表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
83/90

妖精と『仲間』

 懐かしい空腹の感覚にエレノアは首を傾げながらも、体中にはいつものように魔力が巡る。特に問題なかろうと、安心して南に飛んでいた。

 何故南かといえば、そちらの方面に目的地があるからだ。

 一昔前であれば自分を過剰に愛してくれる妖精研究の権威に文字通り飛んでいって「ねえねえなんかね、お腹空いてる感じするんだ。これってどういうことなんだろう?」と新たな課題作りに貢献しただろうけれど、今はこれくらいで引き返すわけにはいかないのだった。


 妖精は寒さを感じない。

 目で見る限り、冬にも近い季節だった。

 魔王城から見えた殆どの山々はその高い標高により山頂を白く飾っていたけれど、人間界の山は低く、鮮やかな紅葉がまだ見えた。


 人里が見えてきた時は、まだ夜中だった。

 魔王城から三時間ほど。エレノアの最速は前世で言うジェット飛行機並みだと自負している。その最速を駆使してこれだけの時間がかかったのだから、魔界も広いんだなあ、と素直に思った。

 どんな文明も、人はまず水場の近くに街をつくる。途中で目についた大河も南に向かっているようだったから、その流れを辿って人里を見つけた。

 人の二倍程度の高さの木材で囲いを作って、その中にこぢんまりと収まっている。思いっきり走れば端から端まで十分くらいの小さな村。

 土壁や木材の家々が綺麗に並び立っている。灯りはない。夜だから寝ているのだろうけれど、それにしたって静かだった。人の気配はあるし、食べ物の匂いもするのに。


「――だろ、また夜逃げが――」


 ふと男の声がして、慎重に近づいていく。木々の影を飛び移り、話声が明確に聞き取れる位置まで。

 村の囲いの見張りが二人、灯りもなしに、眠そうに話していた。


「そりゃこんなとこにいらんないよなあ」

「にしてもなあ、足腰悪くした父親連れて今更どこ行けるっていうんだかね。別の街に着く前に殺されんべ。こんなとこじゃ碌に道具も武器も揃えらんねえだろぉが」

「だろうな。まあここに居たって結果は同じかもしれんし。座して死を待つのとちょっとした可能性に縋るのと、どっちがいいんだろな」

「どっちだろぉなあ、疲れんのは嫌だなぁ」


 村人が減っていることについての雑談らしい。


「暗黒の時代だしな。誰かが魔王を殺してくんなきゃ、こっちが死んでくばかりよ」

「魔王ルイなぁ、早いとこいなくなってくれねえかなあ」


 見張りはうひゃひゃひゃと密かに笑う。けれど笑顔はすぐに消えて、


「……いつまで続くんだろうな」


 ぽつり、と呟いた。


「…………。」


 エレノアはそこから飛び去った。


 村に入った。

 小さなエレノアは見つかることなく、すいすいと夜闇の中を移動していく。


 ――思ったより発展してない。


 王都グレノールの時代から二百年。もう少し何かが変わっていてもいいだろうに。ここはそれほど大きな人里ではないにしても、あまりにもお粗末な建物しかない。


 ――むしろ退化してる……?


