できればまた、桜色の約束を
僕、浅間 圭介は毎年春にここ、天美崎を訪れる。
ここは父方の祖父の実家がある村で、僕は毎年家族と帰省していた。だが今年は、両親とも仕事の都合がつかず、中学生になったんだし、ということで僕一人だけでくることになった。
この村は、総人口は二桁強ほどしかいない過疎の村だが、村人みんなが家族のような付き合いで、僕も小さい頃から、皆によくしてもらっている。そしてなにより、自然が豊かなのだ。スモッグのない新鮮な香りが感じられる空気。そして、美しく壮大な桜吹雪。
もともと自然が大好きな僕は、この地がけっこう気に入っていた。ここは普段住んでいる都会の喧騒を忘れさせてくれる。新鮮な風を体いっぱいに感じながら、僕は実家へと走っていった。
記憶にある道を歩いて数十分。ようやく実家の赤い瓦屋根が見えてきた。
この辺りは交通の便が悪く、バスは元々バス停が一つ二つしかないうえに、一時間に一本あるかないかだ。
だが自家用車を使おうにもあぜ道が多く、車が通れないようなところも珍しくない。なので主な交通手段は徒歩や自転車ということになる。
毎年来ているとはいえ、実家の屋根が見えたときは少しホッとした。僕の頭の中で、何度か迷ってそのまま遭難しかけた忌まわしい過去を思い出す。そんな幼少の頃を思い返しているうちに、僕はようやく家の前までたどり着いた。
鍵のかかっていない引き戸をあけて、
「ばあちゃん、圭介です」
と声をかけると、目の前のふすまが開いて、ニコニコとばあちゃんが出迎えてくれた。
「まあまあ、圭ちゃん、こんなぁに大きくなって。一人でよく来たね」
身長は僕と同じくらいで髪は短めにまとめている。すこしだけ老けたような気もするがこの様子を見るとまだまだ元気そうなので安心した。
「疲れたろう、早くあがんなさい」
そう言っておばあちゃんは僕を家の中へと招き入れた。
おばあちゃんと少し雑談した後、早速僕は遊びに行って来ると言って家を飛び出した。
───実は、僕が毎年欠かさすにこの地を訪れているのには、もう一つ理由があった。家を出た瞬間、ザアッ、と風が吹いて、───家の前には、彼女がいた。
僕がここにくるもう一つの理由。それは目の前の彼女。春海 陽香の存在があった。
陽香は実家の隣の大きい家に住むちょうど同い年の女の子で、幼い頃に知り合って以来、毎年こっちに来る度に一緒に遊んでいる。田舎町の娘には不釣り合いともいえるくらいの白い肌、後ろに長く伸びるつややかな黒い髪に、いつも白い帽子かぶっており、僕と遊ぶ時それをぎゅっとかぶって、外に出て来る姿は可愛らしくて、そしてなぜかどこか上品な感じがして、毎年会うたび僕に『お嬢様』という単語を想起させる。
そしてどうやら実際に家は昔から続く旧家でやけに大きい家はその名残らしい。
僕は毎年、彼女に会うのが楽しみだった。
夏も冬も忙しくてここには来れず、唯一来れる春も、ここに滞在できる期間は短いものだった。だけど僕らは、毎年僕が帰るときに、
「来年も、また遊ぼうね」
と、約束するのだ。
その彼女が、家の前に立っていた。多分、僕が来る日を覚えてくれていたのだろう。
僕は少しうれしくなって、自然と笑顔になって「陽香ー!」と声をかけながら手を振った。すると陽香もクスッとまぶしい笑みを浮かべて、軽く手を振りかえしてくれた。
ああ───、今年はどこで遊ぼうか。まだ少し冷たい小川で水遊びをしようか。それとも、神社でかくれんぼをしようか。やはり、最後にはいつもの丘でお花見にしようか、あそこの風景はいつ見てもきれいなんだよなあ。
そう想いをふくらませながら、陽香のほうへと近づくと───。
