5 Die blonde Bestie
「素性もなにもわからない子供を保護するなんて、情報部員らしくないわね」
窓の外に流れる景色を見つめながら、金色のまっすぐな髪を肩に流して少女は告げる。青い瞳が時折、不安定な光をたたえて揺れるのをシェレンベルクは見逃さなかった。
「本当なら、わたしなんて敵性外国人として、収容所送りよね」
彼女はわかっていて発言しているのだ。
おそらく彼女自身が言う”収容所”が何なのかも知っていて。
そんな彼女の言葉の端々にあるものを感じ取ったからこそ、シェレンベルクはラインハルト・ハイドリヒの棺桶に潜り込んでいた少女などはすぐさま収容所に放り込むべきであるという、国家秘密警察局長のハインリヒ・ミュラーの意見に賛成できなかった。
ハインリヒ・ミュラー。
彼は国家秘密警察局の長であり、かつてのシェレンベルクの上司でもある。
彼は彼女を怪しいとすら言った。
しかしハイドリヒの手先となって動くことも多々あり、さらに個人的に親交もあったシェレンベルクが感じたものは、ミュラーのそれとは違っていた。
もっとも、ゲシュタポ・ミュラーと恐れられた秘密国家警察の局長と、恋多きプレイボーイでもあったシェレンベルクでは性格がまるで違う。
多くの情報部の上層部の人間たちと、シェレンベルクの大きな違いだ。
彼は冷静で冷徹な監視者でありながら、プライベートでは柔らかな笑みをたたえて女性だけではなく多くの人間を惹きつける。そんな彼だからこそ掌握することのできる情報も多くあった。
要するに、ハイドリヒやミュラー、そしてヒムラーなどとの決定的な違いは、恐怖の仮面を終始その顔に貼り付けていないことだ。
硬軟織り交ぜた駆け引きの手腕こそシェレンベルクの本領である。
「わかっているのにぺらぺらしゃべるんだな」
隣に座る少女に視線を注ぎながら、シェレンベルクが告げると、頬にかかる長い金色の前髪をかき上げて、マリーはどこか物憂げな眼差しのままで視線を落とした。
光をまとった金色の睫毛が揺れる。
ややしてからクスリと笑った少女は、顔を上げて自分の右隣に座っているフィールドグレーの制服を身につけた青年を見つめた。
彼女の考えていることが、あまりにもちぐはぐで情報部員であるシェレンベルクにすらついていけないのだ。普通の人間相手であれば、思考の先を読み取ることなど彼には簡単だったし、なかったことをあったこととして、口先三寸で陥れることも容易だ。
しかし目の前の少女相手にはどうにもそうはいかない。
マリーの発言自体がシェレンベルクにとってすらも異様なのだ。
それはまるで。
定められた音階から、ゆっくりと調律が外れていくように、不協和音となってシェレンベルクの感覚へと伝達される。そんな不快さを感じながら、少女と視線を合わせていると、カーブにさしかかった黒塗りのベンツが大きく揺れた。
「……どうした」
「申し訳ありません」
シェレンベルクに尋ねられて、車を急停止させた親衛隊の下士官は銃を抜きながら運転席を下りる。
ベンツが揺れたことによって、マリーがシェレンベルクの方に大きく横倒しになった。そんな少女の体をを支えてやりながら、彼は窓外へと視線を滑らせた。
数発の銃声が聞こえた。
先日、ベーメン・メーレン保護領でハイドリヒが暗殺された事件でドイツ国内は厳戒態勢になっていた。多くの高官たちの警備が強化され、シェレンベルク自身も例外ではない。
隣に座っている男の胸に倒れ込んだ形になったマリーは、右手をシェレンベルクの膝につき、左手を制服を身につけている男の胸にあてた。動揺することもなく、華奢な少女の肩を片手で抱き寄せて、シェレンベルクはベンツの後部座席の窓を開いた。
「どうだ」
「おそらく国内に潜伏しているレジスタンスと思われます。タイヤをやられました。申し訳ありません」
「かまわん。すぐに別の車を寄越すよう国家保安本部にわたしの名前で連絡をいれてくれ」
