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殺気と宮廷魔術師

 魚が安い。

 エレノアは大通り右手側にある行きつけの魚屋に、『本日のおすすめ』を見つけてしまった。

 目立つ札の下の木箱には砕かれた氷が敷き詰められ、アジが埋もれている。

 ふらりと立ち寄って見てみれば、たしかに安い。

 この世界では、この種類のアジが一尾百五十クランほどで買える。それが本日、赤字覚悟の九十九クラン。二尾以上買うことが条件のようだ。


 ――献立変更だ。煮付けにしよう。


 横から声をかけられる、


「エレノアちゃん。久しぶりだねえ」


 青みがかった黒髪をバレッタで止めていて、化粧っ気がない。彼女は魚屋の婦人だ。動きやすいパンツに前掛けをしている。

 顔にうっすら刻まれた皺は彼女の年齢を顕にしているが、表情はいきいきと輝いている。

 常連客であるエレノアとは、世間話をする仲だ。


「お久しぶりです。今日はアジがお安いみたい?」

「そうなのよ! どうどう? 今さっき入った新鮮なやつがこのお値段! 安いからって悪いもの出しちゃあ看板が廃るしね!」

「はい、じゃあ買ってってあげましょうか」

「まいど! 三匹でいいわね? ちょっと待ってて」


 婦人は浅く小さな竹籠にアジを選び取っていく。

 それをまとめて紙に包むと、エレノアにほいと渡した。続いて「じゃ、またね」と手を振るものだから、財布を取り出していたエレノアは小首を傾げた。


「あの、お代は……」

「いーのいーの、持っていってちょーだい。この氷、ルイ様から頂いたものだからね!」

「ルイ? 氷、出したの?」


 エレノアは、まだ数匹のアジが眠る氷山を見て驚く。

 いつもはそんな話は聞かないけれど、何かあったのだろうか。

「ああ、」と察した婦人が、商売用の声を潜めて穏やかに話しだした。


「まだまだ氷を買うには安定しない季節でしょう? 冬になるまでは水の魔術師様んところに頼むんだけども、いつもの人が護衛行ってくるってことで、ちょっと捕まんなくってねえ」

「はあ、それは大変ですね」

「大変も大変さ。魚を仕入れるにも、氷がなくちゃどうにもならないんだもの。……で、ちょっと前にそこの街灯を見に来てたルイ様に話してみたら、いつもの魔術師様が戻るまでは氷を出してくださるって。お代は要らないから、エレノアちゃんが来たらまけてあげてーって、ああいう男はいいわよねえ」

「あ、交換条件だったんだ」

「魔法ってやつはすごいもんだわね。しゅるるーってあっという間に氷が出てきて勝手に砕けてハイ完成って」


 エレノアを通してルイを見ているようで、心底ありがたがっている。

 けれどその瞳が一瞬、不穏に陰る。婦人は周囲を軽く見て、再びエレノアに向き直り、声をさらに小さくした。ちょいちょいと手招きされて、エレノアは素直に顔を近づける。


「エレノアちゃん。最近、変なこと言われてない?」

「変なこと?」

「いつまでも若くて可愛いからって、変なこと言う人よ。もし心当たりあるんなら、あんまり気にしちゃあだめよ」


 噂のことだろう。

 エレノア自身に実害はなかったが、心配されるほど酷いものだったのか。


「あたしゃ嫉妬に狂った女が原因だと見るね」

「嫉妬されるほど、私って何かを持ってますかねー。あの兄妹くらいじゃないですか?」

「あの兄妹だけで十分でしょうよ。それにあんた、男にゃ困らない顔してんだから」

「はあ……」

「あたしからすればね、いつまでも若いってーのが人間じゃないってんなら、魔術師様なんかはどうなんだって話さ。あたしらができないことを平気でやってのけるじゃない。それもこれもぜーんぶ個性ってやつなのにねえ?」