「・・・・・・?」
───その時、なんだか不思議な違和感を感じた。
「久しぶりだね、圭ちゃん。待ちくたびれてたよっ」
声も、口調も、姿も、完全に彼女のものだ。・・・それなのに、一瞬彼女が陽香ではないように感じたのだ。
「・・・・・・圭ちゃん?」
僕の様子を変に思ったのか、陽香が顔を近づけて、僕の顔を覗き込む。そのしぐさに、ドキッとして、顔を赤らめながら、
「ごめん、なんでもないよ」
と答えた。
───やっぱり気のせいか、なんだったんだ? さっきの違和感・・・
「・・・まあいいや。ねえ、圭ちゃん。なんと! コンビニが出来たんだよ!」
「なっ! マジか!?」
都会ではもちろん、珍しいものではないが、ずっと雑貨屋一軒しかないこの村に出来たとは、さすがに驚いた。
「行ってみる?」
「うん、行ってみたい」
せっかくこんな広大な自然を前にしているのにわざわざコンビニに行くのもどうかとは思ったが、やっぱり、どうしても一目見てみたかった。
「じゃあ、行こっか。こっちだよっ」
陽香は笑顔でそう言って、ぴょんとかけ出した。
***
「ねえ・・・」
コンビニへと向かう途中、前を歩く陽香が、前を向いたまま僕に話しかけた。
「なに?」
「・・・今年は、いつまでいられるの?」
そう聞く彼女の表情は、前を向いているのでよく分からなかったが、僕は、僕から進んで陽香の表情を伺うことは出来なかった。
「・・・五日間。ごめん・・・忙しくて」
僕がそう少し俯いて言うと、陽香は「何で謝るの?」と言ってこちらを振り返った。
「しょうがないじゃん・・・今年から中学二年生なんだもんね。私も、圭ちゃんも・・・だから、さ・・・」
「あ、あのさ!」
「!? な、なに・・・?」
「え~っと・・・ほら、コンビニにはどんな物があんのかなあって」
僕は思わず、今考えた質問で話題をそらそうとした。なんとなく・・・あの後に続く言葉を聞くのが怖かったのだ。
「・・・フフッ。それは、行ってからのお楽しみだよ」
陽香はいたずらっぽい笑みを浮かべてスキップのような足取りで歩き出した。結局、僕はあの言葉の先を聞くことはなかった。
「ほら、圭ちゃん。ここだよ」
「・・・え? ここって・・・」
目の前には確かに立派な(?)コンビニがあった。
───だけど確かここって・・・
「───ねえ。ここって、コンビに出来る前ってなにかあったよね・・・?」
「うん、雑貨屋があったよ」
雑貨屋つぶしちゃったよ! じゃあ、村で唯一の商店がコンビニになった、と・・・
───っていうか、雑貨屋のキヨばあちゃん(90)どうしちゃったんだろう・・・まさか、死んじゃったとか・・・
「? どうしたの? 入ろうよ」
「え!? あっ、ちょっと待って!」
陽香が前に一歩進むと、自動ドアがガーッと音を立てて横に開いた。
「いらっしゃい・・・・・・あら、陽香ちゃんじゃないか、それと圭ちゃんも久しぶりだねえ」
「こんにちは、キヨさん」
───店員やってるのかよっ! 思わず心の中でそうつっこむ。しましまなコンビニの制服しっかりと着ているキヨばあちゃんは、かなり浮いて見える。
っていうかレジ打てるのか? ・・・あ! となりにそろばん置いてる! レジ必要ねえ!!
───だけど、様子を見るからにとても元気そうだ。もしかしたら、雑貨屋を営んでいたときよりも生き生きとしているのかもしれない。
そう思うと、心の中で少しほっとしている自分がいた。
「久しぶり、キヨばあちゃん」
「うん、うん、また背伸びたかねえ・・・ちょっと前まではこーんなにちっこかったのにねえ」
そう言って人差し指と親指で大きさを示す。・・・そこまで小さくはなかったぞ!?
