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これって、なんてハッピーエンド

「随分と、よく眠っていたな」

「夢、見てたんだ」

「夢?」

「懐かしくて長い夢」


 私がルイに捕まってから、初めて後悔を自覚した時の夢。あの日から私は後悔したままでいる。保護者ぶることもできなくなった。日常はぼんやりとしていれば勝手に過ぎていった。部屋にいるか、空を飛んだり。彼といる時は隣合っていちゃついたり、膝の上でされるがままになっていたり。

 私にとって優しいだけのこんな現状を打破するには、気力も力も足りていなかった。そして彼を愛し、全てを受け入れて肯定していたいと叫ぶ声は、罪悪感を上回っていた。


 だから私は何もしないまま、呼吸して生きている。


 彼も私の異変には気がついているけれど、私が頑なに心を閉ざしているとわかると、私にさらに優しくなった。それだけだった。無理に聞き出すなんて、(エレノア)()()()()()()はしないんだ。

 昨夜は遅くまで彼といたから体も疲れきっていた。首筋や脚に残る紅斑を隠すためにも、魔王妃の黒ワンピース姿で通している。


「眠っていて構わないと言っただろう。わざわざこんな所まで来て、おもしろいことなどないだろうに」

「なんとなくだよ」


 そう、なんとなく。ここに来なければいけない気がしたから、寝呆け眼を擦ってまで、普段は来ない玉座の間にいる。

 くすくすと笑いながら髪を撫でてくる彼の手は少し冷たくて、それに縋ってもっと眠っていたかった。今度は幸せな夢がいいな。でもあんまり幸せすぎても困るな。


 勇者ハスミの敗北の後も、魔王城に訪れる挑戦者の数は変わらなかった。けれどその性質は明らかに変わった。

 あの日に見逃した勇者ハスミパーティーが情報を流したらしい。

 あれから二十年ほど経った現在の勇者一行は、どの組も明らかに対魔術師を図った人材で構成されている。

 魔術師といえば肉弾戦に弱い。術を放つまでに時間がかかり、詠唱を封じられれば何もできない。だからその隙を突く心積もりで、状態異常の誘発が得意な者に遠戦用の弓を持たせ、武闘家をメインにバランス型を少々。

 こんな煮詰めた蜂蜜にメープルシロップをぶち込んで水飴で固めてみました! みたいな甘ったるい発想でやってくる連中が後を絶たないから、魔王城の一角が血なまぐさくて仕方がない。

 詠唱なんて彼には必要ないし、肉弾戦や矢なんて当たらなければどうということもない。

 どんなコマンドを試しても「MISS!」だの「No Damage!」だのという文字が躍る戦闘なんて、完全に負けイベントだ。生憎、そんな文字は私の水晶の中にしか見えないけど。


 どうせ今回の奴等だって、ルイに敵うわけないんだから。

 やっぱりここに来ても楽しいことなかったな、と思いながら、また彼に寄りかかって眠ろうとした時。


「エレノアさん!」


 名前を呼ばれた。

 彼ばかりを気にしていた視線を前に向けると、大きく開いた扉の向こうに今回の勇者がいた。

 ミディアムの黒髪に整った顔つきは、そこらの女性が放っておかないほど人目を惹く。勇者に相応しい鎧は聖鉄製かな。

 色彩豊かで違った系統の美女美少女に囲まれたハーレム系勇者様だ。

 赤い髪のまな板ロリ!

 青い髪の巨乳聖職者!

 黒い髪の女サムライ!

