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ファイエルベルクの祈祷師《2》  作者: 小野田リス
18/20

祭りあとに見る夢は……

聖峰ホーエンベルク山に後光を射す西日が、白灰色の石壁にも飴色の木製扉にも黄金色の光沢を与えている。


一年で最も太陽が長く空にとどまる夏至の夕べは、ゆっくりとさやかに更けてゆく。祈祷師協会本部が面しているこぢんまりとした円い広場にも、まだ多くの屋台が立ち並び、街を散策する観光客を相手にますます賑わっていた。


「フェリス!迎えにきたよ!」


弾けるような明るい声と共に飛び込んできたのは、濃紺色の外套に身を包み、両手で大きな紙袋を抱えたラドルだ。今日はハナと連れ立って、数年ぶりにホーエンドルフの祭りを楽しんでいた。


「まあ、ラドル。その荷物、どうしたの?」


フェリスはちょうど、ようやく人の引き始めた協会本部の後片付けのため、何枚もの毛布を重ねて抱え階段を上りかけていたところだった。


祈祷師見習いの少年は、手にしていた大荷物をひとまずテーブルの上にドサリと載せて、先輩祈祷師の片付けを手伝い始めた。


救護室にしていた部屋から、使い終わった毛布を一枚抱えてフェリスを追いかけるように階段を上る。


「輪投げの屋台が出ててね。ハナが大活躍だったの。」


ティーカップの受け皿ほどの大きさの輪をいくつか渡され、決められた場所に立ち、そこから少し離れた場所に設置されたポールめがけて投げる遊びだ。入った輪の数に合わせて、もらえる賞品が多くなる。


「ハナ、輪っかを全部入れちゃって。しかも、すごい速さで!」


「つい本気になってしまいました。」


ラドルの後から協会本部に入ってきたハナは、今日は仕事ではないので自警団の制服ではなく、以前にナディが貸してくれたブルーのモスリンドレスを着ている。リヴァージュ荘でのティーパーティーのために借りていたもので、昨日、返しに行ったのだが『お祭りでも着たらいいわ』と再び持たされたのだった。シンプルで綺麗な青色のそれは、涼やかなハナの面立ちによく似合っている。


「それでね……ハナの輪投げをそばで見ていた他のお客さんがみんな大喜びしちゃって、『お金出すからもう一度やって見せて』って次々リクエストされたの。」


何度やってもすべての輪を素早く投げ入れるハナの技に驚喜し、その歓声がさらに多くの人を呼び寄せ、ちょっとした人だかりになっていたとのことだった。


「輪投げの屋台のおじさんがさ、おかげで大賑わいだったって喜んで……おじさんのお店の賞品だけじゃなくて、隣の屋台で売っていた焼き菓子もたくさん買ってくれたの。」


「ふふ、それは素敵だったわね!」


楽しそうにお祭りのことを話すラドルに、フェリスは頬を緩める。去年も一昨年も、幼いのにフェリスに付いて地方の村のお祭りを一緒に手伝っていたため、こうやって純粋に夏至のお祭りを楽しむのは久しぶりのことなのだ。


抱えた毛布を小屋裏に片付けて階下に戻ると、ハナが戦利品の焼き菓子を祈祷師たちに配っていた。


「さあ、フェリス。帰る前に我々と一緒に一息入れようじゃないか。」


祈祷師協会の会長、ダンがポットにたっぷりのお茶を用意してくれた。ゆさゆさと大きなお腹を揺らしながら、テーブルの上に並べられたティーカップに注ぎ入れた後、いつもの肘掛け椅子にゆったりと腰掛ける。


「それで……今年の”花冠の乙女”はどうだったね?」


ラドルとハナを交互に見やり、笑顔で訊ねた。


「すごく綺麗だったよ!フェリスがお茶会の時に着てたのによく似た、白いドレスだった。」


「おや、フェリスがドレスを?」


「へ~、俺もフェリスがドレス着てるところ、見てみたかったな!」


「そういやフェリスだって”花冠の乙女”役、できるんじゃないの?」


「来年は祈祷師協会から推薦してみようか。」


「いや、これ以上、人手が足りなくなったら大変だって。」


「それもそうか。」


ダンを始めとし、テーブルを囲む祈祷師たちの談笑の輪の中は、いつだって居心地がいい。フェリスは、間もなくこの仲間たちとも離れ、ここを去ることを思い出し少し寂しくなった。昨年のデーネルラントの時のように、またすぐには帰れないかも知れない……詳しいことはランチェスタ聖教会を訪れてから知らされることになっているが、どんな仕事を与えられたとしても無事に果たして必ずまたここに戻って来たいという思いを、改めて強くする。


