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妖精と軽い交渉

「言っておきますけど、数ヶ月の余命宣告された人と結婚するとか、死地に赴くとか、この後何らかの急展開に巻き込まれて急逝するとか、そういった予定はこれっぽっちもありませんよ。死亡フラグは要りません」

「なにそのやけに詳細な例え。悲恋ものの本でも読んだの?」

「特にモチーフはないのでお気になさらず。……まあ、一つ言わせていただくとするなら、」


 ――寡夫にはさせないでくださいね。


       *


 大理石の床に赤いカーペットが敷いてあった。その上を物怖じした様子もなく歩くのが魔術師筆頭である。

 そこは謁見の間だった。

 玉座の前、かろうじて声の届く距離のところで、彼は止まる。

 王は相変わらず疲れた顔をしていた。まだ若いはずのその王は、ルイの顔を見ると力なく口元だけで笑う。顔色が悪いけれど、そんな王を慮るほどの余裕はルイにはなかった。王の傍には、一番難しい顔をしている魔術師長が控えている。


 王と、ルイと、魔術師長。そしてこの場に、もう一人いた。


 王の腕の中の布――に包まれた赤子だ。寝ていて静かだった。まだ幼い、この国の王子。


 護衛がたった一人とは、少ない。ルイの話が『人にきかせられない』ものだとわかっているからか。己の身を危険に晒してまで人払いをしたのか。

 しかし異変があれば扉の外の近衛兵が飛び込んでくるだろうし、筆頭よりも階級が高い師長を置いているから、体裁は保っているつもりなのだろう。

 ルイは王を見つめ、口を開いた。


「今になって、フェアリー・テイルが惜しくなりましたか」


 陛下に向かって挨拶もなく、不敬だ。

 そんなルイを諫めようとした師長を、王が抑えた。


「もうどうでもいいことですけどね。貴方がいつから、あんなことを画策していたのかなんて、興味もありません。隠す気もない杜撰な計画を穿り返す趣味はないので」

「せめて動機だけでも、聞いてはくれないのか」

「聞いてほしいんですか?」

「……いや、止めておこう」


 その場に不釣り合いな柔らかい声で、王はひっそりと笑った。儚げなこの王は、よく見れば整った顔をしている。ルイの言葉を淡々と受け止めて、尚も穏やかな表情を崩さなかった。

 まさか誰も、彼が『自分の国を魔物に襲わせた犯人』だとは考えられないだろう。

 無表情のルイに、緩い微笑を浮かべる王。

 二人の間に温度差はあっても、壁はない。

 ルイは呟く、


「僕と同じく、妖精を伴侶に選んだ貴方を、それなりに信じていましたよ」


 長年の友に向けるような、柔らかな響きだ。エレノアやルミーナも知らない、ルイの親愛の証だった。

 けれど再び口を開いた彼の声には、一切の情は含まれなかった。


「取引をしましょう」


 数年前、ルイはこの王に、同じ言葉で交渉を持ちかけたことがある。

 今はそれを狙って言ったわけではないが、王には皮肉にも聞こえただろう。


「こちらから提示する条件は三つです。

 一つ、あの三人組を死んだものとし、僕に引き渡すこと。

 二つ、先日提出した書類の魔術師、僕を含めた二十人の辞職を許すこと。

 三つ、その二十人の転職や移住や生活などの邪魔をせず、一切手出しをしないこと」


 一国の王への不躾な条件のうち二つは、非常識とも言えるものだ。それはルイもわかっているけれど、それでも外せない。最後の一つは、王への不信感しかない。

 王はじっと聞いていた。


「僕からは、これを」


 ルイが、黒いローブの裏から小瓶を取り出した。以前、アルスに見せたものだった。


「フェアリー・テイルです」

「っ……!」


 王ががたりと席を立とうとして、思い止まった。抱いている赤子がぐずりだすのは頂けない。その反応を見て、ルイは流石に親なのですねと呑気なことを考えた。

 ルイの考えが正しければ、その赤子こそが王の凶行の原因だ。

 そしてこれまでの反応からして、それが間違っていないことを確信している。推理小説の探偵のように長々と答え合わせと洒落込む気分でもないから、それは止めておくけれど。

 小瓶を見て目の色を変えた王を、ルイは冷めた目で見つめる。


 ――釣れましたか。


 フェアリー・テイル。人を狂わせる薬。

 本来なら人を助けるはずのそれは、いつからこんな麻薬さながらの陰謀に巻き込まれるようになってしまったのだろう。

 ルイは、更に続けた。


「これに関する資料は焼き捨てました。世界に見よう見真似の模倣作はあっても、本物はこれ一つきりとなるでしょう。間違いなくランクSSの完成品であることを、宮廷魔術師筆頭、及びスティラス家現当主ルイ・スティラスが保証します」