 どう見てもモブとは言い難い容姿揃いで、これは間違いなく主人公属性だと見て取れる。

 こういう手合いも、言ってしまえば初めてじゃない。私が後悔した時期を境に、世界が開き直ったようにあからさまに、『主人公格』が現れるようになった。もちろんゲームでの『魔王様と砂時計』では見たこともない人たちだ。

 その異変は、きっと誰かの意思によるんだろう。

 私の理解が及ばないところで見下ろしてくる、誰かさんの。


 ところで、どうして私は今、この勇者に呼ばれたんだろう。


「誰?」


 勇者ハスミパーティーが私の名前まで流したりしたのかな。とぼんやり考えていたら、答えてくれるのはルイだった。


「君の知り合いらしい。君に助けられたというが、知人か?」

「……わからない」


 人助けなんてした覚えはない。人違い……妖精違いだね。


「それなら良かった。ビスを倒したほどの者だからな、確実に止めを刺さなければ」

「ビスくんが? 大丈夫なの?」

「本人の希望で、僕の寝室に送った。後で怪我を看てもらっても?」

「うん」


 今『魔王』の一人称を間違えた。私がいることで彼の気が緩むことは知っていたけれど、ビスくんが負けたことも意外だったらしい。多少の動揺が見て取れた。こういう詰めが甘いところは可愛いと思う。つい笑みがこぼれて、上からむっとした雰囲気を感じた。


 それにしても、私が寝ている間に随分と話が進んでいたようだ。

 今までルイ以外の人間に負け無しだったビスくんが、いつの間にねえ……。なんて、しみじみ息を吐く。 

 焦るなんてこと、近頃じゃ滅多にない。

 だってこの勇者はビスくんより強くても、きっと私より弱い。魔王妃の実力舐めちゃいけないよ。魔王様になかなか前に出させてもらえないだけで、実際は戦えちゃったりする。何せ先代魔王ビスくん仕込みの動きに加え、魔王様仕込みの魔術を扱える私だ。殺したことは、まだないけど。

 とにかく、まあ、ビスくんに勝てたなら第二第三の魔王格がということだ。既にラスボス並みのビスくんだったけれど、魔王城じゃ親子扱いで微笑ましく見られる私たちの中では最弱だ。

 興味が失せた瞳で勇者を眺めていたら、勇者はお人好しそうな苦笑で「やはり覚えていないだろうね」とかなんとか、語ってくる。


「僕だ。昔、満月の晩に貴女に助けられた妖精だよ」

「妖精……?」

「妖精がどうしてここにいる? 我が配下には、妖精を害すことを禁止している。動機はなんだ」


 そうだ。妖精を嬲らない、殺さない、害さない、付き纏わないという、魔界の中では浮いた印象の規律がある。ルイが御自ら魔界中に広めたもので、わざわざその肉声を「知らなかった」なんて言い訳が不可能なほど辺境の隅々にまで届けたという話。それでも従わないものは当然いた、らしい。けれどルイが直接統治する魔界中央部ではさすがに暴挙には及べないので、そこは妖精が広々と飛び回れる安全地帯になった。そして魔界の端々で隠れて規律を破っていた連中の大部分は、彼の手で『粛清』された。今や昔話になりつつある、勇者ハスミとの旅によって。

 とどのつまり、妖精が魔王を恨む理由がないってこと。

 私は妖精(なかま)たちと会話することがあるけれど、彼らからもらう言葉のほとんどは「魔王のおかげで前より住みやすい」とかいう感謝の言葉だ。ランクが低いほど知能が低い――つまり嘘がない言葉になる。そんな彼らが言うんだから、今の魔界は妖精にとって良い場所であるはず。


 それなのに、どうしてルイを討とうとするの?


「お前がエレノアさんを攫っていったんだろう……!」


 ほう、なるほど。私が攫われたからか。それは仕方がな……、……い?


