失恋と宮廷魔術師(クレア視点)
最初は、ルイと気安く接するのは私だけと聞いていた。
宮廷勤めとなった当時の私たちはまだ幼児に毛が生えたかというくらいの年頃で、当然のことながら風当たりは厳しい。周りの大人はみんな、黒い壁のようにみえた。
私はルイに懐いた。魔法と剣術、道が違っていても、その頃の私にはそんなことはどうでもよかった。お昼休みのたびに、静かな場所で昼食を摂る彼を探したものだ。
ルイの隣にいるのは私だけだと思った。
それが間違いだったと気づかされたのは、もう五年以上前のことだ。十二歳くらいの時だったと思う。いつものようにルイを探して噴水広場を横切ると、彼を発見した。
彼の方から近づいてくる。いつも絡んでいくのは私の方なのに。これは何かの試練だろうか、と思った。
『クレア、ちょうど良かった』
『ど、どうかしたのか』
『頼みたいことがありまして』
彼の表情が固いのは、照れ隠しだとわかった。何年も一緒で、何年も彼を見てきたから、それくらいは見抜けて当然だ。
けれど何を照れることがある。
照れながら私に聞きたいことって、どんなことだ。
異性との身長差が如実に表れる思春期。日を重ねるごとに輝きを増していく彼を見る周囲の目が、不埒なものになっていることも知っていた。それでも彼の特別は私だけだったから、きっと期待していた。彼の、珍しい恥じらいに。
『買いたいものがあるのですが、僕だけでは心許なくて。できれば一緒に付いていてもらいたいのです』
『いっ……しょ? 買い物?』
『はい。無理にとは言いませんけれど』
『行くっ!』
力いっぱい頷いた。これは噂にきくやつだ。親しい男女が共に愛を深めるあれだ。
彼は迷いのない足取りで、けれど私の速度に合わせてくれる。それが癪で、恥ずかしくなって、わざと早く歩いても簡単に合わせられてしまった。負けた気がして、でも幸せだった。こんな些細なやりとりが、それっぽいと思った。
意識してしまえば、もう通常通りとはいかなかった。人込みに紛れながら、いつのまにか掴まれていた手首が、やけに熱かった。
行き先は服屋だった。女性向けを多く扱っていて、人気のあるところだ。
壁に掛かっている服をちらりと見てみる。次に店内をざっと見渡す。
服自体の質も作りも店内の広さも、貴族が気に入るような趣はない。だが店員の何気ない一言には、一般庶民独特の柔らかさがあった。良い店なのだろう。
『あ、ごめんなさい。妹といる感覚で、手を』
『え、あ、妹、な。気にするな』
はっとした。急に放された手首を残念に思ってしまう。そして妹という言葉に対しても、もやもやと遣る瀬無い感情を覚えてしまった。
女の子として見てもらえていない。
そんなわかりきったことを、たった今、思い知ったような感覚。
自分の手を見ると、人差し指の側面だとか、指の付け根だとかに複数もの血豆ができている。皮だって固い。騎士の家系に生まれた誇りは何にも代え難いものだから、悔いはないはずなのに――。
浅ましい自分を振り切るように明るい声を出して、ルイに詳しい説明を求める。ここまできても、まだどこか諦めていない心があった。
『女性の服はよくわからなくて。選ぶのを手伝っていただけますか』
『それは良いが、相手は誰だ』
『……家人です』
なんだ、家人か。
妹の他にいるなど聞いていないが、遠い親戚でも来ていたりするのだろうか。
『どういう雰囲気の?』
『とりあえず僕よりは年上です。概ね、落ち着きがある方……ですね。たぶん、そう見えなくもない。十八歳から二十歳くらいの女性です』
『年相応、ということだな』
『ええ、そういうことにしておきます』
『どのような背格好でも概ねの女性なら着られる種類の服が、あるにはあるが、なんでもいいのか?』
『できれば、色がしっかりしている服が良いと思います。これは僕の希望なのですが』
服など一般的に見て恥ずかしくない程度であればいいという考えの彼が、他人の服にこだわりの片鱗でも見せるなんて、らしくないように思う。
――異性など、興味がなさそうだったのに。
嫌な予感がした。その言い知れない不安が形にされることが恐ろしいのに、どうしても確かめずにはいられない。「大きさ:F」の棚を見ながら、私は拳を握り締める。薄い赤や褪せた青色など、そこにあるのは私が着る機会のない可愛らしいものばかり。
尋ねずにはいられなかった。
『お前は自分の服でさえ着られればいい程度なのだろう。まさか人の服に注文をつけるなんて、特別な贈り物か何かか?』
私は、どこまで馬鹿者なのだろう。
自分に致命傷を与えるような真似をして。