 エレノアは苦笑するしかなかった。

 実際に人間ではないから、純粋に信じてくれる人を騙しているようで居心地が悪い。

 魚屋に別の客がきたところで、二人は別れた。



 いつの間にやら市場を抜けていて、王宮の敷地近くまで歩いてしまった。ルイの昼食を届ける際にいつも潜る、大門の前だ。

 今日は様子が違って、人が多い。大門を遠巻きにしている人々は主婦が多く、皆が一般人のようだけれど、ここで何をしているのだろうか。

 大門の内側にも人が多くいたが、一般人ではない。重い蹄の音が聞こえる。こかこかと1頭では等間隔で鳴らされるそれも、何十と重なれば雑音のようでもあった。

 騎士の一団だ。馬上の彼らは戦場に行くわけでもあるまいに、鎧に身を包んでいた。

 馬は、門を越える手前で綺麗に等間隔で整列させられた。

 そして乗り手が馬からおりて、少人数でまとまり、門の内側で最終確認を行っている。


 新米の騎士の姿が多く見受けられる。数人で一固まりに編成され、それを一人の上級騎士が統率しているらしい。

 そして一際目を引く、小柄な女性がいた。赤い髪をさらりと揺らし、不遜な笑みで彼らを率いる彼女――クレア・ウィーヴィが、馬にまたがったまま声を張り上げた。


「いいかよく聞け!」


 命令することに慣れた声色は、高く響く。


「まもなく移動を開始する。今の時点で体調が悪い者は、この後すぐに己の班長に言え。正直にだ! 道中、吐こうが腹を下そうが止まらんぞ!」


 全ての騎士は、敬礼で応じる。鎧の関節部が擦れて打ち鳴らされる音が、一部の乱れもなく重なった。


 ――さすが騎士の偉い人。ていうか本当に団長さんだったんだ……?


 あの小さな体で大人数を率いるのは、相当の覚悟と実力を要するだろう。


 彼らの凱旋を見物するために、ここまで人が集まったのか。

 ルイが言っていた合宿と何か関係があるのかと、エレノアは意味もなくその場に残っていた。その他大勢に紛れたつもりだった。

 けれど、彼女の存在はやはり目立つようだ。


「あら、あれ」

「スティラスさんの?」

「ああ、あれが」

「可愛いけどねえ」

「ルイ様が簡単に騙されるって、考えらんねえけど」


 そんな声が聞こえてくる。

 声に出さなくても、好奇の視線で責める者もいる。


「……はあ」


 帰ろう。そろそろ頭を隠す帽子のようなものを買ってもらおう。

 ここにいても仕方がないと、踵を返そうとした時だった。


「クレア」


 クレアを呼ぶ声があった。距離があっても聞き間違えることのない声。


 ――ルイ?


