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「君は優しいですね」

『妖精って何を食べるんですか』

『知らないの? 人間の研究不足ね。食物連鎖の頂点面してるくせに、無知なんだから』

『元人間でありながら妖精生活を楽しまれているようで何よりです。で、餌は何を?』

『教えない』

『僕がそれを知らないと、君が後々困りますよ』

『あんたに飼われようとは思ってないし教えなーい』


 ぷいっと顔を逸らせば、黙ってにっこり微笑まれた。怖かった。


 今朝のこんな会話を思い出した。

 少年のあの様子だと、私を解放する気は全くないみたい。



 三日前に捕まってからずっとここだ。寝室や書斎は一軒家の二階にあるから、その窓際に置いてくれれば、景色を眺めて一日を過ごすこともできたし、歌ったりもした。けれど暇つぶしにも限界がある。

 私は寝室に置かれて、籠の中にへちょりと座り込んでいた。ずっと銀の檻の中にいるせいか、気だるくも感じている。

 そうして長い時間を噛み締めていた時、どこからか「こひゅ、」と声がした。

 知らない女の子の咳き込んでいる。いくつか離れた部屋だ。激しくて、その咳は決して浅くはない。

 此処に住んでるの、スティラスさんだけじゃなかったんだ。なんて考えると、徐々に不安感が芽生えてきた。だって今この屋敷には、たぶん私とあの女の子しかいない。少年は仕事に行ってしまった。あの子を看病できる人はいない。

 ごほ、ごほ。

 遠くからくぐもって聞こえるそれは、疲れきっているみたいだった。


「……っ」


 ――誰かいない?

 立ち上がって、籠の開け口をがしがし揺らしてみたりする。だけど銀のせいで、体が重くなるばっかりだった。

 頭に過るのは人間の頃の私。風邪をひいても、休日でも、両親は仕事を休んでくれなかった。


 ――スティラスさん、スティラスさん。


 帰ってきてあげてって、声を上げずに彼を呼ぶ。



 スティラスさんは八歳児なのに、朝から晩までお仕事でいなくなる。彼が帰宅してまた籠ごと書斎に連れてこられた私は「出せー!」と主張するけれど、スティラスさんは本に目を向けたままだった。


「お腹でも空きましたか?」

「違う。妖精の食事は月一で十分なの」


 ちなみに花や葉っぱなど、自然のものを食べる。魔力が多いものが良いとされている。いつかは世界樹の葉っぱとか食べてみたい。

 それはそれとして、


「この家に、他に人いるよね? 女の子」

「籠を出たんですか?」

「で、出られないよ」


 なんでそんな怖い顔をするんだろう。


「それならいいですが」

「よくないよ。日中、すっごい咳聞こえてたよ。看病する人いないの? 大人は?」


 彼は本を閉じて、籠まで歩み寄る。開け口をかしゃんかしゃんと鳴らして、意地悪に焦らしているみたいだった。


「この家に大人はいません。僕と妹だけです」

「ありえないよそれ」

「あり得るのだから仕方ないでしょう。両親は死にました。引き取る人もいない。家と金と、稼げる長男と、病弱な妹が残った。それだけのことです。この世界は前世の日本ほど福祉が整っていないのです。……もちろん、そういった施設が全くないわけではありませんし、養子のお誘いもありました。けれど両親が残した金を誰かに預けるよりも、兄妹二人で食い潰した方がいいと思いまして」

「でも一日中女の子一人なんて」

「大人どころか家のない子供が街中にいて、ここまで文化的な暮らしができていることは幸福以外の何物でもありません」


 なんて怖いことなの。年端もいかない女児を家に一人きりにしておけるほど、この世界は平和じゃない。人間は人間で争うし、誘拐も強盗もある。ましてやここは剣と魔法の世界。武器を持つだけで罪になる日本とは、根本から違うんだ。

 言いたいことが纏まらない。口を開いては噤む私をどう思ったか、彼は籠の中に人差し指を突っ込んできた。格子を握っていた私は、そこから動かなかった。攻撃の意図はないとわかっていた。


