序章
きみにわたしに。
多くを蔑み僅かを愛しみ、待っていてはくれない時間を徒に数えて過ごす。
落ちる砂を数えて暮らす。流れる水を眺めて過ごす。
――君に渡しに。
こんな意味のわからないモノローグが、私の一番初めの記憶だ。
そして今でもわからない。
この詩が何を意味しているのか、何を示しているのか、わからないまま。
私は玉座に着いている。
正確には、玉座に座する魔王様のお膝に。
お腹に回された両腕のせいで、先ほどまで申し訳程度にあった距離すらなくなった。抵抗を止めた。いくら恥ずかしくても、濃厚な甘ったるい空気に毒されてしまいそうでも、逃げることは許されない。
背後の彼にぐったりと身を預けていると、くつりと笑う声がした。息が耳にかかる。喉を鳴らすような低い声が妙に色っぽくて、まだ慣れない私はびくりと跳ねた。
「また人間だ。懲りないと思わないか」
彼が言う。
この城への侵入者を感知したみたい。
私は「うん」と同意しておいた。
「いい加減に諦めればいいのにね」
「ステータスは?」
「ちょっと待って」
両手を揃えて目の高さまで持ち上げると、そこに水晶が出現する。覗き込めば、球形特有の歪みはあるものの、鮮明な映像が映される。
この魔王城に入り込んだばかりの人間が数人、玄関口を警戒しながら進んでいた。途中で脇道にそれたりするけど、そっちはただの物置だよ、なんて思うだけで教えられもしないのだけれど。
男一人に、女が四人。
――今回の『主人公』はこの男か。
彼らを見つめていれば、視界にステータスの一覧が表示される。
これだけは背後の彼にも見ることができなくて、正真正銘私だけの能力だ。本来は勇者のお助け妖精であるべき力は、こうして魔王の為に活用されている。
「男は職業『聖騎士』、レベル89。HP8365、MP5200、全属性抵抗スキル最大値。毒、石化、沈黙無効化。赤い髪の女は『武闘家』、レベルは87、HP8600、MP0。青い髪の女は『治癒師』、レベル81、HPは6000、MP7000、沈黙無効。黒髪の女は――」
「もういい」
「……うん」
飽きたらしい。
しょげた私を宥めるように、大きな手が頭を撫でる。髪を梳かれる感触が好きだ。彼の触れ方はとても優しくて気持ち良い。
体の向きを変えて、彼の鎖骨あたりに額を擦りつけてみた。イメージは猫だ。
こうして甘えると彼の機嫌がよくなるから、恥ずかしくたってやる。
元現代人、元勇者のお助け妖精の私だ。これから来る勇者一行を、魔王様の不機嫌に応じて細切れの肉塊にするのは、さすがに忍びない。
「どうした?」
「んーん。また弱そうなのが来たから、つまんないんだ。寝てていい?」
「ああ。来たら起こしてやろう」
魔王様は私に優しい。彼の金髪は触ると柔らかくて、月のような黄金の瞳は切れ長で、怜悧な美しい顔をしている。不遜で、尊大で、強くて、何より美しい。
この王子然とした彼が、幾人もの人間を殺めた張本人だなんて、誰が思うだろう。
――昔はあんなに可愛かったのに。
一体どうしてこんなことになってしまったのか。
私の死んだ魚のような瞳に彼の手が被さって、促されるまま、そっと瞼を下ろした。




