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ファイエルベルクの祈祷師《2》  作者: 小野田リス
2/20

序章〜結婚式を執り行いました

常緑の針葉樹が、ますます緑色を深める初夏の頃。


古都の趣を醸す石畳の道は、ホーエンドルフの街を出ると土の道に変わり、民家が途切れ始めるとすぐに森の中へと入っていく。山を上るようにさらに続くその道は、背の高いモミやマツの林を抜けると、ところどころ大岩の目立つ萌黄色の波打つ草地へと歩く人を誘う。草地に点在する牛や山羊の群れからは、時折、カラン……カラン……という鐘鈴カウベルの金属音が静かに響いている。視界の開けたその道は、気がつけばピンクや青、白、紫など、色とりどりの小さな花々に縁取られた小道へと変化しているのだ。


その道の正面に、聖峰ホーエンベルク山が聳え立っている。


蒼穹を突き刺すその”槍の穂先”は、1年を通して雪と氷に覆われ、花や緑の季節となっても変わらず白く輝きを放っている。


しばし白銀の頂を眺めながら上り進むと、小道は再び森林の中へと入っていく。


牧草地の明るくのどかな風景を堪能した後ということもあり、森の中の道は、より一層薄暗く感じるものだ。しかし、その道の終着地を知る者は、この森を通る頃になるとようやくホッとする。


その森を抜けると、道は、まもなくホーエンベルク神殿へと辿り着くのだ。



***



灰色の切石をうずたかく積んで作られたホーエンベルク神殿は、山の中腹あたりの切り立った崖の上に聳えるようにして建っている。はるか昔に古代エメロニアによる侵攻を受けて以来、数十年ごとに改修工事が重ねられたその巨大な建物は、一見すると峻険な城郭にも見える。


神殿の正面玄関となっている木製の大扉は、森を抜けた小道から、浅い谷を挟んだ先にある。その谷には、建物と同じ石材を積んでつくられた橋桁を支えにして、木製の細い橋が架けられており、徒歩で来た者も馬車で来た者も、みな橋の手前にある煉瓦積みの小屋で入殿の手続きをする決まりになっている。


ファイエルベルク国は今、観光のシーズンの真っ只中。


朝とはいえ、夏至のお祭りの前ということもあり、煉瓦積みの小屋の前にはすでに長い行列ができていた。


その中ほどに、この季節にもかかわらず身にまとった緋色の外套が目を引く、二人の男がいる。


「ねえ、こういうことってよくあるの?」


頭巾から亜麻色の髪をのぞかせている青年の空色の瞳が、隣に立つ大男の顔を見上げた。


「……祈祷師は、毎年の”洗礼”やら仕事の報告会やら、薬の納品なんかでしょっちゅう神殿ここには来るんだが」


鳶色の目をした大男は、眉を上げて肩をすくめた。


「こうやって、ご指名で『来い』って言われたのは初めてのことだ。」


彼ら、ホーエンドルフに住む祈祷師とその助手……ローレルとサクは、神殿から名指しで呼び出されていた。突然のことだった。


「というか、どうでもいいけど、すごい行列だね。いつもこうなの?」


ホーエンドルフに住み着いて三月みつきほど経つサクだが、その前の数ヶ月間、神殿で暮らしていた。真冬の神殿(そこ)は、雪に閉ざされた時期だったこともあり、静かで落ち着いていて……どちらかというと陰気な雰囲気すら感じていたほどだ。観光地だとは聞いていたが、まさかこれほどまで賑わうような場所だとは思ってもみなかった。


「夏はいつもこんな感じだぞ。大陸中から礼拝にやってくるんだ。夏至の祭りも近いし、特に混み合う時期だな。っつーか、せっかく早めに家を出たってのに……馬車で来りゃよかったかなぁ」