「ところで、ローレルは今日、何をしてるんだね?」


ふと思い出したようにダンが訊ねた。


「それが分からないんですの。ローレル先生に用事があったなんて、わたくし知らなくて……。」


夏至のお祭りの日には、”花冠の乙女”の舞台に際し祈りを捧げるため司祭長が街にやってくる。フェリスはつい数日前まで、ローレルとハナの結婚の儀式をこの日にしてもらおうと考えていた。今年、ローレルには祈祷師として特に役割がないのだが……。


「一緒にお祭りを見て回ろうって誘ったんだけど『今日は忙しいから、夕方に祈祷師協会で落ち合おう』って、朝から出かけちゃった。」


ラドルも不思議そうに首を傾げている。


「だったら、もうすぐ先生もここにいらっしゃるのかしら……。」


同じようにフェリスも頭を傾け、頬に手を当てた。



その時。



「待たせたな!」


扉のところに、緋色の外套の大男が立っていた。噂をすれば何とやら、である。


「いや、別に待ってないし。」


いつもの調子で軽口を言うダンを無視し、ローレルはずかずかと歩みを進め、真っ直ぐ……ハナの前へとやって来た。


「何ですか、私も別に待ってませんが。」


迎え撃つように胸を張り腰に手を当てて、ハナは半眼でローレルを見上げた。今日は3人で一緒にお祭りを回るつもりにしていたのをすっぽかされ、今はローレルに対して若干機嫌が悪い。


ダンも祈祷師仲間も、もちろんラドルもフェリスも、またいつもの言い合いが始まるものだと思っていたが、ローレルは黙ったまま……その場に片膝を付いた。


その目線は急に低くなり、ハナを見上げる形になる。


その姿のまま、ローレルは背中に隠すようにして持っていた大きな赤い花束をすっと差し出し、黒い瞳に視線を定めた。



「ハナ、俺と結婚してくれ。」



……そう言ったきり動かない。だが、ハナを見上げる鳶色の瞳は、真剣そのものだった。



誰も言葉を発せず、その場に固まる……フェリスは、息をするのも憚られるように感じ、ただただ見つめ合う二人を見守っている。



いつとは様子が違う……こうやって人前で結婚の申し込みをするということは、ローレルは今回のハナの返事を最終通告として受け入れるつもりだ。


それを察したハナは、目を伏せて心を決めた。


「わたしは、ローレル様にはふさわしくありません。」


ずっと胸の中にある正直な気持ちだ。


「相応しいとか相応しくないとか、余計なことを考えるな、ハナ。俺がおまえのそばにいたいんだ!」


弾かれたように、ハナの目が再び開かれた。漆黒の潤んだ瞳が、磨きぬかれたオニキスのような光を帯び始める。そのわずかな変化を見逃さず、ローレルはすでに望む答えを得たかように笑みを浮かべて……最後に確認した。


「おまえはどうなんだ?」




どれほどの時がたったのだろう。



実際は、ほんの少しの時間だったのかもしれない。



ハナはローレルの差し出した、リボンで華やかに飾られた花束を……両手で受け取った。



「ずっと……お側にいさせてください。」


その大きな花束に顔を埋めるようにして顔を伏せ、小さな声を震わせた。



**



「……。」


「……これって?」


「………もしかして?」


「…………ようやく?」


「おめでとう、ハナ!」


誰もが信じられないといった顔でことの結果を探るように話し始めた中、フェリスはいち早く祝福の言葉を投げかけた。


ついに、ハナがローレルのプロポーズを受け入れたのだ。


「ああ、ハナ。わたくし、とても嬉しいわ!」


フェリスの抱擁と祝福のキスを受け、ハナはさらに頬を赤くした。


一方、花束を受け取ってもらえたローレルはというと、両手を差し出した格好のまま、驚いたように固まっている。


「ローレル、どうしたのさ。」


ラドルがつんつんと緋色の外套の上から背中をつついた。


「い、いや……嬉しすぎて……しかもまさかこんなにすんなりいくとは思ってねえし……。」


毎年のように殴られ、首を絞められ、プロポーズの度にわけも分からず怒られていたローレルだ。頬を赤らめて受け取ってくれるハナの素直な反応が嬉しい反面、けっこう驚いている。


