肆:一つの終わり と 一つの始まり
依頼物を収集した由希たちは、法術効果の上書きを行った後は休憩以外の寄り道をせずに、真っ直ぐシターリの町へと戻った。
「お帰りなさい。御無事で何よりです」
「門の警備、お疲れさまです。こちらの確認をお願いします」
壁門前で警備担当と挨拶を交わし、二人の荷物に禁制品が無い事を確認してもらう。
「はい。大丈夫そうですね。では改めて、お疲れ様でした」
「有難う御座います。それではまた」
全ての確認が問題なく終わり、荷物の返却を受けた二人は、一礼した後で街の中へ。
そして、依頼の報告のために、その足でエルミーニ診療所へと向かった。
建物の前へと着いた二人は、休診中の札の掛かった扉を叩く。
すると、中で人が動く気配の後、板間を踏む足音が近づき、扉が開いた。
「おや、二人とも。早かったね。どうぞ、こちらへ」
扉の向こうから顔を出したアルベルト医師の案内に従い、二人は診療所奥にある応接間へと通された。そこで荷物の引き渡しを行い、依頼物の確認が行われる。
「うん。種類、数、採取方法も問題なし。完璧だよ、有難う。これ、調剤室にお願いね?」
「はい、先生」
そうして確認を終えたアルベルト医師は、纏めた薬草を、お茶を持ってきた女性看護師に渡した。
「ところで。道中、魔物とか大丈夫だったかい?」
皆が置かれたお茶を啜り、一服したことを確認してから、彼は話題を変えた。
「はい、その。道中は問題なかったのですが。採取地の現場でゴブリンに襲撃されまして。彼女が一足早く気が付いてくれたおかげで、奇襲されずに済みましたが……」
彼の質問に、ちらと由希へと視線を向けながら、ブリジッタが答える。
由希は、その視線に頷くと。
「周囲を注視していたことが功を奏しました。採取作業の途中で、妙な胸騒ぎがしたものですから」
ブリジッタの話を引き継ぐように、その時の様子を由希が語った。
「ふぅむ……」
アルベルト医師は、聞いた二人の話に小さく唸る。
「少々賢い個体が混ざっていた、と言う感じだね。以前の話では、ゴブリン達は徘徊していたらしいから、後で合流したんだろう。そいつらは、どうしたんだい?」
「はい。ユキさんが殆どを倒してくれました。もう凄かったんですよ?滑らかな足取りで近付いたかと思うと、頭部を一撃して昏倒させて!」
ブリジッタが興奮気味に話し始める。
由希は苦笑し、アルベルト医師も若干困ったような微笑を浮かべて見せた。
「ユキさんが四匹を打ち倒した段階で、恐れ戦きながら逃げていきましたよ」
「逃げた?」
「はい。それもう、武器を捨てて一目散に」
「なるほど。それは、本当に怖くて逃げたんだろうね。ユキさん、貴方に感じた貫禄に、見間違いは無かった、というところですかな。いや。若い女性に貫禄と言うのも失礼ですな」
そう言って、アルベルト医師は頭を掻いた。
由希は首を横に振ると、微笑を浮かべた。
「いいえ、大丈夫です。悪意の無い称賛の言葉だと分かりますし、それに、褒められて悪い気は致しません」
「それなら良かった。いやぁ、よく妻に『貴方は言葉遣いがなっていない』と怒られるものですから」
彼がそう言って苦笑し、その後に大きな声で笑う様子を見ながら、由紀たちもまた苦笑を浮かべるのだった。
こうして、由希は異世界に転移した初日を無事に乗り切り、依頼を請けて仕事をし、それを達成までするという濃密な経験を経た。
その翌日以後も、彼女はブリジッタと共に幾つも町の住民の頼み事を引き受けながら、自分の修めてきた鍛錬の経験や、自分を異世界へと導いた刀の力を試していく。
風変わりな新天地で生活していく中で、次第に町の住民たちにも顔と名が知られていく。気が付けば、大きく違う環境の中でも、以前の生活と同じように、平穏な日常と言うものを享受し始めていた。
そうして、転移から二週間の時が過ぎた。
その日。ブリジッタは聖堂でのお務めを終えた後、町の空き地で、日課の鍛錬をこなしていた由希の下へと赴いていた。
