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80話 サンダーグリスリーアンデット

 あまりにもその攻撃が強かったせいか、叩きつけられた地面が深く陥没した。



「ギャルルルルルアアアアアアアアアア!!」



 アンデット化したサンダーグリスリー、サンダーグリスリーアンデットが濁った雄叫びを上げる。

 その声は死の直前に受けた全ての恨み辛みが込められており、耳にした生きる者の背筋に言いようのない不気味な悪寒を走らせた。


 アンデットの咆哮には生者に対して絶望と恐怖を与える効果が僅かにある。

 しかし例え僅かであってもアンデット化したサンダーグリスリーの強さはランクSの魔物に迫る程だ。

 そのためその怨嗟の叫びを背中で間近に受け止めたカズトは、精神面をあまり鍛えてこなかったばかりに、すぐさま恐怖に飲み込まれた。

 彼の呼吸が途端に荒くなり、顎や唇がまるで人間の物ではないと思えるほど激しく震える。

 そのおかげか声も全くでないようだ。

 だがそれでも彼は逃走本能が激しく鳴らした警鐘に強引に従った。


 リディアに覆い被さっていた状態から彼女の腕を取ってすぐさま立ち上がり、そこから離れる。

 するとその直後、再び地を揺るがす轟音が辺りに響いた。

 サンダーグリスリーアンデットが凄まじい勢いで地面を叩いたのだ。

 全身から冷や汗を流しながらそれを見たカズトは、半ばパニックになりながら大通りを北西に向かって走る。

 そしてある程度離れたところで堰を切ったように口を開いた。



「なにあれなにあれなにあれ!? なんでまだ生きてんの!? どういうこと!? さっき死んだじゃん!」

「たしかにさっきまで死んでた。だからあれはアンデット化したサンダーグリスリー」

「はあ!? なんでこんな短時間でアンデット化するのさ!? アンデット化するのって時間がかかるはずでしょ!?」

「時間はかかるけど、それは生前の怨みや苦しみの強さとかで変わってくる。多分私達がサンダーグリスリーの動きを止めてジワジワとダメージを与えていったのが原因で、私たちのことを相当怨んで苦しんだんだと思う」

「なにそれ! おかしいでしょ! なんでよりにもよってサンダーグリスリーがアンデット化するんだよ! いや言ってる意味は分かるけどこれは本当に洒落にならなうわぁ!?」