舌打ちしそうに呟いて、ローレルはその瞳の色と同じ茶色の頭髪をがしがしと掻いた。


「ザーシャもそうした方がいいって言ってたよ。」


ザーシャとは、ホーエンドルフの人々にとっては『ザーシャの店の店主』という方が馴染み深いが、彼女はサクが間借りしている部屋の家主でもある。


「でも僕は、馬車道よりも歩く道の方が好きだけどな。花は芳しいし、森は静かだし、山は美しいし。」


「おまえ、なんか知らねーけど詩人みたいな台詞だな。」


ローレルは半眼で隣の青年を見やりながら、抑揚のない声で続けた。


「そうやって、気障きざったらしい言葉でうちのをたぶらかしたのか?」


「……あんた、まだそんなこと言ってんの?」


同じような目で見返すサクだった。



***



話は、ローレルとサクが神殿から呼び出しを受けたその日から、二月ふたつきほど前に遡る。


ところどころ若木が芽吹かせる山間を、雪解けの小川が軽やかに水音を立てて流れる頃。


ホーエンドルフの外れの集落で、一組の若い男女が結婚式を挙げた。


司祭に代わって、“第一の神事”である祈祷ゲベートと、”第二の神事”である祝福ファイエルを執り行うのも祈祷師の仕事。ホーエンドルフで祈祷師として働くフェリスに、その結婚式を執り行ってほしいという依頼があったのだ。


その依頼をしたのはファイエルベルク自警団の兵士だ。彼は、フェリスの”護衛役”であるハナに制服のお下がりを譲ってくれた青年で、名をペテルという。少し離れた山間の集落からペテルの元へと嫁いで来たのは、彼の幼馴染だ。縮毛ちじれげの黒髪と真っ赤な頬が愛らしい木こりの娘で、その名をハイディという。幼い頃から自警団に入るまで牛飼いを生業としていたペテルは、夏の山でハイディと出会った……『あれ、どっかで聞いたことあるぞソレ』と思われがちだが、酪農の盛んな山岳国家ファイエルベルク国ではよくある話なので、深くは詮索しないように。


もとい、ペテルとハイディは、自分たちの集落を巡回する担当祈祷師であり、いつも甲斐甲斐しくお年寄りや子供、病床人の世話に勤しむフェリスに、『ぜひとも自分たちの結婚の儀式を任せたい』と願い出た。


祈祷師協会の許可も得て、無事にしめやかに式が執り行われた、その後。


新郎新婦の親族や友人たちは、ホーエンドルフの町の中にある食堂兼宿屋を借り切って、結婚の宴を開いた。


その宴には、儀式を執り行ったフェリスと、フェリスの”家族”であるローレル、ハナ、ラドル、サクも招かれた。それと、ホーエンドルフの人間が誰しも一度は世話になるというザーシャ、その夫のマッケイも招かれていた。


誇らしげな顔で頬を上気させた軍服の青年と、小さなスミレの花の刺繍がたくさん施された白地のベールの下で幸せそうに頬を染める花嫁……その日、新たに誕生した若い夫婦を微笑ましく見守りながら、ザーシャが言った。


「ねぇ、フェリス。あんたもそろそろ考えた方がいいんじゃないの?」


「考えるって、何を?」


フェリスは、瑠璃色の目を丸くして訊ねるように首を傾げた。


そこへ、ご馳走やお酒の配膳がひと段落した宿屋の女将ナディもやって来て、小憩のため同じテーブルに腰掛けた。


「何をって、フェリス。結婚のことを、よ。」


りんごや柑橘などの果物を氷砂糖と一緒に漬け込んだワインを水で薄め、シナモンや少量のリキュールで風味付けしたその飲み物は、祝宴で饗されるアルコール度数低めのおめでたいお酒だ。それをフェリスの空いたグラスに注ぎながらナディは続けた。


「あんたも、もうすぐ18になるんだし……そりゃ働く女にとっちゃ、結婚も一筋縄じゃいかないけどさ。」


「そうだねぇ。祈祷師の仕事をしながら、家のことするのも大変だねぇ。」


経験則から語るナディやザーシャの言葉には、滲み出るものが感じられる。


フェリスは、お祝いのお酒でうっすらと赤く染まった頬に右手を当てて考えを巡らせた。


「わたくしが、結婚……」


ローレルやハナ、ラドルという”家族”に囲まれて楽しく暮らしているフェリスにとって、今まで考えてもみなかったことだ。


「結婚ということは、どなたか男性と一緒になって、今とは別の家族を持つということですわよね……」


フェリスは、"家族"と過ごす時間を振り返ってみた。毎朝の水汲みはフェリスの仕事だが、食事の用意も、買い物も家の掃除も……すべてハナやラドル、時にはサクにもやってもらっている。朝から晩まで祈祷師として集落を周り、家に帰ってからすることといえば、ローレルやサクと一緒に薬の材料を準備したり、薬草茶やザーシャの店に卸すハーブティーをこしらえたり、繕い物をしたり、本を読んだりするくらいだ。


