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神々の黄昏 ― Vaterland ―  作者: sakura
IX ヘルヘイム
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3 ライプツィヒへ

 ――異常な体重の減少。原因は不明ながらも骨折した創傷が関係していると思われる。尚、これに関係した全身異常は現在のところ確認されず。

 カール・ゲープハルトの名前が署名された簡潔な書面が親衛隊全国指導者のハインリヒ・ヒムラーのもとにその報告書が届いたのは八月の末になる。

「体重の激減、か……」

 ファイルに鳩目された写真をつまみ上げてヒムラーは溜め息をついた。

 ここのところ忙しすぎてマリーとは会っていないが、写真を見る限りゲープハルトの報告書通りやはり随分と痩せたような気もする。

「……ラインハルト」

 写真に向けて華やかな明るい笑顔を向けている少女には、かつてヒムラーが知っていたラインハルト・ハイドリヒの面影はない。

「わたしは君を二度と失いたくはない」

 瞑目したヒムラーは独白してから電話の受話器を上げた。



  *

 国防軍の主導の元に進められている新型爆弾の開発計画について、親衛隊情報部に所属するヴァルター・シェレンベルクがその全容を把握しているわけではない。

 なにより、博士号を持っているとは言え、シェレンベルクの専門は法律であって物理学ではないのだ。

 そのため、爆発の規模などの性能についての正確な試算はできないが、それでもある程度の計画の全容を想定することは可能だった。

 現在、ドイツは多方面に対して戦線を展開しており、それらの戦線は莫大な国家予算を投じて維持されている。

 強制収容所などに労働力を頼り、人件費の削減を図っているものの長大な戦線に対する軍事費の維持は国庫を圧迫した。

 なによりも戦争とは武器を取って戦うことだけが「兵士」の仕事ではない。政治家、インテリジェンス、さらに外交官たちなどが、武器なき戦いを繰り広げているのだ。

 彼らの戦いを支えるのはやはり国家資金であってそれらも軍事費と同じ財布から捻出されているのだった。

 大雑把な計算を繰り広げていた紙を放り出して、シェレンベルクは溜め息をついた。

 アメリカ合衆国とソビエト連邦という強大な国の同盟関係には、本当に亀裂が入りつつあるのだろうか? そしてその亀裂とは、本当にドイツ第三帝国にとって有益なものとなるのか。

 もしくは連合国側がドイツを罠にはめるために巡らされた策謀ではないのか。

 そんなことをシェレンベルクは考えた。

 いずれにしろ、情報が不足している。

 アメリカとソ連、イギリスとフランス。

 後者の二国は恐るべき相手ではない、とシェレンベルクは分析する。しかし未だに条約の上ではアメリカはドイツと敵対する多くの国々を支援している。それこそが、シェレンベルクは不確定要素の一つだと考えた。

 もちろん、そのアメリカ合衆国も現在は国内が人種問題で揺れている。

 ソ連とアメリカの亀裂は、実は外見上だけのものであって、ニキータ・フルシチョフがすでにアメリカに取り入っているかもしれないと考えると、やはり危険極まりない事態である。

 国際情勢と、情報を分析しながらそんなことを考えたシェレンベルクはふと腕時計を見やった。

 午後からは新型爆弾の開発計画を推進する物理学者たちと会談をする予定になっているが、さてどうしたものかとシェレンベルクは小首を傾げた。

 どちらにせよ、資金面での話になるのだろう。

 何せ政府高官たちのほとんどがこの新型爆弾の開発には乗り気ではないのである。結果的に研究費と開発費が削られて今に至っている。

 もっとも、これについてはシェレンベルクにも政府高官たちの考えがわからないわけではない。

 開発が成功する兆しも見えない以上、実際的な問題として爆弾が完成したとしても実際に使えるかわからないような代物では、政府としても目前の問題の方に意識が傾くのもやむを得ないのだろう。