「分かるか?」

「えっと……本当に分かんない。誰だっけ」


 本気で誰だっけ。彼の顔には全く覚えがない。

 そんな私を、勇者さんの仲間が鬼気迫る形相で責める。


「彼はずっとあなたを捜していたのですよ!? その言い草は何なのですか!」

「主の想いを無碍にした、貴様は……万死に値するぞ」

「にぃに、いじめるの、だめー!」

「……知り合いか?」

「全然知らない人達」


 同胞とわかれば多少の同情もできるけど、ハーレム要員においては完全に初対面だ。落ち着いて話し合っていたのに、第三者が喧嘩腰で横入りしないでほしい。


 ――……でも、ま、いっか。


 どうせこの苛立ちはすぐに消え去る。魔王の手によって、彼らの軌跡も時間も絆も、全部ぜんぶゴミ箱行きになる。

 私はお腹に回っていたルイの腕を解くと、彼の膝から下りた。そうすれば彼も重い腰を上げる。魔王を玉座から立たせたってだけでも、今回の勇者は十分に強い。

 だけど所詮は、それまで。

 もしかしたら今回の勇者だけは、妖精同士のよしみってことで頼めば見逃してもらえるかもしれない。けど、その他の人間は生かして帰す理由がない。だから私は何も言えない。ここで止めれば、彼が今まで『頑張って』きたことを否定してしまう気がして。

 そしてまた、彼が血に汚れることになるけど。

 私はそんなことにすら慣れてしまっていた。


「エレノア」


 ぼうっとしたままの頭に、大きな手が乗る。


「五分で終わらせる。辛ければ、耳や目を塞いでいなさい」

「うん」


 さらり、彼の金髪が揺れる。こつこつと革靴を鳴らしながら優雅に階段を下っていく彼の背を見つめながら、私は目を伏せた。

 ――こうして魔王と妖精は、半永久の時を、穏やかに過ごしましたとさ。


「これって、なんてハッピーエンド」


 誰にも聞こえない声で呟いた。

 こんな終わり方にタイトルが付くとするなら『Happy end:魔王と一緒に』とかかな。

 私のためだけに人類に喧嘩売る魔王様と一生を過ごすなんて、ヤンデレ好きほいほいな終わり方だね。素敵な不完全燃焼具合が、コアなマニアに受けそうな予感。


「……ねむ」


 さて、もう一眠りしよう。妖精は本能で生きているんだから、悩む必要なんてないから。

 遠くで「エレノア」と呼ぶ勇者の声なんて全然聞こえてないんだからね。


 本当に? これでいいの? ――うるさい。


 良くないことなんてわかってる。それならどうすればいいの。このまま慣れてしまいさえすれば、何も気にせず幸せでいられるんだから。

 私の中で往生際悪く訴えてくる、人間らしい感情が邪魔だ。

 やっぱり部屋に戻ろうかな、なんて考えながら玉座を借りて、肘掛を枕代わりにした。まだ殺傷には至らず遊んでいるルイを見守る。剣戟は激しいけれど、目覚ましにはならない。


「エレノア!」


 あちらには切なげに私を呼ぶ勇者がいた。ルイには目もくれずにこちらへ来ようとしていて、けれどその様子はルイの神経を逆撫でするだけ。魔王の魔法は非情に鋭くて、相手の意思を確実に削ぎにかかる。勇者が後進を繰り返した結果、私との距離は十歩ほども進んじゃいない。

 魔王は私が大事だから、他の男が私を大事に思っちゃいけないんだよ。これは当たり前のことなんだよ。

 勇者のあの様子じゃ、私を捜していたというのは嘘ではないんだろうね。私を知っているというのも、虚言なんかじゃないんだろうね。でもごめんね、私はあなたを知らないの。


「そこを退け、魔王……ッ!」


 勇者の背からは黄金色の羽が生えていて、感情の昂ぶりが見て取れた。

 私の解放を望んできてくれたお節介甚だしい同胞。その身はすでに血まみれで、右肩から氷の杭を生やしていた。痛いだろうね。とっても痛いくせにね。私なんかのために、此処まで来たんだね。

 どくん。心臓が冷たく疼いた。


「ルイ、待って」

「はい?」


 気が付けば、勇者一行と戯れていたルイを止めていた。


「私にやらせて」

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