 王が、傍らの魔術師長に目を遣った。魔術師長は困惑しながら、「おそらく」と頷く。

 ――魔術師の家系()()()()()()()()()()、本物だ。

 その薬の値打ちがどれほどのものか、わからない者はいない。

 けれど王がこれに頷いてしまえば、この優秀な魔術師を手放すことになる。


「ルイ、あの条件では……」

「言っておきますけれど、」


 煮え切らない王に、


「これは僕なりの譲歩です」


 ルイが言い捨てた途端、魔術師長が即座に動いた。王の前に立った。冷や汗を流しながら、目下のルイを睨み付ける。その手には師長の杖が握られて、杖先はルイに向く。


「お下がりください陛下、あれは既に我々の手を離れております」

「おかしなことを言いますね。元々僕は、あなた方の手中になんてなかったのに」


 片や苦々しく、片や微笑混じりに、――両者の魔力が巡る。

 ルイの足元に霜が降り、師長の周囲に電気が弾ける。

 一触即発。不穏な気配を察したのか、近衛兵が駆けこんできた。けれど周囲には見向きもせず、二人はただただ見つめ合うばかり。


「もういい」


 けれど王の一言で、場に立ち込めていた空気が霧散した。


「条件をすべて飲もう」

「このまま引き下がっては臣下に示しがつきません! あれを野放しにしては危険です、ここで捕らえる他にないと具申いたします!」


 けれどこの場に、ルイに勝てる者がいない。師長だってそれを知っていて、表情は強張っていた。けれどそれでもと嘆願する師長を、王は収める。


「癇癪を起した子供の面倒を誰が見る」


 と。師長の顔が固まった。ルイは様子を窺うのみだ。


「その『誰か』を、結果的に私が奪ったのだ。……好きにさせよ」


 女性を虜にする蠱惑的な瞳を細めて、ルイは「ふふ」と声を漏らした。満足そうだった。

 非公式の会談が終わる。

 王の手には、フェアリー・テイルの正規品が渡った。

 そしてルイと二十人の魔術師たちの辞職が許された。


      *


 近頃のルイは、僅かな昼休みに一度帰宅するようになった。

 エレノアが心配でならなかった。けれど彼女本人にはそれを言わず、「やはり自宅の方が寛げるので」と言い張って納得させたのだった。


「……おや」


 彼が寝室に入るとエレノアが身を起こしていた。

 彼女の手にはやはり本があって、半分ほど読み進めている。


「起き上がって大丈夫なんですか?」

「今日はね、なんだか気分がいいんだ」


 晴れているからと窓を開け放していたのだが、それが作用したのだろうか。寝ているばかりの彼女が無理をするのは頂けないけれど、顔色は確かに良い。ルイはベッド横の椅子に腰掛ける。

 王との交渉からそう経ってはいないけれど、研究所からの退役は受理され、今は引き継ぎの真っ最中だ。以前からそれとなくアルスに手伝わせ、慣れさせていたおかげで、そう長くはかからないけれど。

 それもちょうど今が最後の仕上げというところだが、街の復興も同時進行で行っていれば体力などいくらあっても足りない。どちらも最終段階で、山はとうに越していることだけが救いだ。

 それでもやはり疲れはするもので。


「お疲れだね。よしよし、お膝においで?」

「いや、それは構図的にどうかと」


 ルイの疲労など、エレノアが見抜こうと思えば見抜かれてしまうから、この「元」親代わりは実に厄介だと彼は思う。

 どんなににこやかに誘ったところで断られることは分かっていただろうに、嬉しそうに笑う妻はどうしようもなく(かわい)らしい。惚れた弱みを実感させられる。

 彼女が妖精サイズになってくれさえすれば、籠ごと職場に連れて行って、絶対に安全な筆頭の個室でこまめに様子を見られるのだけれど。

 と考えて、ルイは「あれ?」と目を見開いた。


「……妖精サイズ」

「どしたの?」


 今、何か。引っかかった。

 その勘を深々と突き詰めていこうとしたけれど、――駄目だ。これは良くないことだ。

 目の前の彼女を不安にさせてしまうことになるだろうから、思考を寸でのところで中断させた。

 ルイは彼女を死なせずにいられる方法を試行錯誤しているけれど、未だ見つかっていなかった。そのことに苛つく姿を決して見せないことも、心に決めていた。

 寝具の上に開いたままの本の世界に戻ることなく、ルイに付き合ってくれるエレノア。彼女を、どうしたら――。

 

「……契約をすればいいのでしょうか」

「いいけど?」

「簡単に言ってくれますね……」


 安易に了承してはいけないと苦笑するルイに、エレノアは不思議そうに首を傾げた。


「君は妖精でしょう。人間との契約なんて、嫌ではないのですか」

「だってルイだし」


 この妖精は、しばしば狙っているのか天然なのかわからない言葉を吐いてくる。

 ルイはわざとらしく咳払いして、再びエレノアに向き直った。


「君は今、妖精として不完全な状態です。そこに僕の魔力が、単なる栄養素としてではなくて、契約という……有体に言えば魔力の侵食目的で入り込んだとしましょう。もしかしたら、あの羽を生やした時のような痛みを、昼も夜もなく味わうことになるかもしれません」

「それは嫌だな。……そもそも契約したら羽は戻るの?」

「以前にも言いましたが、契約しても君の羽を生やせる可能性は低いですね」

「うえぇ……。じゃあなんのメリットがあるのそれ」

「魔力さえ通じていれば、羽が無くても生きられないかな、と。まあなんにせよ最終手段にしておきます。君は長年僕の魔力を摂取して体が慣れていたから、あれだけで済んだ……ということかもしれませんし。通常の妖精なら、もしかしたら死んでいたかもしれませんよ」

「……確かめたの?」

「いいえ? ただの推論です。そんな怖い顔をしなくても、妖精を実験に使ったりしませんから」

「そうだよね。……そういえば参考までに聞くけど、契約って何するの? 血を入れるの?」

「それが多いです」

「他にもあるってこと? 口約束程度のがお手軽でいいと思うんだけど」

「魔術師相手にそれを言うとは。もしかして喧嘩を売ってますか?」


 



 ――そんな会話をしたのは、どれほど前だったか。

 葉が青々と繁る季節、彼女は血を吐いた。夜に魘されることが多くなった。あまり喋らなくなった。笑わなくなった。睡眠時間が長くなった――それはもう、このまま目覚めなくなるのではないかと恐れるほどに。

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