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ファイエルベルクの祈祷師《2》  作者: 小野田リス
9/20

雨上がりのティーパーティー

昨日、碧天を映し青く輝いていた湖面は、今日は一転して薄鈍色うすにびいろにくすんでいる……


明け方から降り出した雨は山や森をたっぷりと湿らせ、まもなく昼になろうかという今、こぬか雨に変わった。あたりは薄靄に包まれ、昨日は対岸にはっきりと見えていた白いウーフェル荘も、白紗はくさの向こう側に隠されているかのようだ。


今日の午後、主人あるじの主宰で茶会が開かれる。


菓子や茶器、テーブルに飾る花の用意を確認し、招かれた客を迎えに行く馬車の手配も済んだ。諸事万端ととのったところで、”その者”はようやく自室に戻り小憩を取ることにした。


そして、昨夜ついに現れた”協力者”の言葉を反芻する。


『日の入りの頃、ホーエンベルク神殿の礼拝堂でお待ちしております……』


”協力者”は神殿の中に住まう者だった。


”さる方”が求めておられる物……”神書ハイリゲ”という書物は、今はまだ神殿の中にあるという。


”協力者”により”神書ハイリゲ”があるべき場所から隠されたことで、いま、神殿では外出時に手荷物を調べられるようになった。そのため、”協力者”によってそこから持ち出すことは叶わない。


日没を待ち、”その者”は参拝客に紛れて神殿に入り礼拝堂で”協力者”と落ち合う。


その後、”神書ハイリゲ”を受け取り、”協力者”の手引きにより別の出口から脱出する……


そこから出ると、切り立った岩場に這わせるように削って作られた階段を降りねばならないそうだ。しかしそれを使って谷の底まで降り、そのまま続く小道を行けばランチェスタへの関所へ通じる道までそう時間はかからない。関所にたどり着けば、”さる方”によって用意された仮の身分で再びランチェスタに戻ることができるようになっている。


いよいよ、今夜だ。


そして、仮初めの主人あるじとは、今夜でお別れとなる……


表向きとはいえ長年尽くしてきたあの方の顔を、もう近くで見ることは叶わない。そう思うと、さすがにチクリと胸を刺すものがある。


しかしこの先、もしもあの方と再び顔を合わせることがあるとすれば、その時は”敵”として相見えることとなるだろう。


しかし、悲観することはない。


自分は、ついに真の主人あるじの元に帰るのだ……



***



「今朝は本当に雨になってしまいましたわね。」


「でも、ほら……雨上がりの湖も幻想的で素敵よ。」


和やかなお茶会も済み、パラサティナとフェリスは、仲良く隣り合って窓の外の景色を楽しんでいる。


若草色のシフォン生地がスカートや袖を華やかに飾るパラサティナのドレスは、雨に濡れた森を思わせる深い緑色のサテンリボンがアクセントとなっており、彼女の神秘的な愛らしさを効果的に引き立てている。


そして、ファイエルベルクに来てから初めて身につけたであろうフェリスのドレスは、腰の高い位置で切り替えられたスカートが体にふわりと沿うように広がる白いシンプルなもの。しかしよく見ると、そのスカート部分は幾重にも重ねられた白いリボンレースが裾まで続く、非常に手の込んだものとなっている。切り替え部分に結われた細めのリボンの結び目や、華やかに編み込まれた金糸の髪を飾るリボンにも、庭に咲いていたラベンダーの花をあしらっている。着付けを手伝ったザーシャとナディのアイデアによるものだ。


2人のドレスが織りなす緑と白の美しい対比は、その日の窓の外に見える靄がかった山や森を思わせる。


ハナは、満足げに二人の様子を後ろから伺っていた。


「なんだか嬉しそうですわね、ハナ。」


パラサティナの侍女ウルケが、そっとハナ隣に立つ。ウルケも侍女として、パルの今日の装いに満足している様子だ。


「お美しい方ですので、着付けの甲斐があるというものです。」


そう嬉しそうに話すウルケは、『あなたもそう思いませんか?』と同意を求めるように笑顔を向けた。


「そうですね……」


ハナはウルケに笑みを返し、自分も同じように感じることを伝えた。


こうして見ていると、ますますアナベルを思い出す……。


やはり、フェリスはシルヴィの妹としてピエル=プリエール家に戻るべきなのかもしれない……前夜、そのことについてローレルに相談した。


父親代わりの祈祷師は、ああ見えて、のべつまくなしにフェリスを過保護に扱っているわけではない。彼女を祈祷師として仕込んだのも、ちゃんと先のことを見越してのことだった。


