「ダイジョウブ?」
妖精を捕えておくには、羽をもぐ以外の方法が一つだけある。
銀の檻に閉じ込めること、なんだってさ。
何世代前にバレたのかわからないけれど、私たちにとって天敵とも言える人間にそんな情報を齎したのはどこのアホだろう。
枝と枝の隙間を潜り、踏み台にした花達に「ゴメン!」と謝りながら飛び抜ける。
出せる速さはすでに限界だった。この華麗な羽さばきをもってすれば人間なんて近づくことすらできないはずなのに、私達を追う黒い人影は距離を放されることなく追い詰めてくる。
――化物。
そう毒づきながら、一心に飛んでいた。
夜空に煌々と浮かんだ満月が、ぼろぼろの私たちを嘲笑している。
「っ……」
風を切っていた羽先に何かが触れて、一瞬だけ振り返った。
闇色のローブから人間の手が出ているのが見える。
触られた?
そんなまさか!
夜の森より深い、黒の人影。フードの下に隠れた双眸に睨まれていると思うと、背筋に氷が滑った心地になる。影は人間の子供の背丈だった。
種族が種族だから、夜目は利く。
――……っ来タ! 飛ンデ!
この場にいる複数の仲間たちへ『伝令』を送った。飛んで。つまり高度を上げろと。私たちの移動方法は常に飛行だから、さらにもっと! 気合入れろ! という意図を含んでる。
木苺の葉を足場に一段と高く飛び上がれば、夜露が跳ねた。
もう! ばか! ばか!
人間なんて大っきらいだっ!
私たちの背に二枚ずつある、透明なガラス細工のような羽。これは私達が穏やかに過ごすためだけに存在しているんだから、生死をかけた追いかけっこに酷使していいものじゃない。
「ァ……ッ」
「ちょ、チョット、モウ!」
目の前でぐらりと体を傾けた同胞の腕を引っ掴んで飛ぶ。顔色が悪かった。まだ生まれて間もない雄だ。私たちは生まれたその時から成体の姿をしているし、飛ぶことだってできるけれど、ほんの三時間前に生まれたばかりのこの子には十分な体力が無いみたい。
「ダイジョウブ?」
大丈夫ではなさそうだ。「……ン」と呻くような返答は限界を表していた。
――エ、エレノア! 来ルヨ!
「っ!」
前方を飛んでいた同胞からの『伝令』が聞こえて、すぐに振り返る。
がさり。ごく近いところから、枝と葉が擦れる音がした。
近い。逃げる? いや、どう考えても無理だ。この速度が限界だ。
こちらに伸ばされる手が、亡霊みたいに白い。
硬直した私の体は、逃げられないことを本能で悟っていた。
――それなら。
抱えていた同胞を前方に投げる。それを数匹がかりで受け止めてくれたことを視認すれば、僅かに安堵できた。
投げた反動で私は後退した。遠ざかっていく仲間達へ手を振る代わりに、指笛を鳴らす。
ぴいいいいいいい、と甲高いそれが聞こえていると良いのだけれど。
別れの笛。――『神の気まぐれを待て』。
奇跡を信じて。この世の全てを等しく救ってなんてくださらない神様の目が、ほんの少しでも君に向けられますように。
そのか細い音は、決して人間には届かない。
「やっと捕まえた」
囁く声がする。腰から下を、幼い人間の手が鷲掴む。潰さないようにしてくれているのか、苦しくはなかった。けれど隙をついて逃げ出せるほど甘くはなく、両羽を摘まれて形が崩れないように合わせられ、糸で縛られる。
銀の糸だ。これが一時的な小道具だとしても、抵抗する意思はない。
額に人間の指先がとんと当てられて、意識は暗転した。
ここでテンプレというか何というか、私は『私』を思い出した。
前世の記憶というものだ。女子大生だった。日本に生まれて、普通に成長して進学して遊んで生きていた。大型トラック運転手の寝ぼけ眼と目が合ったところで記憶が途切れている。
そして肝心なのが、この記憶の中に紛れていたゲームのこと。ファンタジーを好んでいた私は、国民的と評されるゲームならレビューもクチコミも目を通さずに遊んだ。
この世界は恋愛シミュレーションRPGだ。主人公の性別を選択し、それによって登場キャラの性別が変わる。旅の道中に出てくる選択肢を選び、最後には結婚したり駆け落ちしたりと大容量のマルチエンドだ。
乙女ゲーであり、ギャルゲであり、ロールプレイングゲーム。そんなややこしい舞台に生まれてしまったらしい。魔法と剣、エルフとドワーフ、スライムとゴブリン。そんな世界に高確率で存在する、妖精族として。
ちなみに私は、記憶がたしかなら、この世界から別世界の主人公に「勇者になってお願いよ私の世界が危ないの!」と勧誘しに行く役目の妖精だ。そのまま旅に同行して、レベルやステータス一覧も表示できるハイスペックフェアリーにして攻略対象キャラクター。
私は雌だ。
ということは、勇者がくるなら男性なのかな?
――攻略されるのは、ちょっと遠慮したい。