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妖精と悪い予感

 それは偶然だった。

 ルイの反応を窺うには一番に効果的だと思ったから、エレノアの手を引いて密着してみせた。

 そのエレノアが、剣に反応した。

 ほんの一瞬のできごとだが、ギルレムはそれを見逃さなかった。


 一般女性が剣を怖がるのは当然だ。けれど、彼女は何かが違う。雰囲気もそうだけれど、触れた時の感覚が、どこかふわりとしていて――そう、体温がほんのすこし、低いように感じられた。

 自分が鎧を着ていて、手には皮の手袋をしていたから、あの状況では彼女の体温などわかるはずがない。

 けれども温度がないと感じた。彼女には人らしい匂いや空気がなかった。


 ――人間? いや、人形のようだ。


 エレノアを寄せ、そんな違和感を覚えた次の瞬間には例の殺気が飛んできて、その場は有耶無耶になってしまった。けれど疑念は、後になってむくむくと首を擡げてくる。

 そして剣に意識を向けてみて、有名な話を思い出した。

 曰く、妖精を捕まえるには、羽をもぐか銀の檻にいれること。


 ――銀。


 ギルレムは思考を打ち切らない。

 ルイ・スティラスにまとわりつく魔物の噂。これは彼女のことだ。十年間年を取らない女。人形じみた女。そして、その場にあった銀の剣。

 一般人であれば思いすごしだと一笑できるだろう。けれどギルレムは違う。あのルイと関わりがある女、それだけで動機は十分だった。

 だからギルレムは、数ヶ月間まともに顔を合わせもしない弟――眼鏡の宮廷魔術師に、とある悪巧みをもちかけたのだった。



 ギルレムは久々に帰った自宅で、いつもは使いもしない机に頬杖をついて、手にある銀糸の束をじっくりと見つめていた。ちろちろ揺れるランプがそれを橙色に縁どらせ、輝かせる。

 弟が持ってきた『それ』は、髪――ランクAの雌妖精のものだ。


「……しかし、……これは」


 ギルレムは独り言ちて、目を眇める。

 指先で弄んでいたそれに爪を立ててみれば、そこでへたりと折れてしまった。指を放してしまえば、妖精の髪は机に落ちる。束がすこし解れていたけれど、散らばらずに済んだ。

 わかりやすいと思った。

 研究所に置いてある妖精の髪。これがエレノアのものと同色。


「彼女は妖精か」


 ならば、研究所の幾人かは気がついているのだろう。そして黙認しているのだろう。人間の生活に妖精が侵入していることを。

 ギルレムはハンカチで髪束を覆った。それを掴んで屑籠へ直行し、ハンカチごと放り投げる。

 汚いものを触ってしまった。すぐに手を濯ごう。

 彼は屑籠の底で艶めく髪をかえりみることもなく、足早に部屋を出た。


     *


 ――なんだろう。


 エレノアが背後を振り返っても、ルミーナの制服が吊り下げられているだけだった。


 ――寒い気がしたけれど。


 紺色のワンピースの上には、きっちりカーディガンを羽織っている。それに妖精の自分が寒さを感じるなど、なかなかおかしなことだ。

 彼女がそのまま部屋を注視していると、隣から「エレノア」と力なく呼ばれた。


 電化製品の発展が遅いこの世界では、一般的な夜間の明かりはカンテラくらいだ。蝋燭や、皿に燃える水を薄く張って火をつけることもあるけれど、スティラス家ではあまり使われない。

