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応え遭わせ

「よく頑張ったな」


 気が付けばエレノアは女性に抱きしめられていて、よくわからないまま褒められていた。胸に顔を埋めさせてもらっていて、とても安心する。動けないから視界は暗いままで、何も見えないけれど。

 女性は床に座り込んでいるらしい。自分が寄り掛かったままでは負担がかかるだろうと動こうとしたけれど、「無理するな」と制された。どこかで聞いた声だった。透明感があるけれど、鈴が転がるよりは少し低めの落ち着く声だった。エレノアは母親に寄り添っているように安心した。女性の体温が気持ちよかった。

 やはり見えはしないけれど、年齢は近い気がする。


「喋んなくていいよ。『今の』君はそろそろ消えるからな。――瑛里」


 ――……?

「それは誰?」と聞こうとして、エレノアは話せないことに気付く。困っていたら、女性はすぐに察してくれたようだった。


「……そか。自分のホントの名前も、わかんなくなったみたいだな。それならそれでいい。十時(ととき)瑛里(えり)。君の名前を知ってるのは私しかいない。古い名前なんて意味のない記号にすぎないんだからね」


 ずいぶんと酷いことを言う女性だ。

 君の名前と言われても、自分はエレノアなのだと、エレノアは思った。


「君たちは今まで何回も、何度だって、死んだ。ホントはな、別の異性と番ったことだってあったんだ。……君かルイのどっちかが、すぐにリセットしたけどね。

 やり直せば記憶も巻き戻される。自分が望んだ未来さえわからなくなる。結ばれることが運命とか、そういうのは信じない方がいい。私は人の心まで干渉できないから、あくまでも選ぶのは君たちだ」


 やはりこの言葉も、知っている気がした。

 エレノアの頭はぼんやりしていて、あまり難しいことを考えられない。先ほど告げられた『名前』だって、もう忘れてしまった。

 何もわからない。ただただ、眠い。


「今は、外側の色々なものを巻き戻してる。『しばらくお待ちください』みたいな、システム的に必要な時間だ。この空間で解答編といこーか? なんでも答えてやれるよ。どうせ次には忘れてるんだろーけどさ」


 エレノアの事情もお構いなしの女性は、淡々と解説に走る。

 エレノアの頭を撫でて、梳いて。こうされると気持ちいいだろ? と囁かれたので、エレノアは素直に頷いた。女性の手つきはルイと違った柔らかさで、エレノアの睡魔に抗う心をぽっきりと折ってしまう。

 やがて、エレノアは女性の胸に埋もれていることに何の疑問も持てなくなった。


「まず私は、君たちが知る世界とは別の世界の者だよ。この世界に『時の精霊』なんて、最初から存在してない。

 私が私の世界でこんな立場になった時に、ちょっと色々やらかしてね。その余波は、全く別の世界の存在でありながら私と似た魔力を持つルイを、さらに別の世界に飛ばした。そこで私はあることを思いついて、ルイの魂と、ちょうどいいところで死んだ君の魂を、こっちに持ってくることにしたんだ」


 その『解答』のほとんどを、エレノアは理解できなかった。

 眠かった。遠くに飛んでいってしまいそうな意識の端っこを、必死に掴んでいた。


「ルイの世界は『薄っぺらくて』利用しやすかった。人に作られた世界には絶対的な神がいない。顔や形や生い立ち、歴史は、全て人間の手で定められたものだ。声ですら、君の国――日本の民の、誰かの借り物だろ」


