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神々の黄昏 ― Vaterland ―  作者: sakura
VIII ソドムとゴモラ
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5 運命の岐路

「ね」

 基本的に行動部隊アインザッツグルッペンの任務でもつかない限り、国家保安本部に所属する情報将校や警察将校、一般親衛隊員たちが戦場に出ることはない。時には「真価の発揮」として暴力的な行為も求められるが、それは現在展開される東部戦線での行動部隊の形だけをしているものではない。

 たとえばヴァルター・シェレンベルクやハインリヒ・ミュラーのように違う形で「真価の発揮」をしている者も、中にはいる。

 そうしてマリーもまた一般的な形とは違う形で”真価の発揮”をした情報将校だった。

「どうした」

「あなた、”そんなんじゃ”ろくな死に方しないわよ? シェレンベルク」

「……わかっている」

 華奢な少女はまっすぐ車のフロントガラスの向こうを見つめるとそう言ってから首を傾げた。ちらりと横目にシェレンベルクを見上げる。

「もうすこし部下に任せて休息をとりなさいな」

 続いた言葉に応じることをせずに、シェレンベルクは腕を組むと思考を巡らせる。

 小心者のヒムラーは、ひとりで国防軍のお偉方と対峙したくなかったようだ。ラインハルト・ハイドリヒが生存していれば、隣に彼を置いたのだろうがそうもいかない。

 結果として、シェレンベルクと国家保安本部長官代理を務めるブルーノ・シュトレッケンバッハ親衛隊中将と親衛隊全国指導者個人幕僚本部長官カール・ヴォルフ親衛隊大将、さらに親衛隊作戦本部、親衛隊人事本部、親衛隊本部、親衛隊法務本部各長官たちが招集された。

 そんな大物の中にマリーを同行させたのは、なによりも今回のアメリカに対する秘密作戦の出所がまずはシェレンベルクとマリーだったからでもある。

 国防軍側から参加するのは、国防軍総司令部長官ヴィルヘルム・カイテル、陸軍司令部参謀総長フランツ・ハルダー。空軍総司令部からヘルマン・ゲーリング、外務省からヨアヒム・フォン・リッベントロップなどそうそうたるメンツが揃う。

 だというのに、そんな状況になるのだということを知ってか知らずか、マリーは左腕を白い三角巾で吊ったまま車窓の外に流れていく風景をじっと見つめていた。

 彼女が襲撃を受けてから三日がたった。

 マリーを除くと十二人もの高官が集まる会議の席で、末席についた少女とシェレンベルクはいきりたつ――当然だが――国防軍司令部の面々を冷静に観察していた。

 用意された書類を気のない眼差しのままめくりながら、マリーはじっとそこに記されているドイツ語を眺めるでもなく眺めている。

 会議の席についた者の中で、ヒムラーと国家保安本部の面々、さらにカール・ヴォルフとハンス・ユットナー、空軍総司令官のゲーリングと、外務大臣のリッベントロップはマリーとは初対面ではないが、他の半分ほどの高官たちは彼女と言葉を交わすどころか、顔を合わせたことすらない。

 どうして子供がこんなところにいるのか。

 そう言いたげな男たちの眼差しを受けても、マリーはいつもと余り代わり映えのしないどこか退屈そうな瞳を不作法に書類へと向けていた。

 国防軍からの批判の矢面に立てと言われたもののハインリヒ・ヒムラーは、ひとりでは老練で”おっかなそう”な職業軍人たちと対峙するのをいやがったのだろう。批判を受けることになる自分の周りを親衛隊本部長官級の高級指導者で固めているのはそういったところだろう。

「……親衛隊長官閣下はもうお察しのこととは思うが」

 そう口を開いたのは陸軍司令部参謀総長のフランツ・ハルダー上級大将だ。

 もうすぐ六十歳になろうかという生粋の職業軍人で、国防軍総司令官を務めるアドルフ・ヒトラーとは余り良好な関係にはない。しかし、現在の国防軍の軍事行動における立役者のひとりとも言えるだろう。