シェレンベルクの指示に、素早く応じた親衛隊下士官は助手席に乗るもうひとりの護衛の下士官にシェレンベルクとマリー・ロセターの護衛を依頼するとその場を離れた。
国内も国外も物騒なことこのうえない。
しかも現在は戦争のただ中でもある。
部下たちに指示を出したシェレンベルクは、そうしてから息をつくと、マリーの肩を抱いていた手から力を抜いた。
細い肩と細い指。
家事など一度としてしたことがないのではないかとすら思わせる。
軽い体は思った以上に痩せていて、腕の中の少女の無事を確認したシェレンベルクの思考の片隅に悪い癖が顔を出しかけた。
「無事か」
「車が揺れただけでしょう?」
問われて応じた少女は、男の膝と胸についていた手のひらに力をこめると自分の体を引き起こした。
その辺の逞しいドイツ人女性たちとは比べものにならないほど儚げで華奢な肢体の彼女は、散る寸前の原種のバラの様な印象すら受けた。
「わたしのことは大丈夫よ」
でも、身分を疑ってるのに心配なんてしてくれるのね。
そう続けてクスクスと笑った彼女に、助手席に座っていた護衛の親衛隊下士官がどこか訝しげな、けれども鋭い眼差しを向ける。
しかし、彼女はわかっているだろうに動じない。
マリーは後部座席に背中を預けるように深く腰を下ろしている。
どこまでも泰然とした様子にシェレンベルクはわずかに片目を細めたが、結局なにも言わなかった。
新しい車が到着して、捜査をゲシュタポに任せてシェレンベルクはマリー・ロセターを伴って目的地へと発進する。
護衛の運転手と、その助手席に座るふたりの親衛隊下士官は、シェレンベルクの目を気にして口には出さないが、彼の横にいるひとりの少女に注意を注いでいた。
もしも万が一彼女が国家保安本部国外諜報局長であるヴァルター・シェレンベルク親衛隊中佐にかつてのハイドリヒのように危害を加えられてはならない。
彼女がレジスタンスや連合国の刺客ではないとは限らないのである。
「これからどこに行くの?」
これが普通の男女の会話であれば、なにげない恋人同士のもののようにも聞こえなくもないが、実際の所問いかけられた男はドイツ第三帝国国家保安本部国外諜報局長を務める情報将校であり、そして少女のほうはともすれば敵性外国人認定を受けるかも知れない、という極めて特異な立場にあった。
普通の在ドイツ外国人であれば、敵性外国人認定されることを恐れてへたな発言を避けるだろうに、シェレンベルクの隣に座っている彼女はそうではない。
決して物怖じもしなければ、彼を恐れることもない。
自分以外の全員がナチス親衛隊の男たちであるというのに。
「……全くもって」
シェレンベルクは溜め息まじりに鼻から息を抜くとつぶやいた。
「わかっているのかわかっていないのか、全く不思議な娘だな」
マリー・ロセターはこれからの行き先をわかっていて聞いているのか、それとも本当にわかっていなくて聞いているのか、それがわからない。
「……ザクセンハウゼン強制収容所?」
強制収容所。一般的にはKZと略される。しかし、その管理者たるナチス親衛隊たちはKLと略した。
しばらくの沈黙の後に彼女はそう言った。
KL。
その言葉に、助手席に座っていた親衛隊下士官がぎょっとしたように大きく肩を揺らした。
シェレンベルクも意外だったのか、わずかに瞳を見開くと少女を見つめる。しかし、そんな男たちの様子にマリーは口元に手を当ててから青い瞳だけでやんわりと笑う。
声もなく、ただ、ぞっとするような笑みだ。
これから向かうところが強制収容所であるとわかっていながら、彼女は全く表情を変えもせずに、長い前髪を耳の上にかきあげる。
ザクセンハウゼン強制収容所はベルリンの北部に位置するブランデンブルク州オラニエンブルクに設置されている。
ベルリンからはそれほど遠くはない。
「図星……?」
ふぅん、とつぶやいてからマリーは顎の先に人差し指をあてると右斜め上を見つめて考え込むような仕草を見せた。
「今の所長、というとハンス・ローリッツ親衛隊上級大佐だったかしら……」
