めげない女
「シュウ、お主の負けじゃのう」
校舎入り口付近から歩いてくるのは由利だ。
「流石のシュウも、女の子には弱いからね。安易に断って、泣かせる真似なんてしないから」
そしてその肩に乗り込むのは猿飛。
「ウルせーてめーになにが分かる」
吐き捨てるシュウ。しかし猿飛の言い分はシュウからすれば図星だ。
シュウの脳裏を過るのは、小学生一年当時の苦い思い出。その頃シュウはクラスメートの少女から告白されて、『おめーみたいなブス、大嫌いだ』と無惨に断ったことがある。
しかしそれが悲劇の始まりだった。その少女は校内でもトップクラスの美少女で、男女問わず多くの者に慕われていた。それ故シュウはクラスで孤立する。女からは『シュウくん幻滅、女心がまるで分かってない』と蔑まされ、男からは『あの子はブスじゃない。シュウはセンスの欠片もない』と悪口を言われ、先生からは『男の子ってのは女の子を泣かしちゃいけないぞ』とこっぴどく叱られる始末。
しかもその母親がPTA会長ということもあり、シュウの母親まで呼び出された。それでお小遣いを半減されたのだ。
幸いにもその騒ぎは一ヶ月程で終息を迎えたが、それ以来シュウは告白されても無下に断ることをしなくなった。例え告白されても、無視して相手が諦めるのを待つのが最善と理解したからだ。因みに女に対して口が悪いのは、告白されないための予防線だ。
「……お猿さんが喋った」
一方で琴音は、愕然と猿飛を見据えている。新入学したばかりの彼女は、まだ猿飛のことを知らないらしい。
「琴音ちゃん、猿飛の素性にあまり関わらない方がいいよ」
言い放つ太助。その後方では春菜達がうんうんと頷いている。
それをなんとなく察したか、琴音がこくりと頷いた。
「とにかく、てめーらには関係ねーことだ。ウゼーから野次馬は引っ込んでな」
「おっと怖いな。そうムキになることないじゃろうが」
失せろとばかりに腕を振りかざすシュウだが、由利はおどけたようにあっさりと飛び退く。
「……由利、シュウなんか構ってる場合じゃないようだよ」
しかし猿飛の表情は引き締まったものだ。意味深に言い放つ。
「なんやって?」
それに呼応して由利の表情も引き締まる。神経を研ぎ澄ますように辺りを目配せする。
既に多くの野次馬達は過ぎ去っていた。そこから見えるグラウンドでは、多くの生徒達が部活動に精を出している。
ボールでも蹴り損ねたのだろうか、数人のサッカー部員が、空を指差してなにやら囁いていた。
「……みたいやな。“奴ら”も本気のようや」
暫くのち由利が言った。さっきまでと違う、ひどく剣のある表情だ。
「なんだてめーら、ブツブツと話し込んで?」
その様子に怪訝そうに投げ掛けるシュウ。
「ま、ええわ。確かにシュウなんかに構っとる余裕はないわな」
「そう言うこと」
こうしてシュウを無視するように、由利と猿飛は去っていく。
その後姿を呆然と見つめるシュウ。
「相変わらず訳わかんねー奴らだぜ」
言うまでもなく由利、それ以上に猿飛は謎が多い。故に彼らなりの宿命があるのだ。
「シュウ先輩? 先程の返答は?」
そしてその琴音の問い掛けでハッとした。いつの間にか琴音が、シュウの横顔をマジマジと覗きこんでいる。
そしてその傍では、マリア達が二人の様子を窺っている。その誰もが由利や猿飛へなど興味はない。あるのは琴音の告白に対するシュウの返事だった。
そう痛感すると、シュウの顔色はますます紅潮する。この舐め回すような、熱い視線が苦痛だった。
「勝手にしろ! おめーも、ホント意味分からねー……だけど俺様は女なんざ相手にしねーぞ」
堪らず吐き捨てる。それが彼の導きだした答えだ。相変わらず女には興味はない。しかしだからといって拒絶も出来ない。泣かれたら厄介だし、それはそれで新たなるトラブルを招く恐れもある。だったら現状維持、穏便に済ますのが得策だ。
そのまま向き直り、スタスタと歩き出した。
