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妖精と謎の物欲

 自分がどのようにしてスティラス家から抜け出せたのか、クレアは覚えていない。ふらりふらりと街を歩き、気づけばギルレムの家の前にいた。

 弱音を吐いても許される人物を、無意識に求めていた。


 ファナリア家の女中に頼み込めば、女中は慌てて屋敷の主に伝えて、クレアをにこやかに歓迎してくれる。普段は訪問などしない上司の姿を見つけて驚いた副官は、クレアを部屋に通してくれた。


 ファナリアは、下級といえど貴族だ。普通なら訪問前に知らせておくのが礼儀だろう。

 だがウィーヴィの者が来たといえば、ファナリアには拒否する権限がない。騎士団の一大事だと勝手に勘違いしてくれるから、ありがたかった。


 クレアは柔らかな椅子に座り、カップから立ち上る白い湯気をぼんやり見つめた。


 ギルレムは、底の読めない瞳をしながらクレアを待ち、無言を貫く。

 クレアは茶を一口飲み込んだ。味はあまり感じられなかった。

 けれど、スティラス家で出された紅茶に比べれば――各段に美味しく思う。


「……っ」


 クレアは、小さな両手で口元を覆った。泣いては駄目だと思った。

 先の光景が脳裏に蘇る。


 魔性の者に取り憑かれたなら成敗してやってもいいのに、きっとあの男は、彼女がどんな凶悪だとしても、受け入れるに違いない。

 そして自分がその女に剣を向けたら、どうなるのだろうか?

 ――だって、ルイだ。

 冷たくて優しくて、結果主義で、真面目で、女性に触れることはほとんどなくて。

 クレア・ウィーヴィは、彼に一番近い女性だと自負していた。心に歪みを生んだあの日までは。

 諦めようと一度は思った。それができなかったから、せめて騎士らしく正々堂々と立ち向かおうと――、そうして自分らしさをも取り戻そうとした。

 それをあんなにも近くで、何者かの悪意さえ含まれているようなあからさまな場面を間近で見せつけられて。湧き出る嫉妬も、負の感情も、顔を出してきてしまう。


 だって、あの服は、私が選んだものだ!

 

 今日エレノアが着ていた服は、五年前に、ルイと一緒に選んだものだ。

 布の角を生かした、左右非対称でドレープの美しいスカート。


 ――馬鹿だ。ああ。私は。何を。


「こんなことは、慣れていた。私は騎士だ。主のために生まれ、主のために死ぬ」


 ギルレムには、事情など一欠片も理解できていないだろうに。それでも口を挟まないでいてくれるから、出来た副官だ。


「こんなことも我慢できないほど、子供じゃない。慣れたんだ」


 玩具の代わりに剣を与えられ、鞭を受けて育ち、教育という思い出を頭に刻み、生きてきた。

 虐待じみた教育を受けるクレアに優しくしてくれる存在が、ギルレムと出会う前には、ルイだけだった。「大丈夫ですか」「これは薬です使ってください」「怪我が治っていないのによく頑張れますね」――優しい彼の声を思い出すと、死にたくなる。