「なんとめでたい!おまえもやっとまともなプロポーズを……いや、とにかくこれで本当に”一家の大黒柱”だねえ!」


ダンもティーカップを置いて立ち上がり、ローレルの肩をぽんぽんと叩いて祝福した。


「ほれ、そんな格好で固まってないで……未来の花嫁に抱擁とキスを……。」


促されるままに立ち上がり、ローレルは花束を持つハナの手を取った。


「えーっと……そ、その……暮らしは今までとそう変わらねえとは思うけど……これからも俺たちはずっと一緒だ!」


力強く言い切った言葉に、ハナは、鳶色の瞳をしっかり見つめ返して頷く。ローレルは安心したように頬を緩めた。


「プロポーズ、受けてくれてありがとな、ハナ。」


そう言って背中をかがめ、これ以上ないほどに赤く染まったハナの頬に口づけを落とす。そのまま、目元に浮かんだ涙を拭うように、また一つ、キスをした。


おお!という歓声とともに、二人は大きな拍手の輪に包まれた。


プロポーズがこんなに感動的なものだとは思いもよらなかった……フェリスは、改めて『サクに悪いことをしてしまったわ』と反省した。


「ほらね、ローレル。言った通りだろ?」


いつの間にかフェリスの隣に、申し訳ないと思っていた相手、サクが立っていた。さらにその隣には、ザーシャとナディまでいる。


「そうだよ~、いつも余計なことを言ったりやったりするから、バッサリ断られてたのよ!祭りで大忙しの中、特訓してやったんだ。感謝しておくれよ、ローレル。」


「おめでとう、ハナ!私の青いモスリン、着せといて良かった。今日は一段と綺麗よ!」


サクの発案で、二人がローレルの”プロポーズ大作戦”に協力することになった。ご近所の派手な大男が8年前、美しい同居人へのプロポーズに失敗した話は有名だが、まさかそれを何度も繰り返していたとは思ってもいない。これまでどうやってハナに申し込んでいたのかを聞き取り、『アンタ、馬鹿じゃないの?!』とか『いや聞くまでもなく、馬鹿だね!』などと罵り、どこがどう馬鹿なのかを詳細に説明し、大いに反省させたのだ。


昔乙女だったザーシャもナディも、かなり乗り気で自分の経験と妄想をもとに数多くのセリフを考えたが、サクが『長いのはローレルが覚えられない』と冷静に指摘し、最後には『シンプルに。余計なことは言わず、ストレートに。』ということで方針がまとまった。


ローレルは、ファイエルベルクの伝統にのっとり古式ゆかしく赤い花を贈ることにした。『これで殴られたら、もう来年はないからね。』と3人の応援隊に念をおされて送り出されたのだった。


思いのこもった花束だ。未来の夫に『ありがとうございます』と改めて小さく謝意を述べるハナの切れ長の目に、再び涙が滲んだ。


「僕は今日、ローレルの助手になってから一番良い仕事をしたかもしれない。」


幸せそうに微笑むハナを眺めながら、サクは独り言のように呟いた。


**


「おやおや、ちょうど良い時に来れたみたいだねぇ。」


祈祷師協会に、また新たな客人がやってきた。


「まあ、司祭長様!……と、クリスに……サイラス様まで?」


「……なに遊んでんだ、アンタたち。」


ローレルに半眼でつっこまれ、顔を赤くしてうつむくクリスと、何やら嬉しそうなサイラスは、二人とも濃緑色の祭服カソックを身につけている。


「お祭りだからねぇ。いいじゃない、別に。」


司祭長ミゲルが代わりに答えるが、あまり答えになっていない。


「司祭長様がね、ランチェスタに行くまでに司祭としての所作を直々に教えたいっておっしゃって……朝からずっとその格好で特訓中らしいよ。サイラス様はなんで着てるのか知らないけど。」


一部始終を知るサクが説明しようと話し出したが、老ガリエル伯の謎の行動については口を閉ざすしかなかった。


ラドルが二人に近寄って、二人の偽司祭を交互に見上げた。


「二人ともよく似合ってるよ!サイラス様なんて、ふつーに神殿に住んでいそうだもの。」


素直に思った通りを言う少年の柔らかい茶色の髪を撫でて、サイラスはエメラルド色の目を細めた。


「クリスを見てたら、私もやってみたくなってね。司祭長に頼んでみたんだよ。」


「ガリエル閣下、例の約束……ちゃんと書いてね、あなたの作品の中に。」


ミゲルの目が愉しげに笑っている。ラドルは、どういう意味か分からず、尋ねるように司祭長を見上げた。


「おや、ラドルは知らなかったのかい?ガリエル閣下は有名な作家さんなのだよ?」


琥珀色の目を大きく見開き、ラドルは再びサイラスを見上げる。


「ウーフェル荘に初めて来た時に、おまえにあげた本だが……あれは私が書いたものなんだ。」


「えーーーー!」


その告白に、ラドルだけではなくフェリスもハナもローレルも目を丸くする。


ガリエル家の家督をクリスの兄ルッツに譲り、交易に関わる宮廷官吏としての役を退いた後、ノルトハーフェン郊外に居を移し、そこで悠々自適に物書きを始めたところ……どの作品も評判が良く、すっかり売れっ子作家となってしまったとのこと。


