突然の来訪者
「はぁー、やっと四時間目が終わったぜ。メシだメシー!」
両手を天にかざし伸びをするシュウ。四時間目の科目は数学だった。黒板には複雑な方程式が書かれていて、それを数人の生徒が写し取っている。気の合うもの同士が弁当を広げて、束の間のひとときを味わっていた。
「やっと終わったって、シュウ寝てただけじゃん」
「そうだよシュウ。そんなんじゃ赤点取って落第なんだからね」
傍らでは太助と真優が机に弁当箱を広げている。太助は隣のクラスの春菜と、真優はマリアと、シュウはひとりで、それぞれ弁当を食べる予定だ。とはいえ近くの席だ、自ずと五人での昼食となる。
「ら、落第? そいつは困るな、テストも近いってのに」
慌てて返すシュウ。愕然となにもない宙を見つめる。彼の人生目標は穏やかな暮らし、そして穏やかな老後だ。だから落第などしたくはなかった。こう見えても堅実派だ。
しかし一方で勉強は嫌いだ、特に数学と英語は一度分からなくなると、そのまま置いてきぼりになるから始末が悪い。
「あはは、落第したらおいらが上級生だね。頑張ってよ後輩」
「うるせーんだよ! 馬鹿太助に言われたくねーんだよ。だいたい俺は、眠くて寝てるんじゃねーんだ。“オルゴール”に誘われてだな。だいたい太助が起こさねーのが悪いんだよ」
堪らず責任転嫁する。因みにオルゴールとは数学教師の渾名だ。その口調が穏やかで、幾人もの生徒を夢の中に誘う効果がある。
「ちょっとシュウ。太助に馬鹿なんて言ってダメじゃない。元はといえば、寝てばかりのシュウが悪いんだから」
「うるせー真優。お前も起こさねーからいけねーんだぜ。俺様のことより一弥の心配しろよ。あいつ最近ガッコー来てねーべ? なにを悪さしてんだか……」
更にはその場にいない者の悪口まで言い出す始末。
「ちょ、ちょっとどうして一弥の名前が出てくるの?」
それには真優もご立腹な様子。真っ赤に紅潮して立ち上がる。
「それはあれだ。俺様ばっかり怒られて、損してるみてーだから」
「確かにずる休みはダメだけど、勉強が出来なきゃ一緒だからね」
「ひでー言い種だな。それは立派な差別だぞ」
こうして二人、周りの空気も気にせず暫し口論となる。
「まあ、シュウも真優も落ち着きなよ。大人気ないよ」
だがその太助の一言で我に帰った。気付けば他の生徒達の冷たい視線に晒されていた。
「幼稚園児じゃないんだから、食事の間ぐらい静かにしなきゃ」
目の前の太助は、花柄の描かれた弁当箱を悠々と広げている。『何故、太助にそんなことを』シュウと真優、返す言葉が見つからず呆然と立ち尽くす。
「とにかく喧嘩ばかりしてるのもいいけど、勉強にも身を入れなきゃダメだよ?」
言って席に座る真優。
「喧嘩ばかりって、俺だって好きでしてる訳じゃねーんだぜ」
シュウも愚痴りつつも席に着いた。
勉強もせずに喧嘩ばかりしていると言われるシュウだが、それには彼も反論したい気持ちはある。喧嘩を仕掛けてくるのはマリアファン倶楽部の住人だ。そのせいで勉強がはかどらない。
もちろん全ては言い訳だ。そんなこと、マリアの前では言える筈もないし……
「お待たせしました真優さん」
そこに弁当箱を握り締めたマリアが現れる。そして真優の目の前の席に座り込んだ。
傍らでは太助が春菜と二人で弁当を食べている。太助の弁当は春菜特製だ。
それを認めてシュウもおにぎりを取り出して一気に食らい付く。見た目こそ素朴な塩にぎりだが、相変わらず繊細な味だ。中の具材はシャケのようだ。自分で作ったものでは、こうも繊細な味は出せないだろう。
マリアと真優は、弁当談義に花を咲かせている。玉子焼きの味加減がどうだとか、シャケの焼き加減がどうだとか。共に料理好きの穏やかな会話だ。それでシュウ、次のおにぎりに食らい付く。今度の中身は玉子焼きらしい、おにぎりにもマッチする絶妙なバランスだ。
こうして五人、暫しのランチタイムと相成った訳だ。
「数学が苦手なら、マリアちゃんに教えて貰えば?」
不意に太助が言い放った。
「は?」
それでおにぎりに食らい付くシュウの動きが止まる。
「そうだね、マリアちゃん成績優秀だから」
今度は真優が言った。
「へ?」
それでシュウは、口の中のおにぎりをゴクンと飲み干す。おそらくその中身は昆布の煮付け。
「私なら大丈夫ですよ。シュウさんが落第しないように、教えて差し上げます」
相変わらずマリアは屈託ない笑顔だ。その箸には昆布の煮付けがつままれている。
