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妖精と宮廷魔術師

 世界観は中世。石畳とアーチ橋、魚尾灯と煉瓦の建物。

 そんな国が多い中、和風や中華風の国も時々ある。

 そしてどの国にもお抱えの魔法使いが存在し、王族の世話から戦争にまで駆り出されるのが当然だ。

 それが『魔王様と砂時計』の舞台。この世界だ。


 朝、彼女は日の出と共に起床する。

 昨日からルイに多く与えられていた魔力は、尽きることなく彼女の中にあった。

 暗い部屋に薄い橙色の光が差し込むと、彼女の瞳は誘われたように開かれる。睫毛の下から覗くのは、深海と似た色の瞳だった。

 ゆったりと身を起こす。細い背を覆うヴェールのような銀髪の隙間、肩甲骨あたりから、繊細な羽がしなだれて見える。

 深窓の令嬢よりも優美に、あるいは飼い猫よりも艶やかに。


「……んっ」


 背を逸らし、ぴんと張った羽は、朝日を透かして煌めいた。

 彼女――エレノアは一日を開始する。

 

 今日は外出する予定だから、妖精の恰好のままではいられない。ブラウンのコットンワンピースと、革製の編み上げブーツを着用する。羽は体に沿わせて隠しているから、少し窮屈になる。

 台所でエプロンを着けると、ルイが作った保冷庫から、作っておいたニョッキの生地と食材を取り出した。成形して茹でながら、隣の焜炉でソースに取り掛かった。新鮮な証の水分だけで煮崩したトマトに、甘くなるまで炒めた玉葱を投入する。かき混ぜながらチーズを加え溶かして、塩と胡椒で味を整えた。小口切りの唐辛子を入れるのが隠し味だ。

 朝食と別にお弁当を一つ用意して、やっと一段落ついた。

 サラダとゆで玉子の皿、ニョッキを盛り付けた皿と、オレンジジュース。全てテーブルに配置したエレノアは、二階のルミーナを呼びに行く。

 入室してすぐ目に付くのは、黄金の滝――ベッドに散らばった金髪だ。柔らかに波打って、陽光で輝いている。

 年頃の少女に成長したルミーナには、おとぎ話の姫といった表現が似合う。

 まだ眠たげな瞳は、エレノアの顔を見た瞬間、快活に輝き始めた。


「おはよ、です」

「おはよう。朝食はできてるからね」


 寝起きの良いルミーナの起床には、それほど時間がかからない。意識がはっきりあることを確認すれば十分だ。

 エレノアはさっさとリビングに戻り、自分の朝食を食べ始める。


 ――さて、今日はおりてこられるかな。


 支度に手間取ってエレノアと一緒に朝食を摂れないと、ルミーナの一日は憂鬱になるらしい。ならば一緒に揃ってから食べようかと提案してみたが、それは負けた気がする、とよくわからないプライドを見せられたのが数年前だった。

 どたどたと騒騒しい足音で階段を降りてきたルミーナを、エレノアはにこやかに迎えた。


「ま、まままま間に合ったです!?」

「間に合ったけど、はしたないから減点だよ」

「えー。じゃあじゃあ、今日はイマイチの日かも、ですね」


 少女は用意された朝食を見て、ぱあっと笑顔になる。


「トマトのソースですねっ!」

「ん、ニョッキだよ」

「大好き! ありがとうエレノア結婚してください!」


 ルミーナはエレノアの料理で育った。そのうちに好物が増えに増え、そのうち食べ物は「好き」と「大好き」の分別しかなくなった。

 幸せそうに朝食を頬張る少女を見て、エレノアもニョッキを口に含む。


 ひらり。


 白い何かが視界を横切った。

 エレノアの周囲を浮遊するそれは、紙で作られた蝶だ。この家の主がよく使う、風魔法と闇魔法の応用魔術だった。物を浮かせるのは風、物を変化させる変身術は闇に属する。

 エレノアは手のひらを上にして待った。蝶は数秒でそこを終着点と認め、降り立ってくる。そして蝶は、その形を元の手紙へと戻すのだ。


「お兄ちゃん、今度は何て?」

「ええと……『昼食を持ってきてください。鶏肉の照り焼きな気分です』」

「照り焼き!? 私のお弁当もそれ!?」

「残念ながら、貴女のお弁当はすでに出来上がってるよ。唐揚げね」

「唐揚げですか! ふっふう!」


 結局ルミーナは、エレノアが作ったものなら何でも良いらしい。

 朝食のあと、ルミーナは制服と荷物の確認をする。

 ルミーナが通う学校は高貴な家柄の者が多く通う名門で、服装も当然それなりだ。膝丈の黒いワンピースは裾にいくにつれてふわりと広がり、いかにも貴族が好みそうなデザインの制服だった。それに同じく黒いベレー帽をかぶると、少女は玄関へ向かう。