それから、ばあちゃんと僕、陽香を交えて思い出話に花を咲かせた。というか、ほとんどばあちゃんの思い出話になってしまったが。それでも、俺が到底体験できないようなことを語るおばあちゃんの話は、やっぱり興味深いものだった。
何にも物を買わず、ただ雑談をしているだけの客に、それに率先して加わる店員。本来ならあまり褒められた光景ではないのだろう。だけど、この村ではそれも全て許されるような気がした。
───店が変わっても、ばあちゃんは、何も変わっていなかった。
***
それから毎日、僕と陽香はいろいろなところで遊んだ。
小川で釣りをした。二人とも一匹も釣れなかったが、それでも途中、ふざけあったりもして楽しく過ごした。
神社でかくれんぼをした。絶対に見つからない、究極の隠れ家を見つけて、得意げに隠れた僕だったが、すぐに陽香に見つかって顔が熱くなった。
田んぼでザリガニを探したりもした。稲ごと捕まえたりして、あとで農家のタケさんに怒られた・・・
一日一日を楽しく過ごしたが───やはり、僕の、陽香に対するなんともいえない違和感は消えることはなかった。いや、それどころか日に日に大きくなっていったのだ。
まるで陽香が陽香でないような・・・そう思ったとき、僕は昔、亡くなったおじいちゃんが話してくれたこの村の伝説を思い出した。
『いいかい、圭介。この村にはな、昔から人に化けるキツネ、妖狐が住んでいるんよ。普段は山にいるが、春になると、人に化けて村に下りてくることがあるといわれとる。・・・ん? なんでかって? そうさのう・・・キツネも、長い冬を一匹で───寂しかったんじゃないかのう・・・』
───妖狐? ・・・確かにこの村唯一の神社も稲荷神社だ。っていうことは、まさか・・・・・・
そう思ったところで、僕は自嘲した。バカらしい・・・一体俺、何歳だよ・・・
いい年してなに考えてんだろう、
あの陽香が、───実は妖狐だと思うなんて・・・
はっ・・・ばかげてる・・・!
だけど、その考えは僕の頭の中から消えるどころか、むしろ大きくなっていくのであった。
「───やっぱり、最後はここだよねえ・・・」
最終日───僕は明日の昼には電車に乗らないといけない。
僕たちは丘の上の原っぱに来た。周りの木は全て桜で、一面の桜吹雪が咲き、そして散り乱れる。その光景には、一種の神秘性さえも持っているように感じられた。
ここで告白すれば何でも許されるような・・・そんな魅力も持ち合わせているのだ。僕らは毎年、ここで「来年も、また遊ぼうね」と約束するのだ。
去年もそうだった。去年の彼女の光景を思い出して───目の前の、咲き乱れる桜を遠目で眺める彼女を見て───
「───っ」
再び、違和感を感じた。
姿は、間違いなく彼女のものだ。声も、性格も、雰囲気も・・・だけど、僕のなかの何かが叫ぶのだ。
『彼女は陽香ではない』───と。
「・・・どうしたの?」
「えっ?」
不意に、彼女がいつものしぐさで僕の顔を覗き込む。例の如く、僕の胸はドクン、と大きく高鳴った。
「なんだか・・・お花見を楽しんでない」
「そんなことは・・・」
僕がそう言って少し眼をそらすと、彼女はクスッと笑って、桜の方を向いた。
「ねえ、圭ちゃん・・・知ってる? この桜の前ではね、隠し事は出来ないんだって。どんな些細なうそでもわかっちゃう・・・って、知ってるか」
そう言って再びこっちを向いて舌をペロッとだす。
───そうだ。昔、陽香に聞いたことがあった。これが村の伝説なのか、それとも陽香が勝手にそう思っているだけなのかは分からない。だけど、その話はおそらく真実なんだろうな、と思った。
「───陽香」
「ナニ?」
陽香は再び桜の方に向き直って答える。
「おかしなこと聞くけどさ」
「うん───」
「───君って本当に陽香?」
「──────」
