拳ひとつ
鈍い音を軋ませ、重い鉄の扉が開かれた__
現れたのはシュウだ。ハァハァと肩で息急ききっている。
「チッ、急いで来たってのに、敵さんの出迎えもなしかよ」
時候は午後の五時をゆうに過ぎている。ガランとした倉庫内に音は皆無。所々にある水溜まりにはゆらゆらと蚊柱が立ち上る。鼻に突くのは埃と油の臭いだろう。射し込む光に導かれて煙草の紫煙が棚引いていた。
「つい少し前まで、誰かがいたのは確かだがな」
煙草を吸っていたのは葛城誠だった。穏やかな口調、背中を向けていて表情は分からない。
その視線が捉えるのは、倉庫の片隅に置かれた古びたソファー。所々払われた埃、それが先程まで誰かが居た匂いを残している。
「成る程な。だったらあの奥は?」
ソファーの後ろには、別室へと続く鉄の扉がある。無機質なそれの所々が赤く染まっていた。
「ムダだ、そこは開かんぞ。鍵がかかっとるからな」
葛城の拳は皮膚が捲れてうっすらと血が滲んでいる。
「馬鹿だな、この鉄の扉を叩き壊すつもりだったのか? そんなの人間業じゃねーぞ」
「全くだ、お陰で左の拳、死んじまったらしい」
覚めたように言い放つシュウだが葛城は少しも動じない。目的の為なら己の命も厭わない。そんな崇高なる想いが垣間見えた。
「だったらどうすんだ狂犬。このまま八方塞がりってか? 遅くなると益々メンドーだぞ」
窓の外から見える太陽は、そびえ立つビル郡の陰に隠れようとしている。視界で幾多の蚊がうごめき、まるでモザイク画のようだ。このまま闇夜が訪れれば、琴音の捜索も厄介になるだろう。
「確かに厄介だな」
その葛城の台詞にはっと我に返る。視線に宙を舞う煙草の姿が映る。
抉るような痛みがその頬を襲った。数メートル後方に身体を貫ぬかれて、地面に尻餅をついた。
それは葛城の仕業だった。右拳を突き出して、悠然と見下ろしていた。弾かれた煙草がジュッと音を発てて水溜まりに落下した。
「悪かったなてめーの妹、助け切れなくて」
滴る血を腕で拭いながら立ち上がるシュウ。ムカつきの感情はあった。しかし今はその時ではないと感じていた。
「なんてツラしてんだ」
それを葛城の覚めた視線が捉えた。
「なんだって?」
「いつものてめーらしくねーじゃねーか。それとも俺を憐れんでるのか?」
それでシュウもはっとなる。琴音が浚われた要因は自分にある、だから殴られても文句は言えない。……そんなふうに思っていた。
しかしそれは間違いだ。人として、男としての責任から逃げる行為。少なくとも葛城という男の前には意味がない。
「へっ、馬鹿野郎。俺様はいつでも俺様だ」
言って血混じりの唾をぺっと吐き捨てる。
「はっ。それでこそてめーだ」
それを認め葛城の口元に笑みが浮かんだ。
こうして二人、倉庫中央部で相対する。
「流石は狂犬、その決意はハンパねーな。……だけどここで俺らが争そえば、喜ぶのは奴らだぞ?」
「知ってるさ、奴らの手口など」
「だったらどうすんだよ。やるのか?」
「そいつも結構だな。てめぇのツラがムカつくんでな」
覚めた会話だが、一度間違えば爆発しそうな狂気を醸し出していた。
「俺らが争そって、琴音が帰ってくる保障なんてねーだろう。だがケジメってもんだけは取ってもらうぜ」
身を低く構え戦闘態勢を取る葛城。
「やれやれ。これだからおめーは嫌いなんだよ。義理だ人情だで脅しを掛けてくる」
シュウも呼応して拳をかざした。
静寂だけが支配する倉庫内。堪らない緊張感が包み込む。
そしてシュウと葛城、同時に駆け出した。
「うおーっ!」
「でりゃー!」
ビリビリと張り積める空気。それを切り裂いて互いの拳が激突する。
「このクソ犬がぁ!」
間髪入れず左エルボーを繰り出すシュウ。
「甘いわシュウ!」
それを葛城は右膝を引き上げて阻止する。そのまま力任せに蹴り裂いた。
「ぐっ!?」