「一緒に進学しましょ」
それにはシュウも戸惑うだけだ。頭の中が真っ白になり、返す言葉も見つからない。その思考は遠い異次元に吹き飛んでいた。
「そいつに、なにを調教してもムダだぞ。猿はいくら調教しても猿に変わりないからな」
だがその冷めた言葉が、シュウを現実空間に引き戻す。
「……誰が猿だ」
ムカつきを覚えて、残りのおにぎりを口の中に放りこんだ。少し離れた席では猿飛が『猿で悪かったね……』そうボソリと呟く。
その視線の先、最前列で睨みを効かせるのはルカだ。大勢の女に取り囲まれて、豪華なランチタイムを過ごしている。
彼の弁当は特別発注品。ミシュランガイド公認の超一流シェフを呼びつけて、調理させた代物。その為だけに校内に調理場まで作らせた。だから学園ではその手のランチも楽しめる。もちろん値段は高価で、普通の生徒には手も出せないが……
全てはルカのわがまま過ぎる性格と、それにノーと言えない学園側の脆弱振りが産み出した産物だ。
「あはは、言われちゃったねシュウ」
「まあ、ルカくんのような秀才から見れば、確かにシュウはお猿さんだけどね」
ルカの台詞をあっさりと受け入れる太助と真優。
納得すんなよ、とばかりに深いため息を吐くシュウ。猿飛に至っては愕然となにもない宙を見据えていた。
ルカは勉強の成績も優秀だ。テストを受けても学年トップクラスの成績を誇っている。対するシュウは学年最下位クラス。猿飛は成績こそ普通だが、見た目も中身もズバリ猿。
「けっ、勉強出来んのがそんなに偉いのかよ。どうせ俺の脳みそは石ころだよ」
それに関してはシュウも痛感せざる得ない。おそらくはクラス全員がそう思っている。
しかしマリアだけは違う思いのようだ。
「そんなことはないですよ。シュウさんなら大丈夫です」
その根拠は知らないが、キッパリと言い切った。
「だね……」
「シュウだって人間だもんね」
それには流石の太助達も反論出来ない。棒読みで同調する。
「ふん。教えるだけムダだろうが。……マリア、そのクソに馬鹿をうつされるなよ」
こうしてルカもゆっくりと視線を戻す。
再び和やかな空気に包まれる室内。シュウが新しいおにぎりに食らい付く、そしてグッとルカの背中を睨んだ。
ルカVS宅ちゃんの闘いは、この世のものとは思えぬ程凄まじいものだったらしい。ルカと宅ちゃんが激突して地震が起きたとか、百人のマリアファン倶楽部会員がグレンに斬り倒されたとか、宅ちゃんの口からビームが放たれたとか、ルカの覇気だけでファン倶楽部が壊滅したとか、様々な噂が学園内では流れた。
もちろんそのほとんどはデタラメだろう。彼らも一応は人間。世界には世界の秩序があるから。
だがこれだけは歪めることない事実。ルカとグレンがたった二人でファン倶楽部を破り去ったという、紛れもない事実だ。
宅ちゃんはルカに恭順。マリアファン倶楽部は、ルカの配下と成り下がったのだ。
それは猿飛としても堪らぬ出来事だったろう。痛烈な想いがそこにはあるが、敢えてそれをコントロールしているのは、シュウには理解出来た。
一方で永瀬達三年が、葛城によって叩きのめされた事実も学園内に知れ渡っていた。全てはルカの画いたシナリオへと移行しつつあったのだ。
「えっシュウ? ……あんたシュウに用件なの?」
教室後方入り口では男子生徒が、誰かと会話している。そして面倒くさそうにシュウの方へ足を進める。
「シュウ、お前に用事だってよ」
そして入り口を指差し伝えた。
「はぁ、俺様に用事だって? また倶楽部会員かよ」
それを飽き飽きそうに聞き入るシュウ。
「わりぃんだけど俺様は満腹だ。それを消化すんので精一杯、喧嘩なんざしてる余裕はねー。……留守だって言ってくれ」
おにぎりを五つたいらげて満腹状態だった。机に顔を突っ伏せて、それを消化する必要があった。
しかし一方の男子生徒は困惑した様子だった。『いや、あのな』戸惑いつつ横に視線を向けている。
「お食事はすんだのですか?」
不意にその側から声が響いた。男の声ではない、明らかに女の声だ。
「ハァ?」
ハッと我に返り、顔を上げた。
「昨日、助けられたお礼に伺いました」
ハキハキした台詞だ。それを呆然と見つめるシュウ。
「……お前、確かあん時の」
思い出したように指差した。そこに立っていたのは昨日の凛とした女生徒。
「はい。“矢島琴音”です。以降御見知り置きを、シュウ先輩」
弾けるような笑顔が輝いた__




