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ファイエルベルクの祈祷師《2》  作者: 小野田リス
17/20

7本の赤いリボン

明日はいよいよ、夏至のお祭り。


朝早くに祈祷師協会へ行かねばならないのだが、フェリスは寝台の上で身を起こし、窓の外の月を眺めていた。


丸い月が落とす青白い光は、ホーエンドルフの通りに魔法をかける……いつもの石畳の道も、神秘的な彩となって照り返し、まるで異世界へ通じているかのようだ。


昨夜は満月だった。


月が満ちる時、気分が高揚し寝付けないことがある。そんな夜は、ハーブティーや香油で自然な眠りを誘うよりも、窓の外の丸い月やその月影に映える石畳を眺めながらあれこれ考えるのが好きだ。昨日は満月だったが、前日にホーエンベルク神殿で一睡もせず一夜を明かしたフェリスは、祈祷師協会への報告やいつもの集落巡回の仕事を終えるや否やすぐに寝台へともぐりこんでしまい、そのまま朝まで眠ってしまった。


そして今、一日遅れの”お月見”を楽しんでいる。


午後の帰り道で、ようやくサクと結婚について話し合うことができた。結果的にフラれることにはなったものの、サクがこれからも”友人として”フェリスの幸せを願っていると言ってくれたことがとても嬉しかった。


ハナはともかく、同じように突然現れたとパルとクリスには本当にびっくりした。なんだかんだ言い合いながらも、フェリスには彼らがとても仲良しに見える。っていうと、二人ともすごく嫌がるのだけど。


パルはあの後、探しに来たシルヴィとジャンに見つかりリヴァージュ荘へと連れて帰られた。弓を取り上げられ、未来の夫にお説教されながらではあるが、手を取り合って歩く後ろ姿はとても仲睦まじいものだった。兄とパラサティナは、誰からも祝福される素敵な夫婦になるだろう……ペテルとハイディみたいに……。


ランチェスタで自分の役目を果たすことは、二人の幸せな門出のためにもなる。そう思うと、ますますやる気が胸に満ちてくる。


そんな高ぶった気持ちをなだめるように、甘い香りがふっとフェリスの鼻腔をくすぐった。


エノルおばあさんにもらった木苺は、夕食後のデザートとなり、その残りでジャムを作ったのだ。その残り香が寝室にまだ漂っている。ジャムは、エノルおばあさんやご近所さんのザーシャやナディ、祈祷師仲間にもお裾分けするつもりでいる。


気がつけばまた、六芒星にラピスラズリをあしらったペンダントに指が触れていた。……そうだ、クリスにも食べてもらおう。クリスは明日、サイラス様とお祭りを見物する予定だと聞いている。その後に祈祷師協会に立ち寄ると話していたので、その時に渡せるだろうか。


「眠れないのですか……」


隣の寝台からそっと訊ねる声があった。見れば、ハナも同じように身を起こしている。


「ごめんなさい、起こしてしまったわね。」


眉尻を下げるフェリスに、ハナは『いえ……』と小さく首を横に振った。


「少し、お話してもよろしいですか?」


珍しくそんな風に切り出したハナに、フェリスは『ええ』と小さく微笑んだ。ハナは自分の寝台から出て、部屋の隅に作られた棚の前に立った。そして、その一番上に置かれていた小さな紙の箱を手に取り、今度はフェリスの寝台の端へと腰掛けた。


思いつめたように手の中の箱を見つめているハナの隣に、フェリスも夜着から出て並んで腰掛ける。


ハナは、やがて意を決したように、箱の蓋を開けた。


中に大切にしまわれていたもの……それは、何本かの赤いリボンだった。


「まあ、ハナ……とても綺麗だわ。」


月明かりでも分かるほど、鮮やかな赤い色……ふと見上げれば、護衛役の頬もほんのり赤らんでいる。


「……この国には、結婚の申し込みをする時に赤い花やリボンを送るという風習があるのです。」


知らなかった。


もう何年もこの国に暮らしているというのに……なるほど、そういえばペテルと一緒に結婚の儀式の話をしにやってきたハイディも赤いリボンを結っていた。ハイディの黒い髪に、目の覚めるような赤いそれは、とてもよく似合っていた。『そのリボン、とても綺麗だわ』と声を掛けたところ、頬を染めてとても嬉しそうに微笑んだのを思い出す。


あら……ということは、本当はわたくしもサクに赤いリボンを渡して結婚の申し込みをしなくてはならなかったのかしら。


いえ、そんな話ではなくて。


「もしかしてこれ……先生にいただいたものなの?」


ハナは口元にほんのり笑みを浮かべ、肯定するように小さく頷いた。


「じゃあ、先生はもうハナに結婚の申し込みをなさってたのね!」


驚きや喜びや戸惑いが入り混じったような感情に突き動かされ、思わず声が大きくなるフェリスだった。同じ部屋の本棚の向こうから、すでにラドルの寝息が聞こえてきているというのに……


