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不審な宮廷魔術師

すごく緩い吸血行為注意

『魔物』とは、魔王に与して人間を襲う生物の総称だ。


 エレノアは新月の夜空の下で呻く。墨を零した空を、大小様々な星々が覆い尽くしていた。

 日本ではお目にかかれない満天の星空だが、今の心情ではどうも曇って見えてしまう。


「よりによって『ニルド丘陵』なんて」

「ちょうど良いでしょう」


 返事は速かった。エレノアが振り返ると、ルイがいた。

 星空を背景に岩場で腰掛けて、優しげな笑みで見つめてくる。こんな光景を、彼女はどこかで知っていた。たしか、あれはゲームで回収したスチル――『星空と魔術師?』だ。


「……なんですか?」

「なんでもない。早く練習終わらせようね」

 

 此処、王都グレノールから北東にある『ニルド丘陵』は、ゲームでも幾度か通る場所だ。

 魔物が多いが、港町『シーラ』からの仕入れには、ニルド丘陵を通るのが最短経路だ。商人から護衛を求める声も絶えないと聞く。

 出てくる魔物もレベル四十五前後と微妙に強く、前世でのプレイ中に判断ミスで何度殺されたか知れない。


「では、今日は水系統のみでいきましょう」

「はーい」

「それでは――」


 ルイが片腕をかざすと、掌に光の玉が浮く。

 魔物は人工の光を目印にやってくる。

 数分すれば、ざわりと生暖かい風と共に、蛇のような魔物が二体あらわれた。濃い緑の鱗に、細い胴体。四肢はなく、身体をくねらせて移動する。発達した牙と顎で、敵を噛み砕く中級魔物。

 それを視認した途端に、エレノアの瞳には名とHPが見えている。


『パイソン:1500』


 これだけのシンプルな内容の文字が、少し乱れたフォントで敵の頭上に浮いている。

これは彼女固有の能力でなく、『この世界』ならではの『戦闘シーン』だ。知能的生物が、連綿と続く文化と進化の中で身につけた魔術的な危機察知能力とされている。

 忘れがちだが、ここはゲームの世界だ。

 敵の体力が視覚化されるのは当然の現象だった。


「せんせぇ、質問があります」

「はいエレノアさん」

「パイソンはぁ水系の魔物だった気がしまぁす」

「はい、そのとおりです。よく覚えていましたね。偉い偉い」

「水系の魔物にぃ、水の魔法はぁ、威力半減だった気がしまぁす」

「そうですね、五点あげましょう」

「妖精をいじめるのはぁ、よくないとおもいまぁす!」

「先生は生徒の自主性を重んじています」


 この授業におけるルイのねらいは、つまり「いっぱい練習できるでしょう?」だ。

 威力が半減とは、単純に二倍の魔法が必要だということになる。そして是が非でも急所を狙いたくなるために、的を絞ったコントロールも兼ねているようだ。

 文句を言っていても、敵が襲ってくればそうしてもいられない。牙を剥き出しにして這いずってくる魔物を前に、エレノアは覚悟を決めた。



 敵を戦闘不能にさせ、エレノアは咆哮を挙げる。理不尽な状況と、後方で「がんばれー」と呑気に笑う先生への怒りから、出現した魔物はいつのまにか彼女のサンドバッグと化していた。


「人間なんてっ人間なんてっ!」

「魔力がもったいないのでもう少し水力を抑えなさい。乱れていますよ」


 十数体もの魔物を相手にした。その中の半数以上が水系の魔物で、使用した魔力は並みの魔術師四人分ほど。そしてエレノアが人間サイズを保つにも多大な魔力を要しているはずで、つまりはそろそろ限界だ。