 十二階建てのガラスのビルどころではなく。

 人間にとっての『暗黒の時代』――もしかして、こういうことなのだろうか。魔王ルイの存在が、人間の繁栄を邪魔しているのか。


 ――だからなんだ。

 ――先に私たちに手を出したのは人間なんだから。


 エレノアは眉根を寄せて、人里の観察を続ける。

 赤子が泣く声がした。その家の裏に回った。

 耳を澄ませば中の声がよく聞こえた。

 大人の事情も考えずにうんぎゃあうんぎゃあほんぎゃあと本能のまま夜泣きする赤子を、両親らしき男女が必死にあやしている。疲労を感じさせる声だった。


『お腹すいちゃった? ほうらほら、いいこだからねえ、いいこいいこ』

『おしめも替えたのに、なんだろう……』


 ほんぎゃあ、ほんぎゃあ、ほんぎゃあ、


『おねがいよ、……お願い、もうねんねしましょ、ねえ』


 ほんぎゃあ、ほんぎゃあ、ほんぎゃあ、


『魔物に見つかっちゃうよ』

『見つかったら、私たちは殺されてしまうのに』


 ほんぎゃあ、ほんぎゃあ、ほんぎゃあ。


       *


 エレノアは村を出てさらに南下した。

 魔界から遠ざかるにつれ、村から町、町から都市、と見える人里の規模が大きくなっていく。少しずつ目的地に向かいながら、人間の様子を見て回った。

 大きな都市も、やっぱりグレノールと変りばえのしない文明レベルだった。

 ただ、大きく作られた鍛錬場だけが異様に目立っていた。多くの人間たちが汗水垂らして鍛錬に励んでいた。物陰で泣いている人間もいた。泣きはらした両目で空を見上げる夫人もいた。魔物のせいで夫を亡くしたらしかった。

 驚くことに、鉄砲らしきものも見つけた。弓はほとんど見当たらず、銃で的を狙う訓練をしていた。けれどそう多くはなく、やはり主流は剣のようだ。

 魔術師と騎士だか剣士だかが連携して演習を行っている様子も見られた。


「その程度で魔王に挑もうとは思うなよ!」「さっさと立て」「犬死する気か」「貴様のクソお粗末な剣が届くほど魔王は甘くない」「妹の仇を討つんだろう」「この戦いで勝てなければ」「終わったら結婚するんだ」「子供が生まれる」「後々の世のために!」「相手がどれだけ強大であろうとも」「人類の底力を」「我々の力を」「私には、もう失うものがない」「こちらには仲間がいる」「信じよう」「信じるのだ」「いつか救われる」「良き未来のために」


 たくさんの声と、たくさんの涙と、魔界の方を睨みつける強い瞳があった。


 ――。

 ――……。


 十日目の夜。

 瓦礫の残骸で覆われた地が見えた。絨毯爆撃でも受けたのかと言うほど壊滅的に破壊され、たくましい木々や蔦に侵食された場所。これだけ平坦なんだから誰かが手を入れればいいのにと思いながらそこに降り立つと、


「……あ」


 見覚えのある建物が見えた。これだけの破壊の跡地において、異質でしかない完璧な状態で佇んでいる一軒家。

 スティラス家。

 ということはこの一帯は、王都グレノール――だったところだ。

 どこに道があったのかも、よく通っていた魚屋の場所も、今は朧げにしか覚えていない。


 しばらく呆然としていた。ふと足下を見ると、どうしてこんな形状になったのか、螺子のように曲がってへし折れた街灯らしきものが転がっていた。これは元々真っ直ぐしっかり立って人々の生活を照らしていたことを、エレノアは知っている。


 今日はスティラス家で休むことにした。

 以前にここに来た時はおかしな女の声に乗せられて、自分の記憶を追うだけで精一杯だったけれど、今は違う。もっと広い世界を知ることにした。――だからこんな時こそ、手を貸してくれたっていいと思う。


「ねえ」


 時間が止まったままのスティラス家リビングにて、エレノアは声をあげた。どことも知れぬ空間に、


「誰かいないの?」


 しん、としている。


「前みたいに、私に何か見せてくれないの?」


 答えはなかった。それから何回か訊ねたけれど、あの謎の女性の声は答えてくれなかった。

 エレノアを嗤っているのか、今のエレノアなら大丈夫だと見守られているのか、どちらとも判断がつかない。


 翌朝、エレノアはルイが使っていたベッドの上で目を覚ました。軽く伸びをして、再び出発――しようとして、


「……なんか、……あれ?」


 気が付いた。魔力の温存のため、寝る時は妖精サイズになっていたはずだ。けれどいつのまにか人間サイズになっている。

 試しに妖精サイズに戻ろうとしても、縮まない。


「……え……?」


 おかしい。自分のサイズを制御できないなんて、今までになかった。最初の頃はルイの魔力が尽きれば強制的に小さくなるといったことはあったけれど、現状ではありえない事態だ。