 そこまで考えたシェレンベルクは、時計をした手首を触れながら立ち上がった。

 午後は専用機のユンカースJu52でライプツィヒまで向かわなければならない。出発までに準備を整えなければならないだろう。

 十二時を過ぎて、一応自分の部下という形になっている特別保安諜報部の執務室へと出向くと、当の少女はすでにヴェルナー・ベストの手によって外出の準備は終わっていた。

「話しの進み具合次第では、あるいは向こうで一泊することになるかもしれないが問題はないな?」

 シェレンベルクはふとに尋ねられて、マリーはにっこりと笑った。

「はい」

 本来、男と女が宿を共にするとなると、それなりの想像もするものなのだろうが、マリーは気負いも感じさせずに笑っている。

 ベルリンでひとり暮らしをしているのだ。彼女にとってライプツィヒで一泊することになったとしても、せいぜいベッドが変わる程度の意味しかないのかもしれない。

 ちなみにプレイボーイと名高いヴァルター・シェレンベルクとマリーが一緒にライプツィヒに一泊するかもしれないという予定を聞いて心配して出発の直前に特別保安諜報部の執務室へと駆けつけたのは、国家保安本部(RSHA)の新長官として就任したばかりのエルンスト・カルテンブルンナー親衛隊大将だ。

「別にふたりだけでライプツィヒに行くわけではありませんよ、長官閣下オーバーグルッペンヒュラーラー

 苦笑しながらそう言ったシェレンベルクに対して、カルテンブルンナーはどこか不審げな色彩を滲ませて、探るように自分よりもいくつか若い青年を見つめる。

 国家保安本部(RSHA)の役職者が、専用機でライプツィヒに向かうのだ。しかも片やは非力な少女となれば護衛がつかないわけがない。

 そもそも、ウラン・クラブの物理学者たちとの会合に承認を出したのはヒムラーとカルテンブルンナー、そして国防軍最高司令部なのだ。要するに、護衛がつくことを国家保安本部の長官であるカルテンブルンナーが知らないわけがない。

 ちなみに厳重な警備体制を命じたのは親衛隊長官のハインリヒ・ヒムラーである。

 カルテンブルンナーが国家元首であるアドルフ・ヒトラーと同郷のオーストリア出身であることが、国家保安本部長官の任命につながったとも囁かれているが、シェレンベルクにとってはどうでも良い要素のひとつでしかない。

「とにかく」

 長身の元弁護士は、ひとつ咳払いをしてからマリーの肩に手を置くと、シェレンベルクに顔を向けてそう言った。

「職務中に不埒な行為は感心できないから、その旨は充分心するように」

「……承知しました」

 堅苦しい表情のまま告げるカルテンブルンナーに型どおりの返答を返し、シェレンベルクはふとはカバンを持ち直して時計を見やった。

「では、そろそろ時間ですので」

「あぁ、行ってきたまえ」

 ハイル・ヒトラーとナチス親衛隊の敬礼をして、シェレンベルクはマリーを伴って空港へと向かうのだった。

 清楚なブラウスに膨らんだスカートという出で立ちの少女がだいぶ参っているらしい、というのを首席補佐官のベスト中将から情報を仕入れている。

 詳細をマリーは語らないし、ベストも知っているわけではなさそうだったから特に追及してはいないが、自分の隣でうつらうつらと船を漕いでいる少女を見下ろしていると、やはりだいぶ疲れているようにも見えた。

「眠れていないのか?」

「……――」

 問いかけたシェレンベルクに、マリーはぼんやりとした眼差しを上げると唇をかすかに動かしてからこっくりと頷いた。

 本人は声に出して答えたつもりなのだろう。

 ぼんやりと上がった瞼がすぐにゆるゆると下がっていくのは、見る限り余程眠いのかも知れない。隣に座っているシェレンベルクの腕に額を押しつけるようにして眠りに落ちていくマリーからかすかな寝息が聞こえた。

 カルテンブルンナーは、シェレンベルクがマリーに手を出すのではないかと心配をしているが、正直なところこんな子供じみたヤセギスの少女に、どうすれば欲情できるというのだろう。

 いや、子供じみているから、というわけではない。

 警戒心がなくシェレンベルクに全幅の信頼を傾けているマリーの無邪気さは、苦笑させられた。

「空港についたら起こしてやるから眠っていろ」

 聞こえているのかいないのか、少女はシェレンベルクの腕に顔を押しつけて日差しから顔を背けるようにして長い睫毛を伏せている。

 シェレンベルクの乗る公用車の運転手が、バックミラー越しに視線を投げかけてくる気配を感じたが、国外諜報局長の青年はなにも言わずに頬杖を突いて窓の外に視線を移した。

 自分の隣から立ち上る甘い香りに、シェレンベルクはそうしてからそっと目を細めてからそっと片手を伸ばす。

 頭の両サイドに垂らされた三つ編みが少女らしい印象を与えるが、これがドイツ少女同盟の団員であれば決してドイツ女性の平均値に達しないだろうと思われた。

 国家保安本部の高級指導者たちが口を揃えて「マリーをもう少し太らせたほうがいい」と言うのだが、いかんせん彼女が小食すぎた。少しは栄養のつくものを食べろとシェレンベルクも言うのだが、どうにも食べることができないというのが彼女の本音らしい。暢気(のんき)に自分の隣で眠っているマリーにシェレンベルクは声もなく笑うのだった。