上級大佐、と言うとシェレンベルクよりも二階級ほど上の地位にいるということになる。要するに現在、車中にいる親衛隊員の中にハンス・ローリッツよりも上位の人間はいないということだ。
そんな事態を恐れることもなく発言を続けるマリーは、驚きの余り固まっている助手席の下士官を流し見てから青い瞳をかすかにまたたかせた。
「どうして知っている、って顔をしてるわね」
それだけ言ってから、マリーは視線を窓の外に流れていく前方に戻した。
それ以上の発言をやめて少女はシェレンベルクの肩に寄りかかり、頭を預けると目を閉じる。
「……我々が、君を収容所送りにするために移送しているとは思わないのか?」
「それはわたしが判断する事じゃない。どうでもいいのよ。どちらにしたところで、わたしの命運はあなたたちの手の内にある」
全て、今の自分の意のままになるなどとは思っていない。
彼らの言葉一つで、自分の命の結果が決まることをよく知っている。
「ハンス・ローリッツ……。彼は元気にしているかしら」
なにやら含みを持たせたマリーの物言いに、シェレンベルクは彼女に肩を貸したままで顎に手のひらを当てたままで考え込んだ。
*
どうしてシェレンベルクが”彼女”を認める気になったのか、と尋ねられれば実のところマリー・ロセターがラインハルト・ハイドリヒの生まれ変わりだ、などという戯れ言めいた言葉を信じたからではない。
強いて言うならば、彼女の持つたぐいまれなカリスマ性に可能性らしきものを感じたとでも言えばいいのだろうか。
わずかに揺れる車の中でヴァルター・シェレンベルクの肩に自分の頭を預けたままで、規則正しい呼吸を繰り返している金髪の少女に男は鼻白んだように息をつくと、ともすれば崩れかかる華奢な体を支えてやる。
体力をひどく消耗しているのか、シェレンベルクと出会って以来マリーの顔色の悪さは全く改善しない。
どうしてこれほどまで消耗しきっているのか。
そんなことは正直なところシェレンベルクが知る由もないが、実のところマリーの傷の異常な治癒の速度と、さらに彼女の上層に形成されつつある新たな人格による肉体の支配権の交代が少女の体力を根こそぎ奪い取っていたのである。
強い精神とは、強い肉体によって支えられる。
極めて異常とも言える治癒力を発揮したマリー・ロセターの体力はすでに限界に達しており、新たな人格の形成を支えられる力などほとんど残されてはいなかった。
頬にかかる長い前髪を指先ですくいあげても、彼女は目を覚ますこともなく深い眠りに墜落している。
これがハイドリヒならば、誰かに触れられただけで目を覚ますだろう。
しかし少女はそうではない。
眠るマリーはまだどこかあどけなくも感じる面差しで、シェレンベルクはもう一度ため息をつくと彼女の体をそっと自分の膝に倒してやる。
何の抵抗もなく、男の膝に体を預けて眠っている少女。
彼女は。
シェレンベルクは思った。
ラインハルト・ハイドリヒがどう、という問題はともかくとして。彼女はハイドリヒが持っていた強いカリスマ性に似たものを有しているような気がした。
支配者たらんとする「素質」がある。
全てを蹴散らし、蹂躙するかつてのハイドリヒの持っていた恐怖のカリスマ。
おそらくハインリヒ・ヒムラーには国家保安本部長官――ラインハルト・ハイドリヒの存在なくしてナチス親衛隊の統括など不可能だったはずだ。
ただでさえその組織の内部は瓦解寸前まで腐敗している。
それは士官に限らず、下士官や兵士たちにすら及んでいた。
そしてそんなハイドリヒの不在を補うように出現した少女は、確かに彼に良く似ていながら、また違うカリスマ性を持ち合わせているのをシェレンベルクは感じ取った。
それこそが少女の存在をシェレンベルクが認めた可能性の一端。
問題がひとつあるとすれば、どうやって国家社会主義ドイツ労働者党の幹部らを納得させるかということだった。
冷たい「金髪の野獣」とも呼ばれた男の生まれ変わり……?