 重々しい声の響きにヒムラーは外見上の変化は見せずに小動物のような瞳をハルダーに向ける。一方で、フランツ・ハルダーのほうは眼鏡の向こうから鋭い眼差で親衛隊本部の長官たちを一巡してから、最後に若い青年将校と少女に行き着いて舌打ちする。

「エジプトを中心とした沿岸地帯に、天然痘が流行している件で抗議にきた」

 男の言葉にマリーは書類を眺めていた視線を一瞬だけ上げてから、目の前に落ちる金髪を右手の指先でかきあげた。

「そもそも、問題の地域には我がドイツ軍も展開することが予想されているというのに、その地に恐るべき伝染病持ちの特殊工作員など送り込むとは何事か。そもそもアフリカ方面には親衛隊の行動部隊アインザッツグルッペンは愚か、武装親衛隊すら派遣されていないではないか」

 ハルダーの力のこもった声に、ハンス・ユットナーと親衛隊人事本部の長官であるマキシミリアン・フォン・ヘルフが顔を見合わせる。

「なにを考えて我が軍が展開する北アフリカにそのような工作官を送り込んだのか、納得いく説明をいただきたい」

 イギリス軍の拠点に突入できないとなれば問題は大きくなる。

 ハルダーの物言いは最低限の礼儀はこめられているが、刺々しく剣がこもっている。尋常ではない緊張感に満ちた会議室内で、親衛隊作戦本部長官のハンス・ユットナーが発言を求めるように片手を上げた。

 丁度そのとき、右手を口に当てて緊張感のかけらもないあくびをしたマリーは、ぎすぎすとした眼差しを何対も向けられて青い瞳をまたたかせる。

「……ど」

 どうかしたんですか?

 言いかけた言葉を隣に座るシェレンベルクが封じて、ユットナーに言葉の先を促した。

「ユットナー大将閣下、続けてください」

 若すぎる親衛隊情報部の国外諜報局長に促されて、ハンス・ユットナーは大きく頷いた。

「ハルダー上級大将はそのようにおっしゃられるが、今回のアフリカ戦線に武装親衛隊の派遣をされなかったのはヒトラー総統の意志であることをご理解いただけているのでしょうな?」

 自分よりも十歳ほど年長のハルダーに対して臆しもせずに、ユットナーが告げると親衛隊人事本部長官のヘルフが腕を組みながら小さくうなる。

 マキシミリアン・フォン・ヘルフはつい昨年まで国防軍に在籍しており、北アフリカ戦線でも戦闘団を率いていた。そのため、ほかの親衛隊将校よりは北アフリカ戦線のことを熟知している。

「わたしも昨年の末までは北アフリカにいたが、わたしが戦線を離れたその後に天然痘が流行したと考えてよろしいか」

「そうだ」

 天然痘の流行が確認されたのは一九四二年の七月。

 ヘルフが国防軍の将校として北アフリカに従軍していたのは一九四一年だった。そんなマキシミリアン・フォン・ヘルフが天然痘の流行までを知らなくてもやむを得ない。

「聞けば、ナチス党(NSDAP)の党員だということではないか」

 そう告げたハルダーだが、鋭い眼差しの参謀総長にユットナーは動じない。

「だからなんだというのだ? 問題になっている党員は武装親衛隊の兵士でもなければそもそも親衛隊員でもない。ただの党員だ。そんなものベルリン中を探せば巨万(ごまん)といるだろう」

 議論の場で怖じ気づいては負けだ。

 立場が違うからこそひいてはならない。

 ナチスの党員であることと、親衛隊員であることはイコールではない。ユットナーの指摘にハルダーがわずかに不快げな光を瞳にちらつかせた。

「しかし、その党員の監督も君らの仕事ではないのかね?」

 ハルダーの指摘はもっともだ。言いながら、国家保安本部長官代理であるブルーノ・シュトレッケンバッハは視線を投げかけられて、ユットナー同様やや機嫌の悪そうな眼差しを陸軍参謀総長へと返す。

「おっしゃりたいことはわからなくもありませんが、その党員の居住地はインドの奥地で、インドは現在イギリスの植民地――要するに敵地となります。そんなところに住む党員の監督までは手が届きませんな」

