三人と妖精と魔王様
魔物の中でも、特に人間のような知恵と姿と力を持つ者は『魔族』と呼ばれる。彼等は知性と本能とを己の中に飼い慣らし、見定め、自らの種族の長を選出する。
ビス――本名、ビスマルクローゼ・ニルギリ・チェンバートは猫の魔族(猫族)であり、猫族の長でもあり、三年ほど前までは魔王を名乗っていた。
今やルイの良き腹心である。
「少し出かけて妖精を捕まえて来て欲しい」
「は?」
夕食のスープを掬いながら、魔王に「ちょっとお遣い頼んだよ」並みの軽さで言われたのは、やはりビスだった。
そもそもこの正餐室の食事で席を用意されているのが、魔王とビスだけだ。
二人は、二十席もある重厚な長テーブルの両端に着いていた。
他に給仕の三人、雑務役の三人がこの場にいるけれど、壁際に立つ彼らは主から目を逸らして仕事を待っているだけだった。六人は全員魔族に分類される、魔王の配下の者である。
けれど特別に名前を呼ばれなければ、それは全てビスへの命令だった。
「細かい注文は?」
「特にない。ランクが高い方が好ましい」
「え、ええ……うん、わかったぁ」
今はルイが我が物顔で着いている上座に、かつて座していたのはビスだった。
ルイは先代魔王を倒したというだけで、魔王を名乗る資格がある。現に主要魔族の長のうち、約半数は魔王城に訪れ、無条件にルイに従うと頭を垂れてきた。
強者への従属というなら、ビスも他の魔族と立場は同じ。ただ、他の者よりは余裕がある。ルイと対面しても恐怖に捕らわれず、周囲を跳ね回れるだけの度胸がある。魔王の傍についていられるというだけで、他の魔族のどの長よりも一目置かれる存在だ。
パンを優雅に千切り始めたルイに、ビスは胡乱げな上目遣いで問う。
「でもさあ、妖精を集めてどうするのぉ?」
先の「ちょっとお遣い頼んだよ」への、ささやかな反発だった。
ビスの質問に、ルイは「あれ?」と目を瞬かせる。
普段は不遜な口調と態度でもって従者を跪かせる彼だけれど、時偶、その態度が崩れることがあった。
「……わからないか」
「聞いてないから分かりようがないと思うなぁ」
「はあ、それは済まない。察せるものとばかり」
「そのね、自分がわかってるから相手もわかるっていう超理論はどうかと思うよぉ?」
「そうだな。研究所では、研究に関しては、皆がある意味共同体のようなものだったから……普通はわからないものか」
「なに、魔術師って種族の人間はみんなルイみたいなの?」
「優秀だったな。一部を除いて」
「ふうん」
――まあどうでもいいけど。
ビスが言い捨てる。現魔王にとって、多少の軽口は処罰の対象にはならない。
けれど周囲に立つ給仕の者は、自分が粗相をしたように真っ青な顔をしていた。
「ランクSS。妖精の長と呼ばれる個体がいる」
「……妖精にも、そういうのいるんだ?」
ルイは、エレノアがまだ『生きて』いた頃に零した情報を覚えていた。
妖精に関してなら、同じ妖精に訊けばいい。けれど妖精の脳内は、人間への憎悪はさて置いて、基本的にお花畑だ。己の体の構造など何も解っていない。
けれど知識がある個体がいるなら、聞かない手はなかった。
しかし相手の住処の情報は何もない。だから虱つぶしに、妖精を片っ端から捕まえていくことにしたのだ。
いずれは向こうから出向いて来てくれることを願って。
「――つまり、ただの誘い出しかな。捕まえた妖精にも訊いてはみるが、期待できそうにない」
「今まで研究頑張ってたんでしょ? 今更聞くのって悔しくない?」
「研究に結果が伴わないなら、その時間は無いのと同じだ。目的は知的好奇心の充足ではなく、彼女の治癒だからな」