フェリスにピエル=プリエールの血が流れていることは変えようもない事実である。


そうである限り、ランチェスタの宰相や強硬派から目を付けられるのは避けようもないことだ。また、彼らが呪術師と手を組んでいるということはすでに明示のこと……ずっと隠れるように生きていくことで身の安全を図るくらいなら、祈祷師として呪術師の力を封じる方へと立場を転じる方が良い。これぞ”攻撃は最大の防御”というものだ。


すでに祈祷師としての能力を開花し始めているフェリスには、呪術師もおいそれとは近づけないだろう。


ハナは、サイラスとの話も交えながら『フェリスをランチェスタに……元の身分に戻すべきかもしれない』という考えを伝えた。ローレルはだまって話に耳を傾けてはいたが、彼女の考えには首肯しなかった。


『実は、おまえにはまだ話してなかったが……』


しばしの黙考の後に切り出したローレルの話は、ハナにとっても、どこかとらえどころのない不安を抱かせる内容だった……神殿に大切に保管されていたはずの書物が1冊、失くなったとのこと。国の聖典のようなその書物の紛失に、呪術師が関わっている可能性が高いと彼は言う。


呪術師やつら目論見もくろみは分からんが、神書ハイリゲにまで手を出すというのは尋常じゃねえ。』


神殿や協会から要請があれば、今後、”祈祷師として”ランチェスタに入ることがあるかもしれない。しかし、呪術師の不穏な動きが続いている以上、ピエル=プリエール公爵令嬢としての身分を回復するには時期尚早だとローレルは言う。


それに、ファイエルベルクで祈祷師を続けていれば、フェリスはその間ずっと”名”を名乗らずとも良く、また誰からも訊ねられることはない。


この場合の”名”とは、フェリスの本来の生家の名前……ピエル=プリエールを指す。


山の神に仕える者は皆、司祭も祈祷師も家名を神に預ける。プリエール家の人間であるいうことは、祈祷師である限り公になることはなく、このことも言い換えればフェリスの身を守る防御策となっているのだ。


とはいえ……


『どの道も行くにしても、彼女の”出自”は彼女をどこまでも追いかけてくるだろう……』


サイラスの言葉は、ハナの頭の片隅にこびりついて離れることはなかった。


フェリスはもうすぐ18だ。


ランチェスタの強硬派や呪術師から守るためだとはいえ、彼女をここでこのまま、祈祷師にしておくことが得策なのかどうか……ハナは心を定めあぐねている。


フェリスは、おそらくグロースフェルト卿のことを……


「ハナ、どうかしました?」


言葉をつぐみ、一向に話しに乗ってこないハナを、ウルケが気遣うように覗き込む。我に返ったハナは『大丈夫だ』と安心させるように笑みを見せた。


「フェリシア様にとって、成人して始めてのドレス姿なので……いろいろと思い出されて、感慨深いものがありますね。」


アナベルの侍女でありながら、あのブラン城襲撃から幼いフェリシアを連れて逃げ、その後も護衛としても長く付き添ってきたのだ。そのご令嬢の晴れ姿である。ウルケは、ハナの気持ちを察したように親しみをこめて口元をほころばせた。


「わたくしたちの仕事は、決して表立ったものではありませんが、その手際によって主人あるじの見目や立場が変わってまいりますもの。時には、お命に関わるようなことだって……責任重大ですが、やり甲斐を感じますわ。」


すっきりとまとめられた茶褐色の髪と灰色の大きな虹彩が知的で快活な印象を与えるウルケも、今日は前日よりも少し華やかな青いドレス姿だ。ハナはいつものファイエルベルク自警団の制服で行こうとしていたところをザーシャに止められ、体型のよく似たナディが貸してくれた飾り気のない青いモスリンドレスを身につけている。


同じような色の装いのためか、あるいは”侍女”としての仲間意識か……不思議と互いに近しいものを感じたハナとウルケは、それぞれの主人の衣装や着付けのことで、その後は話が盛り上がった。