『贈り物なんて改まったものではありませんよ。なんというか彼女は、はっきりした色をつけておかないとどこかに消えてしまいそうな人なんです』
やめておけばよかった。
彼がこんなにも優しくて、愛おしげな微笑を見せた相手は私だけれど。それでも、彼の想いの先にいるのは私ではないのだ。
『あ、これとかどうでしょう? アリですかナシですか?』
ふわりと幸せそうな彼は、これと思う服を指差して意見を求めてくる。「彼女」を想像して、「彼女」のために私に話しかける。
一人で期待するのも舞い上がるのも、やめておけばよかったのに。
そうすれば、こんなに醜い私に出会わずに済んだのに。
*
通行証の依頼書を片手に、魔術師筆頭の個室へ行く。
ドアをノックすると、すぐに「はい、どうぞ」と聞こえた。入ると、彼はソファで幾つかの書類を見比べていた。瞳が真剣に文章を追っている。
「例の依頼書ですか」
「……ああ」
こちらにちらりとも目を向けないのに、私だとわかっていたようだ。
以前その理由を聞いてみたことがあったが、「君の足音は何度も聞いてますからね。よく背後から声をかけられましたし」とのことだ。
昔の私はいつも彼を追いかけて、飛びつく勢いで話しかけていた。
足音。昔のこと。そんな些細なものを覚えていてもらっている。それが嬉しいからか、ルイの前では時々、入室の社交辞令を忘れることがある。普通なら一言くらい声をかけるところなのだけれど。
彼は署名した書類をテーブルに置き、こちらを見る。依頼書を渡せということなのだろう。
確認してもらっている間は、向かいのソファに腰掛けさせてもらった。
「レイル川は、たしかキーノ河の……。この流れ一帯には移動用の魔法陣を置いていませんね」
彼が書棚を指差し、浮かせてきた地図を開く。それくらい自分の足で取りにいけと言いたくなるが、研究所内は私の領域ではない上に、こちらの常識は通じない時がある。
職人が書き起した地図には、青い点がいくつか書かれていた。移動用魔法陣を表しているのだろうか。
レイル川は西国との国境でもあるキーノ河からわかれた傍流で、山々に沿う形で東に向かいながら徐々に南下し、海に続く。この川に一番近い青点は、野営地とは遠い山の中腹に一つだけだった。これでは緊急用にならない。
「やはり、新しいものが必要になりますね」
「そうらしいな。魔法陣を敷ける者がいるなら借りたい」
「二人ほど声をかけてみます。取るべき休日を取らない困ったさんもいらっしゃいますので、彼らは気晴らし目的で連れて行ってくれませんか。その費用ならこちらでもちます」
「しかしそれは、休日をとれないほど忙しいということだろう? 仕事に差し障りがあるといけない」
「そうですけれど、さすがに四徹は見過ごせないんです。あんなに濃い隈を作ってのそのそ歩き回られると、どちらが魔物だかわかりませんよ」
「そこまですごいのか」
「時機を見計らって、廊下を歩いているところを密かに拘束して仮眠室にぶちこんでも、足元に魔法陣を出して医務室に届けても、研究室に戻ればいるんですよ……何食わぬ顔でフラスコ眺めて、にやついているんです。まったくあの人たちは……」
ルイが遠い目をする。性根は部下思いだとか、そういうわけでもない男だが、面倒はきっちりみているらしい。
研究所は変わり者博覧会だと聴くけれど、いったいどんな魔物が息づいているのやら。
溜息を吐いて持ち直した彼がまた私を見下ろす。この身長差が、実は嫌いじゃない。
「このまま放置して倒れられては困ります。これも仕事だと言い包めて研究から離れさせる、良い口実になります」
「しかし頼むのはこちらだ。魔術師を派遣してくれるなら、費用はこちらで用意する。待遇については約束してやろう」
「……通行証はまとめて君に渡すとして、誰の手に渡りますか」
「緊急用だから、私含め新人四十七人全員だな」
彼は「悪用は勘弁ですよ」とだけ冗談めかして笑った。
「僕としては、こちらの者が休まるのであれば他は関与しません。けど無茶してもいいことありませんからね。ほどほどに」
「簡単に無茶と言えば、その時点で負け犬だ」
「無理に続けて何も成せなければ時間の無駄でしょう」
「たとえ何を習得できずとも、良い経験ではあるだろう」
ルイは結果主義で、私とは常に噛み合わない。私の欠点を埋めてくれているようにいつもちぐはぐで、でこぼこだから、心地は良かった。
私が退室する前に、彼は一度だけ私の頭を撫でる。
「では、通行証が出来上がったら、こちらから出向きます。待っていてください」
そうして手を離された。
私が書いた書類はきっと、机の引き出しへ事務的に処理されていく。