現場を訪れ、見渡してみると、由希は、そこを遊び場にしている子ども達の邪魔にならないようにと考え、空き地の端で木刀を振るっていた。
「お早うございます。ユキ。今日も精が出ますね」
「ふぅ……。お疲れ様、ブリジッタ。お務めはもう良いのかい?」
木刀を振り抜き、正眼の構えに戻した後で、由希はブリジッタの声に応えた。
「はい。いつもと同じように繰り返すだけですので、そう難しくはないのです。それはそうと!今日は珍しい物が手に入ったのです!」
「……珍しい物?」
落ち着いた聖女然とした口調から、一瞬で、子ども染みた無邪気な興奮が溢れ出す彼女の様子に、由希は微笑を浮かべながら応じる。
「これです!」
そう言って、ブリジッタは抱えたバスケットから一巻きの紙筒を取り出して見せる。表面には整然とした文字が並んでおり、一部には挿絵も入っているように見える。
「それは?」
由希が尋ねると、ブリジッタは目を輝かせて紙筒を解き、自慢げに広げて見せた。
「旅人新聞です!この国の首都で発行される情報紙で、定期的に国で起きた出来事や、近隣諸国で起きた出来事を紹介してくれる物なのです!」
「新聞……?」
鼻息荒く説明するブリジッタを余所に、由希はその『旅人新聞』の内容へと目を向けた。
「ふむ」
それは文化の違いや世界の違いを除けば、概ね、由希の知っている新聞と大差ないもののように見える。
そして、今、彼女が広げているページは、その記載方式から他国の記事が載っているページのようで、内容を見ていくと、どうやら今を時めく情報を特集しているようだった。
「届くまでに時間が掛かるものですが、辺境に居ながら首都の情報が手に入るので、みんな重宝しているのです。休憩ついでに、一緒に読みませんか?」
新聞を閉じ、次いでバスケットから飲み物の入った瓶を二つ、取り出して示す。
「そうだね。そうしようか」
由希は鍛錬用具を片付けると、ブリジッタを連れて、座るにちょうど良い場所へと向かうのだった。
新聞を広げ、飲み物の栓を開け、休憩の体勢へと入る。
ページを捲る音が、遠い人の声と共に耳に届く。
「王立大図書館、建て替えするんですねー。あ、学術書から小説まで取り揃えていることで知られる、知識収蔵型の図書館で……」
内容に目を通すうちに、自然と浮上してくる由希の不明点には、ブリジッタが説明を加えることで解決していく。
そして。
「ここからは、最近の特集ですね。今回は人物の情報みたいです」
「本当に、色々な情報が載ってるんだね。見ていて飽きないよ」
「でしょう?私、毎回これが楽しみで仕方ないんです。えっと……」
ページを捲り、内容へと目を通す。
内容としては、今の国、恐らくは王国で活躍する人物を中心に、近隣の国で活躍する有名人を、その逸話と共に紹介すると言うもののようだった。
(うん?)
その内容を目で追う内に、由希は、記事の一つに目を留めた。
そこには、シャンタルの言葉からも出てきた『オオナギ』と呼ばれる国の人物が記載されており、ブシドと呼ばれる戦士たちを特集したものだった。
「こ、これは……! ?」
彼女は、その記事の中に現れた一人の人物の表記に目を見開く。
「ユキ?どうかしたのですか?」
珍しく積極的に、しかも心底驚愕したような声を上げた由希に、ブリジッタも別の驚きを見せた。
「……」
由希は、ただ一点を凝視しており、見れば、そこには一人のブシドの男の記事が載っている。
その人物は、長年に渡ってオオナギの国で活躍している強大なブシドで、しかし、ある大きな戦いの後、十数年ほど行方知れずになっていたらしいと言うことが書かれていた。
「オノハラ・ユキズミ、ですか?この人が何か……ん?オノハラ?」
その名前を口に出して読み上げた時、ブリジッタは、ある違和感に気が付く。
思い出すのは、由希と初めて出会った時のこと。その自己紹介の言葉。
「ええ。オノハラ・ユキズミ……」
由希は体を離し、大きく息を吐くと、空を見上げる。
「小野原幸寿……。私の父の名前と、全く同じものだ」
そして、複雑に絡み合った感情を吐き出すように、そう口にするのだった。