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神々の黄昏 ― Vaterland ―  作者: sakura
VIII ソドムとゴモラ
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4 矛盾する企図

 一九四二年七月の半ば過ぎ、死の病はエジプトを中心にしてその周辺諸国を覆い始めていた。それは人から人へと感染し、拡大していく。

 バーナード・モントゴメリーのとハロルド・アレクサンダーの前任の指揮官であるクルード・オーキンレック、及び、アーチボールド・ウェーベルの指揮下は蔓延しつつある伝染病の毒牙にかかりつつあった。

 オーキンレックは死の病に見舞われ帰国することになり、チャーチルの命令によりアレクサンダーとモントゴメリーが指揮官として着任するが、オーキンレックは重篤な呼吸不全によって帰国後まもなく死亡する。

 しかし、イギリスの医療機関が病原菌の特定をする前に戦局は大きく動きつつあり、モントゴメリーらの指揮するイギリス軍はアメリカの支援を受けて辛くも勝利をおさめることができた。

 だがエル・アラメインを中心としてエジプトの沿岸地帯には死の病がはびこっていることに懐疑的な姿勢をとりつつおドイツアフリカ軍団を指揮するロンメルは伝染病に浮き足立つイギリス軍に対して着実な攻勢をしかけつつあった。

 もっとも、あくまでもせいぜい茶番劇程度の攻撃でしかなく、戦線は膠着状態に陥っている。

 この頃、イギリスに対して支援物資を送り込むアメリカの情報機関もこうした北部アフリカ諸国の情報収集にあたっており、エジプトを中心として爆発的に拡大しつつある伝染病の究明につとめていた。

 こういった状況で伝染病の発生に動揺を見せ、浮き足立つイギリス軍の補給路の要とも言える地中海に浮かぶマルタ島はドイツ空軍の猛爆撃を受けて陥落した。そしてイギリス軍の頼りにするもうひとつの補給路であるアメリカ軍は伝染病の解明がすすむまでは、イギリスに対する支援を縮小させるに至っていた。

 さらにコーカサスの油田地帯はすでに反スターリン軍によってほぼ無傷で占領されており、アメリカにとってのイラン・イラクの重要性は昨年と比較すると失われつつあった。

 対独交戦を続ける連合国側に対して植民地諸国からの不満が強くなり始めたのはちょうどこの頃からであったが、これについては、連合国側としては植民地を失うことについての国内からの反発が根強く。ヨーロッパ諸国を犯罪国家であるドイツから救うべきとスローガンを掲げていながら、反して非人道的な植民地政策を採り続けるイギリスに対して、ドイツの同盟国である東の果ての国――大日本帝国は白人社会からのアジア解放宣言を布告する。

 またアメリカ合衆国によって行われる日系アメリカ人に対する「違法な」日系人移民に対する差別的な扱いに対しては、敵国ながら大日本帝国首脳部は遺憾の意を表明した。

 以前から白人社会の差別主義的な思想に対して懐疑的な立場を示してきた大日本帝国は、こうした弱者たるアジアの代表として、白人社会に真っ向から異論を唱えることになった。これらの事情からドイツの同盟国でありながら、ドイツ側の反ユダヤ政策に日本政府が協力しない態度を明らかにしたのはもっともな事とも言えるだろう。

 アジア方面でのこれらの動向は、該当地方に多くの植民地を有するイギリスを大いに悩ませることになる。ドイツと比較すれば強力な機動兵器を持つわけでもない極東の田舎国家があろうことかイギリスとアメリカを相手に戦争をけしかけたのだ。

 ヨーロッパ、アフリカ方面とアジア方面の二正面戦争。それは国力の落ちつつあるイギリスにとっては危険極まりない賭だった。たとえるなら、ドイツにとってソ連とヨーロッパ方面の二正面戦争が危険極まりないことと同じように。もっとも、危険な綱渡りをしているのはドイツとイギリスだけではない。なによりも問題の極東の島国こそが最も危険な綱渡りに興じているのだった。

 長大な補給線と、深い泥沼のような敵地。

 イギリスという果ての大国と戦争をしている東の果ての国。彼らはこれに加えてアメリカ合衆国という巨大な帝国を相手にしている。今のところ、大日本帝国はアメリカを相手に苦しい戦いを繰り広げているものの、おかしなことにこの一ヶ月半ほどの間にその「強大な」アメリカがぐらつきはじめた。

