伝説のヤクザ
突っ走る電車の車内、金髪の男が後輩らしき男の顔を見つめていた。
「うーん。サトルは、ガキっぽくていけねーんだな」
神妙そうに腕を組み投げかける金髪。
「そうなんすよ玉木先輩。昔っから童顔が災いして、他の奴らにもナメられんすよ」
サトルと覚しき男が答えた。
一瞬の沈黙。ガタゴトと揺れる車内、揺らめく太陽の陽射しが二人を小刻みに照らし出す。
「ボーズだな、誰かハサミ」
すかさず後方に手を差し出す玉木。
玉木はひょろっとした痩せ形の優男だ。パーマがかった長めの金髪で、詰め襟を腕も通さず羽織っている。軽薄そうな口元だが、それはご愛敬だろう。
「ほらよ。ノリとか付いて切れるか分かんねーけどな」
それに反応して、傍らの男がハサミを差し出す。それは刃渡り二十センチはあろう大型のハサミ。いわゆる裁ち切り鋏。……何故そんなものを所有しているのかが疑問だ。
「ノリはノリでも、血のりじゃねーだろな」
しかし玉木は気にも留めない。飄々《ひょうひょう》とすかした笑いを繰り出すだけだ。
「玉木先輩は他人の髪を切った経験はあるんすか?」
それでサトルの笑顔が硬直する。ごくりと唾を飲み込む。
サトルはまだ幼さの残る少年だ。フサフサと柔らかさの残る黒髪にブレザーをビシッと着込み、あどけない爽やかな感じがにじみ出ている。
そんな馬鹿らしいことを訊くなよ、とばかりに玉木は鼻を鳴らして髪を掻き上げる。
「ある訳ねーじゃん。そんなのあったら美容院に就職するし。第一、ハサミってのはただの武器じゃんよ」
あり得ない台詞だ。つまり彼はド素人。サトルの額にハサミをあてがい、躊躇いなく切り始める。
「……納得っす」
サトルの背中を冷たい汗が滴った。ガクガクと震える身体を必死に抑える。
その様子をジャージが唖然と見据えている。
「……あいつ、センスゼロっすわ。肉を切らねーのが不思議ですね」
車内にはジャキジャキという軽やかなハサミ音が響いている。そして床に飛散するのは、切り落とされた髪の毛。
「……俺に関わるな。面倒だ」
しかしパンチは完全にシカト状態だ。瞼を閉じて狸寝入りしたまま。
「兄貴、降りる駅とっくに過ぎてんすよ? ……俺らどこまで?」
「たまにはいいだろ。昨今、ぶらり散歩が密かなブームだ」
そうしている間にも玉木は悠々とサトルの散髪を進めている。
「どうよこの軽やかなるステップは?」
まるでピアノでもひくような軽快な手捌きだ。煙草を口にくわえて、火をつけるほどの余裕を見せる。
「それじゃ単なる虎刈りじゃねーか」
「はぁ?」
しかしその葛城の一言でピクリと身を止めた。
それは誰の眼から見ても明らかだった。サトルの頭はデコボコで先程までの爽やかさは窺えない。それどころか切れが悪くて、所々むしり取られて、かすかに血が滲んでいる。
「虎刈りかぁー、カッコいいよな虎ってネーミング。強そうじゃん」
しかし玉木は一向に気負う様子はない。悲しげに肩を落とすサトルなど完全に無視だ。
「サトル、おめーはそれで満足なのか?」
口に煙草をくわえて神妙に言い放つ葛城。
「か、葛城先輩……」
それを捨てられた仔犬のように、上目遣いで見つめるサトル。藁にもすがる思いとは、まさにこのこと。
「なによ誠? ……さっきからグダグダ言って、俺の仕事に難癖付ける気かよ?」
一方の玉木は怪訝そうな表情だ。口をとがらせガンくれる。
「玉木先輩、葛城先輩は難癖付ける気で言った訳じゃなくて。……葛城先輩もいいんすよ、ボクは気にしてませんから」
「そんなのが仕事だって? おめぇは相変わらず、詰めがあめーな」
「あんだと? エラく意味深な言い草じゃんか。ことと場合によっちゃ、てめーだって許しはしねーぞ」
サトルが必死に宥めるが、二人の会話は平行線。堪らぬ緊張感が場を支配する。
「な、なんか揉めてますね」
「……おいおい、こんな狭い空間で、喧嘩は止めろよな」
それには傍観者を気取っていたパンチ達も気が気ではない。神妙な面持ちで食い入るように見つめる。
葛城がなにかをバッグから取り出した。カチカチとした耳障りな響き、眩い光が目の前を眩惑する。葛城が取り出したもの、それはカッターナイフだった。
それを認め玉木の表情も剣を帯びる。ハサミを握る手にも力が籠められた。
「エモノ?」
「ヤバいっすわ……」
蒼白になるパンチ達。ハサミとカッターから連想するもの、それは想像を絶する修羅場な光景。血で血を洗う最悪なビジョンだ。
しかし葛城と玉木の対応はそれとは違った。
「“そり込み”入れとけよ。任侠映画張りにな」
「おっと、それを忘れてたぜ。流石だわ、分かってんじゃん。やっぱ誠」
葛城が手渡すナイフを和やかに受け取る玉木。それをサトルの額にあてがい、ジャリジャリと剃りだす。
「ビビらせんなよ誠。殺し合いでもするのかと思ったぞ」
