散歩と宮廷魔術師(ルイ視点)
月明かりが煌々と差す室内は、青く暗い。
静かな夜に似合わず、僕は胸に燻る熱情を持てあましていた。
細い指に、自分の指を絡めてベッドに押し付ける。恥ずかしがりの彼女は、捕らえておかないと飛び去ってしまいそうだ。
彼女は居心地悪そうに涙が張った目を泳がせて、こちらを伺うように縋ってくる。
彼女の寝巻きは第三ボタンまで外されているけれど、そうしたのは僕だ。
『あんまり、跡、付けたら……だめだよ?』
そんなことを言われても、これは虫除けなのだから、多く付けておくにこしたことはない。
『ルイ、っ……ぁ、やっ』
彼女の主張を無視して首筋にまた一つ口付ければ、彼女は艶かしく息を吐いた。
というところで目が覚めた。安堵もするけれど、落胆もする。
まだ昇陽の遠い深夜。頼れるのは月明かりだけだ。――先の、夢と同じ。
右を見れば、先ほどまで夢に出演していた雌妖精がいた。妖精本来の大きさだ。僕の枕元に本を広げ、その上で猫のように体を丸めながら寝息をたてていた。
いかがわしいことなど一切知らない、健やかな寝顔だ。
彼女を捕らえていた銀の籠は、いつからか僕の寝室に置かれたままになった。最初からの習慣を引きずって、妖精サイズで夜を過ごす時は大抵、籠に帰ってくる。
読書中に寝てしまえば、まっとうな意味でベッドを共にすることがある。
近くに彼女を置いて眠ると、妙な夢を見るから困る。その内容が決して不本意などではないという事実にも、また困る。
眠ろうにも眠れないので、妖精の寝顔を観察して少し経った頃。
「……るい?」
「起こしましたか」
「どうしたの? 寝れないの?」
「はい、まあ」
曖昧に笑うと、彼女はひょいと立って見上げてきた。今の彼女がどんなに背伸びをしても、ベッドに手をついている僕の肘ほどの背丈もない。手のひらに乗るほどだ。
小さな彼女は、心配してくれているのかもわからない真顔のまま、澄んだ瞳を向けてくる。
「歌おうか?」
「いえ、大丈夫です」
妖精の子守唄はよく眠れるけれど、今は気分ではなかった。彼女は「そっか」と残念そうに聞こえない声で呟いた。おもむろに飛んで、窓際に降り立つ。
「目が覚めちゃったし、外行ってくるね。久しぶりに飛ばないと羽の動かし方を忘れちゃう」
「僕もご一緒していいですか」
「いいけど、寝なくて大丈夫?」
「外の空気を吸った方が眠れる気がします」
寝間着の上にコートを羽織って、エレノアがいる窓に立った。
浮遊は風魔法の応用高等魔術で、失敗すれば墜落の危機だと思えば、さすがに無言詠唱では心許ない。
「『術式展開』」
手に杖が現れる。名のある神木に雌妖精の髪を巻きつけ融合させて、その他もろもろの強化を施した特性の杖だ。床から肩までの長さがある。地に魔法陣を展開するには、これくらいが丁度いい。
「『風を』」
と言いつつ、『浮遊』『維持』『保護』などの要素を足元に展開した魔法陣に織り込んでいく。何か一つの要素を増やたび、陣の曲線や文字が書き込まれていった。
「んじゃ、いい?」
「はい」
窓から飛び出した彼女の背を、静かに追った。
空中散歩。一般人にはあまり現実味のない響きだろうと思う。
上空はやはり肌寒く、上着を着て正解だった。寒さをものともしない彼女は、ゆるゆるとした速さで三日月に向かっていく。時々、思い出したように僕の周囲をちょこまかと飛び回って、揶揄い笑った。
エレノアを捕まえたあの日も、こんな夜だった。
――今なら、無遠慮にわし掴んでも、無防備に笑ってくれるのか――。
前方の彼女に手を伸ばそうとしたところで、彼女はこちらを振り返る。
「夢を見てたんだよ」
「夢?」
「うん。なんだかすっごく綺麗な空を、全力で気持ちよく飛んでる夢。速かったな。私ってあんまり速く飛べないんだけど」
風が、前髪やらコートの裾やらを持ち上げる。
今日も今日とて淡く輝く星の大河を、エレノアが見ていた。
銀髪は月光を帯びて、青白く輝いていた。ふわりと風に掬われる。それを片手で押さえて微笑する彼女の横顔が、普段より大人に見えた。
――『ルイ、もっと、……っふぁ、あ、ぅ』
一瞬、白いシーツに流れる銀糸が頭を過ぎった。
自分に吐き気がした。
「今はさ、すごく、さっきの夢みたい」
澄んだ夜空を夢という彼女。そんな彼女の媚態を夢で見た自分。哀れなほど対照的だ。
けれどこの場合、哀れまれるのはどちらだろう。彼女は本能と言うべき自然体で、綺麗であろうと生きるのに。僕は心の奥底で、それを壊したがっている。
エレノア。
僕があちらの世界を知っているというだけで、僕を同類だと思い込んでしまいましたね。安心してしまいましたね。あまつさえ僕に絆され、家に居着いてしまったのですね。
同じ人種、同じ時代に、同じような環境で育ったという仲間。それは嘘ではないけれど、それでも根本的に違うのに。
僕の魂は元々この世界にあったのだと。
君の世界こそが、僕にとっての異世界だったのだと。
それを告げたら君はどんな顔をするのでしょう。
「ルイ少年は、月が似合うね」
「そういう設定なのでは?」
「そうなんだけどさ。あのね、このゲームの攻略キャラって、月組と太陽組に分かれてるの知ってた?」
「ああ、そんなことをちらりと聞いたことはあります。けれど公式ではないのでしょう」
「でも元は公式様情報だよ。月夜か青空の、どっちかが似合うように作られてるってさ。スチルも空があるのが多いんだ」
「それなら、『エレノア』は月ですか」
「おお、よくわかったねえ。褒めてあげよう」
「……それくらい、わかりますよ。僕にだって」
母親と自称する家政婦は、疑いようのない馬鹿なのだと思う。