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妖精と悩む恋敵

 もう何日前になるだろうか。

 クレアはいつかの日のように、朝議の解散後にルイを呼び止めた。


『お前がいつも食べている昼食は、あの、エレノアとやらが作ったのだろう』

『ええ、そうですけど』

『前々から興味があったのだが、……その、』


 弁当とやらを食べてみたい。

 それだけの言葉がどうして言えなかったのか、クレア自身にもわからない。


 食堂の食事は美味しい。相応の料理人がいるし、腕も確かなものだ。

 それを差し置いて持参する昼食とはどんなものだろうと、以前から考えていた。

 研究所内でも気にする者は多いと聞くルイの食事形態は、この合宿にうってつけの持ち運びしやすいものだ。だから頼もうと思った。


 それだけのことなのに、口が回らない。素直さとはほど遠い性分の己を呪いたい。

 そんなクレアの意思を、ルイは汲み取ってくれる。


『興味があるなら、僕から頼んでおきますよ。合宿に持っていくにもちょうど良いでしょうし』

『ほ、本当か!』

『頼んでみるだけですよ。決めるのは彼女です。……断ることはないでしょうけど』


 彼が言ったとおり、エレノアは快く引き受けてくれた――らしい。

 合宿当日の朝に、クレアはルイから薄い橙色の布に包まれた小箱を渡された。彼から何かを貰うという経験も、考えてみればこれが初めてかもしれない。クレアは一瞬面映い気持ちになって、周囲の生暖かい視線も少し気になった。

 けれどこの包は彼の想い人からだと思い出して、わずかに気落ちしてしまう。

 ――欲しいと頼んだのは自分だ。そんなことはわかっている。


 野原で休憩とし、ルイから渡された包に手をかける。

 結いてある布をはらりと解いて、蓋を開いた。


 衝撃を受けた。


 こんなにも小さな小箱の中に、様々な料理が少量ずつ入っている。

 半分は、柔らかなパンで作られたサンドウィッチ。中身は、火を通した魚をドレッシングで和えたものと、卵を崩したものだった。

 狐色のフライは、時間を置いたせいか、からりとはしていなかった。けれど親切にも備え付けられていたフォークで切れば、中からとろりと白いソースが垂れてくる。

 その隣には、珍しい一口大のハンバーグ。その下のポテトサラダは、底に敷いてあるキャベツとの間に埋もれていた。

 小さなトマトが一つあって、これは腹を持たせるためにはあまり意味がないのでは――と思ってそれだけを除いてみれば、なるほど、中身が不思議と寂しげに見える。元の位置に戻した。


『これは……すごい』


 かわいい、と口にできない自分が憎らしい。だから声に出さずに言う。かわいい。


 ――これを食べてしまうのはもったいないが、しかし……。


 クレアは真顔で躊躇した後、観念して手を付け始める。

 全て冷めているのに、油が隅に固まっていることはない。味も申し分なかった。


 ――もしも私がこれを作るなら、自分の好物ばかりを詰められるのだろうか。


 それならば、あの肉の腸詰も、卵を焼いたもの、もしかしたらスイートコーンのスープなども?

 そんなことを考えていたら、すぐに食べ終えてしまっていた。


 山を越え、谷を越え。一行がたどり着いたそこは、山中だ。

 国の中でも辺境とされている、名もない土地。

 浅く流れの速い川があって、水には困らない。肌寒かった。


 予想外の雨で到着は遅れたけれど、何をするにもまずはテントを張るところからだ。

 中央に一本の棒を立て、それを支柱に撥水加工の布を張り、周囲を複数の棒と紐と杭で固定する。どうせ一時的な住まいなのだから、雨風をそれなりに凌げれば良い。


 訓練は過酷であればあるほど良いというのがクレアの考えだけれど、屋根があり、私物を三つ持参して良いというのも彼女の優しさだ。

 娯楽を重視せず、柔らかなクッションを持ってくる者は専ら年季の入った班長達だ。訓練で扱かれた後に味わう、薄い布を敷いただけの地面の硬さを、新人達は知らないのだ。


 ところでルイから再三に渡って「休ませてあげてくださいね」と託された魔術師だが、なんと別荘を作っている。

 黒衣の一人が風魔法で木を切り倒していた。一人が切った木を浮かせて組み上げていた。もう一人は青色に光る石を空にかざしながら、木が組み上げられていく地面に大掛かりな魔法陣を敷いている。ちょっとした工事現場だった。