 その瞬間、リディアがとっさにカズトの腕を引いた。

 同時にカズトがいた場所に巨大な熊の手が叩きつけられ、地面が大きく陥没する。

 轟音が鼓膜を打ち、僅かな衝撃波が二人の体を揺さぶった。

 それだけでなく小石や土、さらには石畳の鋭い破片までもが二人の背中に勢いよく当たった。

 だがそれだけでは終わらない。

 サンダーグリスリーアンデットはなおもしつこくカズトとリディアに向かって、繰り返し繰り返し巨大な手のひらを叩きつける。

 それによって地面が何度も暴力的に揺さぶられ、周りの家々が崩れ出す。

 それはさながら地震のようで、当初とは違いリディアに手を引かれながら走っているカズトは周りの様子を見て戦慄した。



「ごめん」

「うえ!?」



 するとリディアは二本の槍を亜空の腕輪に収納し、カズトの体を米俵を担ぐようにヒョイと肩に乗せた。

 そして疾駆の革靴に魔力を注ぎ込む。

 すると先程までとは段互いの速さで風のように駆け出した。



「ギャルルルルルァ!!」



 再びサンダーグリスリーアンデットがカズトとリディアに向けて咆哮する。

 すると精神が強いリディアはなんとも無かったようだが、そのあたりが未熟なカズトはさらに恐怖に呑まれた。

 彼の心臓の鼓動が走っていた事で速くなっていたにも関わらず、さらに速くなる。

 歯の根が合わずカチカチと鳴り、無意識に顎に力を入れて口の中を噛み締める。

 さらには彼の全身からおびただしい量の汗が噴き出てきた。

 そうした異常をきたしながらも、それでもカズトは頭の中に残った僅かな冷静さに従い、サンダーグリスリーアンデットの動きを分析しようとする。


 対してそのサンダーグリスリーアンデットは、彼らを逃がさないとばかりに口を開け、叫び、涎と血と恐怖を辺りに撒き散らしながら四足でその後を追う。

 その速さは全身に刻まれた傷など無かった生前の時と一緒、いやそれ以上に速い。

 それもそのはず。サンダーグリスリーアンデットは既に死んでいるため、死ぬ危険を回避するための役割を持つ痛みという電気信号が発生しないのである。

 そのため全身の傷はあってないようなものであり、ランクAだった力を十全に生かして走ることができるのである。

 いやそれだけではない。痛みが無いことによって普段セーブされている力のリミッターが外され、常に火事場の馬鹿力状態を維持できているのだ。

 そのためその運動性能は当初のランクAという枠組みを超え、ランクSにも届きうるものになっている。


 そしてサンダーグリスリーアンデットの動きを分析していたカズトは、その事に気がついた。



「リ、リディアさん! 早いよ! このままじゃ追いつかれる!」

「分かった」



 間抜けにも女性に担がれながらカズトは半ば叫ぶようにリディアにそう報告した。

 それを受けてリディアはさらに靴に魔力を注ぎ速度を上げる。

 だがそれでもまだサンダーグリスリーアンデットの方が早い。

 するとリディアが走りながらにも関わらず、カズトに声をかけた。



「どうする? カルロス達からサンダーグリスリーの注意を引く役目は十分にこなした。だから後はあのアンデットを倒すか逃げ切るか」

「に、逃げ切る事ってできるの!?」

「私だけじゃ無理。カズト君が魔法で何かしてくれればなんとか」

「全力で逃げよう!」

「わかった」



 カズトはリディアの言葉に即決し、サンダーグリスリーアンデットに顔を向ける。

 そして繰り返し指を鳴らして次から次へと魔法を放った。

 砂鉄でサンダーグリスリーアンデットの視界を奪い、次に地面の摩擦力を激減させ、そして垂直抗力を無くす。

 それらの魔法はサンダーグリスリーの障害となるようにタイミングをずらして発動させる。

 それと同時にリディアが疾駆の革靴にさらに魔力を注ぎ込み、速度を上げた。

 しかし。



「ギャルルルルルアアアアアアアアアア!!」

「っ!? 嘘でしょ! 足止めが通用しない! どんどんこっちに向かってきてる!」



 サンダーグリスリーアンデットはカズトの魔法を受けながらも猛然と突き進んでいる。

 眼球に入った砂鉄は痛みがないため無視し、摩擦力が激減していることによって滑る地面は爪を立てて滑らないようにする。

 そして垂直抗力がない事によって豆腐のように脆く崩れる地面に対しては驚くような攻略法を実践していた。

 なんと器用にも爪を立てながら走っているのである。

 それによって飛び散った小石がその脆い地面の上に着地したと同時に沈み込んでいくのだ。

 それを見てサンダーグリスリーアンデットは豆腐のようになっている地面を見極め、避けて走っているのである。

 しかしそれでいて走るスピードが生前の万全の状態よりも遥かに速いのだから、今のサンダーグリスリーアンデットがどれだけの脅威なのか分かるというものだ。



(だけどそんなあいつでも何か弱点はあるはずだ。考えろ、観察しろ、試行しろ!)



 カズトは目を血走らせながら考えを巡らせ、次々と魔法を発動させた。


 石畳を変形させて即席の壁を作る。


 しかし真っ正面から力ずくで破られる。


 落とし穴を作る。


 だが小石が地面に当たる音の僅かな違いでバレて避けられる。


 高熱圧縮空気弾の威力を限界まで高めて牽制する。


 怯むことなく突っ込んでくる。


 魔人の攻撃を思い出し、横方向の火柱を放つ。


 軽々と避けられる。



 カズトは考えられる限りのありとあらゆるパターンの攻撃や絡め手を使う。

 それも工夫して上から、下から、正面から、死覚から、といったように様々な角度から魔法を放つ。

 だがサンダーグリスリーアンデットは一切スピードを緩めることなくそれらを全て躱し、または力ずくで突破して走ってくる。


 そうして彼我の距離がどんどんと食い尽くされていくと、それに比例するようにカズトの中で絶望が広がり始めた。



(速い、速すぎる……。全ての魔法が躱されるなんて……。こんなの、勝てるわけがない……)



「ギャルルルルルアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!」



 サンダーグリスリーアンデットが前を走るカズト達に向かって怒り混じりで咆哮する。

 そこには当然死ぬ直前に溜め込んだ膨大な恨み辛みも含まれている。

 その負の感情を存分に含んだ咆哮を受けてカズトの精神はますます弱々しくなっていき、徐々に魔法を放つ回数が減っていく。

 