**


さて、同じ部屋の少し離れたところでは、男たちが小声で話し合っている……


「うちのの晴れ姿といったら、どうだ。」


ハナ以上に満足げな顔で自慢するのは、大柄の祈祷師だ。今日は緋色の外套ではなく、仕立ての良い緑色の上衣を羽織っている。


若い娘たちの華やかな装いに頬を緩めていた老ガリエル伯サイラスも、にこやかに応じる。


「馬子にも衣装……というと、失礼かな?しかし、こうしていると……ほんとうにどこかの令嬢にしか見えませんな。」


いつもの濃紺の外套姿しか見たことのないラドルは、サイラスの言葉に同意する。


「フェリス、よく似合ってるよね!あの飾りのラベンダーは、ぼくが摘んだんだよ!」


同じように今日は外套着ではないラドルは、真っ白いシャツに光沢のある緑色のクラバット、そして髪の色と同じ茶色い上衣を着せられている。『まるでどこかの王子様みたいよ~』と大喜びだったのは、『ラドル親衛隊ホーエンドルフ支部』の会員でもあるザーシャとナディだ。胸元を飾るラベンダーとリボンの可愛いコサージュも、ラドルが摘んだもので彼女たちが手際よく作ったものだ。ナディの息子のお下がりを借りているのだが、その装いは、どことなく品のある顔立ちをした少年の利発さを、より一層引き立てている。


クリスは、見習い少年の言葉に『そうか』と言って目を細め、再び白いドレスの方へと視線を向けた。


馬車から降りてきたドレス姿のフェリスを見て、思わず身を固くしたクリスだった。濃紺色のいつもの外套姿であっても愛らしい祈祷師だが、今日は特別、目を奪われる……。


そんなクリスを、父親代わりの祈祷師がニタニタと意地の悪い笑みで見ている。


「おまえ、今日はあのご令嬢にやられっぱなしだな。」


ここへきてからずっと、フェリスをパラサティナに独占されてしまっていた。笑顔で繰り出される口撃も、昨日より威力を増しているように感じる……小舟での様子を”観察”していたパルは、クリスを”警戒対象”と認定したようだ。ローレルは、『娘を守るあの新しい”壁”は、美しいだけでなくかなり頑丈そうだ!』と絶賛した。


追い討ちをかけるような”父親代わり”の言葉が面白くないクリスだったが、そんな彼を慰めるように、ラドルが黒衣の裾をちょんちょんと引っ張って言う。


「ねぇ、クリス。ザーシャとナディがフェリスのペンダントのこと、すごく褒めてたよ。」


なんとなくパラサティナのことを恐れている見習い少年は、彼女から邪険に扱われるクリスのことを気の毒に感じ始めていていた。


ザーシャもナディも、『こんな素敵なプレゼントをくれる相手がいたとはねぇ』と興味津々だった。いったい誰からのもらったものなのか、それはどんな人なのかと矢継ぎ早に訊ねる興奮気味の二人の女を『もう出かける時間だから』と追い出したのは、娘を守る第一の壁、パパ・ローレルだった。『あの二人はホーエンドルフの歩く掲示板メッセージボードみたいなもんなんだから、そのペンダントの出処のことは話すんじゃないぞ』と皆に釘を刺していた。


シルヴィといえば、そんな来客者たちの間で交わされるやりとりを、いつもの穏やかな笑みで眺めている。


パラサティナが主催した『ティーパーティー』ではあるが、その実、8年前に呪術師によりブラン城が襲われた時のことを、ハナから詳しく聞きたいと願ったシルヴィの発案だった。


10年前に呪詛の病で苦しむドレア村の救済に向かったローレルや、つい先ごろ呪詛を使われたサイラス、同じくグロースフェルト城を襲われたクリス……皆、それぞれに呪術師や呪詛との関わりがある。一緒に暮らしているローレルはともかく、デーネルラント国の2人もハナの話は初めて聞くことになる。そしてそれは、いまとなってはただの昔話でも、他人事でもないのだ……。