「カイテル元帥はどのようにお考えか?」

 そこで口を挟んだのは、空軍総司令官の職にあるゲーリングだ。

「現状の北アフリカにおける戦況は正直なところ思わしくないが、イギリスとソ連に対して支援活動をしているアメリカが、天然痘の発生で及び腰になっているというのは、ドイツにとって大きなチャンスでもある。しかし……」

 そう言いながら、カイテルは鼻から息を抜いた。

 コントロール可能な兵器ならばまだ良い。

 しかし伝染病に意志はなく、敵も味方もその毒牙にかける。そしてそれこそが、現在、北アフリカに展開するロンメル軍団を窮地に陥れようとしていたこと。

 腕を組んでしかめっ面をするカイテルは、ハルダーの視線を受けてからハインリヒ・ヒムラーに双眸を向けた。

「自らコントロールできないものを兵器として運用するのはいかがなものか」

 言い分はもっともだ。

 ヒムラーはカイテルの言葉を受けて、鼻からずり落ちた眼鏡を人差し指で押し上げた。

「兵器ではない」

 即答するようにヒムラーが断言する。

「兵器ではなく、人である」

 ハルダーなどからしてみれば若造でしかないヒムラーが、若干迫力に欠ける声で言い放った。

「わたしが把握している情報では、彼女は確かに仮性天然痘であり一家の貴重な生き残りだ。しかし、ご一同方、考えられてもみよ。かの一家は自分たちの命だけではなく、インドに住める貧しき民を救おうとして懸命な医療活動を行った。しかし、医療とてビジネスだと割り切るイギリスやアメリカは、弱き者を救う価値なしと判断し医師団の派遣もしなければ、資金提供もしなかった。このために天然痘に罹患した多くの現地住民たちが命を落とし、あまつさえ医師一家も半分以上が死んだのだ」

 ヒムラーはじっと考え込むようにしてから、数秒ばかり沈黙すると溜め息をついた。

「多くの人間の命を見殺しにした、イギリスやアメリカに対して、恨みを抱いていてもおかしくはあるまい」

「しかし、我が軍の被害はどうなる。それもイギリスやアメリカを追い込むための局所的な被害として受領せよと言うのではあるまいな」

 ハルダーがつっけんどんに告げると、そこでゲーリングが挙手をして発言を求めた。

「幸い、七月にイギリスの補給路の要であるマルタ島はわたしの空軍(ルフトヴァッフェ)で占領している。このマルタ島を拠点として、エジプト沿岸部の爆撃計画を考慮しているが、ハルダー上級大将はどう思われますかな?」

 巨漢の言葉にハルダーは目尻をつり上げた。

空軍(ルフトヴァッフェ)の急降下爆撃か……」

 侮蔑すら滲ませるハルダーの声に、ゲーリングは一瞬だけ光をわずかに両眼へと閃かせた。しかし、ほんの一秒ほどの後、ヘルマン・ゲーリングは少女の瞳を受けて言葉を詰まらせるように息を飲み込んだ。

「お言葉だが、国家元帥の作戦は常に後手後手ではないか。大言壮語も大概にされてはいかがかな?」

 ゲーリングの自信たっぷりの言葉に、毒の滲んだ声を放ったハルダーも負けてはいない。

「もちろん、戦況に応じて急降下爆撃だけにこだわるつもりはない。わたしは確かに東部の戦線や、イギリス戦、そしてフランス戦では判断を誤ったが」

 白熱する議論にマリーの方は隣に座るシェレンベルクを見上げてから、あくびをかみころした。テーブルに肘をついて退屈そうにハルダーを眺めている彼女は机の下でぶらぶらと足を揺らしながら肩から力を抜いた。

 固定された左腕が重くて首が痛むらしい。

「アメリカの後ろ盾が弱くなっている今こそ、イギリスを叩く機会なんじゃないんですか?」

 大人たちの議論を聞いているのかいないのか、マリーはぽつりとそう言った。

 唐突に響いた少女の声に、ハルダーが一番驚いたようだ。

「話を聞いていたか?」

 天然痘に対する恐怖もよくわかっていなさそうな少女の様子にハルダーの声が剣を帯びた。

「多少の、犠牲を強いても」

「ふざけたことを言うなっ!」

 ハルダーの堪忍袋の緒が切れたのか、壮年の男が少女を怒鳴りつける。しかし、マリーの方はどうして怒鳴られたのかわからないとでも言うかのような眼差しのままでひっそりと笑ってみせた。