彼女は少しの間、何も答えなかった。桜の方を向いているので、彼女が今どんな表情をしているのかは分からない。
「───何でそんなこと聞くの?」
彼女は静かに尋ねた。その声は、やはりいつもの陽香とは少し雰囲気が違った。
「なんだか、違和感があったんだ・・・」
「最初から?」
「うん・・・」
僕も静かに答えた。
「・・・圭ちゃん───人って、変わるんだよ」
「・・・・・・」
彼女のその言葉に、僕は一瞬、何も言えなかった。
「私も・・・圭ちゃんもそう。人は、忘れて、成長して、・・・・・・変わって、生きていくんだよ。・・・だから───」
そこで彼女の言葉がとまった。そして僕は、なぜかそこではっきりと断言できた。
「君は、陽香じゃ、ない───!」
「───っ!」
彼女は少しの間桜を見て、そして僕の方を振り返った。
「・・・え?」
彼女は───泣いていた。そして不意に、「・・・ごめんなさい」と一つつぶやいて、彼女はその場を走り去った。彼女の涙を見て、僕はそれこそ狐につままれたような感じで少しの間そこに立ち尽くしていた。
僕が今まで見ていたのは、本当に陽香ではなかった・・・? さっき、なんであんなに確信を持てていってしまったんだろう。やがてひざの力がフッと抜けたように、そのままへたり込んでしまった。
僕は化かされていたのだろうか。そう思ったとき、不意に彼女が去っていったのとは別の方から聞きなれた声がした。
「あら、どうしたの? こんなところで」
声のしたほうを見ると、そこには陽香の実の母の、秋穂おばさんがいた。僕は陽香とはよく遊んでいたが、秋穂おばさんとは会ったら軽くあいさつする程度だった。それに秋穂おばさん自身、都会のほうで働くキャリアウーマンであるらしく、祖母に預けている陽香の様子をたまに見に来る程度で僕とはめったに会うことはなかった。
「あれ? 陽香は? てっきりあなたと一緒だと思ったのに」
秋穂おばさんはそう言って僕の顔を覗き込んだ。
「あの・・・秋穂さん」
僕は思い切って話してみることにした。いや、話さずにいられなかった。
「僕・・・この村の狐に化かされてたみたいなんです」
「は?」
秋穂おばさんは怪訝な顔をしてこちらを見つめる。───当然の反応だろう。だけど、僕は言葉をとめることは出来なかった。
「僕といた陽香は、本物の陽香じゃなかったんです・・・! 最初あったときから、違和感がしてて・・・」
僕は、さっきまでのことを全て話した。
「・・・ねえ、それ。本気で言ってる?」
僕はおばさんの顔を見れず、うつむいて、まるで子供が親に叱られているときのようにうつむいたまま頷いた。眼に涙がにじんで、もう泣き出してしまいそうだった。おそらく、秋穂さんはかなり怒っているだろう。だって、自分の娘を妖怪呼ばわりしているようなものなのだから。今ここでぶったたかれてもおかしくないとまで思った。
だが─────
「ぷっ、あっはははははははははははははははは!!!」
突然聞こえた笑い声に、僕は驚いて顔を上げた。すると、秋穂おばさんがお腹をかかえて笑っていた。
「あ、秋穂さん・・・?」
「そっか・・・分かっちゃうのかあ・・・」
笑い終えた秋穂おばさんの目には、涙が浮かんでいた。
「ねえ、圭介君。ちょっと付き合ってくれない?」
秋穂おばさんは、静かにそう言った───。
***
───翌日。
僕は帰りの電車に乗るために、駅へと向かった。早めに家を出たので、電車が来るまでに、まだ少し時間があった。駅に着き、電車の時間を確認してから、ホームへと向かった。
「───あ」
そのホームにポツンと一つ置かれているベンチに、彼女は座っていた。僕が来たことには気付いた様子であったが、僕の方には眼を向けず、ただ正面を向いて、少し俯いていた。僕は何も言わずにゆっくりと彼女の方に歩み寄り、そしてそのすぐ隣に座った。