またこの集まりは、シルヴィにとっては母アナベルの最期を看取ったハナから、その時の様子を直接聞くための機会ともなった。


アナベルは……フェリスとシルヴィの母は、その最期まで幼い娘や隣国に送られた息子のことを気にかけていた。夫の、そして子供たちの無事と幸せを祈りながら、最後は眠るように息を引き取ったという。


「今日は……急にお招きして申し訳ない、サイラス様、ローレル殿。」


事前の約束もなく招いたことへの非礼を詫びるシルヴィに、サイラスもローレルも『身内の集いのようなものだから、気にすることではない』と首を振った。


『だが……』と祈祷師は言葉を継ぐ。


「だが今日は俺の助手が不在にしているんだ……あまり長居はできん。」


そう言って、すまなさそうに褐色の髪をガシガシとかいた。


「サクは昨日、神殿から戻らなかったんだな……」


ローレルによると、サクは神殿に行ったきりまだ戻っていないとのこと。前の日、共にホーエンベルク神殿へ向かったクリスとサクだったが、司祭長との面会の後、それぞれ別々にホーエンドルフに戻ることになったのだ。


「面会の後、神殿の中を案内すると言っていたが、急に他の用事を思い出したらしく……知り合いの司祭2人に俺を任せて、そのまま会うことはなかった。」


ラドルの琥珀色の瞳が、不安そうにクリスとローレルを交互に見上げている。


「サク……大丈夫かな。」


ローレルの大きな手が、少年の頭の上に乗せられた。


「大丈夫だろ。ザーシャも言っていたが……昨日の夜、司祭が直々に知らせに来たってんだから。」


帰りの遅いサクを心配していたザーシャの元に、神殿からひとりの司祭が『司祭長様の所用で、サクは今夜、神殿に泊まることになりました』という知らせを持ってきたらしい。


「司祭長様の用事って、何なのかな……」


親衛隊によって丁寧にくしけずられた髪をわしゃわしゃと撫でられながらも、ラドルはまだ心配そうに呟いた。


そして、ローレルがそろそろ暇を告げようとした、その時。


部屋の中へ慌てたように入ってきたのは、パラサティナの侍従、ジャン=レノワだった。


「シルヴァン様……お客様がお見えなのですが……」


ジャンは小声で主人あるじの婚約者に声をかける。


「ホーエンベルク神殿からいらした司祭様が、こちらのローレル様にお会いしたいとおっしゃっています。」


その司祭は、最初にホーエンドルフにある祈祷師の家を訪ねたそうだ。ところが留守だったので困り果てていたところ、近所に住むザーシャに居所を教えられて、ここ、リヴァージュ荘にやって来たらしい。


そこまでしてローレルを訪ねてくるとは、いったいどうしたことか……シルヴィや、彼を囲むように立っていた男たちの顔が訝しげなものとなった。大柄の祈祷師は『わかった』と短く言って、ジャンと共に階下へと降りて行った。その後を、見習い少年が追いかけるようにしてついていく。


しばらくして再び皆のいる部屋へと戻ってきた二人の表情は、見るからに強張っていた。


「どうした?」


クリスが素早く訊ねる。


「サクが……サクが神殿に拘留されちゃったって……っ」


今にも泣きそうなラドルの言葉に、弾かれるようにフェリスとハナが振り向いた。


「シルヴィ、悪いがすぐに失礼する。……フェリス、ハナ、帰るぞ!」


呼ばれた二人は大きくうなずき、突然会話が打ち切られることをそれぞれの話し相手……パラサティナとウルケに詫びた。


「フェリシア……何かあれば、すぐにわたくしのところへ来なさい。」


パラサティナはそう言って、フェリスの両手を自身のそれで包み込んだ。水色の瞳の中には、心から心配している様子が見て取れる。


本当に、姉のように温かな人……フェリスは未来の義姉の心強い言葉に『ありがとう』と感謝を伝え、ハナを伴いローレルやラドルを追いかけるように階下へと降りて行った。


サクが神殿に拘留……?


クリスは前日の司祭長との面会を思い出していたが、そんな予兆はまったくなかったと言っていい。どういうことだ……


「おじ上、先にウーフェル荘へお戻りください。」


サイラスにそう言い残し、シルヴィには詳しいことは後で説明すると短く言い置き、自身はリヴァージュ荘の馬を借りてすぐにホーエンベルク神殿へと向かった。


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