 ルミーナが横たわるベッドを、エレノアの影が覆う。カンテラの火が揺れることで、ルミーナの瞳の潤みがちろちろと強調された。


「また熱が上がったね」


 ベッドの端に座りながら、エレノアはルミーナの額に当てていた手を離した。人間の体温は妖精よりは高いけれど、それにしたって見過ごせない温度だった。

 今度は頬に手の甲を当ててみると、ルミーナは「冷たい……」と気持ちよさげに目を細める。


「お兄ちゃんは?」

「まだだよ。お仕事が長引いてるみたい。それに明日はあの日だからね。今日は忙しいはずだよ」

「……そんなにお仕事人間で、エレノアにあいそー尽かされたらどうするんでしょう……」

「そんなに簡単に愛想尽かさないから大丈夫」


 寝具を口元まで引き上げたルミーナは、不安そうにエレノアを見る。

 エレノアは立ち上がって問う。


「林檎をすりおろしたのと、林檎の紅茶、どっちがいい? 両方でもいいよ」

「おちゃ。あったかいの。はちみついれてください」

「うん。すぐ用意してくるからね」


 ルミーナは夕食も食べられないほど具合が悪い。

 流動食ならと思ったけれど、それも無理なら仕方がない。

 ルミーナは幼少期と比べれば丈夫になったけれど、一度風邪をひけば長引いてしまう。不調を訴えて、もう三日目になる。

 エレノアが廊下に出ると、帰宅したルイが階段を上がってきたところだった。傍らに光源を浮かせていた。エレノアと目が合うと、「ただいま」と薄く微笑む。


「ルミーナは?」

「熱上がっちゃった。吐き気も頭痛もあるみたい。今から林檎の紅茶淹れるけど、……ルイはお茶よりご飯が先かな?」

「ええ、お願いします」


 エレノアが手を出すと、ルイはローブを脱いで彼女に手渡した。


「ご飯、あっためてから呼ぶよ」

「はい。あ、お一つどうぞ」


 ふよん。気の抜けるような音がして、エレノアの横にも一つの光の玉が現れる。


「明かりは強すぎませんか?」

「うん、これくらいがいいよ」


 この光源が前世でのLED電球並みの光を発してくれるものだから、灯りとしては十分だった。

 エレノアはルイに礼を言って、階段を降りた。

 料理を温めながら、林檎の香り漂う紅茶にスプーン一杯の蜂蜜を混ぜ、エレノアは再びルミーナの部屋に訪れた。寝かし付けるまでがお仕事である。



 食事を終えたルイの部屋に呼ばれて――、


「恋人になってから数ヶ月です。触れてはいけないところも、それなりに許してくれるのでしょうか」

「え」

「ね? ずっと我慢していたんですよ」

「えっと……?」

「以前から頼もうと思っていましたが、今日こそはお願いしたくて」


 唐突にそんな妖しいことを言われて、エレノアは逃げ腰になる。

 途端に背後のドアが閉まって鍵ががちゃりと鳴って、背筋が寒くなった。

 詳細を聞いて、今度は顔色を悪くさせる。それでも彼女は決死の覚悟で頷いた。関係が変わってしまって、以前は突っぱねていた要望をお断りしにくくなったエレノアである。


「ちょっと、あんまり触んないで」

「もう少しですから」

「もー。あ、もっと優しく……っ」


 白いワンピースは妖精のデフォルト衣装で、その背は羽の邪魔にならないよう大きく開いた形をしている。わざわざその姿になって何をしているのかといえば、羽の大きさを測られているだけだった。

 恋人同士が、戯れに体のきわどい部分を許すのと同じ。

 けれど付け根はあまり触って欲しくないと思う。


「身長百五十六センチメルトルで羽の長さが百三十四センチ……、けれど元の大きさだと、体と羽がだいたい同じ長さ。両羽は完全に同じ。妖精はみんなこうなんですか? やはり個体差というものがあるのでしょうけれど、ランクや環境などが違ったらどうなりますか? あと飛ぶ時はさすがに羽の力だけでとはいかないでしょう? 生まれつき飛べるらしいですが、風魔法か何かを本能的に発していたり――」


 羽を解放されたエレノアは、すばやく振り向いて彼を睨んだ。


「その疑問全部に一言でお答えしよう。『知らない』」

「どうして君は自分の種族にさえ無関心なんですか」

「生きてさえいければいいし。たぶんみんなそうだよ。人間ほど探求意欲ないからね。身長だって今知ったくらいなんだから」

「では人間のことにはもっと興味ないでしょうね」

「ないね」

「そうですか。……しかし大体は満足です。測定はここまでにしますので、大人しくこちらに来ていただけますか」


 エレノアがルイをよくよく見れば、疲れているようだった。

 それもそうかと思う。彼は今日だけで、通常よりも多くの仕事をこなしたのだろうから。


 明日は国中が喪に服す日だ。

 王妃が亡くなって二年目の命日。王が側妃も作らないと公言するほど王妃を愛していたらしく、その愛妻が亡くなった時の悲嘆も相当のものだったらしい。その哀しみが、今も拭えないのである。

 この日は食事の支度など、最低限の仕事しかしてはいけないことになっている。店も閉まるために、食料は多く買う必要があった。

 魔術研究所でも、溜まっている仕事は本日中に仕上げなければいけなかった。

 明日が休日になるとはいえ、疲労感はごまかせない。


 ベッドに腰を下ろしたルイは、膝にエレノアを座らせる。そうして胸下に腕を回し、ぎゅうと抱きしめた。彼に頭や襟元などに鼻先を埋められて、髪や首筋の香りを堪能されているような気がして、それもたぶん気のせいではない。


「これ、逆に疲れない?」

「いえ。しばらくこのままで」


 ルイ曰く、これが癒しらしい。

 関係が変わってから、しばしばこういった接触をするようになった。


「日にちはわかっているのですから、仕事も以前から計画立てていたのに……急に妙なことを頼まれても対応に困るんですよ……どうして僕を指名しますか……」

「ああ、うん。あるある」

「師長に言ってくださいっていつも思うんです。研究所も魔術も貴族の我儘のためにあるわけではないのに、勘違いなさっている方々もいるじゃないですか」


 けれど援助してくれると言うなら、突っぱねられない。年頃の娘を紹介されたりもするし、どうしたものか。

 こうした悩み事を聞くのも保護者の務めだ。

 しかしこんなに荒れてるルイも珍しいな、と思いながら静かに頷いていれば、彼の気も収まってくる。愚痴の後の溜息は、自己嫌悪からだった。


「すみません、愚痴を吐いてしまって」

「いいよ、聞くくらいしかできないんだから。ほら、いいこいいこー」

「……はあ」


 ルイが横に倒れると、捕まったままのエレノアもベッドに倒れる。

 彼女が身を反転させ、背後にいたルイを不思議そうに見上げた。思った以上に近かった距離に「おお」と仰け反るが、彼の腕はまだエレノアを離さずに、腰と肩あたりにあった。

 夜のベッドに、男女が寝転がる。

 この状況でも警戒心を抱かないのは、エレノアが保護者モードに入っているからだ。

 ルイも、今だけはエレノアの望む「少年」でいようと決めた。とても疲れている。


「子供扱いしたのに、怒らないんだね?」

「この際ですから。もっと甘やかしてくれてもいいんですよ」

「おや素直だ」

「僕は元から素直ですよ。甘やかすついでにご褒美ください」

「ご褒美?」

「はい」


 少年でいようと決めていて――やはり無理だった。

 顔を近づけて、一瞬で『ご褒美』を貰うと、やることは済んだとばかりに瞳を閉じる。

 されたことを徐々に理解してきたエレノアは顔を赤くして、すぐに彼の腕から抜け出そうと動いた。が、がちりと捕まっていた。動くほど締めつけられている気がする。

 やがて諦めて、そのまま寝た。

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