壱:森を抜けて町へ
そこから二人で、森を貫くように伸びる街道を歩き、その間に互いの情報を交換する。
もちろん、由希本人に不足している知識を得る目的で振った話題だが、それ以上に、由希が、どのような経緯であの場所に居合わせることになったかの説明を行う必要があった。
「え?つまりユキさんは、その……カタナと言う剣のせいで、違う世界から飛ばされてきたと言う事ですか! ?」
当然ながら、説明を受けたブリジッタは心底驚いていた。
「ええ。信じられないでしょう?自分でもびっくりしましたが……」
予想通りの反応を示した彼女に、ユキは苦笑を浮かべたが。
「……いいえ、ユキさん。私は信じますよ」
しかし、彼女は驚きこそしたものの、由希の言葉に疑問を投げることはなかった。
唐突にそのような世迷言を言われても、普通なら目を点にされるか、正気を疑われるだけだろうと考えていたので、今度は由紀の方が驚きを表す番だった。
「この世界には、星霊を召喚する術もありますからね。それに、過去にも別世界の人間が召喚されたことが有るという噂も、聞いたことがありますから」
「そう言う事が……」
「もう、十年以上も昔の話ですけどね。まあ、それはそれとしまして……」
「うん?」
ブリジッタが沈黙したことで会話が途切れ、由希が首を傾げていると。
「ユキさん!」
突然、ブリジッタは真っ直ぐに由希へと向き直り。
「は、はい!」
気合の入った声に、思わず由希が気を付けの姿勢を取ると。
「先ほどは、本当に有難う御座いました!」
ブリジッタは思い切り深く頭を下げ、勢いそのままに感謝を述べた。
「えっと。ゴブリンワンダラー……を、退けた事でしたら、気にしないでください。私が勝手にしたことですし、人として当然の事を、したまでで……」
「いいえ。お礼を言わせてください」
謙遜した由希に対し、毅然とした声と共に顔を上げたブリジッタだったが、その瞳は揺れており、その端には微かに涙が浮かんでいた。
由希は、彼女のそれに驚いたが、何も言わずに続きを待った。
「もしも、貴方が助けに来てくれなければ、私は今頃どうなっていたか……。貴方の判断、心持ちに感謝を。貴方も、混乱の最中だったでしょうに」
話を続けた彼女の声は、小刻みに震えていた。
それは、ここまで忘れようとしていた恐怖によるものか、思い出した安堵によるものか、あるいは両方か。その真相は分からなかったが。
「……」
由希は、ただそっと、ブリジッタにハンカチを差し出す。
「ふ、う……。すみません」
それを受け取って、ブリジッタは、少しずつ濡れ始めた目元を押さえた。
その様子を、由希は静かに微笑みながら見守る。
「ん。近くに川がありますね。そこで少し休憩していきましょうか。ここまで歩き通しでしたから」
そして、近くに沢の流れの音を聞き、ブリジッタを促して向かうのだった。
しばしの休息の後。
気持ちを落ち着けた二人は、力強く歩き続け、森を抜けていた。
「やっと抜けましたね。あの丘を越えれば、目的の街が見えてくるはずです」
ようやくたどり着いた開けた景色に、ブリジッタが先を急ぐように声を弾ませる。
道に沿って見やると、丘の向こう側から風が吹き降ろしてきた。
「うん?この香り……。パン?」
その時の風と一緒に訪れた、嗅ぎ慣れた空気の匂いに、由希が小首を傾げる。
「はい!この先にある町「シターリ」は、麦の名産地ですから。質の良い小麦粉やパンも、沢山ありますよ」
「そうなんですね」
意気揚々と歩くブリジッタの背を追いながら、由希は、ひっそりと安堵の溜め息を吐いていた。
(衣服や住居はともかく。食事事情が近しい感じで、本当に良かった……)
心の中で、そう呟きながら。
すると。
「ああ、そうでした。忘れるところでした」
「?」