思わず口を押さえたフェリスに、ハナは顔を近づけて囁くように話し始めた。


「フェリス様を連れてこの家に来た翌年に、ローレル様から1本目の赤いリボンをいただきました。」


「……1本目?」


ハナを真似て、フェリスも声を落として顔を近づけた。


ハナは、中のリボンをひとつ手に取った。


「全部で7本あります。毎年、夏至のお祭りの頃になるとローレル様が私にくださるのです。」


知らなかった。


何年も一緒に暮らしているのに、二人の養い親の間で、毎年そんなイベントが行われていたなんて……


というか……ん?毎年?


「ハナ、先生は毎年プロポーズなさるの?」


「はい。そして毎年、私はお断りしています。」


「まあ、ハナ!どうしてお受けしないの?」


また声高になってしまった。再びフェリスは両手を口元にやる。ハナは大事そうに手にしていた1本のリボンを再び箱に戻した。



「私は、ローレル様にはふさわしくありません。」


フェリスは困惑して、訊ねるようにハナの顔を覗き込んだ。


窓から差し込む月の光を受け、ハナの黒い髪はますます艶やかに光をたたえ、その頬は青白く照らされている。凛とした美しい横顔……このような見目だけではなく心根も美しい人が、ローレル先生にふさわしくないなどありえない。


「ハナ、そんな風に思わないで……」


フェリスは、隣に腰かける母代わりのその人の膝をそっと触れた。ハナは困ったような笑みでフェリスに向ける。


「いつか全てを……フェリス様にもお伝えしなくてはと思っていました。私はいわば、ウルケ様と同じような境遇なのです。」


ウルケ……ランチェスタのとある貴族の隠密としてピエル=バートル家に入り込み、この度、神書ハイリゲを盗み出そうとしたことでそれが明るみになったのだ。誰の指示でそんなことをしたのか、ついぞ語ることのなかったウルケは、今朝、ファイエルベルク自警団によってランチェスタへ強制送還された。


「私はウルケ様と同様、故郷では主人あるじのために”どんなこと”でもできるように訓練されてきました。」


主人あるじの望みであれば、時には人の命を奪うことをも厭わない……そのように身も心も”作られて”いた。そういう風にしか生きられないようになっていた。


「この手は、血で汚れています。アナベル様に拾っていただくまで……私は、そうして生き伸びてきました。」


そう言って、ハナは再び箱の蓋を閉じた。


「こんな私がローレル様と結婚など、許されるはずもありません。」


同じだ……ハナはサクと同じことを言っている。


フェリスは、箱ごとハナの手を両手で包み込んだ。


「ハナ……あなたのことを許すのは、あなた自身ではないわ。お許しになることができるのは、神様だけよ。」


誰も”正しく”あり続けることなどできない。自分にとって正しいこと、逆に間違っていると思うことだって、他の人から見ればどう感じるかはそれぞれ違う。人は、人である限り自分の在りようをただ受け入れるしかないのだ。


そして、すべてを”神の目”に委ねる。


「司祭長様は、ウルケを罰するようなことは一言もおっしゃらなかったわ。本当の意味で、人が人を罰することなどできないんですもの……司祭長様はいつもそうおっしゃっているわ。神様がいいとおっしゃるまで、わたくしたちはずっと生きていかなくてはならないのだって。」


償わねばならない罪があるとすれば、必ずいつかそうしなくてはならない時がくる。それまでは生きて、この世界とつながっていなくてはならないのだ。


「先生は全てをご存知で……それでもあなたと一緒に生きていきたいと願ってらっしゃるのでしょう?そして、あなたも……」


ローレルを慕っている……いつかの仕事の帰り道で、ハナはそう言っていた。


「わたくしも、いつかハナと先生のように”共に生きていきたい”と願い、願われる人が現れたら……その道を喜んで歩みたいと思うわ。」


ああ、これはわたくしの”心の声”だわ……フェリスは目を伏せて、改めてその思いを確かめた。


ハナに、その道を選んでほしい。


サクが選んだように、人の命を生かすという償い方だってある。ローレルのそばにいれば、必ずそういう生き方ができる。


そして、ハナがローレルと添い遂げる道を選ぶということは……フェリスがいよいよ本当の意味でハナという育ての母から巣立つ時が来たことを意味する。


「わたくしのことは、もう大丈夫だから……。」


箱に置かれた手をさらに強く包み込み、フェリスは額をハナの肩にうずめた。


「今まで、本当にありがとう、ハナ」。


深い慈しみの心で守り導いてくれたハナに、これからもたくさんの感謝の気持ちを伝えていこう。そして、彼女が”心の声”に従って新しい道へと踏み出せるように、今度は自分がハナの背中を押すのだ。