 ルイが岩場から立ち上がり、暴れる妖精を止めようと口を開いた。


 ――ぽひゅん。


 止めるまでもなかったようだ。ルイから得た魔力を使い切ったエレノアは、妖精本来の背丈と幅で、目を瞬かせていた。


「……戻っちゃった」

「ええ。今日は練習終了ですね。お疲れ様です」


 これが終了の目安である。「こちらへ」と呼ばれた彼女は、大人しくルイの元へ飛ぼうとする。

 しかし背後からごそりと、不穏な気配を感じて振り返った。

 顔が青ざめる。


「っ……ルイ!」


 魔物――トロールは、彼女の小さな背に誘われるように現れた。前屈みの不完全な二足歩行で、ふらふらと棍棒を引きずっている。褪せたオリーブ色の固い肌。人間の三倍ほどにもなる背丈で、ぎょろりとした瞳を非力な妖精だけに向けていた。狙いは一目瞭然だ。

 疲れきったエレノアがルイの胸に飛び込むと、それを庇うように、左手で柔く包まれる。

 同時に、彼はトロールに目を遣った。瞳が相手を捉えた。そして。


 燃える。


 巨体を全て覆う巨大な赤い炎は、上級魔法のようだった。

 詠唱も名称も存在するはずの初級魔法は、無言のうちに一瞬でその形を整えられ、可能な限りの最大限の威力を持ち、針に糸を通す微細なコントロールに従い、放たれていた。


 穏やかな丘には炭の一つも残らない。耳障りな断末魔だけがこだまして、余韻を残すのみだった。それも聞こえなくなれば、あるのは静寂。元通りの自然の姿だ。

 トロールなど最初からいなかった。そう言いたげな丘陵と、変わらず綺麗な星空は、どこか白々しい。そして何より無感動な彼の瞳に、背筋を強ばらせたエレノアだった。


「何か?」

「え、あ……、なんでも、ない」


 向けられた表情は穏やかで、エレノアの恐れは行き場がなくなる。

 釈然としない顔のまま距離を取られて、ルイは不思議そうにしていた。


   *


 シャワー後のルイにタオルを渡したエレノアは、寝室に入っていく彼をふよふよと追った。エレノアが来ると分かっているから、彼もドアを開け放したままでいる。

 ルイはベッドに腰掛けて、頭にタオルを乗せたまま彼女を待った。襟ぐりの広い一枚着と、楽な下衣。濡れて艶が増した髪からぽたりと垂れる水滴は、鎖骨を伝って流れていた。

 入室したエレノアがドアを閉めて、すぐに口を開けた。


「たぶんちょっとバレてる。私が人間じゃないこと。だって街の人たち、最近おかしいよ。十年間ずっと年とってないの、気づきはじめてる」


 街中で住民に助けを求めても知らない顔をされた理由の、一端として挙げられる。

 人間とは寿命や成長速度が違う。エレノアがそれを失念していたわけではないけれど、軽く考えていた節はあったのだ。年月が過ぎるのは、思った以上に早かった。


「……そうですか。いずれはそうなるだろうと思っていました」


 この世界の大衆は、NPC――ノンプレイヤーキャラクターとは違う。人情はあるし、感情もあるし、生活している。

 好意的に話しかけてくれる人はいても、いずれはやはり気味が悪いと嫌な目を向けられるのだろうか。むう、と難しい顔の妖精とは反対に、ルイは楽観的だった。


「今なら、君の種族がいつ発覚しても庇える自信はあります。僕が宮廷魔術師筆頭にまでなったのは、お金のためだけではありません。……と綺麗に言い繕ったところで、実際九割は金欲しさからですけれども」


 ルイは髪をタオルで拭い終わると、「さて」と露骨に話を終了させた。

 暗い表情のエレノアに手を伸ばす。


「来なさい」


 そして彼女を招いた。言葉の強制力か、誤魔化しようのない力差ゆえか。エレノアが、命令形を用いた彼に逆らうことはあまりない。いつもそうするように、彼の膝に降り立った。