 クレアは、魔法陣を敷いている魔術師に近寄っていく。三十代中頃ほどの男だった。落ち窪んだ目元には濃い隈があり、今にもふらりと倒れそうだ。無精ひげを生やし、不摂生が見てとれる。


「……何をしている」

「家を作っとりますが」

「見ればわかる」

「んじゃあ何をお聞きになりたいんで?」

「ここで大掛かりな仮住まいを作る必要があるのかと」

「必要っすねえ。寝れる時に寝なけりゃ、まーた倒れちまう。『騎士団の方々に気を遣う必要はありません』ってことらしいんで」

「ほう?」


 確かに彼らの上司には「観光目的で高待遇に」とは言われたけれど、本当にここまで自分達の欲望に忠実になられるといっそ清々しい。


「この石もルイ様お手製の補助魔石なんすけどねえ、補助っつーかもうこれ一個で主力っつーか」


 魔石。魔術師が魔力と共に何らかの情報を石に詰めることで出来る特殊な鉱石で、魔力が無い人間でも使用できる。

 この補助魔石は、ルイの言葉にすれば、


『入っている魔力は申し訳程度でコテージのレイアウトの情報しかありませんので後は適当に頑張ってください』


 ということで、使用する際は多少なりとも魔力が必要だ。

 現在地面に敷かれているのはルイが描いた魔法陣ということになる。

 そして補助魔石の「申し訳程度の魔力」は、それを作った術者の裁量による。


「つくづくバケモンっすよね。あの人」

「否定はしないがな」


 バケモンという言葉には、親しみが込められていた。

 クレアは別荘の形を成しつつある建造物をじっと見つめ、再び傍らの男にちろりと視線を移した。


「お前はたしか、ルイの副官だったな」

「はい? ああ、まあ。そういやあ団長さん、移動用の魔法陣はどこに出しときゃいいんで?」

「この付近であればどこでもいい。一応訓練にはついてきてもらうがな」

「そっすかー」


 自分の速度でことを運ぶのは上司譲りだろうか。「んじゃあ」と言って片手を出し、幾分か離れたところに魔法陣を出現させる。野営地の中央に熾させた焚き火の近くだった。

 補助魔石を使用すれば楽になるとはいえ、魔術を発動している時に別の術に当たるのは凄腕の魔術師がすることだ。それをさらりとやってのける彼も、やはり王都グレノール魔術研究所、その筆頭格ということだ。