 国内の人種問題と外交問題。

 ローズヴェルトの後継者として指名されたヘンリー・A・ウォレスは人種問題に暴発しそうになる白人中産階級を押さえ込み、さらに黒人たちを中心とした有色人種との対立をとりなしながら、さらにそれらの暴動の鎮圧のために前大統領フランクリン・ローズヴェルトによって招集された州兵及び警察隊との各団体の対立はいつ内乱に発展してもおかしくない一触即発の状態になりつつあった。

 それほど国内は緊張に高まっている。

 その舵取りに懸命なアメリカ首脳陣は、日本を挑発して宣戦布告させたものの本命とも言えるヨーロッパ戦線に全力で介入するどころではない。ただでさえ、自ら挑発して戦争の口火を切った上、六月にミッドウェー島を巡る大きな海戦があったばかりなのだ。ヨーロッパに対する支援、参戦はともかくとして日本との戦争は引くに引けないところにきてしまっていた。

 国内問題と国外問題、さらに外交問題に挟まれて文字通り身動きすらままならない状況になりつつある中で、その相手が取るに足らない小国であっても、アメリカ合衆国(かれら)にとって、両国の間に横たわる太平洋は巨大すぎた。



 ドイツ第三帝国の首都――ベルリンの執務室で、ハインリヒ・ヒムラーはシェレンベルクの来訪を受けて苦虫を噛みつぶすような顔になった。

「ハイドリヒ親衛隊大将の、懇意にしていた党員がいたことは把握しているが……」

 大きな溜め息をついてから、神経質にこつこつと机を指先で叩く。

「人道的な立場から、党員である以上はその支援をするのは党の務めではありませんか?」

 かつてハイドリヒが言っていた言葉を思い出した。

 ヒムラーは問題の党員がインド在住のアメリカ人であることから資金提供を渋ったのだ。もちろん、ヒムラーが党の金を自由に動かせるわけではない。

「なによりもこうして恩を売っておけば後で使うこともできるでしょう」

 問題のインド在住のアメリカ人医師は天然痘に罹患した村人たちを救うために、イギリス、インド、さらにアメリカにも掛け合って人員の提供と、資金の援助を訴えていた。しかし、植民地の人間にさほど興味を払っていないイギリスはインド人達のために金を出すつもりなどなかったし、インド政府そのものにそんな余裕はない。アメリカも人種問題に揺れている頃であったから、インド人のために資金援助などは良い顔をしなかった。

 この状況をアメリカ人医師は、ドイツのナチス党に訴えてそれがたまたまラインハルト・ハイドリヒの耳に入ったというのが正確なところだ。

「人道的な立場で考え、インドの貧しさに苦しむ者たちの命を助けていただきたい」

 ハイドリヒがなにを考えていたかはシェレンベルクにはすぐに合点がいった。

 こうして人脈を国外に作ることで、外国への懐柔を可能にしようというところだろう。しかも医師が素っ気なく振られたのはアメリカでありイギリスだ。彼らの弱みを握ることにほかならない。

 その辺りにも打算があったに違いない。

「つまり、その娘については、イギリスに強い恨みでもあったということか?」

「そうなると思います」

 一家十人のうち、七人が死んだ。

 それは資金援助も人員提供もせず高みの見物をしていたイギリスでありアメリカの責任だ。医師の娘はそう思っているのかもしれない。

「父親の方に、例の作戦の件で帰国は促しましたが、その後の娘のほうの行方が知れませんでした。おそらく、ほぼ同時期にエジプト方面へと向かったものと思われます」

 イギリスを滅ぼすために。

 か弱い娘が牙を剥いた。

「国防軍共の批難の矢面に立てと?」

「あるいはそうなるかもしれません」

 シェレンベルクの返事に「ふむ」と呟いてから、ヒムラーはじっと一点を見据えると考え込んだ。

 天然痘などという死の病を患った党員が動いたことを黙認したとなれば、国防軍からの批難も免れられないだろう。

 しかし娘にそうした事情があるとなれば話しは別だ。

 イギリスやアメリカが、医師一家を裏切り、あまつさえ見捨て、殺したのだ。

 一家の者たちには復讐の権利がある。

「わかった、努力はしてみよう」

 しかし、陸軍が動けないとなると空軍でイギリス軍を追い込むしかないのかもしれない。ヒムラーは軍人ではないからその辺りはさっぱりわからないが、ロンメル陸軍元帥が動けないとなると戦況はどう変化するだろう。