───少しの間、僕たちは一言も話さずに、ただ前の方を向いていた。
「───ごめんなさい・・・」
すると、彼女が前を向いたまま、ボソッとつぶやいた。
「もう全て、知っているんでしょう・・・?」
僕はその問いに、「うん・・・」とだけ返した。僕があの後、秋穂おばさんに連れて行かれたところ───。そこは墓場であった。
そしてそこの、ある一つの墓石の前まで案内されて、
「───ごめんなさい」
その前で、秋穂おばさんはそう言って僕に頭を下げた。そしてその場で、秋穂おばさんは懺悔するかのように、静かに僕に話しはじめた───。
「───陽子さん、だっけ」
今度は僕の方から声をかけた。
「うん───春海 陽子。あ、妖怪の狐と書くんじゃなくて太陽の子と書くほうだからね」
そう言って、僕と陽子は互いに軽く笑った。そしてその後、陽子は「あーあ、」と軽くため息をついた。
「私たち、その気になれば親でも騙せてたのに・・・まさか一年に数日ほどしか、それも陽香としか会っていなかった男の子に見破られちゃうなんて・・・こりゃ、向こうであの子、笑ってるだろうなあ・・・」
陽子の方に目を向ける。その容姿は、やはり陽香と瓜二つだった。そのことを思って、僕はまた胸が締め付けられた。
僕は、陽香がこの地に住んでいるのはただ単にこの地が大好きだからだとしか思っていなかったし、実際、陽香も否定していなかった。
「僕は、何も知らなかった・・・陽香に、双子の姉がいたことも、生まれつき体が弱かったことも、そのためにこの村にいたことも───」
「───ううん。あの子がこの村が大好きだったのは本当よ。それに、あの子が圭ちゃんに自分の身体のことを隠していたのは、せめて圭ちゃんには、普通の友達として何の気も使われずに、接して欲しかったんだって」
そのことについては、秋穂おばさんからも聞いていた。そのために、陽子の存在も伏せていたらしい。離れて暮らしている、元気な姉のことは、伏せておきたかったらしい。
だけど一つだけ、「本人から聞いてください」と言われて、どうしても教えてくれなかったことがあった。
「どうして・・・陽香の振りなんかしたの? 村の人たち全員に頼み込んでまでして・・・こんな大芝居を、どうして・・・?」
僕がそのことを尋ねると、陽子はふっと上を見上げて、ゆっくりと口を開いた。
「───あの子が急に身体を崩して、町の大病院に運ばれた夏から・・・あの子、ずっとその病室の窓からこの村の方角を眺めていたの───最初は私、村が恋しいのかな、なんてくらしか思ってなかった。でも、毎日お見舞いに行っていたある日、あの子から、君───圭ちゃんのことについて聞いたの。『あのね、毎年、男の子が村に遊びに来て・・・とても面白かったの』って、その日からほとんど毎日、圭ちゃんとの思い出話を本当に楽しそうにしてしゃべってた・・・だけどある日、突然悲しそうな顔をしてつぶやいたの・・・『それで、いつもその男の子が帰る前に、あの桜がきれいな丘の上で、約束するの。「また来年会おうね」って・・・ゴメンね、約束、破っちゃうかもしれない・・・』って・・・」
その数日後に、陽香はまた容態を崩して・・・そう話す陽子の目からは、一筋の涙が流れ出していた。
・・・そして、いつの間にか僕も泣いていることに気付いた。昨日あれほど泣いたのに───
「私はあの子の、最期の言葉が忘れられなかった。そして陽香が死んだとき、私は決めたの───あの子の代わりに、私がその約束を果たそう、って・・・村の皆も、頼み込んだら了承してくれたわ。あとは私が圭ちゃんに遠いところに引っ越す、とでも言ってしまえばいい───そう思ってたの・・・でも実際圭ちゃんと会って───なんでか、言えなかったんだ・・・」
もしかしたら、心のどこかで、あの子の話を聞いて陽香の毎日に憧れていたのかもしれない、私は毎日塾通いの日々だったから───。