 プリンツ・アルブレヒト・シュトラッセから、ヴァルター・シェレンベルクとマリア・ハイドリヒを仕事のために送り出したカルテンブルンナーは、執務室から窓の外を眺めたままで顎に指先で触れた。

 いくらプレイボーイと名高いシェレンベルクでも、発育の悪いマリーに手を出すなどということはしないだろう。なによりも、おそらく、とカルテンブルンナーは考える。

 華奢な彼女では、一部早熟な少女たちのように性交渉を行えば健康を害するのではないかとすら思える。だから、マリーの健康の心配に駆られる事態になるのだ。

「失礼します、長官」

 ミュンヘン訛りの声が聞こえてカルテンブルンナーは、背後を振り返ってから声の主を確認した。

 国家保安本部(RSHA)国家秘密警察(ゲシュタポ)局長、親衛隊中将ハインリヒ・ミュラーだ。

「ミュラー中将か……。なにかな?」

「マリーがだいぶ参っているのは知っていますかな?」

「参っている?」

「眠れていない様子ですが」

 話すことが余り得意ではない「スフィンクス」などと呼ばれる寡黙な警察官僚は、小さく肩をすくめてから言葉を続けた。

 このゲシュタポの局長も、カルテンブルンナーと同じくマリーが親衛隊(SS)に入る前からのつきあいがあり、彼女の世話を焼いている男のひとりである。

「少々力業(ちからわざ)になりますが、解決してやりたいと考えているんですが」

 含みを持たせたミュラーの言葉に、カルテンブルンナーは椅子をひいてから座りながら吐息をついた。

「その件についてはミュラー中将に任せよう。貴官であれば彼女の不利益につながるようなことはしまい」

「……公私混同ととられるのは心外ですが、それにあわせて少々気になることがございまして」

「ふむ」

 ミュラーの言葉を受けて考え込むような素振りを見せたカルテンブルンナーは、ややしてからひとつ頷いてから口を開いた。

「まぁ、寝不足で飛行機に乗って、体調を崩さなければ良いのだがな」

「……そういえば、ライプツィヒに向かう予定になっておりましたな」

 シェレンベルクは痩せ型に見えても、親衛隊員としてある程度の訓練は積んでいるし、飛行機に乗った程度で体調を崩すことはないだろうが、問題はマリーだ。

 カルテンブルンナーが見るところ、特別保安諜報部の執務室でのマリーは相変わらず顔色が悪く、眠たそうであったこと。そんな状態でJu52(タンテ・ユー)に乗ればどうなるかわかったものではない。

「シェレンベルク上級大佐がフォローするだろうから、問題は生じまいが……」

 そう言ってカルテンブルンナーは鼻から息を抜いた。

 心配なものは心配なのだ。

「心配事が減りませんな」

 目元を和らげたミュラーに、国家保安本部の新長官は憮然とした様子でゲシュタポの局長を凝視する。

「貴官も心配なのだろう?」

「まぁ、それなりに」

 言葉を濁したミュラーが苦笑した。

 まだマリーが親衛隊員として名前を連ねる前。

 武装親衛隊の訊問にミュラーが同席したことをカルテンブルンナーは知っている。

 彼がマリーの花の家ハウス・デア・ブルーメンに出入りをはじめた頃、ふたりの警察局長もやはりカルテンブルンナー同様にマリーの自宅に出入りをしていた。

「断言できますが、彼女は決して外国のスパイなどではありません」

 そう疑ったこともある。

 正体不明の少女の存在はひどく浮いていて、国家保安本部に属する多くの捜査官たちが疑惑の眼差しを向けた。けれども、マリーはいつも屈託のない笑顔で彼らを出迎えて接していたこと。

「……スパイなら、もっと計算して行動するだろうからな」

 ミュラーに同意してカルテンブルンナーは頷くと、軽く右手を振った。

「マリーの健康が心配になるような事態であれば、原因は貴官の判断で排除してもらってかまわん」

承知いたしました(ヤヴォール)」   

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