妖精と雪と少年
エレノアは静かな暗闇の中で起きた。暗いのは目が見えないからだ。見えもしないのに瞼を開けるのは、もう止めた。
手で探ればさらりと極上の肌触り。眠る前と変わらない、自分の部屋だと認識できた。
自分の居場所を確認した後は、音を拾うのが日課になった。
ぱちぱちと何かが爆ぜる。暖炉で何かが燃えている。
布が――誰かが着ている服が擦れる音があった。ルイの気配を見つけた。ビスという子供がいることもあるのだけれど、今日はいないらしい。
「……起きましたか」
声を出そうとして、出せないことを思い出した彼女は、枕の上で軽く左を向いた。ぱたりと本を閉じる音がして、硬い足音が近づいてくる。
それらの生活音は、いつもよりも鮮明に聞こえた。
ここへ来て、どれほど時間が経っただろう。
最初のうちは、ルイが茶化しながら「君は三日も眠りこけて」などと、律儀に時間を教えてくれていた。けれど何回目かの眠りを経て、それがなくなった。だからエレノアから「どれくらい寝ていたの?」と聞いていた。その問いに答えてはくれるものの、彼の声が少し悲しげになってきたから、最近は時間を尋ねることもしなくなった。
ルイの感情くらい、わかる。
声だけだって、わかってしまう。
睡眠時間が極端に伸びてきている。これが何を意味しているのか、察してしまった。
最後に聞いた答えは「もう一週間も」だった。
それから三回ほどは長く眠った気がする。今は、何月の何日に当たるのだろうか。
気がついたら冬だった。
何も言わずに髪と、頬と、首筋を撫でてくる手を感じながら、エレノアは耳を澄ましてみた。
窓があると教えてもらった方向から、ほそほそと、曖昧に擽るような音がする。
エレノアが窓を気にしていると、ルイは「雪が降っているんですよ」と教えてくれた。
――そっか。
エレノアは納得した。
草木の呼吸だとか、魔物の咆哮だとか、微風だとか、そういったものを雪が吸い込んだ。だから室内の音がよく聞こえたのだ。
「欲しいものはありますか?」
ルイはエレノアにいつもそれを聞く。けれど彼女の頭に答えは浮かばなかった。
紙面の凹凸に指を滑らせて文字を読む本だとか、音楽を奏でるオルゴールだとか、そういったものはこれまでにいくつも与えられた。しかし手も満足に動かせなくなったから、それも必要ではなくなった。声が出ないのに歌いたくなってしまうから、音楽は聞きたくなくなった。
目も見えなくなって、声も出にくくなって、だから起きている間はとても退屈だ。
朝露の匂いがするのも、鳥が飛ぶ声も、夜の気配も飽きた。そのくせ体は、休みもせずにどこかしらが痛む。呻く元気もなくて、浅い呼吸しかできなかった。
そんな彼女に、今日のルイは一つだけ、救いを与えてくれるらしい。
「――もう、疲れましたか?」
――少しだけ。
一言で伝わる思いを、エレノアは答えられない。
ベッドの端が沈んで、ルイがそこに腰掛けたのだとわかった。そのまま気配が接近してくる。横から、真上に。その息遣いすら感じられる距離だった。
彼の匂いがした。
「また僕の血を与えては、きっと君が壊れてしまいますね」
「…………。」
「頑張ってきましたけど、これ以上僕の我侭に付き合わせるわけには、……いきません、ね」
――わがまま?
エレノアの唇が疑問を表した。
なあに? と言いたげな彼女に、ルイは優しく、おやすみなさい、を口にする。
「ほんの少しだけ長く、お休みしましょうか」
エレノアは真綿に包まれる思考の端っこで、嬉しいと思った。