そう心に決めて、フェリスは顔を上げた。そして添えられたハナの手もろともに、再び箱の蓋を開ける。


「わたくしがこの赤いリボンで、あなたの髪を結うわ。」


「フェリス様……。」


ハナの目が潤み、淡い月の光に照らされた目元には白く光るものがにじんだ。夜空のようにどこまでも深く美しい黒い瞳……


……が、突然くわっと見開かれた。


「といっても、プロポーズをお受けしないのは、それだけが理由ではありませんけどね!」


「ど、どういうこと?」


「あの方は……結婚の申し込みだというのに、毎年ろくでもないんです。」


ハナは目を伏せ、眉根を寄せた。


「一度目の時などは……私にこう言ったのです。『俺とおまえは、結婚するのにちょうどいい』と。」


ちょうどいい……最近どこかで繰り返し聞いた言葉だ。


「私は、気が付けばローレル様の頬を張り飛ばしておりました。」


呪詛であやうく命を落としかけていた幼いフェリスを解呪し、行く宛てもない二人を受け入れてくれたローレル。時々悪夢にうなされるフェリスに一晩中寄り添い、生きるよすがだった主人アナベルを失って心に傷を負っていたハナを励まし、その明るく大らかな人となりでランチェスタからやってきた身寄りのない二人を家族のように迎え入れ、そばで支え続けてくれていた。


信頼し、少しずつ心を開き、いつしかほのかな想いを寄せ始めていた矢先のことである。


「ちょうどいいって……ヘラヘラ笑いながら……」


その時の怒りを思い出したのか、ハナの眉間にますます深くシワが寄る。


「いえ、あのハナ……きっと先生はふざけてらっしゃったわけではなくて……」


「ええ、分かっています。照れ隠しもあって、へらへら笑っておられたのかと。」


怒った勢いで張り飛ばしたものの、ローレルのプロポーズのことをちゃんと真面目に受け止め、ハナなりにいろいろと考えを巡らせていた。これまでの来し方を思うと自分はローレルには全くふさわしくないし、すでにフェリスのために生きるのだと決めている。だから、やはりお断りして正解だったのだ。結婚まで考えてくれたローレルに改めて感謝し、自らの想いを封印した。フェリスがもう少し大きくなり、仕事など暮らし向きに目処がついたら、この家を出て行こうとまで考えた。


ところがその一年後、ローレルは再び赤いリボンを手にハナに結婚を申し込んだのだ。


「1本目の時より、もっとひどいんです。」


「……どんな感じだったの?」


「二度目は、祈祷師協会の寄り合いが終わって、ダン会長とたっぷり飲まれた後で……もう泥酔状態でした。」


呂律も回っておらず、何を言ってるのかもよく聞き取れないプロポーズだったという。


「私は、気が付けば渡された赤いリボンでローレル様の首を絞め上げていました。」


「ハナ、手加減してあげたのね。先生いまでも生きていらっしゃるし……。」


翌年は『俺以上にいい男なんて大陸中どこ探したっていない』という大柄な物言いで、その翌年は『おまえも、もういい年なんだから』という余計な一言で……ある時などは家に来たばかりの幼いラドルに『ローレルせんせいとけっこんしてあげて』と言わるためこっそりお菓子でつっていたことがバレて、ハナを怒らせた。


その都度ハナの怒りに触れ、毎年のように制裁を加えられる……すっかり恒例となっている”年に一度のプロポーズ”の全貌について聞かされたフェリスは、呆れながらも同時に感心してしまった。


「ことごとく失敗なさってるのに、全然めげないのね。」


その不屈さは見習いたい。いえ、そうではなくて。


「先生……素直に『結婚してください』って、言えないのかしら。」


フェリスは、赤いリボンの入った箱を持つハナの手に自分の手を重ねたまま、大きく嘆息し、窓の外の月を見上げた。


「毎年、同じようなことを繰り返している間に……フェリス様は成人して祈祷師となられ、ラドルはもう9つ。時が経つのは早いものですね。」


そしてどういう巡り合わせか、あれほど身を隠し避けてきたフェリスの故国ランチェスタへ、皆で一緒に帰ることになってしまった。


ハナはフェリスと同じように大きなため息をついた後、箱に落としていた視線を上げて、表情を和らげた。


「私とローレル様のこと、ほとんど参考にはならないのですが……フェリス様にお話できて何だかホッとしました。」


月は相変わらずあたりを青白く照らている……その淡い夜の光は、”リボンの秘密”を共有した二人を優しく包み込んでいた。

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