本当の名も身分も潜めているので、そういう謎が多いところも受けたのだろう……とサイラスは破顔した。


「さて……小説にするには、何かドラマチックな出来事などあった方が創作意欲も掻き立てられるというものです。」


「サク、例の特訓の成果は?」


二人の偽司祭から訊ねるような視線を向けられたサクは、口の両端を釣り上げ、片目をパチリと閉じた。


「大成功だよ。」


ミゲルがふさふさの白い眉を上げる。


「そうか、ではさっそく……」


司祭長は、人の輪の真ん中にいるローレルとハナに近付いた。


「婚約おめでとう、ローレル、ハナ。」


二人は揃って『ありがとうございます』と礼を言った。その二人だけでなく、その場にいた者は皆、祈祷師協会こんなところに何の用事だろう……と伺うような目でミゲルを見ている。


その視線に答えるように、司祭長は笑みを深めた。


「今日は神殿に帰る前に、フェリスと話がしたくてやってきたんだが……ついでにおまえたちの結婚の儀式もやっちゃおうかと思って。」


「おい、ついでって何だよ。」


「だって、ほんとについでなんだもん。」


「テメー、司祭長のくせにクチが悪いな。」


「おまえは好きな人とずっと一緒に暮らしてたくせに、プロポーズに8年もかかっちゃうなんてタチが悪いよね。」


本当のことなので、言い返すこともできず『チ』と舌打ちするのみで引き下がるしかないローレルだった。


「とにかく、もう十分に婚約期間を過ごしたようなもんだし、ハナも心を決めたことだろうし……フェリスもラドルも、かまわないよね?」


ハナは、『ずっとこのままがいい』と言った時の、ラドルの寂しそうな表情を思い出していた。


「今すぐでなくともかまいません、司祭長様。ランチェスタでの仕事もありますし」


「すぐに結婚の儀式をしてください、司祭長様!」


ハナの言葉を遮るように、ラドルはミゲルの袖を取ってお願いした。そして、驚いたように見つめている母親代わりのその人に、安心させるように微笑みかける。


「ハナ、ぼくのことは大丈夫だよ。二人が結婚したって、ぼくら、ずっと家族なんでしょ?」


フェリスは、ラドルの背後から小さな肩を抱くように腕をまわした。


「そうね、ラドル。わたくしたち、ずっと家族だわ……。」


まわされた腕に手を掛け、少年は悪戯っぽい瞳で見上げた。


「ちょうどもうすぐランチェスタに行くんだし……ローレルとハナが夫婦になったら、宿屋で二人一緒の部屋にしちゃえるよ!」


「あら、そうね!そしたらいつも一つの寝台に一緒に寝ていたわたくしたちは、それぞれ一つずつ使えるようになるわね!」


「それに、家でもハナがローレルの部屋に移れば、僕らの寝室が広々使えるし……」


隣国ランチェスタから戻ってきたら、マッケイおじさんにもうひとつ大きな本棚を作ってもらいましょう!」


「……おい、俺らの結婚をそんなセコいところで便利使いするな。」


ローレルに止められ、頭の中での”模様替え”を一旦控えるフェリスとラドルだった。そんな二人のやり取りを聞いていたミゲルも、『そういえば』というように目を輝かせた。


「そうだ、ランチェスタ行きが新婚旅行になって、ちょうど良いよねえ。」


「コラ、テメー!マジでいい加減にしろよ!『いいこと思いついた』みたいな顔しやがって……っていうか、俺たちに『ちょうど良い』って言葉は禁句なんだ!」


ミゲルは、『すまんすまん』と笑いながらキレ気味の祈祷師をなだめ、改めて真っ赤な花束を挟んで寄り添う二人に向き合った。


「では、二人とも付いてきなさい。せっかく天気も良いことだし、聖峰ホーエンベルクの見える場所で式を挙げようじゃないか。」


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