 エレノアが声の方を向く。周囲の市民も一斉に声の主を探して、探し当てたらしい。「きゃあっ」「あら……」女性が様々に、歓喜の悲鳴を上げた。

 クレアが、頬を赤くしながら左を見た。

 ルイがいた。いつものように黒いローブを着ていた。


「以前にも言いましたけれど、うちの者はくれぐれも無茶な鍛錬に巻き込まないでくださいね?」

「心配要らんと何度言ったらわかる」

「貴重な人材を貸し出すのですから、慎重にもなりますよ」

「少しは信用したらどうだ」


 クレアは、ふと王宮の方を振り返る。


「慎重……といえば、殿下のことが心配だがな。他に騎士はいるとはいえ、お側を離れるのは忍びない」

「ああ、そうでしたね。軽い風邪でしたっけ」

「幼い身には辛いことだろう。長引いているらしい」


 その打ち解け方から、仲が良いということだけはわかった。

 二人を見守る厳つい兵士達も、孫を見るように暖かい眼差しだ。


「本当に仲良しなのねえ」「二人共まだお若い」「ご兄妹のようだな」「ばっか、騎士の団長さんはルイ様に惚れてるって話だろ」「ルイ様は女の魔物にご執心って」


 騎士団団長と魔術師筆頭。互いに、機関の重要人物。これだけ理想的な関係があるだろうか。

 二人は傍目からは好意的に見られていて、その裏、エレノアは魔物呼ばわりされ始めていた。良くてスティラス家の家政婦。『召使いちゃん』だ。

 この差は一体、何だろう。

 何故こんなにも切実に、あの二人の姿を見たくないと願ってしまうのだろう。


 空腹を思い出した。

 最後に食事をしてから、もうひと月になっている。


 佇むエレノアを、騎士の集団の中から見ている男がいた。彼――ギルレムは自分の上司をちらりと見て、そろそろとその場を離れていく。


「エレノア……さん」

「あ、」


 エレノアは言葉に詰まった。

 人の間を縫ってやってきた男を知っているはずだが、名前が思い出せない。


「あの、ほら、あのっ……ねえ?」

「ギルレムだ」

「そう、ぎるれむさんでしたね! 以前は大したお構いもできませんで」

「団長が淹れた茶よりは飲めた。気にするな」

「団長さん? ああ……」


 エレノアが再び門を見れば、そこにはまだクレアと談笑するルイがいた。


「やはり気になるのか」

「気にしてなんかないですよ?」

「あんたわかりやすいって言われないか」

「よくわかりましたね。主に少年……ルイに言われます」

「少年? 以前も彼をそう呼んでいたな。同い年に見えるが」


 指摘されて、エレノアもやっと気づいた。

 たしかにこの呼び方は不自然かもしれない。


「色々ありまして。あの子は私の養い子のようなもので……いや、ルイのお給金に養ってもらってる方だけど、ううん、難しいな」

「説明しにくいなら構わない。複雑らしいな」

「そう、複雑なんです」

「で、恋仲なのか」

「違います」

「……即答したな」


 真顔での否定に、ギルレムは少々戦いた。


「ルイは、私なんかには勿体ないんだから」

「……なるほど」

「笑うところかな?」

「ままならないところが面白い」


 ギルレムがおかしそうに声を震わせていると、エレノアは半目で睨んだ。「すまない」と少しも心がこもっていない謝罪をされる。


「彼をフるなら、さっさとしてくれ。こっちが助かる」

「なんで?」

「俺が『ファナリア家』だからだ」

「……うん?」


 ――どういう意味?

 家名が何を表すのだろう。スティラス家以外の人間事情に興味がないエレノアは、家で話題に上がる話や、魚屋の婦人などから聞かされる噂話くらいしか知らない。

 彼女が不思議そうな顔をしていると、


「知らないらしいな。無知はいけない」

「……すみません」


 だけど人間のことなんて知ろうとも思わないし、とは言えないエレノアである。


「ウィーヴィ家に仕える家系なんだ。従者は主に尻尾を振るもので、俺の場合はクレアにだな」

「はあ」

「彼がお前以外に目を向ければ、クレアが喜ぶ」

「……え」


 どうして、と聞くほど馬鹿ではない。クレアの気持ちを他人から聞かされて、微妙な気持ちになった。

 眉を顰めて戸惑うエレノアを観察していたギルレムが、「試してみてもいいか」と言った。彼の言葉には疑問形が少ない。


「試す? 何を?」

「よっ……と」


 腕を引かれたエレノアが、


「わっ!」


 ギルレムの胸に倒れ込む。慌てて彼の胸板に手を付いた彼女は、ぎくしゃくと距離をとった。

 彼の剣には、妖精の天敵、銀が混じっている。それが触れてしまいそうな距離にあっては、平常心ではいられない。家にある銀の檻は別だけれど。

「何するの!」と睨みつけるけれど、ギルは意味深に微笑むだけだった。

 しかしその笑みは凍りつくことになる。


 勢いよく振り返ったギルレムは、ぴしりと固まった。


「何かあったの? ……あ」


 エレノアが大門の内側を見れば、話題の彼がこちらを見ていた。

 控えめに手を振れば、相手はとろけるような極上の笑みで応えてくれる。それがあまりに甘くて、数人のご婦人が頬を赤らめた。


 そして冷や汗を流しているのは、エレノアの傍にいたギルレムだ。

 彼は一瞬、剣を抜きそうになった。頭に氷塊をぶち当てられたような重い殺気をまともに受けて、柄にまで触れた。


「恐ろしいな」


 白刃戦の最中に、卑怯にも背後から斬りつけられようとしているかのような。

 過去の戦場で味わった寒気と緊迫感を、まさかこんな街中で思い出してしまったなんて。


      *


 帰宅してから夕食の支度をしていると、忘れたいことが嫌でも思い出されていく。

 エレノアの脳裏には、ルイがクレアと微笑み合う光景が焼きついていた。


 ずっと傍にいたからわかる。クレアに向ける彼の笑みは、一種特別なものだ。エレノアに向けるものより、ルミーナへの親しみに近いものが感じられる。

 けれどクレアは、そういう意味でルイが好きだ。

 周囲は得体の知れない女よりも、騎士団長を推す。いずれは魔術師長と総帥――それぞれのトップに立つであろう二人が愛し合い、国を支える。

 物語としては理想的だ。


 ――でもルイは私を選んだ。


 そう思ってしまう自分が嫌だった。

 結局自分がどうしたいのか。自分の望みは。答えは。ぜんぶが。心に決まっているのに。

 それでもルイの想いに応えてしまってもいいのかと、引き止める理性がある。


 ごちゃごちゃだった。


 エレノアは鍋を加熱していた火を止めた。

 目に付いた新聞を手で大きめに破り、記事の余白部分にペンを滑らせる。

 思考がぐるぐるの頭でも、伝えたいことは最低限にまとまった。


『夕食はできてるから温めて食べて。危ないことはしないから、心配しないでね』

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