とある電車の光景
パパーーッ! 晴れた光景に、颯爽と電車が通過する。
朝の猛烈なラッシュを終えたその車内。それでも多くの人々で混み合いを見せている。
「お婆ちゃん、あと駅三つですから、我慢してね」
中年の主婦が言った。
「そうだね、ヨシコさん。……ただ腰が痛くてね」
それに傍らの老婆が答える。
車内は多くの客で満員になっている。それ故二人はうんざりと立ち尽くしていた。
「お婆さん。ここの席、良かったら」
その時、目の前の少年が立ち上がった。恥ずかしそうに顔を赤らめて席を譲る。
はっとした様子の老婆。
「おやおや、気の利く坊やだねぇ」
ほっこりした気持ちが込み上げて、少年の頭を優しく撫でた。それで少年の顔が益々赤く染まる。かすかにはにかみ俯いた。
「それじゃ、座らせて貰おうかね」
顔をほころばせて、老婆はその席に腰を下ろす。頼もしい気分で溢れていた。
「しっかりした子ね。ひとりなの、どこまで行くの?」
中年の主婦が訊ねる。
「ママが入院してるから、隣街のお医者さんまで」
「へー、そうなんだ。ひとりでお使いなんて凄いわね」
「凄くないよ。ボクもう直ぐ弟が出来るんだもん。お兄ちゃんとして当然だよ」
胸を張る少年。
「そう、弟が生まれるのね。いいお兄ちゃんになりなさいね」
少年を成長させるのは、兄になる自覚だ。様々な出来事を体験して、少しずつ成長していく。こうして少年は、大人への階段を一歩ずつ登っていくのだ。
「この国の未来も、捨てたモンじゃないねー」
そんな漠然とした思いに駆られる老婆。その姿が眩しく感じた。
「……それに比べて」
虚しそうに視線を変えた。
「がはは、そうだべよ。あそこのリカコちゃんは最高だったろ? 俺なんざ、店で会った瞬間からち〇こビンビンだったもんよ」
その和やかな様子を余所に、スマホ相手に話し込んでいる男がいた。派手なシャツ、ズボンに雪駄を履いたパンチパーマの男だ。
すぐ隣には赤いジャージに身を包む若者が寄り添っていた。
「なぁーに今に落としてやるよ。……ああ、ああ、あと一時間もすりゃあ着くだろうからよ、待っててくれや」
その態度はどう見ても素人とは思えない、明らかにヤクザだ。車内は多くの乗客で溢れているというのに、席をいくつも陣取って我が物顔にふるまっている。
「電車の中なのに、大声だしやがって」
「シー、モーリー殿、あれはスジモノでシよ。聞こえたらどうするのでシ? ……シー」
一方その様子を横目で見つめ、ひそひそと囁きあう集団がある。それはカエルのキャラクターに身を包むモーリーだ。
その隣には仲間らしき小柄な男が座り込んでいた。着込むのは長袖デニムシャツとケミカルジーンズ。シャツのボタンは全てはめている。
「大丈夫ですよ。聞こえはしないから。……こんだけ離れてんですし」
堂々とした台詞とは裏腹に口調を下げるモーリー。
「だとしても、シー。口は災いの元でシぞ」
「グワンさん、なにをさっきからシーシー言ってるんです?」
仲間の呼び名はグワンと言うらしい。
「シー? ……挨拶でシよ。人に出会ったら、ちゃんと頭を下げて、シー、挨拶するものでシ」
グワンは目の前を乗客が通り過ぎる度に、シーシー言って頭を下げている。礼儀正しいのだろうが、逆に乗客達は怪訝そうな様子だ。
「しっかしあいつら、どこまで一緒なんでしょうかね? 誰かガツンと注意してくれればいいのに」
「シー、だったらモーリー殿が注意シればいいのでは?」
「俺がキレたら、他の人にも迷惑かけるでしょ?」
堂々と豪語するモーリーだが、その声は他には響かない。俯いて、もぞもぞ呟くだけだから。
