ラストチャンス
「た~いち君、あ~そび~ましょっ」
ベッド寝転がって漫画を読んでると、モスッ…と窓ガラスに雪玉がぶつかった。
まじかよ……。
ちらりと壁掛けの時計で時間を確認し「……シカトだな」と再び漫画に視線を戻した。
「おーい、たーーいち! いるんでしょ~っ、降りてきてよぉ、おーい、おーーい! ねぇってば、たーーいち!」
「いませんよ」
ごろんと横向きになって呟く。なのに、
「たーーいち、コンビニ行こうよ! 一人じゃ怖いよ、一緒に来てよぉぉ」
それでも延々呼び続ける声に根負けして、俺は溜息を吐いた。
ベッドから降りて、窓を開ける。
雪に覆われた夜は、外灯がなくても十分明るい。
家の前でがっつり防寒した綾が、俺を見つけて「お~い!」と両手を振って存在を誇示していた。
「何時だと思ってんの、十時だぞ。子どもは寝なさい」
「お腹空いたの、ほら早く早く!」
まったく俺の話を聞いてない綾は、今度は両手で降りてこいと大げさに手招いた。まるで「かかってこい」と言っているような仕草に女らしさは微塵もない。
(なんでかなぁ~)
こいつには多分「俺に拒否られる」という概念は備わってないんだ。
俺はしぶしぶかけてあったダウンを羽織り、外に出た。玄関の柵の前では綾が満面の笑みを浮かべて立っている。
キン…と凍る冷気が頬に当たって痛い。一瞬で耳の先がかじかんだ。
ブルリと身震いしながら門を開けて、ダウンのポケットに両手を突っ込んだ。前を合わせても首から入る隙間風が寒い。
しまった、マフラーもしてくりゃ良かった。なんて後悔しても遅いか。
そんな俺に綾が「行こっ」と笑った。
頭には毛糸のボンボンがついた二股のとんがり帽子、ぐるぐる巻きにしたショッキングピンクのマフラー、ドット柄のコートに、足下はブーツ。
俺の肩ほどもない背丈のせいで、ちょうど視界の下の方でボンボンが振れている。
「なに、その恰好」
どこの童話から抜け出してきたんだ。
ボンボンの片方を指でピンッと弾くと、綾は「へへ、コレ可愛くない?」と少しよれた帽子を直しながらずれたことを言った。
「帽子はね」
嫌味たっぷりに答えれば、案の定、むくれた。が、すぐに頬の空気を抜いて、
「まぁ、いいや。それよりコンビニ」
と、先を促した。
いつもなら「帽子込みで私も、でしょ!」とか言って突っかかってくるのに、なんだこのあっさり感は。
調子外れの鼻歌まで歌い出すご機嫌な幼馴染みの妹を横目で見て、「幸せなやつ」と呆れた。
「で。コンビニ行って、何買うの」
「ケーキ」
「でぶるよ」
「大丈夫、今日はお祝いだから」
「何の」
「何でも無い日の」
違うだろ、今日は天皇陛下の誕生日だ。
俺達にとってはありがたい休日でもある。でも暦の関係で今年は日曜日。その代わり明日が振り替えだから、カップルには最高の連休だ。
だいたい「何でも無い日」て何だよ。お前はいつからアリスワールドに仲間入りしたんだ。
(でも、入れなくもないけど)
小さい体躯に大きな目、標準よりも若干ふくよかな体躯を奇抜なファッションセンスで包んで、割とこぎれいな顔にはそばかすが散っている。頬と鼻先は赤くなっていた。
(なんだってこんな奴)
やめようやめようと思いながら、結局今年も経ち切れなかった。
「なにそれ、意味分かんない」
揶揄うと綾はふと鼻歌を止めた。視線を下ろせば、手袋越しに手へ息を吹きかけている。
「――意味分かんないのは、太一の方じゃん」
ぼそりと呟き、俺をうかがい見た。
黒目がちの大きな目が俺を捕らえる。
ヤバい、と思った途端。
「太一さ、――なんで私のこと避けてるの?」
直球が来た。
思わず眉をひそめれば、ふいっと視線を外された。
だが語尾が微かに震えていたことに気づかないほど、俺は間抜けじゃない。
だから、刺された気がした。
綾の言う通り、俺はこいつを避けてる。
綾は『幼馴染みの妹』で『部活のマネージャー』で『ダチの彼女』。これだけ『の』がついてりゃ、一個くらい『俺の』があってもいいんじゃないか?