「いいの?」

「明日の朝がその大きさでは、朝食が作れないでしょう。朝早くに起こされるのは嫌なので、今のうちに『食べて』ください」


 ルイが、手にした果物ナイフで自らの人差し指を切りつける。そうすると滲んでくる血液に、エレノアの目は釘付けになる。瞳に欲望を帯びて、こくりと喉を鳴らした。差し出された指を、両手でぎゅうと掴む。


「ええと、いただきます」


 エレノアは律儀に呟いて、まずは一口、ぺろりと舐めた。

 直後、彼女は目の前の魔力にしか集中できなくなる。

 身が人間大になっても、ルイの膝から退く程度の判断もできない。

 膝の上で横抱きにされる形になると、恥じらうどころか貪欲になってくる。どうにか身を安定させて、血を味わいたい。だけど身じろぐ時間すら惜しくて――。そうしていると、彼が肩に片腕を回して支えてくれるから、エレノアは『餌』を手放さない。


「ん、んっ」


 こく、こく、こく。必死に啜る。ルイの命の液体を、一心不乱に。




 理性を失った瞳に、上気させた頬。甘い魔力に酩酊した彼女は普段より一層可愛くて、ルイの顔は艶やかに綻んだ。

 ルイが熱情を込めて見つめても、彼女はそれに気づかない。

 身に魔力が満ちる悦楽で、エレノアの体の力が抜けていく。ルイが彼女の頭に片手を当ててゆっくり肩に押し付ければ、恋人のように身を預けてくれるのだった。

 薄い衣服越しに、綿を詰めたぬいぐるみよりも優しい弾力をしっとりと感じる。十年前とは違って、彼女を腕にすっぽり収められる愉しいひと時は、どうあがいても悩ましかった。


「ん、……んぅ」

「他の男の前で、そんな顔をしてはいけませんよ?」


 そんな忠告も、聞こえていないことは承知だ。

 わざわざ女性に喜ばれる色を含めて、耳元での囁きをもってしても、エレノアの注意は引けない。彼女はルイの魔力にしがみついて離れない。

 清廉で冒しがたい妖精が、人間の男の体液をはしたなく求める。

 その様は、ルイにほの暗い歓喜を与えた。




「はぁ」


 瞳を妖しく潤ませて、彼女は名残惜しげに指を放した。

 食べ過ぎたかもと冷静になって、申し訳なさそうにルイを見る。けれど見下ろしてくるのは、いつにもまして輝く笑顔だった。


「いつも思うけど、楽しそうだね」

「僕が?」

「そう。私が血を吸ってる時とか、楽しそうっていうか、嬉しそう?」

「……そうかもしれませんね。顔に出てます?」

「出てます」

「いつも変わらずにやけているかと思いますが」


 ――あ、自覚あったんだ。

 エレノアが何とも言えずに沈黙している今ですら、彼は笑顔で胡散臭い。


「あ、ごめん。乗ったままだったね。今降りるから」

「…………」

「あの、放して」

「嫌です」

「放して?」

「嫌です」


 ルイの中の人は同郷『日本』の国民であるはずなのに、これでは外国人並みのスキンシップだと思う。それ以上かもしれない。まさかルイの前世の人が、コミュ力カンスト系大学生だったのだろうか。オープンカーをうぇーいと乗り回すルイを想像した。……たぶん違う。


「ルイ少年が元日本人なんて信じられないよ。羞恥心って、魂的なものじゃなくて体とかの問題なのかな」

「……さあ、どうでしょう」

「んん、私の体はエレノアそのまんまのはずだけど」


 ゲームのエレンとエレノアは、勇者に忠実な妖精だ。ルートの後半で、主人公に隙あらば触ろうとする、あるいは甘えようとする独占系キャラに変貌する。中身が日本人のエレノアとは正反対だ。


「キャラの肉体に関係あるにしては……私は慣れてないから、血筋とか肉体がどうとか、そういうことじゃないのかな。……うん、やっぱり慣れないからいい加減に下ろして」

「嫌です」


 情人同士がするような体勢は、正気のエレノアには刺激が強すぎた。

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