序ノ口:由希の日常と全ての始まり
由希の父親が事故で行方不明になってから、はや三ケ月が過ぎようとしていた。
それは大変なことではあったが、それでも時間は流れていく。学生なら普段通りに学校へと通うし、仕事があるのなら仕事に向かうことだろう。
由希もまた、普段通りに高校に通っている。
幸いにして由希は、父親の行方不明の後、すぐに祖父母の家に引き取られたこともあり、慎ましくも不自由のない暮らしを送っていた。
日常にも特に問題はなく、学校生活も、助っ人として所属している剣道部での活動も、順調そのものだった。
「小野原さん、根詰めて疲れてない?大丈夫?」
「由希!今度、うちに泊まりに来ない?ご飯とか御馳走するし」
友人たちは、彼女の心情を考えてか、今まで以上に親身になって接してくれていた。
由希は、最初は、迷惑をかけるかもしれないと遠慮していたが、今は時たま、言葉に甘えさせてもらっていた。
学校から帰れば、日頃から父親と共に行っていた、護身術代わりの剣術や体術の鍛錬を日課として、欠かさずに行う。
普通とはズレているのかもしれないが、彼女にとっては充実した日々。
「由希ちゃん。たまには武術の稽古、休んでも良いのよ?疲れるでしょう?」
「うむ。幸寿のこともあるだろうが、由希まで体を壊したら……」
だが、そんな彼女の変わらない根気や律義さを、寂しさの誤魔化しではないかと祖父母に心配させてしまっていることに申し訳なさを覚えてもいた。
寂しくないわけではない。悲しくないわけでもない。
しかし、仕事で方々に出張することも多かった父親だったために、何処かで覚悟していたことでもあった。
(本当に、何でこうなったんだか……)
祖父母の道場で、日課としている鍛錬を終えた後、着替えを済ませた彼女は独り、道場奥に飾られている武具を前に立っていた。
胸に飾っているロケットペンダントを拳に握り込み、彼女は目を閉じる。
目蓋に浮かぶのは、そのロケットの中にも収められている、父親の居た風景だ。
(父さん。今、何処に居るの?私はここに居るよ?)
それを封印するように目を開け、再び目の前にある刀を見据える。
紫色の拵えに黒鞘が鈍く煌めくそれは、いつ頃か、父親が何処からか手に入れてきた代物で、常に道場奥の神棚に、丁寧に保管されていた。
加えて、何やら神仏に曰くのあるものらしく、基本的には父親以外の誰も、それを触ることはなかった。
(そう言えば、この刀。父さんがいる内に抜けなかったなぁ。前は触っただけだったし。今はどうだろう。抜けるんだろうか?)
そっと手に取り、柄に手を掛ける。艶やな鞘を握る手にも力を込め、鍔に指を当てる。
「……」
そして力を入れると、鯉口が。
「あっ……!」
その手によって見事に切られた。
「刀が抜けて……え?」
しかし、涼やかな音が響いた、その次の瞬間。
彼女の目の前から闇が広がり、そのまま意識までも包み込んでしまうのだった。