「どうせ板挟みなんです。それに、ハルダー上級大将が戦場にいるわけじゃないじゃないですか。戦場で指揮を執っているのはロンメル元帥なんでしょう? その”ロンメルさん”が苦情を言うならともかく、安全なところで駒を動かしているだけのハルダー上級大将にどんな権利があるって言うんです?」

 よく聞いていれば失礼極まりないし、なによりも内容が物騒すぎる。しかし軍隊の流儀にも親衛隊の流儀にも捕らわれない少女は頬杖をついたままで睫毛をまたたかせている。

「多少の犠牲は、戦争ではやむを得ないことです。それに、ハルダー上級大将が問題にされている党員の件ですが、その人たちは軍人でも兵士でもなく、ただ、インドの国民を救いたいと戦っていた医師でしかないというのに、イギリスとアメリカに見殺しにされたんです。……彼女にとっては、正統な復讐なんです」

 騎士道もへったくれもないマリーの発言は、しかし核心をついていた。

「戦場で軍人が死ぬのは一種の義務です。しかし、何の罪もなかったはずの……。人の命を救おうとした医師が死に直面し、結果として英米に殺されたようなものなら、ナチス党(パルタイ)の選択はひとつになるんじゃありませんか?」

 ね? カイテル元帥?

 そう付け足して小首を傾げると、少女は明るく笑った。

 遠回しに「彼女に力を貸してやるべきだ」とマリーは言っている。

「小娘風情になにがわかる」

 フランツ・ハルダーの声に、マリーは肩をすくめて見せた。いつもと同じで相変わらず怒鳴りつけられても全く動じない。

「大人の事情なんて子供には知った事じゃありません。わたしにわかることは、命は平等で、人の優劣なんてないっていうことだけです。わたしの命も、あなたの命も」

 まるで同じ。

 彼女の静かな声に、ハルダーは一瞬だけ言葉に詰まったようだ。

 命とは常に同じ天秤に乗っている。

 ただ残虐に、その”死”は平等だ。どんな人間であれ、必ず死は訪れる。その死が、自然の力によるものなのか、それとも他者の力によるものなのか。それは人生次第だろうが。

「アメリカの戦略情報局は、我が国の総統に危害を加えるべきと画策しておりました。その報復攻撃として親衛隊で計画した秘密作戦に対する”彼”への命令で、娘が自ら復讐の手段になる可能性を知ったものと思われます。ハルダー上級大将、カイテル元帥」

 素晴らしく不親切で自分勝手なマリーの言葉に、会議の席にある面々が同様に言葉を失っているところにシェレンベルクが助け船を出した。

「外務省でも情報の収集にあたっている、ハルダー上級大将の懸念ももっともだとは思うが、すでに天然痘が蔓延している以上はここでくだらん議論をしたところではじまらん。親衛隊のことが面白くないのはわかるが、もっと建設的な話はできないものかね?」

 親衛隊と国防軍の議論に耳を傾けていた外務大臣のヨアヒム・フォン・リッベントロップがそう言った。

「現在、親衛隊の医療班でも天然痘に対する対策を検討しておりますし、当面、どうやって北アフリカ方面のイギリス部隊を一掃するかになるかと思われますが……」

「アフリカのロンメル軍団はなんとか止まっている。現在、ケッセルリンクとロンメルで今後の作戦の展望について話し合いが持たれているとのことだ」

 マルタ島の占領はドイツ軍にとって大きな利益につながった。

 もちろん、このマルタ島の占領にドイツ海軍(クリークスマリーネ)の暗躍があったことも列記しなければならないのであるが。

 イギリス軍の軍事拠点灯される沿岸部に死の病が猛威を振るっているならば、他の方法を考えなければならないのだ。

 陸空の辣腕の将軍がふたり。

 北アフリカの状況はまさしく運命の岐路に立たされていた。

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