そんなことはシェレンベルクにとってどうでもいいことだ。
どちらにしたところで、各々の強い欲望が表出するこのナチス親衛隊という組織にとって、恐怖の権化とも言える絶対的な支配者の存在は必要不可欠だ。
彼を失えば、ナチス親衛隊などたやすく崩壊するだろう。
残念にも思えることだがこの組織は、内部の芯に至るまで腐りきっている。
「……怖いことを、考えている?」
静かすぎるその車内に、声が響いた。
少女の声だ。
「……マリー?」
肌触りの良いシェレンベルクの制服の膝に頭を預けたまま少女は沈黙する。
眠りの谷間でなにかを感じただけなのか、その呼吸は乱れることもなければ途切れることもない。
金色の長い髪が、シェレンベルクのフィールドグレーのズボンに彩るように散っている。
この少女は果たして本当に「ハイドリヒ」が望んで未来から呼び寄せたのか、それとも、ただの犯罪者なのか。
今のシェレンベルクには判断しかねた。
ただひとつだけ。
確かに言えることは、「マリー・ロセター」は人の眼差しを釘付けにせずにはいられないなにかを持っていると言うことだった。
*
ラインハルト・ハイドリヒ親衛隊大将が暗殺者の牙に倒れたとき、多くのドイツ治安維持、警察関係の首脳部が暗殺犯人の捜査を援助するためにドイツ各地、または占領地などからプラハに集まっていた。
まず国家秘密警察局長ハインリヒ・ミュラーが。そして、刑事警察局長のアルトゥール・ネーベが休暇中のオランダから駆けつけた。
ハイドリヒの協力者とも言えるカルテンブルンナー、そして、シェレンベルクも同様にプラハに駆けつけることになった。さらにその二日後、五月三十日には全国親衛隊指導者であるハインリヒ・ヒムラーも到着した。
国家保安本部を牛耳る多くの高官たちが多忙の中を一堂に集まることなど至極珍しいことである。
ハイドリヒの暗殺犯を一網打尽にするために。
現実的な話としては、暗殺事件の犯人捜査は五月に終わったわけではない。
マリー・ロセターと出会った後の一週間も、シェレンベルクはベルリンとプラハを往復する多忙な生活を送っていた。
もちろん、プラハにはラインハルト・ハイドリヒ親衛隊大将暗殺事件の捜査のためである。
そしてハイドリヒの葬儀の後、ナチス親衛隊主導による大規模なレジスタンスの掃討作戦が行われた。その際、これらの大がかりな作戦の全体的な指揮を執ったのがベーメン・メーレン保護領国務相を勤めていたカール・ヘルマン・フランク親衛隊中将だった。もっともそんなフランクに対するシェレンベルクの評価は低い。
彼はチェコ人をドイツ化しようと考えており、これに反対、もしくはドイツ化しない者は全て処刑してしまおうと考えるようなナチス党に対して狂信的な男で、時にはアドルフ・ヒトラーの決定すらも無視するような行動がままあった。しかし、シェレンベルクのフランクに対する評価が低いのはこのためではない。
カール・ヘルマン・フランクはこういったことを考え、ドイツ化しない者に対して厳罰をもって対処していたというのに、自分に対して事が及ぶことを異常に恐れる小心な性格だった。つまるところ、シェレンベルクが軽蔑していた理由というのは自分に巨大な権限がなければ弱者に対して厳罰を下すこともできないその性格だ。カール・フランクが最も関心を向けていたのはなによりも自分の身の保全のことでしかないのだった。
いずれ面倒な事態に陥ったら、フランクは自分だけが逃げ出す魂胆なのだろう。
小心者の権力者が考えることだ。
シェレンベルクは窓の外を流れていく風景を眺めながら頭の片隅でちらりとそんなことを考えた。
今までハイドリヒという「完璧な獣」の存在によって押さえ込まれていたそういった類の狂犬たちが暴走する危険性がある。だからこそ、なるべく早くハイドリヒの後任が決まらなければならない。