唐突に足を止め、由希の方へと振り向いたブリジッタは、背負っていた荷物鞄を地面に置いた。そのまま蓋を開いて中を探ると、よしと頷いた。
「その格好ですと、どうしても人の目につきますから、宜しければ、こちらの羽織式ローブを使ってください」
そして中から一着のローブを取り出し、差し出した。
「これは?」
由希が受け取って広げると、こなれた感じの布地に、何かの紋様のような柄が見事に刺繍されていることが分かる。
「それは、法の神「グノシース・ノウモス」を信仰する人々が纏う外套です。旅をされる方も、よく身に着けておられますから。怪しまれないと思います。言葉は、法術で補いますし」
首を傾げつつも、しっかりと羽織った由希に向け、ブリジッタは笑った。
「それは助かりますね。本当に、有難う御座います」
自分の全身を、刀も含めて優しく包んだローブの肌触りに微笑みながら、由希は、自分は本当に運が良かったんだなと、実感するのだった。
シターリの町に着いた二人は、壁門で警備担当の人物に許可を貰ってから中へと入った。
「それにしても助かりました。本当に苦労せずに入れましたし」
「いえいえ。これくらい、命を助けて頂いたことに比べれば」
恐縮する由希に、ブリジッタは優しく微笑む。
「さてと。まずは町の聖堂を目指しましょう。私の到着報告のついでに、司祭様に、ユキさんの事も相談できそうですから」
そして、彼女の提案に従って、ブリジッタの言うところの法の神、グノシース・ノウモスを奉じる聖堂へと向かう事になった。
シターリの町は、規模は小さいながらも活気に溢れた、平穏な時の流れる場所のようだった。
由希は、そんな町の様子に、よく物語などに登場する西欧の地方都市が、このような雰囲気だろうかと歩きながら考えて、同時に、本当に自分は今、違う世界に居るのだという認識を新たにした。
「ようこそ、歓迎しますよ。巡礼者ブリジッタ」
町の中を歩き、そして、ひと際大きな白壁の建物へと入った二人を、祈りの壇上から、一人の女性司祭が迎えた。
「ご無沙汰しています。ねえ……司祭シャンタル様」
ブリジッタは、歓迎の言葉を厳かな雰囲気で伝える司祭シャンタルに、畏まった調子で礼を捧げる。由希もまた、見様見真似ではあったが、ブリジッタがしているような、礼を捧げる仕草をしていた。
「ところでブリジッタ。そちらの女性はどなたでしょうか?見たところ、オオナギの民の相が見えますが……」
シャンタルの視線が、ブリジッタの左後ろで礼を捧げていた由希へと向けられる。
「あ、この方は、怪しい方ではありません!それだけは神に誓って。それで、ですね……?」
ブリジッタは、由希の身の潔白さは即座に肯定したものの、その素性については、どう説明したものだろうかと言いよどむ。
「彼女はユキと言う名前で、その……」
「有難う、ブリジッタさん。ここからは、私が自分で……」
どう言おうかと迷いに迷っていた彼女の言葉を制したのは、他ならぬ由希本人だった。
彼女は礼の姿勢を解き、立ち上がると。
「まず。よく知りもせず、見様見真似で礼を捧げるなど、貴方がたの信仰を侮辱しかねない行為をしたこと、謝罪します、司祭様」
そして立ち上がるなり、謝罪の言葉と共に頭を下げて謝意を示した。
「そのうえで、これからの私の話を、聞いてくださいますか?」
「もちろんです」
頭を上げた由希に向け、シャンタルは慈母のように微笑むと、由希に話の続きを促した。
「有難う御座います。まず私についてですが。信じられないかと思いますが、この世界の住人ではありません。異界から飛ばされた人間なのです……」
「異界から?それは召喚されて、という事ではなく?」
「そこまでは、よく分かりません。このかた……剣を抜いた次の瞬間には、この町の外れにある、森の中に立っておりました」
そう言うと、由希は、腰に帯びていた刀を取り出して示す。