 空腹も強くなっている。

 明らかな異変に眉を顰めつつ、エレノアは出発した。

 グレノールからエレノアの目的地は、意外と近い。


 魔界を発つ時、エレノアはこう言った。


 ――『ひとまず実家に帰らせていただきます』


 実家。とはつまり、エレノアという妖精が生まれた地。

 幼いルイ少年が襲来するその時まで暮らしていた場所だ。


 攻略キャラクターが各々の時計をどこで用意したかなんて、プレイヤーはわからない。手作りかもしれないし、市場で買ったものかもしれないし、どこぞの秘宝かもしれないし、拾ったものかもしれない。

 妖精の月時計もそうだ。エレン及びエレノアが、それをどこで調達したのか言及すらされていなかった。

 ただ形は憶えている。複数のリングが重なった携帯日時計のようなものだ。満月の夜以外は正確な時間を計れない、実質的には使用用途のなさそうな逸品。


 やはり妖精が時計を用意するなら、妖精に縁のある場所で手に入るものかもしれない。

 ――エレノアと最も縁深い、妖精の住処。

 第一候補として考えたのは『実家』だったから、エレノアは二百年以上ぶりにその地へ訪れた。


 グレノールから南東に、三十分ほど飛んだ深い森の中。

 千年も前から根を張っていた大木がある。何本もの幹が絡み合って纏まって、まるで一本の木のように天高く伸び上がっている。無数の枝葉が強い日差しを受け止めて、自らが立つ大地に木漏れ日を落としていた。

 大地から波打つように浮き出た根の一本ですら、両腕で囲えないほどの太さだ。

 この木を中心に集まって、妖精の住処が形成されていた。

 ここがエレノアの生まれ故郷だ。名前のないこの場所は、けれど良質な魔力の溜まり場なのだった。

 今も百匹以上の妖精がこの木に住み着いて、エレノアの様子を窺っている。二百年以上前に一緒に過ごした妖精はもう居ないけれど、新顔だろうがなんだろうが妖精であれば皆仲間なのだ。


『仲間?』   『オカエリ?』

『仲間』

  『オ疲レー』


 個性豊かな仲間たちに「こんにちは」と軽く挨拶して、まずは木を一周してみた。

 ぐるんぐるんと周回しながら上まで見て、木の洞まで覗いて、くまなく探した。

 耳を澄ませても目を凝らしても、


「……ない」


 妖精の月時計は、どこにもなかった。

 ここではない?

 それならどこに?

 他にも心当たりはあるけれど――。

 魔界への復路のことを考えると、もう時間がない。急いで行こうと羽を張った途端、妖精たちがだめ、だめ、と群がってエレノアを留めた。


『行カナイデ』

『危ナイ』

『仲間』


「心配してくれて嬉しいけど、ごめんね、ちょっと急いでて」


 エレノアが言っても、妖精は違う違うと何かを訴える。


『仲間』

『危ナイ』


 なんだか様子がおかしいぞ、と思っていたら。

 妖精の指がエレノアを示した。

 エレノアの腹のあたりを。そして、


     『仲間』


 あれ? と思う。

 そしてエレノアは空腹と体の大きさが制御できていない件を思い出して、仲間仲間と騒ぐ同胞たちを見つめて、自分の薄っぺらいお腹を指し、


「ここに仲間がいるの?」


『仲間』

  『仲間イル』

 『小サイ』


 察した。へ、と情けない声が飛び出た。大きく広げていた羽が、持ち主の混乱を表すように右と左でばらばらに動いていた。

 呼吸が一つ飛んで、心拍も変に早くなって、胸に浮かんだ言葉は一つであるはずなのに「えっと、」とだけしか出なくて、声がつっかえて、どうしようとなんでだろうとまさかと様々な疑念と驚嘆が頭の中を過っていって、

 そのすべての嵐が収まったら。

 あとは純然たる事実がそこにあるのみだった。

 エレノアは一言、


「子供?」


 純粋な妖精は肉体的な成長をしないので、新参者と古参の分類はあっても、子供という概念はない。

 だから、『仲間』。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