「君は優しいですね」

「優しくないよ、普通だよ」

「嫌いな人間のために心配してくれるなら、十分だと思います」


 それは私が心の底から妖精をしてないからだよ。

 人差し指が私の頭を撫でた。その指の方が、私より優しいと思った。


「妹はルミーナと言います。あの子も風邪をひくのは、言い方は悪いけど、慣れています。僕が仕事に行く必要性も理解しています。賢い子ですから」

「賢さレベルと寂しさレベルは全然関係ないってことも、わかってる?」

「勿論」


 だから今、連日仕事に向かいながら、研究がいち早く一段落つくように努めているらしい。


「それじゃあ、もし私があなたに飼われるって言ったら、あの子の看病してていい?」


 どうせ私を逃がしてくれないなら、ここで『善行』でもしていた方が精神衛生上は楽だ。籠に入っているより、ずっとマシだ。

 そう視線で訴えてみたら、彼は「それは魅力的なお話ですね」と曖昧に笑った。

 心の準備ができたら妹に会わせてあげるという約束をした。私としてはいつでもばっちこいだから、心の準備が要るのはスティラスさんの方なんだろう。



   *



 二週間目、扱いが監禁から軟禁に昇格した。なんと籠から出してくれるようになったのだ。


 勿論書斎からは出してくれないけど。

 窓や扉に触れたら、何故か結界みたいなものに引っ掛かって電気みたいなものに悶え苦しむけど。

 それがどうした、私は自由だ!


 久々の上下運動を楽しんで、今日も元気に読書に勤しむスティラスさんの頭でちょこりと正座する。そしてまた飛び回る。少年の肩に乗ってみる。また跳ね回る。

 落ち着きなさいと注意されても無視していたら彼が無言で退室して、どこからか持ってきた紙束を丸めて再登場されたので自重することにした。

 彼の肩を定位置にして、『魔法心理学』とかいうよくわからない本を覗き込んだ。何が書いてあるのか、さっぱりだ。

 

 彼がここにいるということは、妹さんは眠っているんだろう。

 家事をしたり妹さんの面倒をみて、落ち着いたら書斎に来る。そんなライフスタイルらしい。彼は寝室にまで私を持ち込むから錯覚しがちだけれど、一日の中で彼と会う時間は意外と少ない。

 そういえばふと思い出したけど、エレノアって実は強い妖精さんだったりする。

 私が知っているのは雄バージョンの『エレン』の方だけど、エレノアだって基本的な性能は変わっていないはずだ。パーティーから脱落することはめったにないと評判の高性能お助けキャラクターで、妖精の中でも段違いの魔力を持つ。『エレノア抜きで攻略してみる』という縛り実況動画もあるほどだ。

 つまり私『エレノア』は、この世界では猛者になれる、はずだ。

 というわけで、


「魔法を使ってみたいわけであります」

「却下」

「なんで!?」


 取り付く島もなく言い捨てられた。

 彼はようやく本から顔を上げて、私をじっと見つめてくる。恐ろしく無表情だ。


「魔法なんて使えるようになったら、逃げますよね」

「むしろなんで逃がしてくれないの。あなたが魔王にならなきゃ、仮に私が異世界へお使い頼まれたところで無関係でしょうに」


 現在、何代目だか知らないけど魔王は存在する。悪行はそいつに任せて、ルイ少年は真っ当な人生を歩んでいけば、勇者に殺される未来なんてそうそう無いよ。

 妹さんの看病は「ここから逃げられないなら」の話であって、逃げられるなら音速で逃げてるよ。


「魔王になる気はありませんけど、それは別の話です。君が魔法を覚えるのはダメです。逃がすのはもったいない」


 ぞくってした。

 優しい笑みは彼の標準装備なのだと最近わかった。微笑みにも種類があって、心から愛しんでいるような笑みはだいたい妹さんの話題の時に見られる。雰囲気が真っ黒いのは、だいたい私が「逃げたい」と主張した時だ。

 怖いけど、魔法は諦められない。冷たい雰囲気が収まるのを待ち、ご主人様――もちろん皮肉だ――の肩から飛び降りた。机の上に立ち、


「スティラスさん、あの本棚の中から一冊、本を出してください」

「なんでもいいですか?」

「いいです。あっ、あっ、動かないで! その場で!」

「……はあ」


 彼は私がやりたいことを察したらしく、椅子に座り直して、数メルトル離れた本棚を指さした。その中の一冊を決めて、指を上に曲げる。指先を空中に引っ掛けるみたいな動作だ。

 本はひとりでに動き出して、本棚から彼の手元まですうっと飛んだ。滑らかな操作。それだけで、彼の実力を垣間見た気がした。


「これでいいですか?」


 彼は飛んできた本を私の足元に置いた。その緩やかな浮遊魔法は風属性に属するものだと思う。

 八歳児にできることじゃない。

 ――間違いない。やっぱり彼の才能は、すごい。


「ダメでしたか?」

「えっ、いやだめじゃない。だめじゃないよ」


 本のタイトルは『よいこのまほうじてん』だった。だめだったかもしれない。

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