するとシャンタルは、その刀を見た瞬間に大きく目を見開いた。
「その剣は……。オオナギの地にて、ブシドと呼ばれる戦士が使う武器ですね。ああ、なるほど。先ほどから感じていた不思議な力の気配は、それが原因だったのですね」
そのまま目を閉じたシャンタルは「ふぅむ」と息を吐いて小さく唸った。
「納得は、して頂けないかと思いますが……」
その反応に、由希が諦めかけた時だった。
「いいえ、信じましょう」
あっさりと、シャンタルは話を受け入れる意思を示したのである。
「え?」
それには、ブリジッタも驚いていたが、シャンタルは微笑みを浮かべている。
「確かに、腑に落ちない点はありますが、貴方がこの世界の住人ではないという事については、納得できました」
「それはまた、どうしてです?」
由希が尋ねると、シャンタルはくすりと笑った。
「オオナギの民は誰であれ、私たちのような女性司祭の事を『司祭』とは呼びません。どのような場であれ、常に『カナギ』と呼びますからね。男性のことは『グジ』と呼んでいますから、なお分かりやすいでしょう」
「……なるほど」
それは簡単な話だった。
本当に現地の事を何も知らないのなら、各地の住民がどのように言葉を使うかなど、分かるはずが無い。それ故に、それは由希がこの世界の住人ではないという、何よりの証明になるとも言えた。
「それに、それ以外にオオナギの民のような方が住んでいたとしても。わざわざこのような辺境にまで、足を運ぶ理由がありませんからね。それはそれとして。ブリジッタ」
「は、はい!」
次に、シャンタルはブリジッタへと話を向けた。
その際、さっきまで浮かべていた微笑みは消え、厳格な聖職者としての表情に戻っており、それを見たブリジッタも身を引き締めて、それに対した。
「彼女の事情は分かりましたが、先程、貴方はユキさんが怪しい者ではないと神に誓いまで立てましたね。その理由を聞いていませんでした。当然、話してもらえますね?」
「……はい」
シャンタルの問いかけに、ブリジッタは大きく息を吸い込んだ後、毅然とした面持ちを浮かべた。
「彼女は……。ゴブリンワンダラーに追われていた見ず知らずの私を、その身を顧みず助けて下さったのです。まだ、こちらに来て間もないだろう時に、です」
そして、由希の顔を嬉しそうに見やった。
「そのような方が、悪意を持った人間とは、私には思えなかったのです」
「なるほど」
彼女が浮かべる笑顔を見たシャンタルは、ふっと表情を崩すと、壇上を降りて有希の前へと立った。
「ユキさん。私からも感謝を。ブリジッタを、私の義妹を護って下さり、有難う御座いました。姉として、お礼を言わせてください」
「え?」
その情報には、思わず由希も目を見開く。
「それと。しばらくは、こちらに慣れるのも時間が掛かるでしょうから。仮の住まいとして、私達の家を使って頂きたいと思うのですが、如何でしょうか?」
「それは、願っても無い事ですけど……」
思いもよらない提案だった。
しかし、ここまでトントン拍子で事が運ぶと、人と言うものは即断を下すことが難しくなるもので、由希は返答に詰まってしまった。
だが、一度動き出した物事と言うものは、時に、誰に関係もなく進んでいくものでもあった。
「ブリジッタも、それで良いですか?恐らく貴方の事ですから、この後どうするか、相談するつもりでいたのでしょう?」
「はい。その、実は……。でも。そう言う事なら是非!私も色々と落ち着ける場所で、お話したいです!」
シャンタルの提案に、ブリジッタも賛同して満面の笑顔を浮かべている。
「……」
その様子を見て、由希の心から迷いの一切が消えた。
「では、お言葉に甘えて。厄介になりたいと思います。宜しくお願いします」
そして、向けられた厚意をしっかりと受けることに決め、深々と頭を下げるのだった。