「エレノアさんのためなの?」
「すべて彼女を蘇らせるためだよ」
「はいはいご馳走様。……あ、明日の蛇と猿と鳥のこと忘れないでねぇ」
蛇族、猿族、鳥族の長が謁見に来るからサボるなと釘を刺すビスは、見かけによらずしっかりしている。
「って、ちょっと! 誰だよスープに玉ねぎ入れたの! おれの皿には入れんなって言っただろ! にゃん!」
「ふざけているようにしか聞こえないな」
「死活問題なんだよ! わかってよ! 猫に葱とチョコとコーヒーは厳禁なんだからな! ふしゃー!」
「毛が飛ぶから落ち着きなさい」
ルイは呆れた風にビスを嗜めると、一口だけ紅茶を飲んで席を立った。
苛立ちに尻尾を揺らしていたビスは、ふと我に返る。
「また地下に行くのぉ?」
「何か問題が?」
「ないけどさぁ、今度はちゃんと防音しといてねぇ。そうじゃないと、おれの耳に負担がかかるんだから。にゃん」
「はは、気を付けよう」
相変わらずよく笑う人だと思いながら、ビスはマグカップをしっかり両手で持った。良い温度に冷ましてあるホットミルクをくぴくぴ飲み下し、無垢な猫目で、魔王の背を見送った。
穏やかな夕食の後で、近頃のルイがよく訪れる場所があった。
高所に建っているせいか、年中冷えがちな魔王城の中でも特に温度の低い部屋。湿った石壁と石床には、黒く不吉な染みがこびりつく。
ここは薄暗い。且つ、とても息苦しい。
いずれ魔王を討ちに来るであろう勇者一行にとっては、死と悪事が絡みつく絶好の『探検場所』――地下牢だ。
ルイは、そこでただ微笑む。
眼下のものを眺めてくつりと低く喉を鳴らした。
そして脚を動かせば、獲物はびくりと跳ねて喉奥から叫ぶ。
「っ……ああああああああああああああ!」
男の醜い悲鳴は地下に反響した。
けれどルイは、その悲鳴に耳を塞がなかった。その頬には、つい数分前に獲物を殴った際に跳ねた血が付着していた。
彼はもっと吠えろとばかりに笑みを深めると、『いじめ』を続行する。
革靴の踵が、下にあるものを抉った。人間の片腕だった。腕は硬い靴の底と、硬い石の床に挟まれていた。
俯せで唾液を垂らしながら呻く男を、ルイは無機質な瞳で見下していた。
男の腕はとうの昔に折れている。足もそうだ。もう片方の手は、ずっと前に切り落とされたまま何の処置も施されていない。
ぐり、ぐシゃり。
ルイがまた力を入れるから、そろそろ折れてささくれだった骨が、腕から飛び出してきそうだ。炎症で腫れていたって、それがわからないほど潰されてしまった。
ルイが力を込めるたびに、男は「が、ぁ、」と豚のような声を発した。
そうして虐げられている男を、男の仲間二名が、牢の鉄格子越しに見ていた。
二人は小太りの男と、眼鏡の男だ。
眼鏡の男は、仲間である男が一方的な暴力にねじ伏せられている様を痛ましい目で見つめる。何度も男の名を呼ぶけれど、それだけでは意味がないと悟った。ルイを睨んで、怒鳴った。
「おまえ、おまえ……、こんな……っ、そいつ、死んじまうっ!」
「さて、これで右腕、両足。あとは……片目ですね。それと内蔵をいくつか」
けれどルイは受け取らない。
牢屋から何を言っても、やはりどこ吹く風だった。
「おい! てめえ、頭イっちまってんのか化物が!」
「それより声でしょうか。眼鏡さんのように騒がれるのも、そろそろ飽きてきましたし」
聞こえてはいた。目は向けないけれど。
背の低い男がボロ雑巾よりも酷い扱いを受けている様を、仲間の二人は牢で手も足も出せずに見せつけられていた。