「二人が本気になったら、誰も手が付けられねーから」
「良かったなサトル。気合いの入ったそり込み、入れて貰えよ」
その和気あいあいとした状況に、再び車内はガヤガヤした会話に包まれる。サトルとパンチ達だけが、言葉もなく茫然自失に陥っていた。
「そもそもそり込みってのは、誰が最初に入れたんじゃろな?」
腕を組み、熱く語る葛城。
「誰だろうな。ヤッパ気合い入った奴だったんだろな」
「キクりんじゃねーか?」
それを数人の生徒が聞き入っている。
「玉木、右、剃り過ぎじゃねぇ?」
「違うって逆だって」
「馬鹿、しっかり教えねーから手元が狂うだろ」
そのすぐ側では玉木が仲間達と熱心にサトルの頭に手を加えている。
「そり込みってのは、ハゲかかった愚連隊の野郎のハッタリから生まれたんだと思うのよ。『なんすか兄貴? 額、ヤバいんじゃないっすか?』『ボ、ボケが! こいつは自ら剃ったんじゃ、気合いじゃ!』『マジっすか、なんちゅう気合いだ!』……なんてことを言いながらな」
「つまり、ハゲを凌駕する気合いってことか!」
「成る程、博識だな」
「ほら、右だって」
「すげー! 鬼々ぞりじゃん」
「カッコいいセンス! 流石は俺」
「…………」
「ついでに眉毛も細くするか」
「いいなぁシブいよ」
「あ、あのー……」
「あっ! 動くから手元狂ったろ? ジッとしてろよサトル」
「この愚連隊の場合、前からキてたから、そり込みだった訳だが、上からキてるとカッパって訳だ」
「ふむふむ、学会で発表出来んぞ。新たな理論だ」
「誠、お前そんだけ頭いいんだから、東大いけんべよ」
「玉木、この“オプション”使わねー」
「いいなそれ。湘爆みたく、文字入れるか」
「す、すげー!」
「……………………」
その様子はまるでおもちゃ箱だ。ガヤガヤと響く会話、公共の場なのに煙草まで吸う始末。凄まじい熱気だ、誰もがそれに酔いしれていた。
その空気を切り裂くように、突然スマホの着信音が鳴り響いた。
「若頭? すんません」
それはパンチのものだった。慌てて懐から取り出して通話する。
「すんません。はい、会合の件なんすが、少し遅れそうで……」
すかさず立ち上がり、深々と頭を下げる。それと同じくして、その手からスマホが奪い取られた。
「なに……すんじゃ小僧!」
怒り心頭気味に眼前を睨み付ける。そこに立ち構えるのは葛城だった。
「迷惑なんだわ。車内じゃマナーモード。他の客に迷惑だろ、そんなの常識だわ」
奪ったスマホ片手に、パンチを睨む。
「何故、お前が説教する?」
それにはジャージも度肝を抜かれる。この車内にいるのはパンチ達と葛城達だけだ。それ以外に客の姿などない。しかも大声で喚いたり、煙草を吸ったりと、尊大な行為を振りまいていたのは葛城達の方。理不尽過ぎる台詞に、それ以上返す言葉も見つからない。
「いくら年上だからって、社会のマナーは守れよ」
それでも葛城は少しも怯まない。敢然とパンチを見据えるだけ。
対するパンチは無言だ。それでもその道のプロ、強烈な視線を葛城に向けていた。
「小僧、この方を誰だと思ってるんだ!」
堪らずジャージが割って入った。だがパンチの反応は意外なものだった。
「よせや。……ガキの相手、なんてしてられねーよ」
サバサバと吐き捨てて、葛城の手からスマホを取り戻す。
「悪かったな」
言って踵を返した。
「……兄貴?」
戸惑い、パンチと葛城を交互に見据えるジャージ。その時、扉がサーッと開いた。
「だけどよ、あんましプロをナメんなよ」
歩み出すパンチ。投げかけると、外に抜け出した。
「兄貴?」
納得出来ないジャージだったが、渋々ながらもそれに続いて降車していった。
構内アナウンスと人々の話し声、電車の走る音でざわめく駅ホーム。
パンチが煙草を取り出し火を点ける。他の人々が横目で怪訝そうに見ているが、少しも動じる素振りはなかった。
「兄貴、待って下さいよ! いったいどうしたんす?」
そこにジャージが駆け寄って来た。
「おかしいっすよ? あんなガキ共に、いいようにナメられて反論しないなんて」
そして興奮気味に問い質した。
ゆっくり煙を吐き出すパンチ。
「あのガキのツラ、似てたんだわ。……あの眼光もな」
そして遠くを見据えた。
「……似てた。誰にすか?」
「俺が駆け出しの頃、住み込みの若衆してた頃に、見た男にな」
「随分古い話っすね」
「当時抗争相手だった組織の、幹部三人のタマをとった伝説のヤクザ」
「幹部三人すか、恐ろしいですね」
ゴクリと喉を鳴らすジャージ。
「あのガキ、多分その男の身内だぜ」
「いったい誰なんすか? その伝説のヤクザって」
「葛城組々長・葛城文左衛門。俺らにとっちゃ雲の上の存在だ。……現、関東貴神会、理事長を務める大物だからな」
パンチの表情が険を帯びた__