それから暫く時が過ぎた。太助と真優、それと春菜はそれぞれの目的の為、去っていた。
「……ですから、その計算はこの方程式を使えば良いんですよ」
「うーん……方程式自体が分かんねーからな」
シュウとマリアは二人、商店街を歩いていた。その束の間の時間を利用して、数学の勉強をしていた。
「……戦場における勝利の方程式なら得意なんだけどな」
とはいえシュウには寝耳に水、豚に真珠だ。何故なら数学の方程式は、彼の耳から耳へと通り抜けるだけだから。
そんな風に顔をしかめるシュウの様子を、マリアが横目で見据える。
「……さっきのあの子、あんな態度で良かったのですか?」
そして改まって訊ねた。
「いいんだよ」
キッパリと吐き捨てるシュウ。
「ですけど、かわいそうで……」
俯くマリア。その様子を今度はシュウが窺う。
「なんだよ? 俺とあの小娘が、付き合えは良いって思ってんのかよ?」
「い……いえ。そんなことじゃ…」
戸惑いつつも、慌てて顔を上げるマリア。
「人間なんて、一度やそこらの出会いじゃ、なんの価値も分からねーだろ? だから俺はあの小娘の告白に乗らなかった。……断らなかったのは、小娘に対するせめてもの情けだ」
その対応にシュウの口元に笑みが浮かぶ。マリアも安心したようにはにかんだ。
陽は陰り西に傾いていた。夕時の商店街には様々な人々の姿がある。彼らと同じ下校途中の学生、買い物中の主婦、追いかけっこする小学生、店舗の軒先で威勢のいい声を挙げる店員。
それらの気配を読み取り、少しだけシュウの表情が強張った。
「……まったく、いつまで付いて来るつもりだ?」
後方に振り向き直り、呆れたように吐き捨てた。
その後方数メートル付近には琴音の姿があった、シュウの視線にさらされて戸惑い足を竦める。
「よっぽどヒマなんだな。もういいべよ、家に帰りな」
シュウはまるで犬でも追い払うように右手であしらう。校舎を出るときから、ずっと琴音が付いて来るのは分かっていた。
「勝手にしろって言ったのはシュウ先輩ですよ」
それでも琴音は気負わない。彼女としても隠れる気は毛頭なかった。やましい気持ちは一切ない。
「……それは……確かだ」
それはシュウも理解するところだ。額に手をあてうなだれる。成す術なく前に向き直った。
「……シュウさん」
その表情を見つめるマリア。
「無視だ無視。ああいうやからは無視するに限る」
シュウの胸中、複雑な思いが込み上げていた。
琴音の言い分はストレート過ぎて反論する余地もない。正面きって反論すれば怪我をするのは自分の方。だから呆れを通り越して、恥ずかしい感情だけが増幅していた。
「とにかく俺はこれからバイトだ。……“リキ”を頼むぞ」
琴音の存在を完全に無視して、マリアに向けて言い放つ。
そしてそれをマリアはなんとなく理解する。無言でこくりと頷いた。
「じゃあな、マリア」
「はいシュウさん」
こうして走り出すシュウ。その後ろ姿をマリアが笑顔で見送った
「シュウ先輩?」
その突然の事態に咄嗟に走り出す琴音。しかし既に遅かった。シュウの姿は人混みに消え、完全に確認出来なくなっていた。
「ハァハァ……もうちょっとだったのに」
両手を膝に預けて薄暗くなる光景を見つめる。そして傍らにいるマリアの存在に気付く。
コクリと頭を下げる。呼応してマリアも頭を下げた。
改めて空を見上げる。天気予報によれば明日は梅雨空が舞い戻るという。それでもその表情は晴れ晴れとしている。
「シュウ先輩、私は負けません。必ず私を振り向かせてみせますよ」
様々な感情を持とうと明日は来る。それが晴れだろうと雨だろうと、生きている限りは必ず来る。全ては気持ちの持ち用だ。晴れても悲しい気持ちの時もあるだろう。雨だろうと嬉しさに満ちた時もある。
この時、彼女の中に広がるのは晴れ渡った景色。輝ける未来への期待だけが先行していた。屈託ない笑顔が輝いていた__