そう彼女がつぶやいて、僕は思わず立ち上がった。僕の中の何かが抑えられなくなった。陽子が話すのを止めて、少し驚いたような表情でこちらを見る。
だけど、この胸からあふれ出す感情の正体は、僕自身も分からない。堪えられなくなって、立ち上がって、でもなんといえばいいのかわからなくなって・・・昨日出し尽くしたはずの涙が、目からあふれ出して───
───僕はやっと、何とかして、頭の中にあったものを言葉にして搾り出した。
「・・・ずるい。ずるいよ・・・皆、ずるいよ・・・!」
言葉の意味はもう、僕自身にも分からない。ただ、その言葉、文句だけが頭からあふれ出して、僕は再びベンチに座ることなく、そのままその場に泣き崩れた。
すると、陽子が僕の隣に寄ってきて、そのまま背中をそっとなで始めた。
陽子は何も言わなかった。何も言えなかったのかもしれない。ただ、泣きじゃくって闇が広がる中に、彼女のその手のぬくもりと、背に流れ落ちる水滴だけが僕に伝わった。
僕は少しの間、小さい子供のように、その場で泣きじゃくった。陽子は、その間、ずっと背をなで続けてくれた。
***
「───もうすぐ、電車が来るね・・・」
「うん・・・」
いつの間にか、電車が来るまであと数分となっていた。僕たちの目からは、もう涙は出ていない。心の中は幾分か落ち着いた。───それだけ泣きじゃくった。
「───あのね、圭ちゃんとの、この数日間。・・・とっても楽しかった。・・・陽香もこんな日々を過ごしてたのかな、って思うと少しうらやましいくらいに・・・」
陽子は静かにそうつぶやいた。
そのとき、大きな音を立てて、電車がホームに止まった。停車時間は約一分です、と言ったアナウンスが鳴り響く。そのままドアが開いて、僕が乗り込むのを待ちはじめた。
僕は陽子の方を見ずに、電車に乗り込んだ。そして、陽子の方を振り返り、さっきからずっと考えていた言葉を口に出した。
「・・・なあ、来年もまた、ここで会えないかな?」
「・・・え?」
僕のその言葉を聞いて、ぽかんとした表情を浮かべる陽子に、僕は言葉を続けた。
「だから、また来年。僕、必ずここに来るから。・・・そしたら、またここで遊ぼう!?」
そう言って、顔が少し熱くなる。陽子は少しの間、驚いたような顔をしていたが、クスッと笑って、「うん・・・」とだけつぶやいた。
───その時、僕たちの前に、ハラハラとピンクのものが舞い散ってきた。
「───え?」
僕たちは驚きの表情を浮かべる。
───桜が、桜の花が、ハラハラと舞い散っている。
「うそ・・・この近くには桜の木なんて・・・」
彼女がそうつぶやく。それは僕も同じ気持ちだった。信じられない、そういった気持ちで僕らは上を見上げる。
───その時、僕はホームの上で、あの穏やかな表情で笑っている陽香の姿を見た、───気がした・・・
その時、ピリリリリリと音が鳴って、電車のドアが閉まった。
僕が「また来年なー!」と叫ぶと、陽子はゆっくりと動き出す電車を追いかけて手を振りながら叫び返してきた。
「うんー! また来年。待ってるからー!!」
この話は、元々夏をイメージをして考え作品でした。
ですが、最後の桜のシーンが思い浮かんで、急遽春、と言う設定にしました。
春というと、出会いの季節、そして別れの季節とも言われていますが、やはり一番は成長の季節だと思うんです。
人と別れて・・・新しい人と出会って・・・そこで人は成長していく。
そういった季節だと思うんです。
(と言っておきながら、自分の成長が感じられない・・・)
この物語の二人はこれから先、どう成長していくのでしょうか?
そういった想いを込めようと思って込め切れなかった作品です(笑)。
ここまで読んでいただいてありがとうございました。
少しでも皆様が楽しんで読んでいただけたのなら幸いです^^