 ――さすが、奴の副官なだけあるな。

 ふむ、と頷く彼女の横で、男はローブの内ポケットから白い紙を取り出した。


「それは?」

「報告書っすけど」


 彼は発動中の補助魔石を右手の小指と薬指の間に挟み、またどこからか取り出したペンを執って、紙に何かを書きなぐった。

 それをクレアに見せる。


『張れた。アルス』


「……それでいいのか」

「移動用の張れたらとりあえず形だけでも報告しろって言われたんで」


 紙は蝶の形を成して、先ほど出現させた移動用魔法陣に消えていく。

 アルスが「筆頭の手紙の返信なんで」と言った。

 要訳すれば、紙にルイの魔力が込められているからあちらの魔法陣に転移できるということらしい。通行証と同じ原理である。


「ルイには、お前たちのことを観光目的にと託された」

「へえ」

「奴も疲れているのだし、来られたら良かったのだがな」

「筆頭には大自然以上の癒しってもんがあるんで」

「わかっている」


 そんなことはわかっている。彼にとっての癒しが何処の誰であるかを、クレアは正しく理解している。

 クレアの声が低くなったことに気づいた男は一瞬迷って、


「俺は治癒師なんだけど。本業の他には、ほんのちょっと占術とか転移魔法とか器用なこと学んだ程度で」

「ほう」

「道中でちょいと占ってみたら、一つ気になることがありまして」


 クレアは、訝しげに顔を上げる。


「王都に帰った時、衝撃的なことがあると」

「衝撃的……?」

「まあほんのちょっとの知識なんで本気にはせんでくださいよ」


 言ってしまえば頼りない風貌の男だ。彼の言葉を間に受けることはなかった。




 合宿から帰ったクレアは、洗った弁当箱と回収した通行証を届けようと、ルイの家に向かった。

 とぼとぼと重い足取りだ。

 通行証が、使う機会はなかったのに、数枚戻ってこなかった。回収を手伝ったギルレムも何度も確認したというけれど、やはり数が足りていない。

 ルイに謝らなければいけないことを考えると、気が重い。


「……はあ」


 けれどこういったことは早めに伝えなければいけないと思うし、エレノアに礼を言わねばならない。あわよくば彼女と仲良くなって、料理を教えてもらうのも良いかもしれない。

 クレアなりに、恋敵へ対抗する方法を考えた。

 幼馴染を取られる気はさらさらなかった。


 以前にクレアがスティラス家を訪れた時、彼の気持ちはエレノアに届いていなかった。

 まだ負けていない。

 服だって、いつもなら着ない色合いを選んだ。失恋を知った服屋で、今度は自分のために選んだ。勝負服と言うには可愛らしい、少女の鎧だ。

 桃色の服に透かし編みの白いカーディガンを羽織った。髪もいつもの一本結いではなく、ハーフアップにした。ただ違和感があるとすれば、腕に大事に抱えている無骨な皮袋だ。太腿のホルダーにはナイフが差してあるけれど、外からは見えない位置だ。


 徒歩での訪問は初めてだから、地図を見比べて歩く。

 そうして1軒の家にたどり着いた。どこにでもある一般民家だ。

 もしもこの家に、自分が身内として迎え入れられたなら。そんなことを考えるのは、悪いことなのだろうか。


 クレアは、ドアノッカーを三回鳴らして数歩下がる。

 ドアが遠慮がちに開いて、隙間からひょこりと金髪の少女が顔を出した。


「こんにちはー?」

「あ、ああ、こんにちは。すまないが、ルイはいる……、いらっしゃいますか? 申し遅れましたが、私はクレアと申します。名前を伝えていただければわかるかと」

「クレアさん。お兄ちゃんのお友達の方ですねっ」


 ――彼女がルイの妹か。

 そういえば、彼に似ている気がした。

 ルミーナが「ちょっと待っててくださいね」と奥に引っ込んで、少し待つと、再びドアが開いた。

 ルイがいた。いつものローブは着ていない。


「お久しぶりですね。お疲れ様です。どうしました?」

「通行証と弁当箱の返却と、あと謝らなければいけないことがあってだな」


 ルイは「明日でも良かったのに」と彼女を家に通した。ドアを開いて迎え入れてくれる彼をどうにも意識してしまうけれど、クレアはなんとか真顔を保った。


 着席を促され、真正面にルイが座った。

 彼の自宅――完全に私的な空間で二人きりというのは、どうにも緊張する。


「それで?」と柔らかく問う彼に、答えようと口を開いた。それを遮るかのように、第三者が入ってきた。


「あ、ごめん」


 エレノアだった。お茶を二つ持っていた。


「お話中だった? ごめんね」

「大丈夫ですよ。まだ始まってませんから」

「そう?」


 エレノアはお茶を二人の前に置いて、ルイに聞く。


「クレアさん、今日はお夕食食べていくの?」


 わざわざルイに問うのは、客人は「急な訪問でご相伴に預かるわけには」と言うに決まっているからだ。家主の意向で何とでもできるという家政婦の意思を汲み取り、どうするかはルイの自由だ。

 彼はクレアに「どうしますか?」と質問を回す。


「迷惑ではないのか」

「もう一人分くらいは用意できるみたいです。うちの家政婦は優秀ですから」

「まーたそういうこと言うんだから」


 クレアは、ふいと顔を背けるエレノアを可愛いと思ってしまう。素直ではない仕草は自分と同じでも、どうしてこんなにも違ってしまうのだろうか。

 クレアは、できるなら、ルイの目には平等に映っていてほしいと願って――、


 あれ?


 妙なことに気づいてしまった。


「優秀な家政婦で気に入らないなら、嫁や妻とでも言えば良いんですかね」

「なお悪い。それにまだ結婚してない」

「いずれはそうなるので大丈夫です。それに籍を入れていないというだけで、やっていることは変わらないのですから」


 ――嫁? ……妻? いずれは?

 肺の中の空気が凍ってしまうような心地がして、クレアは息を止めた。


 真正面にいるクレアから目を離して、エレノアに優しく、甘く、視線を向けるルイ。そんな彼の眼差しを受け止めて「結局どうするの」と聞きながら、恥ずかしがる銀髪の彼女。

 以前とは違う雰囲気。


 それはきっと、家政婦が家主の気持ちを受け入れたから、関係が変わってしまったというだけのこと。だからこの家は、蜜のように濃く、幸福な空気に包まれてしまった。

 クレアの望まない結果によって。

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