後から、シャンタルが姿を現した。
「シャンタルさん?」
「義姉さん……」
その突然に現れた彼女と言葉に、二人が目を丸くする。
「確かに昔から能動的な子でしたが。巡礼者としての務め以外で、ここまで積極的に誰かに関わりたいと表明したことは、一度も無かったのです」
シャンタルは静かに語り、慈母の如き笑みで、ブリジッタを見やる。それはまるで、本当に血の繋がった家族のようで。
「これが私の我侭だという事も重々承知しています。ですが、どうか。ブリジッタを、義妹を、旅に同行させて欲しいのです。お願いします」
目の前で静かに頭を下げる彼女は、まるで我が子を送り出す母親のようで。
「……」
父子家庭で育った由希には、母親の事は分からない。しかし、シャンタルの見せたそれは、確かに母性を、家族性を感じさせ得るものだった。
ならば、と。彼女は心の内で意志を固める。
「分かりました。ブリジッタ」
「は、はい!」
突然名を呼び、真っ直ぐに見つめる由希の瞳に、ブリジッタは軽くたじろぐ。
「これからも、どうか宜しく」
「あ……。はい!」
しかし、由希の放った言葉に、一瞬で笑みを取り戻した彼女は、二人で手を取り合い、笑い合うのだった。
こうして、小野原由希と言う異世界人の、父を探す旅は始まった。
ここまでのお付き合い、有難う御座いました。これでシターリ編は、一先ずの終わりとなります。
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