「そうなんでシか。モーリー殿は強いんでシな、シー」
「当然でしょグワンさん。俺の後輩にシュウってワルがいるんですがね、奴は俺の兵隊ですよ。あんなスジモノ、一発ですよ」
まさにクローズ気取り。調子に乗って俯く角度が若干上がった。
「ほほう。流石はモーリー殿。シー、関東のてっぺんを掴む気でシか?」
「当たり前ですよ。俺は人員を掌握して、てっぺん掴むんです」
更に調子づいて角度が上がる。気付けばその視線はやや上を向けている。
「…………」
そしてテンパった。目の前にジャージの若者がいたのだ。
ジャージは両手を吊革に預け、クチャクチャとガムを噛みながら冷ややかな視線を向けている。
「楽しそうな話してんじゃん。あんたらが関東のてっぺん掴むって? 俺らぁ一発で潰すって?」
嘲るように訊ねる。
「そ……それはですね……」
モーリーは両手を手前にかざし、必死に宥める。
「シー! シー! シー!」
グワンに至っては小刻みに何度も頭を下げていた。
「パンピーだろうがなんだろうがな、プロの陰口、堂々と喋んない方が身のためだぜ?」
それでもジャージの追い込みは止まらない。身を屈め顔を近付けながら、モーリーを威圧する。
「シー、モーリー殿。あなたの兵隊を、シー」
あまりの恐怖にグワンの思考回路が狂った。
「ですがっ、シュウはっ、うっ? お腹の調子が」
ヨロヨロ立ち上がるモーリー。内股で扉方向に歩み出す。
「シー、モーリー殿、大丈夫でシか?」
グワンも歩調を併せるようにその後を追った。
しかしそこは閉ざされた空間だ。降車待ちする人波に阻まれたまま、ジャージの鋭い視線に晒される。
「か、勘弁して下さい。わ……私はひ弱な体質なので」
追い詰められたモーリー。観念して必死に頭を下げる。
「シー、シー、シー……」
グワンは扉にへばり付き、ジャージとモーリーを交互に見据えるだけだ。
『……桜木町、桜木町です。電車が止まりまーす』
車内アナウンスと共に扉が開いた。
「出ましょう、グワンさん!」
「モーリー殿、待つでシー!」
二人、人波を掻き分けて車外へと逃げ出す。
「シー、モーリー殿、シー。ミミちゃんのお店はいずこに? シー」
「乗り換えですよグワンさん。ここで乗り換えるんです。いざラブユーミミちゃん」
こうして意味不明な会話をしながら、人混みに消えていった。
「へっ、オタク共が」
ヘラヘラと笑みを浮かべるジャージ。そして元の席にとって返した。
「近頃のガキ共は、マナーってもんを知らんな」
パンチパーマが吐き捨てる。
「へい。自分もそう思いますわ」
ジャージが腰を下ろした。
多くの乗客達は、その雰囲気を嫌って他の車両に移動していた。
それでも残る乗客達は『どっちもどっちだ』と言うオーラを放っている。
「この車両だけ、がら空きだべよ。ウチらの貸切みたいだな」
「これから起こるイベントへの祝福だよ。神様なんざ信じてねーけどな」
同時に扉方向からガヤガヤとした話し声が響く。どうやら団体客が乗り込んできたようだ。
「なんじゃ? また騒々しい奴らが現れたな」
訝しく視線を上げるパンチ。
『……な?』
そして呆気に取られた。目の前に広がるのは、黒一色の光景。いや、黒い詰め襟を着込んだ集団だった。
既に衣替えの季節は過ぎていた、多くの人々はカラフルな軽装に身を包んでいる。故にその風景は異彩を放つ。
「こんなラッキーはねーよな。寝たりねー奴は、ちゃんと寝とけよ。今後の俺らの人生がかかってんだ」
それは葛城率いるオーク学園の生徒達だった__