狂犬たちを押さえ込める人間がナチス親衛隊には必要なのだ。
そして、問題はその後任だ。
誰が後任者となったとしても、ラインハルト・ハイドリヒのように冷徹に狂犬たちを押さえ込める者はいないだろう。
複数の狂犬を押さえ込むには、それこそ頭の回転の速く冷徹で、さらに私情に流されることのない純潔の恐怖の存在が必要なのだ。
ラインハルト・ハイドリヒの青い瞳は、全ての真実も欺瞞も看破した。
けれども、不可思議なもので彼は権力を私的に行使して私腹を肥やすと言ったことがなかった。だからこそ、国家保安本部、もしくは多くの高官たちからは恐れられはしたものの、決して公人としては評価の低い人物ではなかった。
昼過ぎに、ザクセンハウゼン強制収容所に到着した。
「おまえたちは待っていろ」
「はっ」
下士官たちに待機を命じて、シェレンベルクは自分の膝の上で眠っている年若い少女の肩を軽く揺すった。
まだ顔色の悪さは抜けない。
「起きろ」
眠たいのか華奢な指でシェレンベルクの膝を軽く押さえてまだ寝息を立てている。
これだけ見ていればかわいらしく見えないこともない。
「……マリー」
何度目かの溜め息をついて、彼女の体を抱き起こすと少女は目をこすりながらあくびをかみ殺す。
緊張感のないことこの上ない。
「シェレンベルクは良いにおいね」
制服からかすかに香る香水の香りに、少女は無邪気に鼻先を彼の制服に押しつける。そうして、マリーは眠りに引き込まれそうな思考のままでシェレンベルクに連れられて車をおりた。
管理棟の前に留められたベンツに、数人の親衛隊下士官たちが視線を留めている。
親衛隊情報部の将校につれられた若い娘。
身なりはそれなりに良く、どこからどう見ても敵性外国人として連行されたようには見受けられない。
しばらくシェレンベルクに支えられながらふらふらと歩を進めていたが、やがて頭がはっきりしてきたらしく、少女は管理棟の入り口に立つ男に瞳の焦点を合わせた。
親衛隊全国指導者ハインリヒ・ヒムラー。
「……――ヒトラー万歳」
シェレンベルクはヒムラーに対してドイツ式の敬礼をした。
「ヒトラー万歳」
ヒムラーも、部下の言葉に応じる。
そんなふたりをじっと見つめていたマリーは、ちらと自分の隣に立つシェレンベルクを見上げた。
大きな青い瞳がわずかに揺らぐ。
自分の命運は、彼らの手の内にあるとわかっていて、それでも彼女の中にある正体不明の揺らぎが消えない。
もしかしたら、本当に収容所に収監されるのではないか。
そんな恐れも頭の隅に残っている。
怖くない、と言えば嘘になるのだ。
「そんな顔をするな、今ここで貴様を収容所に放り込もうと思って連れてきた訳じゃない」
ヒムラーは鼻を鳴らしながらそう言った。
ちなみにシェレンベルクの見るところ、ヒムラーも顔色が悪いが、それは体調不良のためではないだろう。
彼は余り収容所の視察を好んでいるわけではない。
「少なくとも、外見はアーリア人のようだからな」
マリーの容姿は、一般的なケルト民族のそれではない。
どちらかと言えば、金髪碧眼で北欧系により近い、とでも言えばいいだろうか。
ヒムラーや、他の親衛隊下士官たちの探るような眼差しに不安を感じたのか、マリーは無意識に半歩下がってシェレンベルクの制服の袖を小さく掴んだ。
彼が見るところ、マリーはまだどこか不安定だ。
年相応の少女らしさを見せることもあれば、また、車中でのようにどこか達観した大人びた面を見せる。
少なくとも、彼女を収監するために強制収容所などに連れてきたわけではないシェレンベルクは、不安げに自分の服の裾を掴んでいる少女の手を強く握りこんでやると一歩足を踏み出した。
彼女に感じた「可能性」を、幻想にしてはならない。
ヒムラーを納得させることができなければ、彼女に待っているものは、まさしく「死」そのものなのだから。
「堂々としていろ。わたしは、君の味方だ」