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約束と宮廷魔術師

 ルイは扉を閉めた瞬間に笑顔を消し去り、エレノアを見下ろした。


「さっき魔術師の一人に手を振ったでしょう。余計なことをしないように」

「えー」


 個室に着いたらいきなりこれだ。


「此処の魔術師や魔法使いは、研究づくめの日々で色に飢えていたりもします。不用意に愛想を振り撒かないでください」

「だってしょうがないよ。目があったのにシカトいくない」


 エレノアにとって数日ぶりの筆頭専用室は、綺麗に片付いていた。

 上質なマホガニーの机は大きな窓に面していて、書類らしき紙束は一纏めにされている。本棚にも埃ひとつ見当たらない。散らかっていたら掃除してやろうかと思っていたが、心配は杞憂のようだった。


「変な風に勘違いされたらどうするんですか」


 そんな過保護発言を背後に、彼女は窓際に寄っていく。部屋中を見渡したけれど「ちょっと空気こもってるね」と換気してあげるくらいの仕事しか見つからなかった。

 穏やかな空気が流れ込んで、彼女の髪を微かに揺らす。


「前にも何回かああいうことあったし、会話もしたことあるけど、告白とかされたことないよ。遠くから野良猫を観察して和んでるみたいなものだよ。だいたい愛想を振り撒いてるのはそっちもなのに、私が愛想良くするのはいけないの?」

「僕が『こういう風に』しているのは、上がしかめっ面だと良い印象を与えないからですよ。君は僕のようにする必要はないでしょう」

「でも人間関係を円滑にするには常に笑顔だよ」

「僕がどれだけ……。……いえ、聞かなかったことにしてください」


 ルイがそれ以上何も言わないので、彼女はソファを勧められるのも待たずに腰掛けた。皮が柔らかくふかふかで、これが結構お気に入りだ。


「あんなに小さかった少年がこんな良い地位に就くなんて、お母さん嬉しいよ。役得だね。このソファ持って帰りたいな」

「誰がお母さんですか」

「じゃあ家政婦」

「なんでもいいです。それと家にそのソファを置くスペースはありませんよ」


 両腕を伸ばしてソファの幅を測っていた彼女は、腐った林檎を見るような目で呆れられた。ルイの冷たい視線は、エレノア専用として日々成長している。

 それでも慣れてくるのが当たり前だ。同じ屋根の下で暮らしている彼女もそれなりの耐性があるので、彼が本気で怒らない限りは自分も本気で受け取らないことにしている。

 所詮、二人にとっては他愛ないじゃれ合いだ。


「さっさとご飯食べてね。お弁当箱持って帰るから」

「はあ」


 ルイが、エレノアの隣に腰を下ろす。

 テーブルで包が解かれ始めたのを見ながら、彼女は肘掛を枕に寝転んだ。

 弁当箱は、木を加工したものだ。プラスチックや樹脂などは無く、そういった化学物質を加工する技術もないこの世界では、これが精一杯だ。そもそも食堂の利用が一般的な世の中で、昼食を持ち歩くと聞けば「ピクニックかな?」程度の認識だ。


 余談だがルミーナの場合。『お弁当』を知るや否や、

『学食? あの無駄に高いメニューに金を払えと? エレノアの料理が味わえる手段がそこにあるのに? 第五回兄妹喧嘩勃発ですか?』

 と真顔で弁当派宣言をしていた。

 彼女は今でも、学食で多くの友人たちに囲まれた中でただ一人、唐揚げ弁当を頬張っている。



「そうだ、また髪を数本頂けますか?」

「また? ちょっと前に杖を新調したよね。何か薬でも作るの?」

「ランクAの妖精素材は何かと入り用なんです。商人ですらなかなか手に入らないし、高いですし」


 雌妖精の髪は、魔術師の杖、魔法薬などの材料に使われる。魔法の威力を増幅させたり、癖のある素材同士を融和させる効果もある、汎用性の高い材料だ。フーチ――振り子を用いる探知術――の糸の代用として用いられたり、粉状にしてそのまま服用されたりもするが、それは妖精のランクが高いほど効力も増すという。