「私の何が悪かった。胸がないからか。身長が低いからか。女らしくないからか」


 手と足の裏の皮膚が固いからか。血豆が醜いからか。仕方ないだろう、これが私なのだから。

 自分が持っているものは、鮮やかな赤色の髪だけだ。それと剣を扱うには困りものの身長。

 騎士を務める上で邪魔になる女性らしさなど、意識しないように生きていた。


 対してあちらはどうだ。すらりとした女性らしい肢体。ルイと対を成すような、艶のある銀髪。

 嫌な女だ。


「……なんと愚かな……っ」


 こんな汚穢な考え方をしてしまう私の方が、何十倍も、嫌な女だ。

 この苦悩を形にしたら、エレノアの姿になる。残酷で美しい魔物のような嘲笑を浮かべて、嫉妬にもがき苦しむ女を見下しているのだ。


 ひとつ屋根の下。彼のすぐ隣。安全な場所で、彼の食事を作って、邪魔もなく、優しくたおやかに微笑んでいれば気に入られる生活。

 そんな位置にいれば、彼はきっとこちらを見てくれた。


       *


 打ちひしがれて、呼吸なのか嗚咽なのかもわからない喘ぎが、ギルレムの耳に染み渡る。

 こんなに弱った彼女を見るのは久しぶりだ。ギルレムが覚えている限り、幼いクレアはいつも泣いていた。弱い弱いご主人様。


 クレア・ウィーヴィは、団長の器ではない。


 ウィーヴィ家に生まれてしまった、身の丈に合わない実力を持ってしまった、先代団長の跡を継げる者が他にいなかった、それが彼女の不幸だった。

 祭り上げられる形でその地位に収まってしまった彼女は、きっと自分でも理解はしているのだろう。

 そんな彼女を、ギルレムは支えてきた。

 そう。

 ギルレムの主は、この国の王でも父親でもなく、この小さく脆弱なクレアただ一人だった。


「エレノアのことだな」


 何を問おうとも、クレアには聞こえていない。それを承知で、ギルレムはまた呟いた。


「大丈夫だ。あの女の存在は、この国には受け入れられない」


 ――要するに、あの場違いな妖精がいなくなれば済むことだ。


 ギルレムは、クレアから視線を外した。

 窓の外には、暗い暗い、夜の色があった。


       *


 今夜は火の魔法の練習をした。エレノアはルイの手の平に座り込んで、息も絶え絶えだった。彼女の周囲をちらちらと舞う光の粉は、妖精特有の自浄作用が発動している証拠だ。


 ルイは寝室に入り、ランタンに視線を向けて火を灯す。

 そして息荒くへこたれる彼女を銀の籠に近づけてやれば、自分からひょいと入っていった。

 籠には小さなクッションが敷かれているので、エレノアはゆっくり休み始めた。


「少し前のことですけどね。迂闊でした」


 ベッドに腰を下ろしたルイは、話を蒸し返した。クレアに「通行証の紛失」の話を聞いた後、別件が思い出されて夕食時の話題にして、その話の途中だった。

 エレノアはそんな話をすっかり忘れていた。「ん? ああ、あの話ね」と身を起こして、籠の中でルイに向き直る。


「私の髪、盗まれたんだよね。そういうのって魔術で追えないの?」

「君がいれば髪を追えなくはないのですが、どうも、もう『ない』ようなんですよね。燃やされたとか」

「人の髪をなんだと思ってるんだろうね」


 研究所に保管していた『Fa-A:Ha』――エレノアの髪が盗まれた。

 研究所では、保管してある素材は共有財産の扱いをされる。ただし所定の用紙に、使用した素材とその分量、最後にサインを書かなければいけない決まりだ。

 だが保管係が確認したところ、妖精の髪だけが残数と合わなかったらしい。


「魔術師の皆さんで共有していますから、研究所の者として登録している方であれば誰でも持ち出せます。魔術師としての特性上は規則違反を嫌うものですから、こういったことはやらないと思っていたんですけどね」

「悪い人ってどこにでも湧くもんだよね」

「そうですね。人間は全て悪だという勢いだった過去の君では考えられないお言葉をありがとうございます」

「私に喧嘩売ってく姿勢なのは理解した。……でも、決めつけは良くないけど、そういうことやりそうな奴らに心当たりあるっていうか」


 沈黙する。

 最近忘れられがちなあの三人組の可能性を、ルイも考えていた。


「…………、まあ、しかし、証拠もないのに疑うのは褒められたことではありません。魔法を使った形跡もないので魔力も追えませんし。身の一部を提供していただいたのに、君には申し訳ないことをしました」

「まあいいよ。私は苦労とかしてないもんね」

「あまりやりたくはなかったのですが、管理を僕も手伝うことにしましたし、新しく何か作りましたので二度とこういったことはないかと」

「何かって?」

「監視とか、そのあたりの何かです。詳しくは聞かないでください」


 機密事項か。エレノアが小首を傾げてみれば、ルイは視線をそっと他所に飛ばす。


「……はあ」

「何? どうしたの」

「いえ、ちょっと動悸が」

「大丈夫?」

「大丈夫じゃなくなるので上目遣いは止めてください……その口に血液を突っ込みたくなります」

「……うん、やめとく」


 大丈夫ではないことがわかった。病んでいっているのではないかと心配になるエレノアである。


 彼女は体力の回復を待って、籠の外に飛び出した。もう寝入る体勢だったのにと驚くルイの膝に立って、彼の服をぎゅう、と掴んで見上げた。ルイの心臓もぎゅう、とされた。

 ルイは、この雌妖精を握り潰してみたいけれど優しくもしたいですし嫌われるのも嫌ですけどでも試しに嫌われてみてもいいかもしれないですねという複雑な衝動を抑えていた。

 エレノアはといえば、上目遣いじゃないので心配要らないと自信満々だ。


「聞きたいことがあったんだ。欲しいものってある?」

「……一つだけありますよ。欲しいもの」

「何がいいの?」

「何故、そんなことを?」

「だって服買ってもらったりとかしてるから、たまには私も何かしたいよ。お給金だってちゃっかりもらっちゃってるし、ちょっと高いものだって買えるんだよ」

「服も、君を養っているのも、必要投資だと思っていますけど」

「私が納得しないの。ずっと奢られてばっかりじゃ落ち着かないタイプなんだから」


 そう迫られて、ルイは困ったように笑う。困るのも、悲しむのも、嬉しいのも、微笑んでいれば全てを表現できる自分がいることに気づいた。

 そうして笑顔でごまかして、要らない言葉は吐かない。


 彼の答えは、エレノア本人にはどうしようもないものだ。


 ルイは彼女に何も言わず、服を掴んだままの彼女を優しく離して籠に戻す。


「やっぱり教えてあげません」

「意地悪! そんな子に育てた覚えはないよ!」

「はいはい、もう寝ますよ」


 籠の蓋を閉じると不安にさせてしまうから、開け放したままだ。それでも彼女は従順で、飛び出したり食い下がることをしない。躾の効いた小鳥のようだと、ルイは時々思う。


 ランタンの火を消すと、諦めたエレノアもクッションに倒れ込んだ。そして人間よりも優秀な瞳で、ルイがベッドに入り込む様を見た。

 少し間があった。

 ルイが、暗闇に慣れた目で籠を見遣る。

 視線がぱちりとぶつかったけれど、暗闇のせいか、気まずさはなかった。

 彼が言う。


「いずれは手に入るものですから」


 エレノアにとっては不本意なことを、言う。


「いずれ?」

「ええ、いずれ。その時には君にも付き合ってもらいますので、今はそんなに気にしないでください。もう半分以上は叶っています。なので――」


 眠気にかすれた声で「おやすみなさい」を言い終えないうちに、彼の瞳は閉じられていった。

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「握り潰してみたいけれど優しくもしたいですし嫌われるのも嫌ですけどでも試しに嫌われてみてもいいかもしれないですねという複雑な衝動を抑えていた。」 ↑感情表現が上手過ぎます。 私の憶測ですが、強い支配…
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