 物語としての神が崇められることで自我を持ち、創造者たる人より力を得て神格を持つこともあるけれど、この世界は違ったのだと女性は言う。


「そんなルイの世界を借りて、君たちを飼うことにしたんだよ。目標に届くまで。二週目からは強いっていう、面白いやり方をヒントにしてね」


 女性の言葉の全てを、エレノアは逃していた。

 エレノアの思考も、意識も、その――姿すらも、女性の腕の中で薄らいでいた。そんなことを自覚することもできずにいる彼女はただただ、ぐったりと身を預けているばかり。


「最後に、私の色と、君の色のことだけどね」


 女性がそう言ったって、エレノアには女性の色などわからなかった。


「なんの関係もない。たまたま、偶然ってやつだよ」






 そこは真っ白な空間だ。床と壁の境すらわからない、完璧な白。

 女の髪は緩やかに波打つ銀色だ。その瞳は気が強そうな形をしていながら、宿る光が上品に死んでいて、深い青色をしていた。

 男が言う。


「満足か」


 男は女の背後にいた。烏の濡れ羽色の髪に、血のように濃い紅目を持つ、整った顔の男だった。魔王だと言われれば誰もが納得しそうな、硬質で冷たい雰囲気を漂わせていた。


「まあな。今回も、なかなか面白かった」


 女は男に言葉を返しながら、差し出された男の手を取って立ち上がった。女の腕にはもう何もいなかった。


「あの家には、お前には及ばなくとも、あの妖精を救えるだけの情報はあった」


 男が言う。女を責めるような口調だった。


「その資料をスティラス家から奪って、何が見たかった? ……奴等が苦しむ様がそんなに面白いか」

「私の人格を疑うよーな言い方するけどさ、実際手を下したのは君だからね」

「お前の命令に従ったまでだろう」

「……むう。でも全部私なりの応援だよ? ルイは魔王になってからが本番なんだ」


 女は少しだけ特徴的な口調をしていた。

 黒いワンピースとストッキングは女性らしく、その胸元には赤色の細いリボン。男も黒いスラックスにブレザー。

 この白い空間に学生服は不釣り合いだけれど、二人は不思議と馴染んでいた。

 男は女の前には回り込まない。背後に立ったまま顔を合わせず、話を続ける。


「そろそろ、教えてくれても良い気がするが」

「何がだ」

「この世界を繰り返している目的だ」

「……あれ」


 女はきょとんと首を傾げた。男に振り返って、「言ってなかったか?」と真顔で返す。男は呆れたため息を吐いた。この女に呆れて二酸化炭素を吐き出したのは何千回目だろうかと詮無いことを考えた。

 女は気にしなかった。呆れられることにはとうの昔に慣れていたし、いまさら男の機微などに気を配っていられない。


「あのな、なんて説明すればいいのかわかんないんだけど」

「ああ」

「んー、とりあえず、起伏のある人生の中で魔力を育てさせて、最後に記憶を巻き戻すだろ。巻き戻した時間分の魔力は引かれてくけど、時間では説明しきれない『天性の』魔力が育ってく。それがそのまま引き継がれ、積み重なり、人生を繰り返すことによって……」


 ――突出した魔術師ができあがる。というわけだ。


「夢って手段で過去の記憶を見たのだって、あいつの深層心理がなせる技だろ。ルイの魔力が私に抵抗してる……、私に追いついてきてる証拠だな。あいつと繋がったエレノアも、部分的にだけど、ルイの記憶に引っ張られてた。ルイの従者としての素質は十分だ」

「不憫な」

「最悪な展開になって、リセットしたいのに私の術がかからなくなったって時こそ、本物のバッドエンドだろ。まあその時は何がなんでもこっちに連れてくるけどね。エレノアが居ても居なくても、ホントに大事なのはルイだしさ」