三人組は、ここがどこの地下なのかもわからない。
王都グレノールが魔物に襲撃されてどれほど経つのかも、誰も教えてはくれなかった。
牢屋に入れられ石化状態から開放されたのが、つい一週間前のこと。かろうじて目の前の青年が、成長したルイ・スティラスなのだと理解できたけれど、それ以外のことはまったく意味不明だ。
何の説明もされずに、こうしてじわじわと、理不尽な暴行に付き合わされている。
ルイの足元で、背の低い男が唸る。
眼鏡の男は、ルイにただただ訴えた。
「妖精を殺しちゃなんねぇ決まりでもあんのかよ……、たかが妖精だろ? 人間に手ェ出したわけじゃねえだろ? あんたの妹だって、俺らが殺したわけじゃない! だから、……こんなの……おかしいだろ……っ、規制破りは! おまえの方じゃねえのかよォ!」
男たちは察していた。これは妖精にしたことへの報復なのだろうと。そしてルイの妹が、魔物に殺されたことへの八つ当たりなのだと。
それを否定しないルイに「馬鹿馬鹿しい」と、小太りの男が吐き捨てた。
妖精相手にしたことなど覚えていないけれど、ルイが潰そうとしている男の片目と内蔵、既に血まみれになった腕と足は、少し遊んだあの妖精の姿と重なる気がした。
とは言え、傷ついていない場所の方が少ないという有様だ。
ルイは、やっと眼鏡の男を見た。
「規制破り、ですか……。それほどあの王に忠義を誓っていたつもりはないのですけれど。お給金をもらって養うべきだった方々も、誰かのおかげであの様ですからね?」
靴で足元の腕を踏み転がすと、背の低い男が「――っ!」叫んだ。
「君たちをどうしようと、スティラス家の血筋でしょうね。探求意欲が強いんです、昔から」
――そういえば!
ルイが声を弾ませて、ぽんと手を打った。
「人間を使ってみたらどうなるか、ずっと気になっていまして。君達をどうするか、ようやく方針が定まりましたよ」
「は……?」
「ではこれからの研究目標を発表しましょう」
「何を……!」
「君たちはこれから、僕を恨んでください。今まで以上に強く憎んでください。そんな君たちを素材にすれば、どれほど強力な武器や薬ができるのか、どんな効果があるのか、それとも何も起こらないのか、色々と見てみたいのです」
小太りの男は失禁して、眼鏡の男はその場に崩れ落ちた。
自分たちを見るルイの瞳が、実験動物を観察するように凪いでいる。
ルイは、ふむ、と腕を組む。
「やはり興味が尽きません。人間の『恨み』とかいう、この黒々しい感情は、肉体を無くしてまでも残り、凶暴性を持つものか。そうだとしたらどれほどの強さで、どれほど長く保てるものか。そういった研究はやはり、同じような知性を持つ同種族で行うのが最適ですね」
「待てよ、筆頭を下ろされてもいいのか? 今なら俺たちは何も言わねえから。帰してくれれば、何も……親にも、言わねえから」
「ああ、知らないのでしたね。僕はもう宮廷にはいません。君たちは死んだことになっています。それに『筆頭を下ろされても』とかいう、その発言は、控えめに言っても減点対象ですね」
だって彼女は、きっと『助けて』としか言えなかった。
交渉手段すら持ち得なかった。人間ではない自分が守られないことを知っていたから。
妖精が残酷に殺されても、それが世間に発覚しても、人間は咎めを受けないだろう。受けたとしても、それは軽いもの。
そんな理不尽に絶望した彼女は、妖精として無残な姿になった。
だから王都を潰した。次は彼らだ。
これは正義ではない。
復讐とかいう、自己満足だ。
妖精さんがアップを始めました。