「行ってきますです!」

「うん、行ってらっしゃい」


 彼女もまた、スティラス家の美形遺伝子を受け継いでいる。小さな頃からかわいかったけれど、学校に通うようになってからは輝きにますます磨きがかかった。

 寝込む日も多いけれど、昔よりは溌剌としてきている。

 成長を見守るエレノアは母親気分である。



 エレノアがルイと会ってから、もう十年になる。宮廷魔法使いだった彼は、今や凄腕の宮廷魔術師になり、世間でも噂が絶えない。

 彼は文句なしの美形様だ。高給取りの宮廷魔術師筆頭で、性格も良い――この評価には全力で異議を申し立てたい――のだから、女性を引きつけて当然だ。

 ただ今のところ、言い寄ってくる女性はお貴族様くらいらしい。

 庶民には既に手の届かないお人である、らしい。


 肩に生成りのショールを羽織って、家を出る。

 スティラス宅は一般民家で、ちょっとした庭には薔薇の花壇が三つずつある。

 街道沿いにある家だから、敷地を出れば人々の行き交う大道路だ。

 成人女性の露出はいかがわしいと目を逸らされる文化で、スカートの丈は常に長い。だから水溜まりの水を跳ねてしまわないように気をつけながら、一歩一歩進んでいく。

 エレノアは人間の女性に扮している。

 時々振り返って見られるのは顔のおかげだ。エレノアは美少女設定で、そこらのモブとは格が違う。


 ――でも。


 振り返って見てきた市民がこそこそ何かを囁き合っていることも、エレノアは知っている。

 それが良い話題ではないことだって。


 ――はやく行こう。そろそろ宮廷のランチタイムだ。


 隙間に泥汚れが付着した石畳を踏み歩き、お馴染みの雑貨屋――このゲームで言うアイテム屋――の前を通り過ぎる。

 何キロ離れていても目に入る白い王城は、荘厳の一言だ。天井は無駄に高く、豪奢だった。

 王城は広大な敷地を有していて、奥に一際目を引く本殿がある。手前左右の棟は、右が兵舎で左が魔術研究所だ。その周囲に点々と配置される幾つかの棟は、大図書館や屋内庭園、来賓館や政務棟、鍛錬場やら寮やらと併設されている。

 その敷地に入るには、大門の両脇に立つ守衛に許可を貰わなくてはいけない。


「あれ、エレノアさんかあ」

「どーも」


 エレノアに気づいて声をかけたのが、見た目は同い年ほどでダークブラウンの短髪の男性だ。彼女が抱えるお弁当の包を見て「ああ」と納得してくれる。


「もうお昼休み始まっちゃってますか?」

「あとちょっとで鐘じゃないかねえ」


 そして、

 ――ごわわわわ~ん。

 鐘が鳴った。

 あの壮大に響く金属の音を、神聖と言うべきか重苦しいと言うかは評価に困るところだ。


「鳴ったねえ」

「鳴りましたね。急がないとなので、お願いしても?」

「はいよー。えっと、魔術研究所でいいんだね? 通しとくよ。はいこれ通行証」

「ありがとうございます」


 ほぼ顔パス状態だ。最初は名前やら出身やら住所やら聞かれたけれど、今では緩いことこの上ない。本当にこれでいいのかなとエレノアは心配にもなるが、この特別待遇もルイの功績によるところが大きいのだった。


 大門から続く道は、大人が十人横に並んで歩いたって余裕がある。

 途中で大きな噴水広場があって、それを挟むようにして、兵舎と魔術研究所の正面玄関が向かい合っている。さらにまっすぐ進めば本殿なのだけど、エレノアは基本的に研究所にしか行かない。


「……あれ」


 異変に気づいた。

 軒下の柱の影から、黒いローブの裾が見える。それに噴水広場で昼食を楽しむ女性魔術師や女官が、その人物にちらちらと熱視線を送っていた。


 ――あ、なんか察した。


 魔術研究所正面玄関の階段を二段上がれば、柱に背を預けていたその人物はうっすら笑った。


「遅いですよ」


 ルイ・スティラス宮廷魔術師筆頭。御年十八歳。

 陽光に当たって柔らかい光を帯びた金髪。怜悧な月色の瞳は、誰を傷つけることもなく常に穏やか。人形師の作品でないことが不思議になるほど整った美貌は、他の追随を許さない。

 そして彼を語るのに不可欠なのが、その笑みだ。常に緩やかな微笑を湛えるその唇に、口付けられたら死んでもいい――などと、多くの女性に言わしめるほどの。

 何がそんなに楽しくて笑っているのか知らないけれど、彼はエレノアの知るゲーム内でもそうだった。黒いローブの下には白いシャツとスラックスというラフな格好をしているけれど、それでもモデル顔負けの立ち居振る舞いである。

 美形は正義。虚しい世の中だ。


 彼はローブを揺らめかせながら階段を降り、エレノアが持っていたお弁当を取った。ついでに反対の手で、彼女の手も取った。

 どこかしらで「きゃー!」と悲痛な叫びが上がった。


「どうしたの?」

「昼休みが終わるまで付き合ってください」

「そうやって部外者の私を入れるの、良くないと思う」

「君は研究に貢献しているから許されます。というか僕が許したので許されます」


 基本的に魔術師は、実力のある者に多くの権限がある。

 宮廷魔術師内でも最たる実力者のルイは魔術師筆頭の称号を賜っている。多くの部下と二つの個室、直属の部下と副官、それにある程度の権限が与えられていた。

『筆頭』は学園の定期試験の順位と同じくらいに不安定な称号だ。不定期的に行われる査定で実力低下がみられた場合、またはより強力な術者が現れた場合は、その場で降格となる。

 数年前に筆頭の座についたルイは、それ以降二十四回の査定を経てなお、その座に君臨し続けている。

 筆頭の座を保ったまま長年を過ごせば、将来は盤石だ。

 後の『宮廷魔術師長』の座を約束されているようなものだった。




 エレノアはルイに連れられて研究所内を歩きながら、


「清々しい職権乱用だよ」

「はい問題ないですね」


 ルイの個室は研究室と多目的室だ。後者は仮眠を摂ったり読書したりと、休憩中はこちらを使っている。そこへ向かう途中、二人は何人ものローブの方々に頭を下げられた。ローブの胸にエンブレムが着いていないのは、研究所内では下っ端の宮廷魔法使い。エンブレムがあるのは、強力な魔術を使う宮廷魔術師だ。

 ルイは彼らの誰にも平等に微笑んで、「お疲れ様です」と声をかける。

 いつ見ても壮観な実力社会だった。

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