 ――ぴちゃ。

 女が靴の無い一歩を踏み出すと、地に大きな黒い波紋が生まれた。それはどこまでも広がる。

 やがて白の空間はひび割れて、黒い海になった。夜の海だった。


時の精霊(わたし)の魔力に追いつくなんて、いい感じに化物というか……次の世界でそろそろ人間やめるんじゃないかな?」


 見渡す限りの水面は波も陸もなく、遮るもののない星空を映す。薄い赤紫の星雲も、星の河も。何千、何万、億、京、那由他の細かい星々も。

 そして大きな満月があった。満月は真円の顔の縁に沿って『Ⅻ』を上に『Ⅵ』を下に数字をぐるりと表して、三本の影のような針を動かしながら、二人を見下ろしていた。

 そんな巨大な満月時計は、二人の足に踏まれるのは御免だと言いたいのだろう。夜空を等しく映し出す水面に、月だけはなかった。


「ルイ・スティラスの魔力が目標地点に達したことを、今さっき確認した。『時の精霊』の後任としちゃ、最適な人材だよ」

「ではここに連れて来ればいい。わざわざやり直しなどさせずとも、今ここに――」

「そりゃ、いい加減に終わらせてやりたいけど、やり直したいって選択したのはあいつらの方だよ。そこに私の意思はない」


 二人は水面を歩く。ひた、ひた、と足下にまん丸の波紋を重ねながらスカートを揺らして進む女の背を、男が追った。そしてまた一つ疑問を落とす。


「別の時間軸の『ルイ』の記憶をぶり返させたのは?」


 今や懐かしい記憶退行イベントで、過去のルイは、目の前のエレノアを『人違い』と認めた。自分のエレノアではないと言ったのだ。

 過去――つまり『ひとつ前の』世界からやってきたルイは、最後までエレノアに砂時計を渡せなかった。エレノアから月時計をもらい、ルイも砂時計を渡すと約束したけれど、彼女が生首になったのは翌日のことであった。

 それを後悔していたのだ。記憶をリセットする直前まで――否、リセットした後も。


 妹の病死は十三回。

 エレノアがスティラス家から逃走した回数が二十一回。

 エレノアが民衆に嬲り殺されたのが五回。

 エレノアが液体、粉末問わず、薬にされた状態で発見されたのが三回。

 エレノアがルイの子を宿し、嫉妬に狂った女性に襲われて、義妹の目の前で胸や腹を刺されて殺されたのが一回。その後、兄妹で魔王になった。

 魔王の前座として戦っていたエレノアが、油断して首を撥ねられたのも一回。この時は互いに均等に愛し合い、全てを分かち合い、最も美しく満足のいく終わりになるはずだった。

 ほとんどの場合はエレノアが死に、ルイがリセットを望んだ。

 たまたま近くにあった置時計、エレノアの月時計、エレノアの手に渡るはずだった砂時計など、リセットボタンは一家に一つ置いてあるものだ。


「困難があるほど強くなるってどこかで聞いた。だからちゃんと困難を与えて、ルイの魔力の成長の機会と同時に、パートナーすら考えてやった。あのエレノアだったらお茶も美味しいし、相性も良いっぽいし。後輩へのアフターフォローは完璧だ。私って優しいだろ? 先輩はこうでなきゃな」


 ――よく言う。

 男は内心で毒吐いた。声には出さなかった。相手には聞こえるはずのないそれは、――それなのに、彼女の耳に入っていたらしい。

 女が、わらう。

 くすくすと、心の底から。


「こんな拷問みたいに永久的な時間で相方が必要だってのは、君が教えてくれたことだよ?」


 男の脚が止まった。けれども、その動揺もそう長くは続かない。女の後を歩く。ひたひたと、ひたすらに。


「それに、基本的に私より幸せな奴は嫌いだ。あの二人は見てる分には気持ちいい」


 やがて二人は白いテーブルに着く。それもやはり水面にあった。テーブル上には、青い砂の砂時計があった。

 男は二つある椅子を一脚だけ引いて、女は当然のようにそこに座った。

 そして男は彼女の背中側に立ったまま、どこからかヘアブラシを取り出した。それで女の髪を撫で付けていく。その動作は慣れたものだった。女本人よりも彼の方が、その繊細な銀糸を大切に扱っていた。


「捕まえなきゃいいのに」

「…………」

「大事な女を作って、守れなかったら勝手に嘆いて、だったら最初から会わなきゃいい。捕まえるなんて選択肢選んだら、あとは外れのエンドだけかもしれない。自分たちが満足する終わりに自力でたどり着くなんて……無茶だよ」

「…………」

「でも何回見てたって、ルイは必ずエレノアを捕まえた」


 女の手のひらには、真っ直ぐな銀髪がひと房あった。三つ編みは解けかかっていた。それを束ねている金糸の髪紐にあしらわれているのは、ひびが入って白く濁った青い石だ。


「まあ、頑張って」


 時の精霊と呼ばれる女は、砂時計を逆さまにした。

 青い砂が落ちていく。さらさらと月光を照り返しながら底に落ちていく。

 時が積もる。





end.

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