シュウのわき腹が悲鳴を挙げる。しかしたじろぐことなく葛城の足を掴み取りバランスを崩す。
「くっ」
「オラーッ! こいつでどうだ!」
その頬目掛けて右ストレートを打ち放つが葛城は動じない。体勢を立て直そうと右手を地面に付き、すかさず右足でシュウを蹴り払った。
「くっ!」
こうして二人、間合いを取って体勢を立て直す。
「流石だなシュウ。腑抜けたとは言え、魔王の異名は健在だ」
口元から滴る血を腕で拭う葛城。
「てめーこそな、次から次へと連戦してる割には丈夫だな」
シュウがわき腹をさすりながら返した。
「はっ、俺には野望があるからな。オークのてっぺん掴み取るってデカい野望がな」
威風堂々と言い切る葛城。絶対的な絶望状態に置かれた男とは思えない表情だ。野望・希望・絶望その全てを受け入れて、尚且つ突き進む男としての姿。
そしてそれはかつてのシュウにもあった姿……
「だけど志士の会の復活、それとアッキの復学、俺とのバトル、ってのは想定外だったんじゃねーか? おまけに小娘までさらわれて」
「想定外? 確かにそうだが、それも含めて掴み取るだけさ」
「小娘、いや琴音を愛してるんだな」
「兄妹だからな」
「そうかそうだよな。……わりいな、当たり前のこと聞いちまって」
「俺らはお袋こそ違えど、ちゃんとした兄妹。誇りはあるのさ」
そして葛城、思考に耽いるように拳を下ろす。
「…………」
それを察しシュウも拳を収めた。
「悪いが余興にかまってる暇はねーんだ。琴音を探し出さなきゃ、親父に会わせる顔がないからな」
踵を返す葛城。
「親父? おめーらの“スケベ親父”か?」
シュウが言い放った。
その台詞に立ち止まる葛城。
「確かにスケベ親父だぜ。死にそうだってのに“琴音の名前”を口走る男だからな」
そして口元に笑みを浮かべた。
シュウはそれ以上訊ねなかった。なんとなくだがその親子の愛情が感じられたから。
葛城の父親・葛城文左衛門は若い時から武勇伝を発揮し、長い懲役に出ることが多かった。それ故高齢になって、やっと妻を娶ったのだ。
だがその妻は出産と共にこの世を去る。その時の一粒種こそが葛城誠だ。
一方その頃、文左衛門の相棒を勤めていた矢島という男が長い懲役の果てに病死する。気の良い文左衛門は、その矢島の娘の面倒を見ることとなった。その結果そこには様々な思い、男女の思考が創り出された。……大人たる、いや年齢を超越したなにかがだ……
そして生まれたのが矢島琴音。文左衛門はその母子共々面倒を見る覚悟は出来ていた。それは同じ葛城の姓を与えて一緒になる覚悟だ。
だがその母子はその誘いを断った。我が娘に自分のような“ヤクザの娘”というレッテルを貼られたくはなかったから。こうして葛城親子と、矢島親子の奇妙な関係が出来上がったのだ。
「あては有るのか?」
シュウが訊ねた。
「多分な。下らん連中の考えることだ、遠くには行ってねーだろう」
意味深に答える葛城。
「そいつは当たりだと思うぜ。ジッと息を殺して潜んでいる。そんなとこだな」
そして二人、あの扉に視線をやった。
「ぶち壊すか?」
「ばっきゃろー、それは俺がやった手段だ。おめえも拳を潰すぞ」
「てめーのヤワな拳と一緒にすんなよ」
「相変わらず馬鹿一直線だな。だったら見せてみろよ、人間の肉体が、鋼鉄の元素に打ち勝つ瞬間をな」
「元素とか難しいこと言うなよ。だけど鋼鉄なんざ人間が創り出した物だべ? だったら人間の手でも解体出来んじゃねーか」
「かも知れんな。創ったのが人間なら、ぶち壊すのも人間だ」
有り得ぬ話を真面目に話し込む二人。冗談とも本気とも受け取れる表情だ。
こうして扉の前に進み出すシュウだが、次の瞬間、その扉が鈍い音と共に開きだした。
「シュウに葛城。二人揃って現れるとはとんだ馬鹿野郎だな」
同時に声が響いた。