「……無理ですわ。どうしましょう、わたくし、お家のことはほとんど何もできませんもの!」


大きな目をさらに大きくして困惑するフェリスに、ザーシャもナディも破顔した。


「だーいじょうぶよ!そういうのは、何とかなるもんなのよ。」


「そうだよ、フェリス。毎日のことだからね、すぐできるようになるさ。」


でも……と二人は続けた。


「何が大変って、祈祷師あんたの仕事を理解してくれる男を見つけることだよ!」


「一緒に暮らすってなると、誰でもいいというわけにもいかないからね!」


そこで一度、二人の女は顔を見合わせてにんまりと笑った。そしてフェリスの耳元を両側から挟むように顔を寄せた。


「でもほら、フェリスには幸い、ちょうどいいのがいるじゃない。」


「年の頃もぴったりだし、何より祈祷師の仕事のこともよくわかってるし。」


そして二人は、同時に同じ人物に向けて指を差した。


フェリスは、彼女らが指した方へと顔を向けた。



「何、フェリス?」



離れた席からの視線に気付いてフェリスにそう訊ねたのは、緋色の外套をまとった亜麻色の髪の……サクだった。



***



ホーエンベルク神殿の前にできた行列は、なかなか前へと進まない。


「で、おまえ……どーすんだよ。」


ローレルは眉根を寄せて、不機嫌そうな声で亜麻色の髪の青年に訊ねた。問われたサクは『何度も同じこと聞かないでよ……』とため息をついた。


「どうするも何も、僕は誰とも結婚しないよ。フェリスなんて、とんでもないよ」


「テメー!!うちの子が結婚相手として『とんでもない』って、どういう了見だ!!」


「ちょっと、声が大きいよ……そういう意味じゃなくて。」


突然の大声に、前後に並んでいた人たちの視線が一斉に二人に向けられた。その視線を避けるように身を縮めて、声を落としてサクは続けた。


「僕は元呪術師で、しかもフェリスの両親の死に関わる人間だ。あの頃、僕は自分のすることが酷い災いを招くということについても、何も感じていなかったんだ……。」


緋色の頭巾に隠れ気味だが、その瞳は悩ましげに伏せられている。


「こんな自分が結婚なんて考えられないし、この罪は一生かけて償うつもりだよ。」


「テメー、うちの子に一生つきまとう気か!!」


「あんた、フェリスのこととなったら結局、何をどう言っても怒るんだな。」


冷静になれよ、と冷ややかな視線を投げつけるサクだった。


しかし、そんなやり取りに心が救われることも自覚する。


かつての自分の行いや思考を思い返すと、言い知れぬ苦しみが喉元にせり上がってくる。しかし、フェリスのこととなると見境なく感情的になるやっかいなパパ・ローレルや、相変わらずのんきで朗らかなフェリス、いつも親身なラドルやハナ、同居人のザーシャ夫妻の何気ない言動が、すぐに日常へと引き戻してくれるのだ。そのことに、サクは心の中でそっと感謝する。


今も、半眼で隣の大男を見やってはいるが、口元には穏やかな笑みを残している。


それにしても……と、サクは表情を変えて、嘆息気味に呟いた。


「ほんと、フェリスには驚かされるよ。」


「おまえ以上に、俺は驚いた。今度は何を言い出すのかと思えば……」


そう、ペテルとハイディの結婚式が済んだ数日後、フェリスは突然、サクに言ったのだ。


『ねぇ、サク。わたくしと結婚してくださらない?』


いつもの楽しげな笑顔で……まさかのプロポーズだった。


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