(もうだめだ……。じきに追いつかれて殺させる……。もう、お終い……。ここで、お終いなのか…………)



「カズト君」



 そこでリディアが声をかけた。

 だがもはや絶望の淵に突き落とされているカズトは、彼女の顔を見ずに耳だけ傾ける。



「一つ考えがある。このアンデットを連れてマシンガンビートルの下に向かうのはどう? そこでアンデットの標的を上手くマシンガンビートルに擦り付けれれば逃げ切れる」

「……そこまで逃げ切れないよ」



 ポツリと呟くようにカズトは弱々しく言葉を発した。

 その声を聴けば誰もが今どれだけ彼が絶望しており、精神的にまいっているのかを明確に感じ取ることができる。

 そのためリディアは彼のその心境をしっかりと感じ取った。


 リディアはなんとか彼の気持ちを持ち直させようとするが、彼女もまた魔力と体力を消費しながら走り続けているため余裕があるわけではない。

 そのためカズトの言葉に返事をせず端的に、そして早口で言葉を発した。



「カズト君、あなたは凄い。それは死の淵から引き戻してくれた私が一番分かってる。だから断言する。あなたがいればこの状況から逃げ切れる。ううん。あのアンデットを倒すことだってできる」

「……それは買い被りすぎだよ」

「そんなことない。あなたは頭がよくて、魔法の腕もいい。現にマーレジャイアントとサンダーグリスリーを倒してみせた。なら今回も同じようにやれる」

「……あれは、リディアさんもいたからできたんだよ」

「そう言ってくれるのは嬉しい。でも違う。どちらもカズト君なら一人で倒せた。あなたにはそれだけの力がある。それに……」



 リディアはそこで一旦言葉を止め、そして再び口を開いた。



「あなたは、私の願いは生きていればこれから先いくらでも叶えられると言った。だから私はこうして諦めずに頑張ってる。なのにあなたは? あなたに対する私の恥ずかしい気持ちを、願いを聞いて、それを叶えさせずに先に死ぬの? それはあまりにも残酷な仕打ち。そんなことしてほしくない」



 リディアの願い。

 それは彼女がマーレジャイアントに握り潰されて瀕死の重傷を負った際、死ぬ前の最後の願いとしてカズトに言った事だ。

 それは当然カズトも覚えている。

 なにせ女性からそんなことを言われたのは初めてだったのだから。

 だがそんな彼女の言葉でもカズトの心は動かなかった。



「たしかに、そう言ったよ。あの時は純粋にリディアさんに死んでほしくなくて、生きる気力を持ってもらうために言ったんだ。だけど、今はあの時と状況が全く違う。何をやってもダメなんだ。どれだけ色んな種類の魔法を撃っても、いくら死角を突いて攻撃しても、全て避けられてしまうんだ……」

「…………」



 カズトは変わらず弱々しくそう言葉を紡ぐ。

 それに対してリディアはこれ以上カズトの気を立て直すための言葉が出ないのか、黙ってしまった。

 そして僅かに眉を顰める。

 おそらく頭の中でカズトを元に戻す力がある言葉を探しているのだろう。

 だが考えている時間などない。



「ギャルルルルルアアアアアアアアアア!!」



 常識外の巨体が走る事による地響きと、負の感情を伴った咆哮が徐々に彼女達に近づいてくるのがそちらを見なくても分かるのだ。

 だがリディアはそんな状況でも焦った素振りを少しもせずに眉を顰めていた。

 しかし魔力と体力を勢いよく消費しながら頭を使っているためか、言葉が思い浮かばないようだ。

 少しすると彼女は何かに逡巡するような顔をし、やがて何かを決意した表情をした。



「カズト君、舌を噛まないように口を閉じてて」

「……ぇ?」



 カズトが返事をしたかしてないかという瞬間、リディアは全力で上に飛び上がる。

 そして大通りの横に並んでいる建物の内の一つに着地した。

 そしてリディアは大通りから離れるように屋根づたいに走り、サンダーグリスリーアンデットの視界からなんとか逃れようとする。

 しかしサンダーグリスリーアンデットにとってはリディア達が屋根の上に行こうと関係無い。

 その巨体と脅威のパワーを十全に発揮し、建物に突進して突き破りながら彼らを追い駆ける。

 あらゆる店や家々をまるで脆い玩具のように壊していく様を見て、カズトは顔をひきつらせた。

 だが次の瞬間、カズトの視界から突如サンダーグリスリーアンデットの姿がフッと消え失せた。

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