なんて気がついたのが綾に男ができたあとだったんだから、やっぱり俺はまぬけか。
それからは綾を見るのが辛くて、かと言って友達の彼女を奪うわけにもいかなくて、いい加減何とかしないとと思いながら、ここまで来た。
持て余した気持ちを違う女でごまかしたりもしたけど、やっぱりそいつは綾じゃない。
誰も代わりになれないんだと気づけば、あとは悶々とするだけだった。
北海道の大学を志願したのは、絶対に綾の顔をみなくてすむ場所へ行きたかったから。逃げてるだけだと分かってても、この環境から抜け出したかった。
こいつが他の男に笑いかけてる場面を見るのはうんざりだ。
中途半端な距離じゃなく、うんと遠くへ行きたい。それだけで選んだ大学だ。
当然、おふくろ達は猛反対だったけど、そこは最もらしい理由をこじつけてクリアさせた。
それでも顔を合わせれば普通に話すし、あからさまに無視をするわけではなかったはずだ。でも、こいつは気づいてたんだな。
「私、何か気に障るようなこと、した?」
前を向いたまま素っ気ない風を装っているが、懸命にこらえてる涙が雪に反射した月明かりで光ってた。
こみあげる愛おしさに思わず腕を上げる。
このまま抱きしめてしまいたい。
でも綾は友達の彼女だ。
俺は一瞬力んだ腕を、息を吐いて下ろした。
「別にしてないよ。俺も色々忙しいんだよね。進路とか勉強とか部活の面倒みたりとかで。あぁ、あとは彼女も? 綾の気のせいなんじゃないの、自意識強すぎ」
わざと軽口を装って嘲笑った。
口から出まかせだろうとこの際、何でも良い。
綾が納得さえすれば、理由なんてどうでも良かった。
綾は黙って俺の話を聞いていたが、やがて何かを振り払うように瞼を閉じた。目尻に留まっていた涙が柔らかなそうな頬を伝った。
『……ウソツキ』
唇が紡いだ音のない声。
それを見た刹那、理性のネジが飛んだ。
綾の腕を引き、力いっぱい抱きしめた。
綾は一瞬身を強張らせたが、すぐに力を緩めて俺に寄りかかってきた。躊躇いがちに背中に回った腕がダウンを握りしめる。
それだけなのに、胸が熱くなった。
俺は抱きしめる腕に力を込めて、全身で彼女を感じた。
今だけだ。
顔に当たるボンボンも、伝う温もりも俺のものじゃないけれど、今だけは俺のものなんだと思いたい。
ずっとこうしてみたかった。
もう交わることのない想いに、欲しい女を抱きしめて訣別を誓う。
――これで諦めよう。
「悪い、今のは忘れて」
言って、名残り惜しい温もりから体を剥がしかけた時だ。「忘れないとダメなの?」
涙目で綾が俺を見上げてた。
「当り前だろ、お前はアキヒサの彼女なんだぞ」
「違うよ、もう彼女じゃない。振られた」
たった今、綾との決別を誓った俺に、こいつはすまし顔でとんでもない爆弾を落としてきた。
――うそ…だろっ?!
舞い込んだラストチャンスが信じられなくて、まじまじと綾を凝視した。
自分で落とした爆弾の威力に頓着しない綾が、愛らしい仕草で首を傾げた。
「太一? 聞いてる」
聞いてる。けど、
「なんで? だってあんなに」
ムカつくくらいラブラブだったろ! なんでいきなり別れ話になってるんだ。振られたってどういうことだよ。
「もう私の彼氏役はお終いなんだって」
「なんだ、それ?!」
彼氏役じゃなくて、歴とした彼氏だったろうが。
目を剥く俺に、綾はふいっと顔を背けた。
「だって、お兄ちゃんから太一が北海道へ行っちゃうって聞いてから、私ずっとそのことばかり考えるんだもん。何にも手につかないの。先輩と一緒にいても頭ん中は”太一が遠くへ行っちゃう”て、そればかりだった。そしたら先輩が」
「彼氏役は終わりにするって?」
言葉を攫うと、綾が首を縦に振った。
それから、チラリと俺に視線を這わし、今度は目尻を赤らめてまた顔を背けた。
「先輩がね、言ってた。太一も……その」
夜でも分かるほど真っ赤になってる顔に、俺も言わんとすることが分かって同じくらい顔が熱くなった。
「マジかよ」
口を手で押さえながら「アイツ…」と悪態づく。
気まずい沈黙だった。
アキヒサはいつから俺の気持ちに気づいてたんだろう。何てことしてくれるんだ。
チラリと綾を盗み見れば、相当テンパってるのかソワソワと所在無さ気にしていた。
「……ケーキは明日でいいだろ」
「え、」
ぼそりと言って、「悪い、俺、綾のこと好きだわ」と白状した。
今ならコンビニが口実だったと分かる。
なぜ今夜なのかも、な。
何が何でも無い日だ、とっておきの記念日じゃないか。
「明日一緒に買って食べよう。そんなに良い物も買ってやれないけど、一緒にプレゼント見に行こうな」
「太一……」
「その代わり、今日はコンビニで肉まん買ってやる」
な、と笑って小さな手を握った。
綾は嬉しそうに笑い「は…半分こしたら太らないよ!」と無駄なあがきを照れ隠しに使っている。
不思議だよな。自分のもんになった途端、可愛さが倍増して見えるんだもんな。
「綾」
あどけない顔が何の警戒心もなく俺を見上げてきた。
なにコイツの可愛さ、ヤバくないか。
「ずっと好きだった」
言わずに置いて行こうとした想い。
何十回も飲み込んだ言葉をようやく伝えられた喜びに、俺はきっと最高に幸せな顔をしてると思う。
「あ、ありがとうございます」
そこは可愛らしく「私も」と言って欲しかったけれど、かしこまったところが可愛いから、多分これで良いんだ。
月明かりに伸びる二つの影は、ちゃんと繋がっている。
いまなら大抵の困難も乗り越えられるそうだ。
(あ~、とりあえず、またおふくろとバトルだな)
☆ FIN ☆