「ところで、最近の特別保安諜報部はいろいろ忙しいようだが、その後マリーの様子はどうだね?」

 話題を切り替えたハインリヒ・ヒムラーにシェレンベルクは首をすくめてみせた。

「ベテランの工作員が怪我をしているのはなんとも思いませんが、年頃の女の子があんなひどい怪我をしているのは見るに堪えませんね」

「捜査のほうはそれなりにすすんでいるとは聞いているが、警察犬が配備されたと聞いたが」

「マリーは犬が苦手なので、世話をしているのはもっぱらマイジンガー大佐とナウヨックス少尉です」

 特別保安諜報部に配属されている者たちの命令はよく聞いているが、赤号(ロート)の首がじっとマリーを追っているのはシェレンベルクも知っている。

「ナウヨックスが、マリーを犬に慣れさせようとして苦労しているらしいです」

 雑談めいた会話をシェレンベルクはヒムラーと交わしている間も、忙しなく多くのことに思索を巡らせている。

 考えなければならないことが多すぎる。

 戦場のことなど国防軍の軍人に任せておけばいいのだが、それ以外にも考えなければならないことは山ほどあった。

「なかなか優秀な警察犬らしいな」

「はい、ポーランド戦にも参加している生粋の軍用犬で、その後に警察犬としてゲシュタポに配備されたと聞いております」

 上辺ではヒムラーのくだらない会話につきあいつつ、シェレンベルクはさりげなく時計を見た。

「では、小官は次の約束がございますのでこれで失礼いたします」

 優秀すぎる警察犬は、すぐにマリーが「彼」を怖がっていることを理解したようだ。守るべき主人につかず離れずといった場所に待機して耳をぴんと立てて鋭い瞳を辺りに放つ。

 少女が犬を怖がっているから近寄らない。

 それをロートはよくわかっている。

 その日も、マリーの執務机の数メートル離れた絨毯の上におとなしく座ってデスクについて書類を見つめている少女を観察していた。一方のマリーは犬に終始見られていることが落ち着かないのか時折ロートに視線を向ける。

「ただの護衛犬だ、そんなに意識することもないだろう」

 ベストにそう言われてマリーは返す言葉が見つからない様子で視線を彷徨わせる。やがて彼女の目がロートを捕らえると、当の警察犬は座った姿勢のままで尻尾を大きく左右に振った。

「仕事だと思って諦めなさい」

 首席補佐官の言葉に少女は肩を落とすと上目遣いで犬を覗っている。確かにロートはひどく頭の回転が速く、マリーを不快にさせるようなことはしない。単にマリーが一方的にロートから逃げ回っているだけだ。

「ところで、マリー?」

「はい」

 犬の話題が特別保安諜報部に尽きないのは、部長であるマリーが過剰な反応を見せているからで、諜報部の一部署としての仕事は山積みになっている。

「エジプトの不確定要素についてだが、党員ということもあって、国防軍のお偉方がかなりご立腹らしいぞ?」

「そうでしょうね」

 そう告げたベストに意識を犬から切り替えたらしいマリーが相づちを打つ。

「ですが、別に党が自ら彼女を動かしたわけではありません」

 彼女が動いたのは、彼女自身の意志だ。

 自分の家族を見殺しにしたイギリスに復讐をするために。

「イギリス政府は、自分たちが人の頂点に立っているとでも思っているのでしょう」

 だからこそ利用価値もある。

 マリーは素っ気なく続けるとにこりと笑ってからデスクに肘をついた。

「ヨーロッパの開放、などと掲げてはいるけれど、彼らとて所詮は搾取している側なんですから」

 アメリカが国内に火種を持っているのと同じように、イギリスもまた同じ。

 国内問題が皆無の国家などないから、情報機関は相手よりも優位に立とうとするためにそれを握ろうと行動する。

 指先で文鎮を転がしながらマリーは静かにほほえんでみせた。

「あれは、彼らが自ら蒔いた種なんです」

 破滅へと向かうカウントダウン。

 彼らはその引き金を、過去にすでに引いていた。

「敵にそれを利用されることもわかっていないなら、愚かな話しなんだと思います……」

 左腕を吊っている彼女の姿がどこか痛々しくてベストはわずかに目を細めたが、マリー自身は特になんとも思っていないのか時折痛みに眉をしかめるだけで態度は普段と変わりない。

「腕の様子がよくなるまで仕事はほどほどにするように」

 いつもの調子で書類に目を通しているマリーに釘を刺す。

 独りよがりな行動をとりがちな特別保安諜報部長を補佐するのは彼の役目だった。 

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