「次からお金取りたいくらいだよ」

「それは契約違反です」

「そういえばそうだね……そうだった」


 魔法使い――殊に魔術師は、約束を守る生き物だ。簡単な口約束も例外ではない。

 真っ当な術師であるほど、その拘りは強い。契約と条件によって他者の運命を縛れるのが魔術師だから、という事実に起因する、習性なのかもしれない。


 起き上がったエレノアは、ルイに背を向けた。「好きなところから取って」という合図だ。

 エレノアがルイに飼われる上で、約束事がいくつかある。そのうちの一つが、実験材料の提供だった。その他にも、人間に紛れろ、ルミーナの体調には気を配れ、などなど。様々な条件を飲み妥協してきたが、それと引き換えに世界最高峰の魔力を貰えるというならお安いものだった。


 一息にぷつりと抜いてくれればいいものを、何故かそうはしてくれない。

 ルイはエレノアの髪の感触を楽しむように指に掛けて、軽く引き、そうして焦らす。


 いくら幼少の頃から知っているといっても、相手は異性だ。身長も肩幅も、エレノアが面倒を看てきた『ルイ少年』とは全てが違っている。

 彼は観察の為とか、そういった理由で触れてくるだけで、他意はないのだろうとわかってはいる。けれどやられる方のエレノアは内心気恥ずかしいし、落ち着かない。あまり後ろを振り返れないから、彼の表情などわからない。


「もう、ひと思いにやっちゃっていいよ」

「……そうですね」


 了解する声が残念そうなのは、きっとエレノアの気のせいなのだろう。


「今日は帰ってくるの?」

「はい」

「大変なんだよね」

「そうでもないですよ」


 近頃は魔物の活動が活発化してきている。街中はまだ穏やかで、魔物の被害などは対岸の火事のようだが、実際に死傷者は出ていた。今までの犠牲は冒険者だけだけれど、この先もそうだとは限らない。この緊張感は、国の上層部とそれに近しい者にしか広まっていなかった。


「魔物が苦手とする光属性で、今以上の威力の魔法が欲しいんですけど……なかなか難しくて。僕は光だけは苦手ですし、何かヒント的なものありません?」

「とりあえず私の髪をもう十本くらい持ってってみて? あ、抜くのは痛いから鋏とか使ってね。たしか光属性の強化アイテムに、妖精の一部を使った気がする」

「具体的には?」

「よく覚えてないんだよね。とりあえず『月桂樹の雫』から『月光の結晶』まで混ぜて試してみたら? 私の髪ならうまく合わせられると思う」

「『月桂樹の雫』はもう試したんですけどね。イマイチというか……、まあこれを調べることが仕事ですし、仕方ないですね」

「うん頑張れ」


 ――くすり。

 ルイが小さく笑う。エレノアは振り返って、


「なに?」

「いえ。君はいつでも他人事みたいに言うなと思って」

「人間社会のことだから、ほとんど他人事だよ」

「その淡白なところが面白くて」


 変なの、と思う。

 けれど彼がくすくす優しく笑ってくれると、なんだか胸がおかしなことになる。落ち着かない。でもこの時間が嫌いではないから、エレノアは無言でいることにした。

 ルイは鋏を取り、彼女の髪を掬った。


 穏やかな昼下がり、二人だけの部屋には時間だけが流れ去っていく。

 外で雉鳩がぐるっぽーと鳴いていた。遠くから、女性達の姦しい声も聞こえていた。




 それから一時間後。エレノアと、見送りのルイが研究所の玄関に出た際に、


「夕食、期待してますから」

「遅くなるなら連絡してね」

「善処しましょう」


 などと、若夫婦のような会話を繰り広げるのが恒例だった。

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